北村さんちの遺跡めぐり
更新日2024/9/20

茨城県の遺跡
その7  小美玉市2

茨城県の旅4日目、2024/4/10 午後4時半を過ぎて、小美玉市に入る。
前日(9日)には、小美玉市北部の羽黒古墳と勅使塚古墳を見学したが、
  今からは旧玉里村(霞ヶ浦の北沿岸部)にある古墳の見学。
暗くなるまでにどこまで見れるか……。

小美玉市の地図g

桜塚古墳 小美玉市高崎
見学日2024/4/10

小美玉市高崎の台地上の道路沿いにある。説明板は見あたらない。
古墳北側には、新しい家が並んでいる。

 桜塚古墳は 径35mの円墳 
 墳丘の一部が墓地となる。  詳細不明。
 5世紀後半築造と推定されている。
 帆立貝形もしくは造出し付きの円墳の可能性もある。

北西から見る

北東から見る


広い墳頂部

とくに何も無い。

  

舟塚古墳群 小美玉市上玉里
見学日2024/4/10

小美玉市玉里総合支所の南に舟塚古墳群がある。
史跡指定はされていない。

 舟塚古墳群
  舟塚古墳と雷電山古墳の前方後円墳2基と円墳1基で構成されている。
 舟塚古墳(舟塚1号墳)  墳丘長74.0mの前方後円墳
 雷電山古墳(舟塚2号墳)  全長62mの帆立貝式古墳
 舟塚3号墳  円墳

道路に向かい合うように2基の前方後円墳があり、西側の古墳が雷電山古墳。

 雷電山古墳 (舟塚2号墳)
 全長62m・後円部径50mの帆立貝式古墳。高さ8m。
 墳頂には神社がある。

雷電山古墳 後円部

扁額には「雷電尊」とある

墳頂の雷電宮

くびれ部から前方部を見る



前方部から後円部を見る

全景   右側に前方部
説明板から    

  後世の経塚にともなう出土品の説明だ。

2基の前方後円墳の東側の古墳が舟塚古墳。  道路沿いに墳丘と説明板がある。
私有地なので、そっと立ち入らせてもらう。

 舟塚古墳(舟塚1号墳)
 墳丘長72mの前方後円墳
  後円部径37m・同高8.65m  前方部前端幅54m・同高8.25m
 二段築成  墳丘くびれ部の西側に造り出し
 最大幅11mの周溝がある。
 後円部に箱式石棺があり、人骨が残っていた。
 大刀把頭、挂甲小礼、金銅製鞍金具、玉類、円筒埴輪、朝顔形埴輪、人物埴輪、家形埴輪、
    伝大刀類・銅椀・四獣鏡・馬具・玉類が出土。
 6世紀前半の築造と推定されている。

後円部から前方部を見る

後円部墳頂の石板に”舟塚古墳”の文字

後円部墳頂部には石造物(?神)もある。

墳頂部には石祠もある

前方部から後円部を見る

南東側に前方部がある
 道路沿いに大きな説明板があるので、抜粋して記述する。
霞ヶ浦北岸に位置する標高約24mの台地上。
墳丘長72mの前方後円墳
 後円部径37m・同高8.65m
 前方部前端幅54m・同高8.25m
二段築成
墳丘くびれ部の西側に造り出し
最大幅11mの周溝がある。
1965~1966年に発掘調査。

舟塚古墳測量図

二重の箱式石棺

人物埴輪と円筒埴輪
 後円部のほぼ中央に通称「雲母片岩」を石材として二重に組んだ箱式石棺があり、
  石棺の周辺にも同じ石材の板石が敷き詰められている。
 複数回にわたる盗掘により、副葬品は散逸してしまったが、
  銀製圭頭大刀柄頭片、鹿角製刀装具、鉄鏃、挂甲小札、馬具、ガラス製丸玉などが出土。
 石棺の西側には金銅製の縁金具を付けた黒漆塗の鞍が出土。
 1965年の発掘調査の直前に盗掘されたとされる資料一括
    (装飾付大刀、武器・武具類、馬具、装身具、鏡など)が伝舟塚資料として存在。

 円筒埴輪と朝顔形円筒埴輪で構成される円筒埴輪列は、
  墳丘を全周せずに部分的に集中しており、後円部東側と前方部西側には二重に廻っている。
 円筒埴輪は6条7段で、その高さは約80㎝、朝顔形円筒埴輪に至っては9段10条で110㎝ほど
  関東地方の中では屈指の大型品。
 墳丘西側の造り出しや周溝に大量の形象埴輪が転落した状態で出土。
  家形埴輪、盾形埴輪、馬形埴輪、人物埴輪があり、
  形象埴輪の中でも、
   人物埴輪は巫女、女性、武人、力士、靫を背負う男子、盾持ち人などで
  畿内や地方の有力首長墓と遜色が無いほど多様な埴輪構成。
  形象埴輪は造り出しに集中して配置されたと考えられている。
  埴輪には優れた製作技法が採用され、赤や黒などで彩色されている個体もある。
 墳丘平面プランと形象埴輪群の構成が
  継体大王墓とされる大阪府今城塚古墳と類似していることから、
 6世紀前半の築造と推定されている。
        平成31年3月 小美玉市教育委員会

舟塚古墳の東に小さな円墳。

 舟塚3号墳
 径15mほどの円墳  詳細不明

墳丘

墳頂には石祠

 

塚山古墳群 小美玉市下玉里
見学日2024/4/10

舟塚古墳から道路を500mほど南下すると、左手に、古墳と思われる高まりが……。
塚山2号墳(天王山古墳)のすぐ北にあるので、(仮)3号墳としておこう。

 (仮)塚山3号墳
 径10mほどのかわいい墳丘。  (最初は塚山2号墳だと思った)

西から見る 墳頂には石祠

南から見る

  

 塚山古墳群は 園部川右岸の台地上に存在する5基からなる古墳群
  塚山古墳(塚山1号墳)は径50.8mの円墳
  天王山古墳(塚山2号墳)は 現状で径30mほどの円墳状だが、
       本来は帆立貝形古墳と考えられている。
  (仮)3号墳は  ?

南の脇道に入ったら見える大きな墳丘。

 塚山古墳 (塚山1号墳) 
 径50.8m・高さ8mの円墳  埋葬施設は不明
 埴輪が出土
 5世紀代の築造と推定されている。(石岡市の舟塚山古墳と同時期?)

南西から見る

墳丘登り口

墳頂部

墳頂部には
 墓石や石仏群や板石などが置かれている

塚山古墳の北東約200mにあるのは、天王山古墳(塚山2号墳)。

 天王山古墳 (塚山2号墳)
 現状では径30mの円墳  高さ5m
 元は帆立貝形古墳だと考えられている。
 須恵器が出土しているが、築造年代の特定までには至っていない。

墳丘

墳丘には小社と石祠がある

墳丘上の精巧な小社

墳丘上からの東方向の眺望

実は塚山2号墳は場所を調べて、翌日見学したが、ここで紹介しておきます。 

滝台古墳
市史跡
小美玉市下玉里
見学日2024/4/10

塚山1号墳の南約500m、霞ヶ浦を望む丘陵上に滝台古墳がある。

 滝台古墳は 全長83.4mの前方後円墳 
  後円部円部径36.1m・高さ7.9m、前方部幅49.8m・高さ7.2m
 円筒埴輪 形象埴輪(人物埴輪・馬形埴輪・器材埴輪)が出土
 前方部が大きい。
 舟塚古墳に続く6世紀中頃の築造と推定されている

前方部墳頂の石祠

前方部から後円部を見る



後円部から前方部を見る

 

小美玉権現山古墳
権現平古墳群
小美玉市下玉里
見学日2024/4/10

玉里図書館の東に民家園がありその奥に権現山古墳がある。
午後6時、真っ暗に近い状態で、民家園の駐車場に駐車、走って古墳を探す。
史跡整備が進められている。
説明板完備。

 権現平古墳群は 前方後円墳1、円墳5、方墳1基からなる

権現山古墳 測量図
 (説明板から)

主墳の権現山古墳は 権現平5号墳
周りには陪塚か3基ある。

下にあるのが、
陪塚の権現平8号墳。
 権現山古墳(権現平5号墳)は 墳丘長89.5mの前方後円墳
   後円部径44.7m・後円部高さ9.7m(残存) 前方部前端部幅59.4m・前方部高さ8.7m
 前方部に木棺直葬 後円部に箱式石棺
 前方部主体部から、太刀、鉄鏃
 造り出し部・墳丘から、
  土師器、須恵器(筒形器台を含む)、円筒埴輪、朝顔形円筒埴輪 形象埴輪
 5世紀末~6世紀初めの築造と推定されている
 市内最大の古墳  

前方部後方から見た墳丘

くびれ部から後円部を見る

後円部墳頂には石祠がある

後円部から前方部を見る

後円部脇から前方部を見る

横姿
 説明板から
写真解説  上左から
 前方部出土太刀 前方部埴輪出土状況
 前方部出土鉄鏃(一部) 前方部遺物出土状況
 須恵器(筒形器台 直口壷) 円筒埴輪
 円筒埴輪  短甲形埴輪

権現平8号墳(権現山古墳陪塚) 南から見る

権現平8号墳 権現山古墳側(北)から見る

後円部の先の陪塚、前方部の先の陪塚は見つけられなかった。

玉里図書館の敷地には、山田峯5号墳・富士峰1号墳の石棺が展示されているそうだが、真っ暗であきらめる。

今夜は、「ホテル橋本楼 (石岡市府中)」に宿泊。
食事なしのプランなので、
夕食は丸亀製麵、朝食はファミリーマート石岡国府店で準備して 明日に備えます。

茨城県の旅5日目。   2024/4/11 
午前8時にホテル出発。小美玉市の旧小川町の古墳から。

岩屋古墳 小美玉市栗又四ケ
見学日2024/4/11

小美玉市の「栗又四ケ(クリマタシカ)」という地にある古墳その1。
農地の中にある。


南の道路のラーメン店の北に、
案内板があって、
その右側の小径を徒歩で向かう。

トンネルみたいな所を抜けると農地に出る。
    

 岩屋古墳は 墳丘は消失し、横穴式石室が露出している。
 横穴式石室は、玄室長3.3m、幅1.8m、高さ1.7m、奥壁、天井は一枚石。

農地の中に巨石

石室開口

奥壁は 正方形?!

天井石を触ってみる  巨大な天井石

天井石

天井石 方向を変えて
説明板から

 

坂根山古墳(宮後1号墳)
と宮後2号墳
小美玉市栗又四ケ
見学日2024/4/11

小美玉市の「栗又四ケ」という地にある古墳その2・その3。

 坂根山(サカネザン)古墳 (宮後1号墳)
 墳長50mの前方後円墳前方部は西北西だが、削平されている。
 大刀や甲冑が出土したという伝承がある。

南から後円部を見る

後円部墳頂部

後円部墳頂に小さな石祠が二つ

右が後円部  左は前方部ではない
後円部の後ろに前方部があったはず(削平)

坂根山古墳の北に、宮後2号墳。

 宮後2号墳
 円墳 詳細不明

坂根山古墳から見た宮後2号墳

宮後2号墳 南東から見る

墳頂部には石仏がある

宮後2号墳脇から坂根山古墳を見る

  

鷲下古墳 小美玉市栗又四ケ
見学日2024/4/11

小美玉市の「栗又四ケ」という地にある古墳その4。
坂根山古墳の南東約200m。

 鷲下古墳は  規模不明の円墳

北西から見た墳丘

北から見た墳丘


南から見た墳丘

墳頂には、石祠がある。
周りが削られている
擁壁で土留めされている。

   

折戸古墳 小美玉市栗又四ケ
見学日2024/4/11

小美玉市の「栗又四ケ」という地にある古墳その5。
鷲下古墳の南東約300m。

 折戸古墳は 規模不明の円墳

折戸古墳遠景  円墳か?

墳頂部はへこんでいるが、石祠がある

墳頂部には石祠の外にも石造物がある

前方後円墳にも見える

何にもない……

墳上から 墳裾を見下ろす

 

東前古墳群 小美玉市田木谷
見学日2024/4/11

折戸古墳の西約200m、主要道路から一本西に入った道路沿いに円墳が並ぶ。
南東から順に、(仮)1~3号墳、林の中の1基を(仮)4号墳とする。

 東前古墳群は 木谷公民館の北東の道路沿いに3基、南の林の中に1基の合計4基の古墳群
 いずれも円墳だが、規模や出土品は不明 
 (仮)1号墳

北から見る(仮)1号墳
  

東から見る 右奥は(仮)2号墳
 

南から見る(仮)1号墳
 墳裾は道路で削られている

墳頂には石碑など石材
  
 (仮)2号墳

東から見る(仮)2号墳
 墳裾は道路で削られている
  

北から見る(仮)2号墳
 墳頂部に石祠

  

南から見る(仮)2号墳 左奥は(仮)3号墳
 (仮)3号墳

東から見る(仮)3号墳
 墳裾は道路で削られている
 

東北から見る(仮)3号墳
 墳頂部に石祠
 

墳頂には、木の切り株

南から見る (仮)3号墳
 (仮)4号墳は 南の林の中にある。

(仮)4号墳 墳丘

(仮)4号墳 墳頂部には石祠が数基

   

小美玉雷神山古墳 小美玉市小川
見学日2024/4/11

北東から墳丘に入れるが、全体はよくわからない。
航空写真で見ると、丸い墳丘がわかる。

 小美玉雷神山古墳(1号墳)は  径56mの円墳 高さ8m
  詳細不明

墳丘 2段築成の上の部分

墳頂部

墳頂を見上げる

雷神山古墳の北を見ると、ソーラーパネルの横に墳丘らしきものがある。
  小美玉雷神山2号墳?

 雷神山2号墳  径40mの円墳 高さ2m

写真ではよくわからないが肉眼で見るとわかる。

方向を変えて見る

  

小美玉地蔵塚古墳 小美玉市下馬場
見学日2024/4/11

雷神山古墳の南約300m。小川南中学校の東隣り。
北東の道路沿いに階段と説明板がある。

 地蔵塚古墳は  墳丘は大規模に改変されているが、復元すると
    全長64mの帆立貝式古墳
     後円部径39.6m・後円部高6.5m、前方部幅22.8m・前方部高2.7m
 2段築成
 円筒埴輪 朝顔形円筒埴輪、形象埴輪(人物・家形・盾形・馬形)が確認されている。
 6世紀後半の築造と推定されている。
 1981年、2014年に調査。

全景

北東に階段と説明板

上段の墳丘  さらに階段

墳頂には地蔵尊が祀られているお堂

後円部より前方部方向 見通しがきかない

くびれ部から前方部を見る

前方部から後円部を見る
 説明板から
 お堂には、小美玉市指定文化財 彫第一号の「石造地蔵菩薩立像」が安置されている。

   

鹿島神社 小美玉市下馬場
見学日2024/4/11

地蔵塚古墳の東隣にある神社。説明板がいろいろあるので寄ってみた。

 「元郷」社」鹿島神社

社殿

説明板(一部)
 鹿島神社のケヤキ
  小美玉市指定天然記念物 天第一号
 鹿島神社の大杉

   

幡谷権現塚古墳 小美玉市幡谷
見学日2024/4/11

北西の麓に「富士神社」と刻まれた石碑があり、林の中に入ると鳥居がある。

 権現塚古墳は  全長55mの帆立貝形古墳  後円部径45m・高さ8m
  詳細不明。
 鎌田川左岸の台地上にある。
 墳頂は大きく平坦となっており、富士神社が祀られている。
 昭和5年の玉垣建築の際に石棺が発見されて、
   鉄剣、管玉、切子玉、鉄鏃が出土と伝えられている。

権現塚古墳 登り口

墳頂に富士神社社殿と「権現塚古墳」の標柱

墳頂から墳裾の鳥居を見る

墳丘上段

径20mの円墳と思って見学したので、前方部は確認していない……。

妙見山古墳 小美玉市市川中子
見学日2024/4/11

権現塚古墳の西約2km
川中子地区の道路のそばの如意輪観音様が目印。

 妙見山古墳は  径50mの円墳 高さ7m
 南側にすこし高まりがあるので、帆立貝形前方後円墳の可能性も考えられている。
 お社の背後には雲母片岩の板石があるが、主体部に使われていたものかは不明。
 埴輪が出土している。主体部は不明
 大正15年に墳頂から直刀が出土したとの伝承がある。
 出土した埴輪により、5世紀中頃の築造と推定されている。。

墳丘

古墳入口に祀られている如意輪観音

 墳頂手前から見る

小社への参道

墳頂部には小社が鎮座 左後ろに石材

墳丘に石材(板石)が突き出ている

参道(登り口方向)を見下ろす 入ってこれないほどの藪となっている

  

大井戸古墳(小舟塚古墳) 小美玉市下玉里
見学日2024/4/11

妙見山古墳から南に約700m。県道194号線沿い。

 大井戸古墳(小舟塚古墳)は 元は前方後円墳だか、現状は後円部のみ残る
 墳頂には小舟塚神社が鎮座
 霞ケ浦に面した自然堤防上に存在している。
 古くは全長100mほどと旧玉里村内最大の規模だったとも伝えられているが、
  築堤工事にともなう採土で前方部は消滅、後円部も中心部を残すだけとなる。
 現状は径16.3m、高さ8.0m、墳頂には祠が祀られている。
 墳頂部には箱式石棺に用いられていた石材が埋められている
 採土工事の際に発見された箱式石棺から、大刀、鎧、勾玉が出土。(現在は所在不明)
 埴輪が出土、築造年代の断定には至っていない。
 妙見山古墳、三昧塚古墳との共通点から、5世紀後半頃の築造と推定されている。

小高い墳丘 後円部も中心部が残るだけ

墳丘は神社!

墳頂

箱式石棺の石材が埋められている

  

大井戸平古墳群 小美玉市下玉里
見学日2024/4/11

霞ヶ浦に突き出た小さな半島の南西の端っこにある古墳群

 大井戸平古墳群は  前方後円墳2、円墳9基からなり、現存は6基
 愛宕塚古墳  全長65mの帆立貝式古墳
 山田峰古墳  全長83.6mの前方後円墳
 大井戸平3号墳  円墳
 大井戸平4号墳  円墳

大井戸古墳(小舟塚古墳)の南約500mに愛宕塚古墳。
県道194号線沿いに鳥居があって、長い石段を上ると、墳丘があるが、
山側にもう一本車道があって、この道を上がってくれば、墳裾に駐車できる。。

 愛宕塚古墳 (大井戸平古墳群) 
 霞ヶ浦を見下ろす丘陵上に築かれた全長65mの帆立貝式古墳  後円部径50m
 周溝が巡る。
 採集された埴輪片から6世紀の築造と推定されている。
 墳丘上に愛宕神社。

墳丘と 愛宕神社の参道の階段
左に前方部がある。

墳裾から県道沿いの鳥居を見下ろす
長ーい階段

後円部墳頂に鎮座する愛宕神社

墳頂部の石造物(板碑)

後円部から前方部を見下ろす

前方部から後円部を見上げる

横姿   左に低い前方部
 説明板から

   
 「玉里八館・愛宕館跡」の説明板もある

玉里地域の歴史を端的にあらわしていることば
  六井六畑八館八艘(ロクイロクハタハチタテハチソウ)
 玉里には、
 湧き水が多く、水が豊かで(六井)、
 地味が肥えて生産力が高く(六畑)、
 中世には勢力拠点であった城館(八館)
 古墳時代には、
  大規模な前方後円墳が多数(八艘)。

愛宕塚古墳から山田峰古墳に行く間に、小さな墳丘が見える。

大井戸平3号墳
大井戸平4号墳

愛宕山の西の墓地の奥の説明板は、山田峰古墳。   

 山田峰古墳  (大井戸平古墳群) 
 全長83.6mの前方後円墳、後円部径35m
 前方部が長い形態。前方部が非常に発達した前方後円墳
 くびれ部南側はかつて墓地として利用されていたため大きく改変されている。
 主体部は不明。
 採取された埴輪から、6世紀中頃の築造と推定されている。

山田峰古墳 墓地の奥の登り口に説明板

くびれ部から後円部を見る

前方部  平坦なところは墓地跡か

後円部から前方部を見る
 説明板から

 

下平前古墳群 小美玉市下玉里
見学日2024/4/11

霞ヶ浦に突き出た小さな半島の南西の端っこにある古墳群。

 下平前古墳群は霞ケ浦に面した微高地に存在する5基からなる古墳群
 前方後円墳があるといわれているが、詳細不明
 円墳3基が現存している。
 下平前1号墳 (天神塚古墳)  径42m、高さ4.5mの円墳(前方後円墳か?)
 下平前2号墳 (稲荷塚古墳)  径21m、高さ3mの円墳
 下平前3号墳 (無名塚古墳)  径30m、高さ4mの円墳
 下平前4号墳  (消滅か)  径40m、高さ4mの円墳(前方後円墳か?)
 箱式石棺で刀と甲冑が出土

  

 下平前3号墳 (無名塚古墳)
 径30m、高さ4mの円墳
 円筒埴輪が出土、築造年代などの詳細は不明。

南西から見る

北西から見る

墳頂

稲荷塚古墳(下平前2号墳)は、民家の庭先にあるようなので、見学はしなかったが、
 径21m・高さ3mの円墳で、墳頂部には稲荷社があり、
 墳丘から円筒埴輪が出土、短甲が現存しているそうだ。

 天神塚古墳 (下平前1号墳)
 径42m、高さ4.5mの円墳 (前方後円墳ともいわれている)
 未調査で主体部は不明、出土品も不明
 埴輪片が採集されている。

低い墳丘だが、大きい

墳頂部には天神社が祀られている

  

桃山古墳 小美玉市下玉里
見学日2024/4/11

昨日、近くの滝台古墳まで来たが時間切れで見学できなかった古墳。
滝台古墳の南東約300mの霞ヶ浦を望む丘陵上にある。

 桃山古墳は  全長53.3mの前方後円墳
  後円部径30m・後円部高さ5.87m 前方部長23.3m前方部高さ6.937m
 円筒埴輪、形象埴輪(馬・器台など))、土師器、須恵器などが出土
 6世紀後半の築造と推定されている。
 桃山古墳群は霞ケ浦に面した台地上、5基からなる古墳群

東から見た桃山古墳
擁壁の上あたりが後円部  その右(北側)に前方部
擁壁の左上に白い四角い説明板と階段がある。
左の無人の建物の奥から墳丘に入ってみるがよくわからない

ジャングルでよくわからない

石碑がある

後円部の西にある墳丘は、きれいな円墳に見える(4号墳?)
説明板から

  

小美玉市の古墳見学を終え、午後1時を過ぎて、セイミヤアスタ玉里店の弁当の昼食。 

三昧塚古墳 (行方市) につづく

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