北村さんちの遺跡めぐり
更新日2024/8/31

茨城県の遺跡
その6 かすみがうら市2

茨城県の旅4日目 2024/4/10 つづきです。 
土浦市の王塚后塚を見学して、かすみがうら市に入った。
お昼を過ぎているが、昼食のお店が見当たらない……。

周辺の地図g 

かすみがうら市西部の大塚古墳群と熊野古墳は、前日に見学を済ませている。
今からは、霞ヶ浦に突き出た出島半島にある古墳を見学する。

崎浜横穴群
崎浜川尻ジオサイト 

市史跡
かすみがうら市加茂
見学日2024/4/10

県道118号線の出島半島の南岸にある。
カキの貝殻の堆積したところに横穴式石室がつくられている。
「崎浜・川尻ジオサイト」という大きな説明板がある。

 

崎浜・川尻ジオサイト
 崎浜横穴群
   の説明板


 「カキ化石床の歴史遺産」
 崎浜から川尻にかけては、
  約13万~12万年前にこの地域が海(古東京湾)であった時代の
  干潟に生息していたカキ化石の密集層が見られる。
 これらのカキ化石床を含む地層を掘りぬいて作られた崎浜横穴墓は貴重な歴史遺産となっている。
 また、約7000年~6000年前の縄文海進時後の海面低下で形成された湖岸低地帯は
  見渡す限りの ハス田となっており、レンコンの一大産地となっている。(説明文抜粋)
 崎浜横穴群
 崖に、約13万~12万年前の古東京湾形成時のカキ化石床が露出している。
 このカキ化石床を含む地層を掘り抜いた、
  本地域では珍しい古墳時代後期の横穴式古墳が残っている。 17基

カキ化石床 古い石碑などが集められている。

横穴に仏像が安置されている。

ずらりと横穴が並ぶ。その1

ずらりと横穴が並ぶ。その2

横穴いろいろ その1

横穴いろいろ その2

横穴いろいろ その3

横穴いろいろ その4

  

田宿天神塚古墳 かすみがうら市加茂
見学日2024/4/10

県道118号線を北東に進む。自動車整備のお店の隣のゴミ集積所のあたりに駐車。
道路向かい側の北の細い山道を登る。

 田宿天神塚古墳(田宿赤塚1号墳)は 墳長63mの前方後円墳 高さ4.5m
 後円部径38m・高さ4.5m、 前方部先端幅24.5m・高さ2.5m
 後円部の周りに幅15~17mの周濠がある。
 墳丘には壺形埴輪片が多数見つかっている。
 4世紀末の築造と推定されている。
 社殿によって、くびれ部あたりが削られている。
 1995年に測量調査
 田宿・赤塚古墳群は20基からなり、13基が現存している。
 田宿赤塚古墳群は、赤坂農村集落センターの周辺台地上に分布する。
 前方後円墳4基・前方後方墳1基(消滅)・円墳15基(6基は消滅)からなる古墳群。
      (ウェブ検索から) 

田宿天神塚古墳 横から見る

左が後円部、左手前に前方部
右奥に天神社の社殿がある。

びれ部から後円部に上がるところに
石仏が祀られている

 後円部を横から見る  右に前方部

 後円部から前方部を見る

くびれ部から前方部を見る

くびれ部から後円部を見る

    

牛渡牛塚古墳
市史跡
かすみがうら市牛渡
見学日2024/4/10

県道118号線をさらに東へ。墳丘前に鳥居がある。

 牛渡牛塚古墳は  径40mの円墳 高さ4m
         (説明板には、径28mの円墳 高さ4mとある。)
 周辺より壺形埴輪片が採集されている。
 5世紀初頭の築造と推定されている。
 市内で最も標高が低いところに築かれた円墳で、霞ヶ浦に面している。
          (かすみがうら市歴博HPから)

全景  南から見る

墳丘 鳥居をくぐったところに小さな祠が建つ

墳丘上には、石がある

南東から見た墳丘



現地説明板から

勅使を慕っていた牛の墓だという伝説があるようだ。

  

牛渡銚子塚古墳
市史跡
かすみがうら市牛渡下郷
見学日2024/4/10

牛に慕われていた勅使の墓という古墳が牛塚古墳の東の丘陵にある。
県道118号線から北の内陸部へ。

 牛渡銚子塚古墳は  全長64mの前方後円墳 前方部を西に向ける
  後円部径34m・後円部高さ5.6m 前方部幅38m・高さ2.7m
 牛渡下郷集落の北西部にある。   別名「勅使塚」
 後円部に比べて前方部が低いという比較的古様を留めていることから、
 5世紀代の築造と推定されている。

 北から見る 左に後円部

後円部側から見る  右奥が前方部

墳頂には五輪塔

後円部から前方部を見る

 前方部から後円部を見る

前方部斜め手前から見る

現地説明板から

勅使の墓だという伝説がある。

「勅使」が「銚子」に変化した?!

  

折越十日塚古墳
市史跡
かすみがうら市坂字折越
見学日2024/4/10

銚子塚古墳から更に北東へ約1km。
東側の道路から墳丘に上ったが、西側の道路に説明板があった。

 折越十日塚古墳は  全長63.2mの前方後円墳  後円部の高さ5.4m
  前方部を南西に向ける
  (説明板には 全長60mの前方後円墳 
    後円部径35m・高さ6.4m  前方部幅30.5m・高さ4.8mとある。)
 周囲には二重に周溝が廻る
 折越の台地の端にある。
 現在は開口していないが、後円部に横穴式石室があり、
  石室内部に朱による線や彩色が見られることから、
  太子古墳と同様の装飾古墳であると考えられている。
 7世紀前半の築造と推定されている。    (かすみがうら市歴博HPから)

折越十日塚古墳 後円部

後円部斜め後ろから見る 右奥が前方部

後円部墳頂には 小さな石祠がある。

後円部から前方部方向を見る
 見通しがきかない


前方部斜め後方から見る

左奥が後円部

くびれ部あたりに説明板。

全景  右に前方部 
  真ん中のくびれ部あたりに説明板が見えている。

現地説明板から

墳丘はよく保存されているそうだが、
  藪で確認できない

石室を見たかった。

   

坂稲荷山古墳
市史跡
かすみがうら市坂字折越
見学日2024/4/10

更に北東へ。
北側から墳丘に上ったが、実は南から参道があった。

 坂稲荷山古墳は 全長70.6mの前方後円墳、後円部径40.7m、高さ9.8m
   (説明板には長60m、後円部径27.8m、前方部幅39mとある)
 周溝が残る
 坂東集落の北西の台地上にある。
 前方部の裾部を張り出し、周堀も良好な状態で残る。
 6世紀後半の築造と推定されている。
 前方部側に小円墳が10基並んで築造されている。   (かすみがうら市歴博HPから) 

前方部登り口 南から 正式な参道

前方部先端部

前方部から鳥居を見下ろす

前方部から後円部を見る

前方部の墳頂部に小祠

後円部から前方部を見る


現地説明板から

小円墳が10基並んでいるとは
 知らなかった……。

  

 
午後1時半を過ぎて、 ローソンかすみがうら西成井店(かすみがうら市西成井)にて  ようやく昼食。

富士見塚古墳公園
県史跡
かすみがうら市柏崎
見学日2024/4/10

霞ヶ浦を望む高台の絶景の地に富士見塚古墳はある。
富士見塚古墳展示館では、富士見塚古墳群の資料展示を中心に、茨城県の古墳の説明もある。
まず展示館を見学して基礎知識を仕入れてから、古墳群を見学する。

 富士見塚古墳群は、
 中心となる前方後円墳(1号墳)と円墳(2・3・4・5号墳)の計5基からなる古墳群
 1・2・3号墳の3基が県史跡となる。
 1号墳は全長約80mの前方後円墳で、かすみがうら市内の古墳の中では最大。
 2号墳は、径25mの円墳。3号墳は径17mの円墳。
 4、5号墳は低い墳丘が残る程度
 発掘調査を経て史跡公園として復元、整備されている。
 発掘調査の様子や埴輪などの出土品は富士見塚古墳展示館で展示されている。。
古墳公園配置図 (展示館展示から)

南側の道路からは、展示館しか見えなくて、古墳は展示館の後ろの坂道を上がった所にある。
標高は約27m。

 富士見塚古墳(1号墳)  県史跡
 全長80.2mの前方後円墳  かすみがうら市最大の古墳。
   後円部径38.4m くびれ部幅21.4m 前方部幅の推定復元49.4m 
   後円部高さ8.5m 前方部高さ9m
 盾形の周濠、外堤が巡る。くびれ部南西側に造出しがある。
 後円部に木棺、前方部に箱形石棺(内部赤彩)がある。
 盗掘にあっていたが、
  後円部からは直刀、鉄鏃、馬具の破片、管玉、ガラス玉や須恵器、土師器
  墳丘や周溝からは円筒形、朝顔形、家形、人物、動物などの埴輪が出土。 
  人物埴輪の盾持ち人、横髷女性や動物埴輪の鹿、犬、猿、水鳥などがある。
 5世紀末~6世紀初頭の築造と推定されている。

前方部手前から見た富士見塚古墳  左奥が後円部

くびれ部の造出しのところに階段をつけてある。

前方部から後円部を見る

後円部から前方部を見る
前方部先端部はツンと、とがっている

前方部手前から見る。周濠・外提も復元

後円部手前から見た富士見塚古墳
後円部の墳頂の平坦面は狭い
 展示館パネル展示から
前方部の箱式石棺

前方部のややくびれ部寄りの位置から出土
筑波山周辺の山々から採れる変成岩製
内部は赤く塗られている
壮年の男女各1体以上の人骨が確認されている。
下あごの骨や奥歯にも
 赤色顔料が塗られているのは葬送の儀式か?


 

 富士見塚2号墳  県史跡
 直径25mの円墳
 南東部の古墳を取り巻く構内に長軸18mの土坑が発見され、
  埋葬施設であると考えられている。
 この土坑に隣接して砕かれた須恵器の甕が出土。
 頂上の土の中からは、
  帯金具の金銅製鋏具(帯をとめるベルトのバックルのようなもの)が出土。
 富士見塚1号墳と同じ5世紀末~6世紀初頭の築造と推定されている。

墳丘

方向を変えて見る
 展示館パネルから

  

 富士見塚3号墳  県史跡
 直径17mの円墳
 頂上の中心部より内部が赤彩された箱形石棺が出土し、
  その中から女性と思われる人骨一体分の遺体と、
  副葬品として長短二本の刀子や数多くのガラス製小玉が発見された。
 頂上周辺からは、多くの埴輪が出土。
 富士見塚1号墳よりほぼ百年くらい後の6世紀末の築造と推定されている。

墳丘

方向を変えて見る
 展示館パネル展示から

石棺の出土状況

出土した刀子とガラス小玉
 3号墳墳頂から内部が赤く塗られた箱形石棺がみつかり
 内部から、壮年期後半から熟年前半の女性人骨1体が確認されている。
 刀子2・多数のガラス小玉も出土

  

 富士見塚古墳群出土品の展示 (展示館から)

円筒埴輪
舟が描かれた円筒埴輪もある

横髷の女人埴輪 盾持ち人埴輪
朱衣の女人埴輪

赤鹿埴輪 犬形埴輪 猿形埴輪 家形埴輪など

3号墳出土の馬形埴輪

上段左から 鉄鏃  刀子  辻金具  杏葉
下段左から ハソウ  ガラス小玉  金銅製歩揺  碧玉製管玉  

この中では、1号墳出土の鉄鏃と玉類が県指定文化財となっている。


左 形象埴輪破片

右は 2号墳出土の
 須恵器壷と鉸具(カコ・帯金具)

展示館には、かすみがうら市内の古墳の説明と出土品の展示もある。

全ては紹介しきれない……。

太子古墳 (太子のカロウド)
県史跡
かすみがうら市安食
見学日2024/4/10

旧出島村。道路沿いに石室が開口している。

 太子古墳 (太子のカロウド)
 現在は削平されているが、全長60mほどの前方後円墳と考えられている
 明治23年(1890)に開墾の際、横穴式石室が発見され、
  直刀・刀子・銀環・須恵器等が出土したとされている。
 横穴式石室は全長3.8m、羨道部の長さ1.5mで、側壁は小口積み。
  玄室は2.3mで、両側壁とも2個の石で組まれ、奥壁は高さ1.37mの一枚岩。
 明治時代の報告では、左側壁に赤い色彩による円文が5段くらいに配列されており、
  その大きさは不整であったそうだか、現在はほとんど消滅している。
     (茨城県教育委員会HPから)

道路沿いに説明板と入口

生垣の間に石室が開口している。

羨道部の天井石は無くなっている。

玄室入口

奥壁手前に屍床がつくられている。

左側側壁に円文? わからない……。

他の壁も見るが、わからない……。

玄室内から羨道部を見る
説明板から

折越十日塚古墳の石室も、同じような石室だというが、装飾が確認できないのは残念だ……。

風返古墳群 かすみがうら市宍倉
石岡市伊関ほか
見学日2024/4/10

風返稲荷山古墳は県道194号線沿いにある自動車修理工場の裏にある。
登り口に車を突っ込んで、見学。

 風返稲荷山古墳 (風返1号墳) 市史跡        かすみがうら市安食1526
  風返古墳群古墳群内で最大の規模を誇る
   全長78.1mの前方後円墳  後円部径43m・前方部幅57m
 くびれ部から箱形石棺後円部の複室構造の横穴式石室の奥室に箱形石棺3基がある。
 6世紀末~7世紀初頭にかけて4回埋葬されたと推定されている。
 馬具を中心とした出土品は県指定文化財となっている。
 昭和39年に発掘調査、平成12年に報告書刊行

道路沿いの古墳登り口に
  標柱がある。

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

横姿
 説明板から

現地説明板から

集落センター前の説明板から

三つ谷風返集落センター前には風返古墳群MAPの大きな説明板がある。

MAP全体

主要な古墳の個別の説明もある。


インターネット上にかすみがうら市歴史博物館の
  「風返稲荷山古墳出土品の魅力に迫る(令和5/1/20)」というpdfが公開されていたので参考にさせてもらった。   

  風返古墳群MAP 拡大図

  
見学した主要古墳
1 風返稲荷山古墳 風返1号墳 全長78.1mの前方後円墳
2 風返大日山古墳 風返2号墳 全長55mの帆立貝式古墳
3 風返羽黒山古墳 風返3号墳 径35mの円墳
4 風返浅間山古墳 風返3号墳 径56.2mの円墳
5 風返藤塚古墳 風返5号墳 径10mほどの円墳
7 風返山の神古墳 風返7号墳 径20mほどの円墳
25 スクボ塚古墳 風返25号墳・井関3号墳 径43mの円墳
27 古八幡塚古墳 風返27号墳・井関5号墳 径35mの円墳
 風返古墳群は、かすみがうら市の安食地区・宍倉地区、石岡市の井関地区に分布する。
 風返古墳群は、合計 34 基の古墳から構成され、
 風返稲荷山古墳、風返大山古墳や風返浅間山古墳など、
  市指定の貴重な古墳が複数含まれている。
 すべての古墳の調査が行われていないため、造られた時期については謎が多いが、
  大型の古墳に関しては、6世紀~7世紀にかけて、
  風返大日山古墳・風返羽黒山古墳→スクボ塚古墳→風返稲荷山古墳→風返浅間山古墳
  の順に造られたと考えられている
。  (pdfから)
 集落センター敷地には「大日山古墳遺石群」がある。
  「昭和40年代初頭に、大日山古墳の地権の移譲があり、
   歴史的遺産の消失を危惧した有志のもと、
   住民一同によりこの地に移設された遺石群である」と説明板にある。

石仏など

大日如来石碑
 石碑は石棺材か?   日、月、蓮華座、梵字等が彫られている。

   

 集落センターの周辺の古墳

風返9号墳跡

風返14号墳? 石祠がある

風返8号墳

風返10号墳

風返6号墳

 風返稲荷山古墳の北200mにぱ、浅間山古墳がある。  

 風返浅間山古墳 (風返3号墳) 市史跡      かすみがうら市宍倉
 径56.2mの円墳  高さ7.5m  周溝が残っている。
  (現地説明板には、径40m・高さ6mとなっている)  平成13年度に測量調査。
 7世紀頃の築造と推定されている。

「浅間山古墳」と書かれた標柱

墳頂部には三角点がある。標高31.9m。
石祠の残骸がある。  板石が顔を出している 



墳丘が透けて見えている。
 説明板から

現地にはかすみがうら市指定史跡の
 説明板があるが、汚れているので、翻訳する。

「宍倉風返集落の西台地上、
石岡市方面に通じる道路側に位置する円墳で、
墳形も周溝も竹林の中によく保存されている。
7世紀の築造と推定されている。
近くに円墳の羽黒山古墳、
  山ノ神、藤塚古墳がある。」
   
 説明板から

集落センター前の説明板から

風返浅間山古墳の北側には、山ノ神古墳7号墳 がある。

 山の神古墳 (風返7号墳)
 現状で径20mほどの円墳

墳丘と標柱

方向を変えて見る

山ノ神古墳の西側に羽黒山古墳。

 羽黒山古墳 (風返3号墳)
 径35mの円墳 高さ5.6m
 昭和40・41年に発掘調査したが、埋葬施設は確認されていない。
 円筒埴輪が確認されている。

羽黒山古墳の標柱が見える

風返羽黒山古墳 墳丘を見上げる

墳頂部 切り倒された竹で登れない

全景
説明板から

集落センター前の説明板から

 山ノ神古墳のすぐ北の農地奧には大日山古墳。

 風返大日山古墳 (風返2号墳)  市史跡       かすみがうら市宍倉
 全長55mの帆立貝式古墳  後円部径46m 高さ6.3m
 主体部は箱式石棺
 6世紀前半の築造と推定されている。
 古墳にあった石仏などの遺石群が、三ッ谷風返集落センターの裏に移設されている。

墳丘と説明板

方向を変えて見る

墳頂部から墳裾を見下ろす

 無残な土取りの跡
 説明板から

現地説明板から

集落センター前の説明板から

 風返浅間山古墳のすぐ西のビニールハウス脇に藤塚古墳がある。

 藤塚古墳(風返5号墳)
 径10mほどの円墳


農地の中にきれいな墳丘が残っている。

藤塚古墳(風返5号墳)から西へ進むと、右手に古八幡塚古墳。

 古八幡塚古墳 (風返27号墳・井関5号墳) 石岡市井関
 径35mの円墳 高さ4m

きれいな墳丘

墳丘上には何にもないと思ったが……

実は墳頂には石祠がある。

方向を変えて見た墳丘
説明板から

集落センター前の説明板から

北へ進むと、スクボ塚古墳。

 スクボ塚古墳 (風返25号墳・井関3号墳) 石岡市井関
 径43mの円墳  高さ6m
 円筒埴輪がある。
 6世紀前半の築造と推定されている。

鳥居の後ろに墳丘

墳頂の社殿

墳頂部から神社鳥居を見下ろす

方向を変えて見た墳丘
説明板から

集落センター前の説明板から

  古八幡塚古墳・スクボ塚古墳の西の集落にも、古墳が残っているようだが、次の見学地へむかう。!

順調に見学できて、午後4時過ぎにかすみがうら市が終わったので、小美玉市の見学へ。
まだまだ明るい!

桜塚古墳 (小美玉市) につづく

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