北村さんちの遺跡めぐり
更新日2024/7/20
茨城県の遺跡 その4 茨城町・笠間市・水戸市2・石岡市 |
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茨城県の旅2日目 2024/4/8 つづきです。 午後4時になろうとしている…
茨城県東茨城郡茨城町の見学。
上ノ山古墳 町史跡 |
東茨城郡茨城町前田 見学日2024/4/8 |
西側県道40号線に案内板が出ているので、広い道路脇に駐車、急いで見学。
小さめの前方後円墳。古墳公園として保存・整備されている。
上ノ山(ウエノヤマ)古墳は 全長28.5mの前方後円墳 後円部径20.5m・高さ約2.2m 前方部幅約17m・高さ約1m 標高約23mの涸沼前川左岸の台地縁辺部に立地する。 小幡北山埴輪製作遺跡で作られた円筒埴輪や武装した人物埴輪、馬形埴輪などが出土。 6世紀後半の築造と推定されている。 |
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古墳への入口 |
横姿 左に後円部 下から見上げる |
上ノ山古墳 後円部から前方部を見る |
上ノ山古墳 前方部から後円部を見る |
上ノ山古墳 前方部脇から後円部を見る |
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説明板から |
小幡北山埴輪製作遺跡 国史跡 |
東茨城郡茨城町小幡 見学日2024/4/8 |
上ノ山古墳の埴輪が造られた場所。
公園として整備され、一部の遺構が復元されている。駐車場完備。
小幡北山埴輪製作遺跡は 涸沼川と寛政川に挟まれた台地上に立地する国内最大級の埴輪製作遺跡。 1953(昭和28)年、開墾作業中に多量の埴輪が発見され、 その後の調査で埴輪窯や工房跡、粘土採掘坑など埴輪生産に関連する遺構が確認された。 出土した埴輪には円筒埴輪と朝顔形埴輪を中心に、 人物埴輪や馬形埴輪、盾形埴輪など多彩な形象埴輪があり、 県内の多くの古墳に供給されていたことが確認されている。 6世紀後半を中心に7世紀まで操業していたと推定される。 |
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復元前方後円墳で 埴輪の並び方の学習 |
植栽で示された埴輪窯跡 |
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窯跡復元展示 |
窯内部の様子復元表示 |
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窯が59基もあったそうだ |
窯がずらりと並ぶ |
諏訪神社古墳群 (1号墳) 町史跡 |
東茨城郡茨城町木部 見学日2024/4/8 |
周りはきれいになっている。
駐車場も用意されている。
諏訪神社古墳群は、茨城町を代表する大古墳群で、13基の円墳が現存する。 6世紀代の築造と推定されている。 (現地、説明板より) |
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1号墳は 直径50m・高さ5.5mの円墳 墳頂には、諏訪神社が祭られている。 明治30年(1897)に発掘され、二重の埴輪列や多数の遺物が出土したと伝えられている。 |
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1号墳 全景 |
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1号墳 上り口 |
1号墳 墳頂部に神社社殿がある。 |
1号墳 墳頂部には謎の板石が置かれている。 |
1号墳の周りは植栽などできれいになっている。 |
説明板から |
付近には、ほかにも古墳が残されている。
通り道で気が付いた古墳3基。
4号墳 直径15mの円墳。 円筒埴輪、朝顔形埴輪が出土 唯一復元整備されている。 4号墳を東南から見る。 高さは低いが、大きく見える 周溝跡も復元されている 左奥端に5号墳が見える |
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5号墳 直径23mの円墳 6世紀前半の築造と推定されている。
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10号墳 直径13.8mの円墳。 10号墳を北から見る |
宝塚古墳 町史跡 |
東茨城郡茨城町野曽東郷 見学日2024/4/8 |
県道16号線と59号線の交差点西の丘陵上。
16号線沿いに標柱と駐車スペースがあるが、登り口はその西にある。
登ってみたらきれいになっているので、びっくり!
前方後方墳だ。
宝塚古墳は 全長39.3mの前方後方墳、 後方部幅19.5m・長さ20.5m、前方部幅16.5m・長さ18.8m、 墳丘の周囲を幅5~7mの溝がめぐる。 後方部はほぼ正方形、幅5~7mの周溝が巡る。 出土した土器片などから、4世紀末~5世紀初頭の築造と推定されている。 昭和60年に発掘調査 標高約25m、涸沼川左岸の台地先端部に立地する。 |
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麓の「宝塚古墳」標柱と駐車スペース |
駐車スペースから西に行ったところに上り口 |
宝塚古墳 後方部脇から前方部を見る |
宝塚古墳 前方部裾から後方部を見る |
宝塚古墳 前方部から後方部を見る |
後方部から前方部を見る |
宝塚古墳 後方部から周溝を見下ろす |
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宝塚古墳 横姿 |
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説明板から |
達中坪古墳 町史跡 |
笠間市南友部 見学日2024/4/8 |
ほぼ日没の中、古墳見学。 航空写真で見ると丸くなっている古墳。
「達中坪」は何と読むのか?
達中坪古墳は 詳細不明。 達中坪古墳の南側の林の中には掃部塚古墳群(12mほどの円墳数基)が保存されている。 達中坪古墳は、掃部塚古墳群中の1基。 |
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達中坪古墳 南東側から見る |
標柱には「達中坪古墳群」と記されている。 |
墳丘の周りを囲むように現代の墓が建つ |
奥の森に掃部塚古墳群がある。 |
一本松古墳群 市史跡 |
笠間市小原 見学日2024/4/8 |
日没後の見学。
一本松古墳群は、諏訪古墳・一本松古墳・山王塚古墳の3基。
諏訪古墳 | 市史跡 |
推定全長52.8m・現存長33.6mの前方後円墳 後円部径26.4m・前方部幅14m 幅4.8mの周溝が巡る。 西に前方部(?) 南に鳥居があり墳丘が諏訪神社となる。 |
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鳥居の奥に後円部 |
後円部墳頂に諏訪神社のお社がある |
諏訪古墳 後円部から前方部を見る |
東から見る 右に後円部 その奥に前方部 |
諏訪古墳の東の道路から一本松古墳が見える。南東200m。
一本松古墳 | 市史跡 |
径30m・高さ4.5mの円墳 (現状の直径28m) 周溝は不明。 埴輪なし 葺石なし 戦後、畑地拡張のため墳丘を削ったという。 昭和30年代までは無縁様といった念仏などの民間信仰が墳上で行われていた。 (笠間市HPから) |
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低く平らになった墳丘 |
小さく見えるが、直径28mもある。 |
墳丘上に「一本松古墳」の標柱 |
手水鉢みたいなものがあるだけ |
もう1基の山王塚は時間切れで見なかった……
山王塚古墳 | 市史跡 |
帆立貝式前方後円墳だったが鉄道敷設で前方部が削られ、 現状は直径約50m・高さ約7mの円墳となっている。 墳丘は3段築成で墳頂には日枝神社が建つ。周堀あり。 |
すき家笠間友部店にて 夕食
友部自動車学校のそばにある「シティホテル友部(笠間市旭町)」に宿泊。
旅行3日目 2024/4/9となる。
シティホテル友部の素敵な朝食
8時過ぎに出発したが、雨です……
笠間稲荷 町史跡 |
笠間市南友部 見学日2024/4/9 |
日本三大稲荷の笠間稲荷!
笠間稲荷は 御祭神 宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ) 生命の根源を司る「いのち」の根の神として農業、工業、商業、水産業など、 あらゆる殖産興業の守護神として人々の生活すべてに御神徳を授けて下さる神さま。 『古事記』によると、宇迦之御魂神は須佐之男命(スサノオノミコトと 神大市比売神(カムオオイチヒメノカミ)の間の御子とされている。 創建は、社伝によれば第36代孝徳天皇の御代、白雉2年(651)と伝えられている。 笠間稲荷神社は日本三大稲荷のひとつとして広く人々に親しまれている。 御本殿は国指定重要文化財に指定されている。 (笠間稲荷HPから) |
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楼門から見た参道 |
楼門 |
境内から見た楼門 |
拝殿 拝殿奥の本殿は国重文だが見えない |
藤棚があるが早すぎて花はない…… |
狐様が並ぶ |
説明板から |
くれふしの里 牛伏古墳群 市史跡 |
水戸市牛伏町 見学日2024/4/9 |
前日に見学できなかった水戸市の古墳。
ひとつひとつはあまり大きくないが、古墳が集中していて、
「くれふしの里古墳公園」として保存整備されている。
古墳名は「牛伏(ウシブシ)古墳群」。 北東側に駐車場がある。
はに丸タワーという巨大な埴輪がある。
牛伏古墳群は 前方後円墳6、帆立貝式古墳1、円墳9基。 標高55~63mの丘陵性台地先端付近の300×200mの範囲にある。 |
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配置図 (説明板から) 見学できるものが 示されている 17号墳が最初につくられて、6世紀末までの200年間にわたって築造されたと推定されている。
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説明板から
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駐車場の目の前にあるのが4号墳。
4号墳は唯一、発掘調査されて、その後、復元整備された。
牛伏4号墳 (唐櫃塚) | |||
墳丘全長52mの前方後円墳 後円部径30.5m、前方部幅35.4m 盾形周濠があり、それも含めると全長72mとなる。 2段築成 埴輪列がある(形象埴輪、朝顔形円筒埴輪、円筒埴輪) 後円部南に開口する横穴式石室があるが調査時すでに破壊されていた。 金銅装太刀や鉄鏃の断片が出土 6世紀後半の築造と推定されている。 |
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後円部側 |
前方部斜め後ろから後円部を見る |
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前方部から後円部を見る |
後円部から前方部を見る |
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横姿 |
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説明板から
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駐車場の南側の林の中にあるのが2号墳。
牛伏2号墳 (十二所神社古墳) | |
全長45mの前方後円墳 後円部径28m 前方部幅36m | |
案内板の奥に墳丘 |
前方部斜め後ろから後円部を見る |
前方部から後円部を見る |
後円部上に愛宕神社が鎮座 |
後円部から前方部を見る |
ふもとには十二所神社 |
前方部脇から後円部を見る |
4号墳から遊歩道を進むと3号墳。
牛伏3号墳 | |
全長44mの前方後円墳 後円部径26m 前方部幅26m 埴輪がある 横穴式石室がある |
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右が後円部 |
前方部から後円部を見る |
後円部から前方部を見る |
後円部裾から前方部を見る |
3号墳のすぐ南の崖っぷちに1号墳。
牛伏1号墳 | |
全長28mの前方後円墳 後円部径16m 前方部幅8m以上 | |
半壊?! |
形はよくわからない |
3号墳の南にあるのは5号墳。
牛伏5号墳 | |
径28m・高さ5.15mの円墳 | |
5号墳の北に7号墳。 7号墳に隣接して3基の小円墳が並ぶ。
牛伏7号墳 | |
径18mの円墳 高さ1.5m | |
低い墳丘 後ろに6号墳 |
牛伏7号墳 右後ろに3基の小円墳あり |
7号墳の北に6号墳。
牛伏6号墳 | |
全長30mの帆立貝形前方後円墳 後円部径25m 高さ4.25m | |
牛伏6号墳 右に前方部 |
後円部側 |
巨大な埴輪のモニュメント!
はに丸タワーは 高さ17.3m 展望台になっている。 | |
でかい! |
中は階段があり、上まで上がれる |
四阿の屋根は前方後円墳形 |
天気が良ければ景色が良いんだけど…… |
はに丸タワーの西に17号墳。
牛伏17号墳 (お冨士様古墳) | |
全長60mの前方後円墳 後円部径35~38m 前方部長24m 現存高5.47m | |
牛伏17号墳 前方部後方から後円部を見る |
前方部から後円部を見る |
後円部墳頂 石祠がある |
後円部から前方部を見る |
横姿 |
はに丸タワーの南に10号墳。
牛伏10号墳 | |
径20mの円墳 高さ2.5m | |
一戦塚古墳 | 水戸市三野輪町 見学日2024/4/9 |
一戦塚古墳は牛伏4号墳の北200mの位置にある前方後円墳。
単独古墳と考えられている。。
一戦塚古墳は 全長16m・高さ2mの小さな前方後円墳と考えられている。 前方部は墓地になっている。 詳細不明。 |
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前方部は削られて 墓地になる |
後円部は丸い |
(水戸)舟塚古墳群 町史跡 |
水戸市大足町 見学日2024/4/9 |
牛伏古墳群の南約300mにある。
(水戸)舟塚古墳群は 前方後円墳(舟塚古墳) 帆立貝式古墳(団子塚古墳) 円墳(鹿島塚古墳)の3基。 舟塚古墳は 全長75m以上の前方後円墳 6世紀前半の築造と推定されている。 前方部はかなり削られている 北側に2基の古墳がある。 西側の鹿島塚古墳は径28mの円墳。 東側の団子塚古墳は帆立貝式古墳だが、墳丘はほとんど無い。 |
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舟塚古墳 前方部手前から墳丘を見る |
舟塚古墳 前方部のピークの高まり |
舟塚古墳 前方部から後円部を見る |
舟塚古墳くびれ部から後円部を見る 忠魂碑と慰霊塔が立っている |
舟塚古墳 後円部から前方部を見る |
舟塚古墳から見た鹿島塚古墳 |
東から見た舟塚古墳全景 後円部の段築が分かる |
水戸ICから岩間ICまで10分間の高速道路利用。笠間市に戻る。
御前塚古墳群 | 笠間市泉 見学日2024/4/9 |
インターネット上に『御前塚古墳群・北浦東遺跡』という報告書が公開されているので参考にさせてもらった。
御前塚(ゴゼンツカ)古墳群は 9基からなる。 御前塚古墳は御前塚古墳群の1号墳 藤塚古墳は、御前塚古墳群の2号墳。 他の7つは中~小規模で陪塚とみられている。 |
墳丘を廻る周溝の推定線 (報告書p38から) 藤塚古墳の東にあるのは 北が8号墳 南が7号墳 現在は、 御前塚と藤塚は離れているが 元は並んでいた?! |
藤塚古墳は、南の道路側から見学。
藤塚古墳 (御前塚古墳群2号墳) | |
現直径約40mの円墳。元は径約56mあったと考えられている。 周溝幅16mあり、全長は88mになると考えられている。 5世紀前半の築造と推定されている。 埋葬施設は、未発掘で不明だが、 藤塚古墳の周溝からは、小型箱式石棺(蓋石長さ1.19m・最大幅0.6m)が見つかり、 中から、滑石製の勾玉と269個の臼石、土師器杯2点 が出土した。 (この石棺は、副葬品から5世紀末~6世紀前半のものと推定されている。) 藤塚古墳の墳頂には、「藤原藤房卿遺蹟」という石碑が建てられている。 昭和9年に、 鎌倉時代末~南北朝時代の公卿・藤原(万里小路)藤房の墓碑らしき石碑が発掘され、 昭和10年に「藤原藤房卿遺蹟」として整備されて「藤塚」と称されるようになったという。 |
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藤塚古墳 南側の入口には鳥居がある。 |
長い石段を登る 墳丘 |
墳頂から参道と鳥居を見下ろす |
墳頂に石碑(藤原藤房御遺蹟) |
石碑の後ろは藤棚 |
北から見た藤塚古墳 振り返ると御前塚がある |
藤塚古墳の北約60mのところに御前塚古墳がある。
御前塚古墳 御前塚古墳群1号墳 | 市史跡 |
直径60m・高さ6mの円墳。 幅20mの周溝があったとされ、これを含めると全長は100mとなる。 3段築成で、テラスには埴輪が並ぶ(円筒埴輪・朝顔形埴輪) 5世紀前半の築造と推定されている。 円墳としては、茨城県内最大の「車塚古墳」(茨城県大洗町)の直径88mに次ぐ。 |
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藤塚古墳の北側から見た 御前塚古墳 天気が良ければ 花見の人が多いのかなかもしれない |
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全景 西から見る 元学校の敷地の中にある |
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登り口 |
墳丘上 |
説明板から |
御前塚古墳群4号墳も見学できるようになっていたが、行かなかった。
御前塚古墳群4号墳(笠間市下郷)は、径15m・高さ1.5mの円墳。
柿岡古墳群 | 石岡市柿岡・佐久 見学日2024/4/9 |
石岡市に入る。
昨年末に、石岡市のふるさと歴史館で、企画展「柿岡古墳群」が開催されていたらしく、
そのポスターを翌日の富士見塚古墳展示館で見た。
企画展ポスター 柿岡古墳群紹介文 「柿岡古墳群は、 古墳時代前期に築造された 前方後方墳である丸山古墳や長堀2号墳、 前方後円墳である佐自塚古墳、 古墳時代後期の丸山4号墳や西町古墳等 を含む大古墳群。 近年の発掘調査では、佐久上ノ内遺跡において、 古墳の被葬者の王の住まいと考えられる 【豪族居館】も発見されている。 」 (富士見塚古墳展示館 展示から) |
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柿岡古墳の主な古墳 配置図 丸山古墳前の説明板「古代散策ロード」から抜粋) 周遊路は「古代探索ロード」として整備されている。 |
佐自塚古墳は、住所は「柿岡」ではなく、「佐久」。
西麓の階段から登る。
佐自塚古墳 市指定史跡 | 石岡市佐久 |
全長58mの前方後円墳、後円部径35m・高さ6m、前方部幅27m・高さ4.3m 不規則な透かし(三日月形や水滴形など)を持つ円筒埴輪が出土。 後円部に全長6mの粘土槨があり、 棺内から勾玉、管玉、小玉、竹櫛、刀子、壷型土師器 棺外から器台、小型壷、高坏などの土師器が出土、 前方部からは穿孔のある壷型土師器が出土。 5世紀中葉前後の築造と推定されている。 1963年(昭和38)に学術調査。 |
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佐自塚古墳 前方部 右奥に後円部 |
佐自塚古墳 前方部から後円部を見る |
佐自塚古墳 後円部墳頂には石祠が鎮座 |
佐自塚古墳 後円部から前方部を見る |
佐自塚古墳 前方部脇から後円部を見る |
佐自塚古墳 後円部脇から前方部を見る |
説明板から |
佐自塚古墳から南下して、坂道を上がる途中に、丸山5号墳・6号墳があるが、
坂道には落葉が積もってスリップ……
仕方がないので、迂回して、南側から丸山古墳へ。
丸山古墳を利用して、後の時代に砦(高友古塁)が造られたらしく、虎口や土塁のようなものがある。
丸山古墳前の案内板
古代散策ロードとして売り出し中
丸山古墳(丸山1号墳) 県史跡 | 石岡市柿岡 |
全長55m・高さ7mの前方後方墳 高友丘陵の中央に存在する古墳 後方部墳頂下で発見された粘土床から 内行花文鏡や勾玉、鉄刀、銅鏃、刀子などの副葬品が出土 遺骸の頭部付近には水銀朱がまかれていた。 4世紀後半の県内最古級の古墳。(説明板には。5世紀初頭とあるが?) 1952(昭和27)年に発掘調査 出土遺物も県の有形文化財・考古資料に指定されている。 周辺には丸山古墳群が分布している。 |
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丸山古墳(1号墳)登り口 |
丸山古墳そばの土塁と濠 |
丸山古墳を 土塁の切れ目から見る |
丸山古墳 入口 |
丸山古墳 後方部を横から見る 右に前方部 |
後方部の墳頂には五輪塔 |
丸山古墳 後方部から前方部を見る |
丸山古墳 前方部から後方部を見る |
丸山古墳 横姿 右に前方部 |
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説明板から |
佐志能神社 |
「この地に、 崇徳天皇と 第一皇子である豊城入彦命の奥津城があり、 その豊城入彦命をお祀りしている。」 丸山古墳が 豊城入彦命の墓か? |
説明板から |
丸山古墳の東隣りにあるのは二子塚古墳。
二子塚古墳 (丸山4号墳) |
全長35mの前方後円墳 後円部径20.5m・高さ3m、前方部幅18m・高さ2.5m 円筒埴輪や形象埴輪(人物・馬)が出土 後円部に横穴式石室が開口。 昭和29年に過去に乱掘されていた横穴式石室の修復と円筒埴輪列の調査。 |
二子塚古墳の現状 雨のため入り込めず 見学断念…… 石室が見られたかもしれないが…… |
説明板から |
午後1時近くになり、スーパー「カスミ八郷店」にて、「彩どりおにぎりセット」の昼食。
柿岡古墳群が続きます。
長堀6号墳 | |
全長37mの前方後円墳と考えられている 後円部径27m・高さ3m 前方部は削平されている。 円墳にしか見えない。 |
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南西から見た墳丘 |
墳頂部 |
墳頂部から墳裾を見る |
西から見た墳丘 |
説明板は見あたらないが 案内表示がある。 |
長堀2号墳 | |
全長46mの前方後方墳、 後方部幅30m・高さ3.5m、前方部幅16m・高さ2m 埴輪なし 葺石なし 未調査 古墳時代前期後半の築造か? |
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長堀2号墳 横姿 右に前方部 |
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前方部斜め後ろから後方部を見る |
前方部から後方部を見る |
後方部から前方部を見る |
前方部斜め後ろから後方部を見る |
説明板から |
大塚古墳群 (かすみがうら市) につづく