北村さんちの遺跡めぐり
更新日2024/6/29
茨城県の遺跡 その3 東海村2・常陸太田市2・那珂市・水戸市 |
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2日目 2024/4/8
東海村のホテルエリアワンを早めに出発し、近くの舟塚2号墳から見学。
舟塚2号墳 村史跡 |
東海村村松 見学日2024/4/8 |
東海村の史跡だが、立ち入りができないようだ。
舟塚2号墳は、全長75mの前方後円墳 前方部約40m・高さ7.39m 後円部径44m・高さ7.59m 前方部が発達しているので、6世紀代の築造と推定されている。 個人宅の敷地内に所在している。 舟塚古墳群は 村内中心部の台地上に位置する古墳群で、 前方後円墳2基、円墳2基以上で構成されていたという。 現在は、舟塚2号墳、狐塚古墳が残る。 舟塚1号墳からは、県指定文化財である人物埴輪が出土している。 |
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東から見る |
西から見る |
生垣の隙間から見える墳丘 |
どこの部分かな…… |
宇宙から降り注ぐミューオンという素粒子を測定するという最先端の技術で、
「舟塚古墳群2号墳」の構造を調査しようするプロジェクトが進められているそうだが、
どうなったのだろうか……
権現山古墳 村史跡 |
東海村村松 見学日2024/4/8 |
日本原研権現山寮の北側に保存されている。県道284号線沿いに説明板がある。
権現山古墳は 全長87mの前方後円墳 後円部径45m 高さ5.5m 周囲を少し削られている。 後円部西側裾部では周壕の痕跡が認められ、 出土した円筒埴輪から5世紀中頃の築造と推定されている。 主体部は未調査 昭和52年の測量図 (説明板から) 後円部墳頂には 「素鵞神社」社殿 樹齢約200年という山桜がある。 (東海村指定天然記念物) |
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西側道沿いに「素鵞神社」の鳥居と 「権現山古墳」の説明板 上がると後円部 |
後円部墳頂には素鵞神社が鎮座 |
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後円部から前方部方向を見る |
前方部墳頂 |
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前方部から後円部方向を見る |
前方部に登る道を見下ろす |
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前方部手前から見る 左奥が後円部 |
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説明板から
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別当山古墳 村史跡 |
東海村石神外宿 見学日2024/4/8 |
石神小学校の南にある。
北東麓に登り口と説明板がある。墳丘上には小社がある。
別当山古墳は 直径52m・高さ8mの円墳。 墳丘の北西裾部に1辺10m程の造り出し状の部分があり、帆立貝式古墳の可能性もある。 埴輪なし 葺石なし 5世紀後半の築造と推定されている。 |
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東麓に登り口と説明板 |
登り道途中から墳頂を望む |
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墳頂の神社 |
墳頂部から造り出し方向を見る |
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造り出し側から墳丘を見上げる |
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説明板から
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茅山古墳 カヤマコフン |
東海村石神外宿 見学日2024/4/8 |
別当山の北にある石神小学校の校庭の片隅に小さな高まりが見える。
古墳の残骸だという。 学校の外側から、そっと撮影。
茅山古墳(中道前古墳群5号墳)は 全長50mの前方後円墳。 埴輪あり 周溝あり。 成人男性を埋葬した石棺のほか直刀、鉄鏃、刀子が出土した。 6世紀中頃の築造と推定されている。 現在は前方部の一部のみが残存している。 |
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前方部の残存部分 |
なかなか近づけない…… |
梵天山古墳群 県史跡 |
常陸太田市島町 見学日2024/4/8 |
梵天山古墳は、宝金剛院の背後にある。
梵天山宝金剛院 高野山真言宗 本尊は大日如来 | |
山門 |
不動堂 |
本堂後ろに梵天山古墳への登り道がある |
境内 右は南無観世音菩薩 |
本堂後ろの梵天山登り口に、説明板がある。
梵天山古墳(梵天山古墳群1号墳) | |||||||||||||||||||||||||||||||
全長151mの前方後円墳 東側に後円部がある。 後円部径84m・高さ14m、 前方部長さ67m・高さ8m 周溝はない。 古墳時代前期前半(4世紀前半ころ)の築造と推定されている。 県内では、石岡市の舟塚山古墳(全長186m)に次いで県内第2位の大きさ。 |
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梵天山古墳 後円部登り口と説明板 |
梵天山古墳 後円部 小社が鎮座する |
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後円部中心部は掘りこまれている | 後円部から前方部を見る |
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前方部から後円部を見る |
くびれ部 奥は後円部 |
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後円部脇から前方部を見る |
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宝金剛院手前の墓地から見た梵天山山古墳 南側から見る 右が後円部 |
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梵天山のある島集落には梵天山古墳群がある。
梵天山13号墳 梵天山古墳の北側の小さな高まり。 現状は径5mほどの小さな古墳 左奥は梵天山古墳 |
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天神塚古墳(梵天山古墳群8号墳) 梵天山古墳の東にある。
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阿弥陀塚古墳(梵天山古墳群2号墳) 梵天山宝金剛院の南手前にある。 大きな円墳 径30mくらい
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高山塚古墳(梵天山古墳群4号墳) 阿弥陀塚古墳の西に大きな墳丘 径100mもあるという大円墳
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宝蔵塚古墳(梵天山古墳群5号墳) 高山塚の西にある古墳
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南天塚古墳 (梵天山古墳群10号墳) 島集落のある台地の南の先端にある古墳。
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台地の西の端の崖面には「島横穴群」がある。
中野冨士山古墳 市史跡 |
常陸太田市中野町 見学日2024/4/8 |
東側の道路沿いに「中野富士山古墳」の案内板が出ていて、駐車場も完備。
中野富士山古墳は 全長約70mの前方後円墳。後円部径48m、前方部幅31~33m 標高49mの独立丘陵頂部に立地。 測量調査時に壺形埴輪が採取されている。 古墳時代前期の築造と推定されている。 |
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駐車場の奥の登り口と説明板 |
中野冨士山古墳 後円部側 |
後円部墳頂の石祠 |
後円部から前方部を見る |
前方部には陥没坑がある |
前方部から後円部を見る |
後円部脇から前方部を見る |
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説明板から |
星神社古墳(諏訪山古墳) 県史跡 |
常陸太田市小島町 見学日2024/4/8 |
梵天山古墳の北西約750m。農地の中に1基だけ独立してある。
南東麓に神社登り口がある。
後円部上には、明治15年(1882)に移築されたと伝えられている星神社(星ノ宮神社)が鎮座している。
星神社古墳(諏訪山古墳)は 全長100mの前方後円墳 前方部が西を向く。 後円部径54m・後円部高8.6m 前方部長46m・前方部幅39m・前方部高2.6m 前方部と後円部の高低差が大きく、 後円部径に対して前方部幅が短く前方部が未発達であることから 古式古墳の形態を有している。 後円部から、突帯をもつ埴輪片、線刻・透孔(スカシアナ)を有する埴輪片、 赤色塗彩を有する埴輪片や焼成前底部穿孔壺形土器の破片が採集されている。 埴輪片の中には、器台形埴輪と想定される遺物もみられる。 出土した埴輪片などから4世紀の築造と推定されている。 平成15年(2003)測量調査 伊勢山古墳(鹿嶋市)、王塚古墳(土浦市)、 佐自塚古墳(石岡市)、長辺寺山古墳(桜川市)等とともに 県内最古級の前方後円墳のひとつに数えられ、 久慈川流域では梵天山古墳とともに最古の前方後円墳と考えられている。 (茨城県教育委員会HPから) |
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南東から見た星神社古墳 左後方に前方部 |
後円部上には星神社社殿 |
後円部から前方部を見る |
前方部から後円部を見る |
横姿 左に前方部 |
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説明板から |
五所皇神社古墳 県史跡 |
常陸太田市上岩瀬 見学日2024/4/8 |
地元の鎮守の森・五所皇神社の後ろにあるのが、五所皇神社古墳。
南東に神社入口がある。
「HPふるさと見て歩き」に詳しく掲載されていたので、参考にさせてもらった。
五所皇神社古墳 (富士山5号墳)は、全長60mの前方後円墳 後円部径38m・高さ6.5m、 前方部幅26m・高さ4.5m |
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五所皇神社(古墳)のある森を 丸山古墳横(南)から見る |
五所皇神社入口 |
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五所皇神社参道 |
五所皇神社参道社殿 |
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古墳は五所皇神社の後ろにあるが、神社自体も丸い溝に囲まれた台の上に建てられている。 |
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社殿後ろに後円部がある |
後円部墳頂 小さなお社が鎮座 |
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後円部から前方部を見る |
前方部から後円部を見る |
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五所皇神社古墳 前方部脇から後円部を見る |
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富士山(フジヤマ)古墳群は、かつて五所皇神社古墳を中心に、計12基存在した。 その後、宅地造成や耕地拡張等によりいくつかの古墳が無くなったが、 現在、第5号墳、丸山古墳、そして五所皇神社古墳が現存している。 昭和51(1976)年には、宅地造成に伴い、第1号墳、第3号墳、第4号墳の3基の発掘調査。 第4号墳は、全長37.8mの前方後方墳で、後方部高さ3.1m・前方部高さ1m 前方部が三味線のバチのように広がる形 周囲を幅5.0m・深さ0.9mの堀が巡る 2段築成 埋葬施設は不明 県内でも最古の古墳のひとつと考えられている。 第5号墳は、径30m・高さ3mの円墳と考えられている。 古墳群の最北端に位置し、国道118号線の東側に隣接する山林に所在している 宅地造成の際に保存措置になった古墳で、 第1号墳と第3号墳と同様に方墳の可能性もある。 (HP「ふるさと見て歩き」から) |
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丸山古墳は、径30m・高さ6mの円墳 古墳群の最南端に位置し、低地に立地している 前方後円墳の可能性も指摘されている。 五所皇神社古墳の南にある林が丸山古墳だ。
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権現塚古墳 市史跡 新宿古墳群 |
那珂市静 見学日2024/4/8 |
農地の中に、きれいな前方後円墳を見ることができる。
権現塚古墳 (新宿古墳群5号墳) | |
築造当初は全長50mの前方後円墳 後円部径35m・高さ3m、前方部幅30m 周溝あり 埴輪あり 後円部にある無袖型横穴式石室は、全長2.95m 奥壁幅1.4m・高さ1.6mの長方形 自然石を積み上げて構築されていて、床面には拳大の自然石が敷かれている。 鉄刀・金環・鉄鏃・ガラス製臼玉・小玉などが出土 6世紀末の築造と推定されている。 町史編纂事業で調査。 |
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全景 横穴式石室は見ることはできない |
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後円部から前方部を見る |
前方部から後円部を見る |
説明板から 説明板には、5世紀末の古墳と書かれている…… |
権現塚古墳は、新宿古墳群の中の1基だそうだ。
古墳辞典には、静古墳群として掲載されているが、「新宿古墳群」という名で紹介する。
(静古墳群は、「新宿・上宿古墳群」ともいう。と古墳辞典に書かれている)
新宿古墳群は、
権現塚古墳を中心に8基の古墳で構成されていて、5基現存しているそうなので、周辺を探してみた。
新宿古墳群1号墳 草叢として残る |
新宿古墳群2号墳 周りが石垣で固められて、墓地となる。 |
新宿古墳群3号墳 (「新宿古墳」といわれている古墳) 1951(昭和26)年発掘調査 径20m・推定高さ3.5mの円墳 両袖型横穴式石は、全長2.7m・高さ1.9m・奥壁幅1.6m 緑泥片岩と河原石で構築されていて、床面には拳大の川原石と砂が敷かれていた。 鉄刀・刀子・鉄鏃・水晶製切子玉・金環 ・瑠璃製勾玉・ガラス製丸玉・同小玉・琥珀製棗玉などが出土 埋葬遺体は、頭骨だけでも8体出土。 墳丘や周溝から埴輪片が出土。 (古墳辞典から) 3号墳 痕跡程度にしか残っていない。 1955(昭和30)年には、 隣接した径15mの円墳が調査され、 小玉・丸玉・須恵器片などが出土。 (古墳辞典から) |
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新宿古墳群4号墳 民家の庭先にある しっかり残っているようだ。 |
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新宿古墳群5号墳が権現塚古墳である。 |
ファミリーマート那珂飯田店(那珂市飯田)にて少し遅い昼食。
西木倉古墳群(十三塚古墳) | 那珂市西木倉 見学日2024/4/8 |
「木倉十三塚」といわれる古墳群がある。 径20mの円墳級が数基、存在している。
道路沿いに5号墳がある。
西木倉古墳群は, 「木倉十三塚といわれ,13基の古墳があったと伝えられているが、 詳細不明。現存するのは10基」 (那珂町史編さん委員会編『那珂町史 自然環境・原始古代編』から・ネット検索)
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西木倉5号墳 直径20m・高さ4mの円墳
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5号墳はわかるのだが、周囲にはほかにも古墳らしい高まりがある。何号墳かは不明。
西木倉古墳群 仮1号墳 道路を隔てて5号墳の斜め向かい側 |
西木倉古墳群 仮2号墳 5号墳の後ろ右側 |
西木倉古墳群 仮3号墳 5号墳の後ろ左側 |
狐塚古墳 (西木倉古墳群の1基) 5号墳の南東700mほどの民家裏にある |
すぐ西側は水戸市となる。
愛宕山古墳 国史跡 |
水戸市愛宕町 見学日2024/4/8 |
水戸市に入る。
大きな前方後円墳がそのまま愛宕神社になっている。麓には幼稚園もある。
西麓に神社駐車場がある。
愛宕山古墳は 全長136.5mの前方後円墳 後円部径78m、前方部幅75m 県内最大の前方後円墳 周溝がある。 未調査のため埋葬施設は不明、 見つかった円筒埴輪から6世紀初頭の築造と推定されている。 |
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西側麓の愛宕神社入口 |
西麓から後円部へ登る階段 |
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後円部頂には 愛宕神社の社殿 |
後円部から前方部を見る |
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後円部側から見た前方部の高まり |
前方部の最高所に鎮座する天満宮 |
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前方部から後円部を見る |
南麓から前方部へ登る階段 愛宕神社参道 |
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説明板から |
馬塚古墳 国史跡 |
水戸市愛宕町 見学日2024/4/8 |
愛宕山古墳の南100m 広大な空き地の片隅に小さな古墳が残されている。
馬塚古墳は 径14mの円墳。 馬塚古墳は愛宕山古墳群の1基。 愛宕山古墳群は那珂川中流域右岸台地、標高30m前後の一帯にあり、 前方後円墳2基・円墳5基で構成ししていたとされるが、 現在は、愛宕山古墳と馬塚古墳のみである。 (説明文から) |
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「馬塚古墳」石柱に、説明文が刻まれている。 |
かわいい墳丘。奥の森が愛宕山古墳 |
以前はそばに桜の木があったらしいが、なくなっている。
たまたま桜を見に来た男性がいて、残念そうに帰って行った……。
偕楽園 国史跡名勝 |
水戸市常盤町 見学日2024/4/8 |
水戸藩第9代藩主徳川斉昭(烈公)によって造園された庭園
後楽園(岡山県岡山市)や兼六園(石川県金沢市)と並んで日本三名園の一つに数えられている。
偕楽園東門 |
偕楽園左近の桜 |
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好文亭 |
好文亭の2階から見た景色 |
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好文亭内部の襖絵が素晴らしい! ほんの一部紹介
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桜その1 駐車場から水戸偕楽園へ向かう |
桜その2 千波湖 |
残念ながら、梅の花の時期が終わっている。
好文亭チケット
吉田古墳 国史跡 |
水戸市元吉田町 見学日2024/4/8 |
国史跡というので見学に来たが、説明板以外は見るものがない。
吉田古墳は、現状一辺8mの方墳だが、 2006年の調査で八角形墳の可能性が強いことがわかる。 水戸市街地と相対する吉田の台地上に所在する。 墳丘は近世以降削平され、往時の姿を止めていない。 南に開口する横穴式石室は、全長3.3m、幅1.4m、高さ1.6mで 軟質凝灰岩の板石で構築されている。 大正3年4月に発掘され、銀環(かつては金環とされていた)・鉄鏃等が出土し 石室奥壁には線刻で釵・刀子・鉾など武具を主体とした壁画がある装飾古墳 主体部の型式や出土遺物から7世紀中葉の築造と推定されている。 (水戸市HPから) |
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南から見た吉田古墳 標柱と説明板 |
墳丘? 横穴式石室は見ることはできない。 |
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説明板から |
上ノ山古墳 (茨城町) につづく