北村さんちの遺跡めぐり
更新日2024/6/8

茨城県の遺跡
その2 ひたちなか市・東海村・日立市・常陸太田市

1日目 2024/4/7
磯浜古墳群の見学のあと、ファミリーマート大洗和銅店で昼食を済ませ、
午後の部スタート!ひたちなか市へ。

地図g

和田ノ上古墳 ひたちなか市和田町2丁目
見学日2024/4/7

ひたちなか市役所那珂湊支所の西の津神社境内に墳丘がある。

 和田ノ上古墳は  20mの円墳、高さ5m。
 未調査で、詳細不明。
 かつては周辺に数基の古墳があったが、現存は1基だけ。

津神社鳥居から社殿と墳丘を見る 南から

南から見た墳丘

墳頂

謎の穴?

南東から見た墳丘  右側は那珂湊支所

北から見た墳丘

  

寺前古墳
市史跡
ひたちなか市柳が丘
見学日2024/4/7

柳が丘住宅団地の公園(柳が丘第一児童公園)に保存されている。

 寺前古墳は  墳丘長41mの前方後円墳 
  後円部直径26m・高さ4m  前方部幅11m・高さ2.3m
 前方部が著しく小さいことから、5世紀初め頃の築造と推定されている。
 市内最古の前方後円墳と考えられている。
 柳沢の台地突端部に地形を利用して築かれている。  (ひたちなか市HPから)

西側上り口

前方部から後円部を見る

後円部から前方部を見る

南から見た 寺前古墳全景 前方部側
説明板から          

   

虎塚古墳
国史跡
ひたちなか市中根
見学日2024/4/7

石室壁画が有名な虎塚古墳。
そばにあるひたちなか市埋蔵文化財センターで、石室のレプリカが見られる。

 虎塚古墳は  全長56.5mの前方後円墳
  後円部直径32.5m・高さ5.7m 前方部幅38.5m・高さ5.2m
 本郷川右岸の台地上に築かれた前方後円墳
 前方部が発達した古墳時代後期古墳の特徴がある。
 昭和48年の発掘調査で、
  後円部に築かれた凝灰岩製の横穴式石室内に保存状態が良好な彩色壁画が発見された。
 壁画は凝灰岩の表面に白色粘土を塗り、
  ベンガラ(酸化第二鉄)で連続三角文や環状文などの幾何学文と、
   靫・槍・楯・大刀など当時の武器や武具等の豊富な文様が描かれている。
 石室の内部から、成人男子の遺骸の一部と、副葬品の大刀、刀子、鉄鏃などが出土。
 墳丘の特徴や出土遺物から、古墳時代終末期・7世紀初め頃の築造と推定されている。
 昭和55年に公開保存施設が完成し、春と秋には石室壁画を一般公開している。
       (ひたちなか市HPから)


虎塚古墳史跡公園

前方部脇から墳丘を見る 右奥が後円部

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

後円部墳頂から石室保存施設を見下ろす

石室保存施設

後円部脇から前方部を見る
  説明板から

2023年9月12日が虎塚古墳石室壁画発見50周年の日だったそうだ。

虎塚古墳のそばにひたちなか市埋蔵文化財センターがある。

 ひたちなか市埋蔵文化財センター
 虎塚古墳関係の展示

虎塚古墳石室レプリカ

石室内部の彩色壁画再現

虎塚古墳出土品展示
 虎塚古墳の資料以外には、 鉾の宮古墳群の箱式石棺、三ツ塚古墳群出土品、
  新道古墳群、笠谷古墳群、入道古墳群、磯崎東古墳群、大平古墳群
  馬渡埴輪政策遺跡、三反田遺跡
  などの資料が展示されている。

「乳飲み子を抱く埴輪」
   県指定文化財
大平古墳群の黄金塚古墳から出土した
  人物埴輪。
黄金塚古墳は全長約60mの前方後円墳
工事により破壊された。

赤ちゃんにお乳を飲ませているモチーフは、
 埴輪では日本でただ一つのもの。

馬形埴輪
馬渡埴輪製作遺跡(国指定史跡)出土
 埴輪の製作工場

市内の中学生が偶然、
 馬形埴輪を発見したことから
 馬渡埴輪製作遺跡の存在が判明したという。
 馬渡埴輪製作遺跡は,粘土を採掘し,工房で形をつくり,窯で焼き上げるという
  埴輪製作の一連のすべての遺構が、日本で最初に見つかった遺跡。

今回の旅行では、茨城県の国史跡としては、馬渡埴輪製作遺跡だけは、見学して来なかった

十五郎穴横穴墓群
国史跡
ひたちなか市中根
見学日2024/4/7

虎塚古墳のある台地の崖面に横穴がある。
令和6年2月に指定されたばかりの、ほやほやの国史跡だ。

 十五郎穴は、古墳時代末期から平安時代にかけて、
  本郷川右岸の大地の崖面に露出する凝灰岩を掘り込んで築かれた集団墓

 横穴墓が、約1kmの範囲に分布していて、、
  推定される横穴墓の数は、500基以上 (確認されたのは274基)
  東日本最大級の横穴墓群。
 そのうちの館出(タテダシ)支群が昭和15年3月に県の史跡に指定された。
 横穴墓からはこれまでに大刀などの鉄製品のほか、
  須恵器や勾玉などの副葬品、人骨など様々なものが出土していて、
  正倉院所蔵の刀子に類似の「帯執(オビトリ)金具のある刀子」も発見されている。
 2024年(令和6)2月に、国史跡になったばかりの遺跡   (ひたちなか市HPから)

館出支群に県史跡の説明板がある

いろいろな形の横穴がある。

面白い!

埋もれそうな横穴

石碑「八重崎秋月」

横穴群の脇に立つ。

地元の良い景色を選んだ「中根八景」の一つ
秋にこの場所から見る月が素晴らしいという。
説明板から   

  

笠谷古墳群 ひたちなか市中根
見学日2024/4/7

虎塚古墳群から谷間を挟んだ西側の丘陵先端に、笠谷古墳群がある。
6号墳だけが発掘されたようだ。
南側の崖には十五郎穴横穴墓群の笠谷支群がある。

 笠谷古墳群は、標高17~20mの舌状の台地縁辺部に位置している。
 前方後円墳2、円墳8基が確認されている。4・10号墳は未確定。
 笠谷古墳群 配置図
笠谷1号墳 円墳 直径16m・高さ1.7m
笠谷2号墳 円墳 直径14m・高さ2m
笠谷3号墳 円墳 直径16m・高さ1.5m
笠谷4号墳 半壊 古墳でないかもしれない
笠谷5号墳 円墳・半壊 直径15m
笠谷6号墳 前方後円墳 全長43m
笠谷7号墳 前方後円墳 全長28m
笠谷8号墳 円墳 直径18m・高さ2.5m
笠谷9号墳 円墳・半壊 直径24m
笠谷10号墳 消滅 未確認
笠谷11号墳 円墳 2016年の調査で新たに発見
北の耕作地の中で墳丘消滅
笠谷12号墳 円墳
   (ひたちなか市埋蔵文化財センター展示から)

北側から車幅ギリギリの道を入り、1号墳そばに駐車。

 笠谷1号墳  直径16m・高さ1.7m

西から見た1号墳
 笠谷2号墳   直径14m・高さ2m

南南東から見た2号墳
笠谷3号墳  直径16m・高さ1.5mの円墳

南から見た3号墳
笠谷5号墳  直径15mの円墳(半壊)

北から見た5号墳 半分くらい残る
 笠谷6号墳  全長43mの前方後円墳
  後円部径30m・高さ5.4m  前方部幅25m・高さ5m
 全周する周濠あり 埴輪あり
 後円部に南側斜面に開口する横穴式石室があるが埋め戻されている
  前方部には刳抜式舟形石棺が出土したが、埋め戻されている
 圭頭大刀、鉄鏃、雲珠、辻金具、飾金具、轡 などが出土
 墳丘から円筒埴輪や形象埴輪片が確認されている
 6世紀後半の築造と推定されている。
 出土した馬具から、7世紀前半に追葬と考えられている。
 1952年笠谷古墳群の中で唯一、発掘調査された。 

北から見た6号墳 右奥が前方部  後円部は樹木が多い
    

後円部側 向こう側に前方部
  

北北西から見る  左に後円部
  

くびれ部から後円部を見る
 

後円部から前方部を見る

 



ひたちなか市埋蔵文化財センターで
 出土品が展示されている


馬具は
 上半分が6世紀後半のもの
  下半分は7世紀前半のものなので、
   追葬が行われたと考えられている。
 笠谷7号墳  群中最も南にある
 全長28mの前方後円墳  前方部を北西に向ける
  後円部径15m・高さ1.5m  前方部幅15m・高さ1.5m
 ボーリング調査で横穴式石室があると確認されているが未調査
 古墳時代終末期の築造と推定されている。

北北東から見た全景 左に後円部
 

 後円部から前方部を見る
くびれがほとんどない

前方部から後円部を見る
 8号墳  直径18m・高さ2.5mの円墳

横穴式石室がありそうな高い墳丘
 9号墳   直径24mの円墳 半壊

北から見た9号墳  一部しか残っていない

墳丘がはっきり確認できる古墳群だった。見学して正解!

川子塚古墳
市史跡
ひたちなか市磯崎町川子塚
見学日2024/4/7

周濠跡が残る古墳。  駐車スペースあり。

 川子塚古墳(カゴヅカコフン)は  墳丘長は80mを超すと考えられる前方後円墳
  後円部直径と前方部幅がともに41m・墳丘高さ9m。
   那珂台地に残存する古墳の中でも最大級の古墳
 葺石あり 埴輪あり
 この埴輪は馬渡埴輪製作遺跡から供給されていたことがわかっている。
 埋葬施設についての詳細は不明だが、石造りと考えられている。
 古墳の形態や埴輪の特徴から、5世紀後半の築造と推定されている。
    (ひたちなか市HPより)

北側道路から見た後円部と周濠跡

後円部の石造りのお社は壊れている

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

西から見た後円部と
  周濠跡、周堤帯


 右に前方部


  西から見た前方部
  右に深い周濠と周堤帯


  左に後円部
 説明板・HPから

 現地説明板から

ひたちなか市HPから
墳丘東側は、住宅なとで削られている。

   

真崎古墳群
村史跡
東海村石神村松
見学日2024/4/7

東海村真崎コミュニティーセンターの南に古墳公園として保存されている。
コミセンの広い駐車場に駐車して、見学。
古墳ひとつひとつに、立派な説明板が立っている。

 真崎古墳群 配置図  (現地案内板から)

前方後方墳1基、方墳1基、
  六角形墳1基、円墳5基が保存されている。
1号墳 六角形墳
1辺が7~15m
2号墳 円墳
最大直径20m
3号墳 円墳
 直径20m
4号墳 円墳
 直径20m
5号墳 前方後方墳
 全長45m
6号墳 円墳
 直径25m
7号墳 円墳
 直径20m
8号墳 方墳
 15m×17m
 真崎1号墳   1辺が7~15mの六角形墳 南北24m 

東南東から見た1号墳
六角形墳とは見ただけではわからない。

北東から見た1号墳 
 真崎2号墳   最大直径20mの円墳  高さ0.66mの円墳

2号墳

高さが無いので、
説明板がないと通り過ぎてしまいそう
 真崎3号墳  直径20mの円墳 

南から見た3号墳

南東から見た3号墳
 真崎4号墳   直径20mの円墳

南東から見た4号墳

南西から見た4号墳
 真崎5号墳  全長45mの前方後方墳  後方部幅南北27m・東西25m

後方部 前方部は向こう側
  

後方部から前方部を見る
  

前方部から後方部を見る
  

前方部脇から後方部を見る
  

横姿 右奥に低い前方部

 真崎6号墳   直径25m・高さ3.9mの円墳

6号墳

6号墳 方向を変えて見る
 真崎7号墳   直径20mの円墳
  昭和28年ごろに発掘調査された際に横穴式石室が確認されている。

7号墳

7号墳 方向を変えて見る
 真崎8号墳  東西15m・南北17m・高さ1.53mの方墳  

南から見た8号墳

西から見た8号墳
 その他の説明板

   

道の駅「おさかなセンター」(日立市みなと町)にて、国道ステッカー、ゲット!
日立市の古墳へ。

甕の原古墳群
市史跡
日立市大みか町
見学日2024/4/7

海岸近くの大みか町の住宅地に古墳が残されている。
甕」という字は「ミカ」と読む。
標柱のある4号墳に、前は説明板があったようだが、今はない。
ネット検索で説明板を見つけた。

  説明板から
 かつて、水木町1丁目・2丁目から大みか町3丁目にかけた高台にはたくさんの古墳があり、
  それらは水木町周辺のグループ(水木古墳群)と
 大みか町3丁目付近のグループ(甕の原古墳群)にわかれていた。
 甕の原(ミカノハラ)古墳群は、付近に「六ツヶ塚」という地名が残っているように、
  史跡に指定されている3号墳と4号墳を含めた6基の古墳群であったと考えられている。
 3号墳・4号墳はともに円墳で横穴式石室があり、6世紀後半~7世紀の築造と推定されている。
 4号墳から海側へ20mほどのところに、
  全長41mの前方後円墳「甕の原古墳群2号墳」があり、昭和51年に発掘調査され、
   横穴式石室から直刀などの武器類のほか
    装身具、馬用金具、須恵器、土師器などか出土した。(消滅)
 甕の原古墳群4号墳  横穴式石室があると考えられている。
4号墳前にある標柱

「日立市指定史跡第6号甕の原3号墳
 日立市指定史跡第7号甕の原4号墳」



横に説明板があったはずだが……

東から見た4号墳

西から見た4号墳  左奥が3号墳
 甕の原古墳群3号墳   円墳 横穴式石室がある。 4号墳の東側にある。

塀の向こう側

3号墳墳丘


次に見学する西の妻古墳群の
  「日立市文化財回廊マップ」の中の説明


3か所残っていると書かれているが
あと一つは
民家の敷地内に保存されているらしい。

前方後円墳の2号墳は、見たところ痕跡もない……

西の妻古墳群
市史跡
日立市石名坂町
見学日2024/4/7

甕の原古墳群の西約2.5kmの住宅街に残されている。
南の道路から階段があって、1号墳に上がれる。
2号墳は、1号墳の西、住宅の後ろにある。

 西の妻古墳群は、全長51mの前方後円墳(1号墳)と、直径18mの円墳(2号墳)の2基。
 西の妻1号墳
 全長51mの前方後円墳
  後円部径29m・高さ6.7m 前方部幅36m・高さ6.4m 6C後半
 東側と南側に周溝がある。北には周溝がない。
 東の一部には幅1mの土橋状の堀残しがある。
 円筒埴輪や形象埴輪、須恵器や土師器が出土。
 横穴式石室があると考えられているが、未調査。
 6世紀後半の築造と推定されている。
 今までに部分的な調査が行われている。

1号墳 右奥に後円部

1号墳 前方部から後円部を見る

1号墳 後円部から前方部を見る

1号墳 後円部頂の石祠
 西の妻2号墳   直径18mの円墳 高さ3m
 埴輪はない
 未調査 横穴式石室があると考えられている。

2号墳

高い墳丘が確認できる

 2号墳への通路に日立市文化財の大きな案内板があり、その中に西の妻の説明がある。

1号墳出土の円筒埴輪

   

 大きな説明板全体
 古墳群は  ⑤西の妻古墳群   ⑧甕の原古墳群  が紹介されている。
 その他は
  ①日立オリジンパーク  ②泉川道標  ③大甕神社  ④石名坂のエノキ
  ⑥南高野貝塚  ⑦泉が森  ⑨赤羽横穴墓群

   

幡山古墳群
市史跡
常陸太田市幡町
見学日2024/4/7

5時半を過ぎたが、まだまだ明るいので常陸太田市まで行く。
西の妻古墳群の北西約4km(直線距離)、15分ほどで到着。
はたそめ団地の南東端にある古墳公園内に5基の古墳が残る。駐車場がある。
説明板もあったらしいのだが、読めなくなって久しいようだ。

 幡山古墳群は、
  幡山の台地上に存在した古墳群で、前方後円墳1、円墳15、横穴墓162基が確認されている
  宅地造成などにより一部が湮滅したが
  古墳公園には、20~24号墳が保存されている
  近くの機初小学校には2基の石室が移築されている。
 古墳公園の古墳

幡山古墳群を見上げる 20号墳の辺り

南から見た20号墳

北から見た21号墳

南から見た21号墳

北から見た22号

南から見た22号墳

北から見た23号墳

南から見た23号墳

北から見た24号墳

24号墳墳頂から北を見下ろす

機初小学校の敷地内には2基の横穴式石室が移築復元されている。
日曜日なので、そっと立ち入らせてもらった。

 機初小学校の敷地内の移築石室

北東から見た移築石室

手前東側石室
奥が西側石室


石室は左側に開口している。
 東側の石室

石室全体

入口から奥壁を見る

奥壁

奥壁から入口側を見る
 西側の石室

石室全体

玄門には閉塞石が残る

入口側から奥壁を見る

奥壁側から閉塞石を見る

奥壁上から入口側を見る

側壁の壊れたところから石室を見る
 移築石室のそばにある説明板      


午後6時を過ぎた。

ガソリンを 「セルフテルフィット東海SS」(東海村石神外宿2531-2)にて補給。
「ホテルエリアワン」(東海村白方)(6:37)にチェックイン!
夕食はそばの「バーミヤン」の中華丼!  朝食もそばのファミリーマート東海白方店で準備。
長い第一日目が終了……

船塚2号墳(東海村) につづく

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