北村さんちの遺跡めぐり
更新日2024/5/18
茨城県の遺跡 その1 磯浜古墳群(大洗町) |
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初めての茨城県へ出発!
2024/4/7 午前5時、自宅発
徳光SIC(北陸自動車道) - 7:3 上越JCT(上信越自動車道) - 7:7新井PA - 8:2 更埴JCT(上越自動車道)
- 9:4 甘楽PA -9:14 藤岡JCT(宇都宮新潟方面) - 9:26 高崎JCT(北関東道宇都宮方面)
-9:59 岩舟JCT(東北自動車道) - 10:.07 栃木都賀JCT(水戸方面)
-10:41 笠間PA -11:15 水戸大洗IC
6時間半弱で、磯浜古墳群に到着。
磯浜古墳群 国史跡 |
大洗町磯浜町 見学日2024/4/7 |
茨城県の最初の古墳は、磯浜古墳群。
「磯浜古墳群保存活用計画」というパンフレットがあり、整備途中と思われる。
「いばらき古墳旅マップ」にも掲載されている。
日下ヶ塚古墳の前に、磯浜古墳群の大きな説明板がある。
磯浜古墳群 (国史跡)は 大洗町磯浜町の台地先端に築かれた前期から中期初頭の6基。 前方後円墳2、前方後方墳1、超大型円墳1基、墳形不明2基の 首長墓の変遷が辿れる貴重な遺跡で、 令和2年に主要古墳が国史跡となる。 |
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磯浜古墳群回遊マップ (大洗町HPから引用)
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説明板から
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媛塚古墳から見学する。
姫塚古墳 | ||||
全長29.4m・高さ4.4mの前方後方墳 後方部は縦長の形 前方部はハの字に開く。 弥生時代の前方後方形墳丘墓にもみられる特徴がある。 埴輪はない。 (説明板から) かなり変形していて、以前は円墳とされていた。 前方部は削られていた。 発掘調査で前方後方墳とわかった。 弥生時代と古墳時代の境 3世紀後半の築造と推定されている。 |
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南西から見た姫塚古墳 左に前方部 |
前方部から後方部を見る |
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墳頂には祠 |
南東から見た後方部 |
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説明板から
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坊主山古墳は私有地なので説明板がないようだ。
家主にお願いして墳丘に上がらせていただいた。
坊主山(ボチヤノヤマ)古墳 | |
全長63mの前方後円墳 長壺形埴輪片が出土 前期後半・4世紀中葉~後葉の築造と推定されている。 |
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こんもりした木の場所が後円部 西から |
南東から見た後円部 |
西北西から後円部を見る |
後円部上には石祠がある |
後円部から前方部を見る |
前方部から後円部を見る |
古墳群の南端にある日下ヶ塚古墳。
墳丘はかなり破壊されているが、出土品が素晴らしかった。
日下ヶ塚(ヒサゲヅカ)古墳 | |||||||
全長101.5mの前方後円墳 後円部径64.8m・後円部高さ10.1m くびれ部幅23.5m 前方部長36.6m・前方部幅:38m・前方部高さ4.7m 周溝あり 2段築成 壺形埴輪・円筒埴輪がある。 昭和24年の調査で後円部に粘土槨が見つかる。 粘土槨には 幅3.5m・長さ10m前後の木棺があり 内行花文鏡、変形四獣鏡、石製模造品、玉類、鉄製品、木製櫛など4100点以上が出土。 坊主山古墳に続く前期末期・4世紀後半の築造と推定されている。 日下ヶ塚古墳は、古墳辞典では、常陸鏡塚古墳という名で紹介されている。 |
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東から見た墳丘 右に後円部 「磯浜古墳群」と「日下ヶ塚古墳」の説明板がある。 |
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前方部残存部先端 右奥に後円部 |
くびれ部から後円部を見る |
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後円部 石冊の中に石碑がある |
後円部から、細くなってしまった前方部を見る |
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前方部から後円部を見る |
後円部を東から見る 左に前方部 手前はくびれ部の造り出し |
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後円部側 手前は周濠跡 向こう側に前方部がある |
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説明板から
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海防陣屋跡 海防陣屋とは、 江戸時代天保年間に水戸藩第9代藩主徳川斉昭により造られた海防目的の施設。 高台の縁に沿って幅約36m、奥行約24m、高さ約1.5~2.0mの土壇状の遺構が残っていて、 日下ヶ塚古墳の墳丘を含めて海防陣屋として利用していたものと考えられている。 海防陣屋の建物は1864年の元治甲子の変(天狗党の乱)により焼失したが、 屋根瓦がここで出土している。 海防陣屋跡 この高まりを造るために 日下ヶ塚古墳の墳丘を 破壊したと思われる。 |
古墳群の中央に位置するのは、車塚古墳。
車塚古墳 | |||||
径88m・高さ13mの大型円墳 周溝あり 葺石あり 埴輪あり(朝顔形埴輪・円筒埴輪) 。 3段築成 主体部は不明 群中最後の中期初頭(4世紀末~5世紀初頭)の築造と推定されている。 |
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南南東から見た墳丘 |
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東側に登り口がある |
墳頂から登り口を見下ろす |
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墳頂には富士権現が祀られている |
北西から見た墳丘 |
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説明板から
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車塚古墳の北には、現在は消滅したと思われる古墳2基があった。
五本松古墳・五本松下古墳 |
車塚の北に周溝の一部が確認された2基の古墳がある。 いばらき古墳旅マップから 姫塚に次いで築かれたのが、 五本松古墳、五本松下古墳とされている。 |
西側が五本松古墳で、くびれ部らしき部分が検出されて、壷や鉄片が出土 全長40~50mの前方後円墳または前方後方墳で、 前期中葉・3世紀後半~4世紀初頭の築造と推定されている。 五本松古墳のあったあたり |
東側は五本松下古墳。 現在の保育施設の敷地で、周溝が確認されて、土器が出土。 方墳か? 五本松古墳のすぐ後の築造と推定されている。 |
ファミリーマート大洗和銅店(大洗町和銅)にて 昼食
和田ノ上古墳(ひたちなか市) につづく