東北の旅その11
四日目C
南相馬市撮影日2013/10/1〜6
東北の旅4日目。伊達市保原町の古墳を見学後、南相馬市の古墳見学に行くこととする。
時刻は午後3時半少し前。ナビに桜井古墳をセットして、出発。
暗くなる前には、桜井古墳と真野古墳群の見学が終わるだろう・・・と思ったが・・・・。
ナビが教えてくれた道をひたすら進むが、かなり曲がりくねっていて、
交差も出来ないほど狭いところもあり、山の頂上まで行って下りてくるような道。
スピードも出せない。何かおかしいな。
ほかの車はどこかから来てスイスイ行ってしまうような・・・・。
飯館村の臼石というところを通り・・・・、また曲がりくねった道に案内されているような・・・・。
人が住んでいない集落がつづく。人がいるかと思えば除染作業の一団。
人気がない町を通り抜ける。事業所は営業している所もある。
ようやく、山を抜け、南相馬市に入る。
南相馬市原町区は、みな普通の生活をしているように見える。
桜井古墳(桜井古墳群1号墳) 国指定史跡 |
南相馬市原町区上渋佐字原畑 撮影日2013/10/4 |
なんと!! 桜井古墳に到着したのは、午後4時50分、もう暗い・・・・・・・・
桜井古墳公園に保存されている桜井古墳は 東北地方最大級の前方後方墳。
古墳公園入口
入口は 後方部の南側
奥は桜井古墳の後方部
桜井古墳群は古墳時代前期〜後期の、大小さまざまな形の古墳37基確認されている。
高見町支群と上渋佐支群にわけられ、上渋佐支群の前方後方墳が「桜井古墳」。
桜井古墳公園案内図 (現地説明板から) 7号墳は少し離れている。 桜井古墳は、主軸長74.5mの前方後方墳 後方部 東西幅45m・南北幅47m・高さ6.8m 前方部 長さ29.5m・高さ3m・前端幅30m 後方部には段築がある。 後方部頂には底部穿孔二重口縁壺が並べられていた。 出土は、底部穿孔二重口縁壺・器台 埋葬施設は、未調査だが、後方部に2基の木棺があると考えられている。 4世紀後半の築造と推定されている。 底部穿孔二重口縁壺は、土器の底には焼く前から孔があけられているので、 古墳に供える目的でつくられた土器と考えられている。 調査は平成10〜12年度(1998〜2000年) |
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桜井古墳全景 左手前・前方部 右奥・後方部 |
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前方部から後方部を見る |
後方部から前方部を見る 奥の林に2号墳がある。 |
桜井古墳群2号墳 1号土坑墓 野馬土手 |
南相馬市原町区上渋佐字原畑 撮影日2013/10/4 |
桜井古墳の西の林の中にある。。
桜井古墳群2号墳模式図 (説明板から) 桜井2号墳は 直径20m・高さ2mの円墳 周溝がめぐる 墳頂には、(破壊されていたが) 東西4.2m・南北1.1m・深さ0.9mの墓壙に 長さ3.6m・幅0.8mの割竹形木棺があったと考えられている。 墓壙内から、鉄剣破片が出土している。 5世紀の築造と推定されている。 平成11年(1999年)調査。 |
桜井古墳群2号墳 墳丘 |
1号土坑墓 墳丘も周溝もない埋葬施設だけの土坑墓 墓壙は東西4m・南北1.7m・深さ1.3mで、 長さ3.1m・幅0.8mの割竹形木棺が あったと考えられている。 棺内から、刀子が出土した。 6世紀の築造と推定されている。 平成11年(1999年)調査。 |
野馬土手(復原) 江戸時代に 野馬原(牛越原)に放牧された馬が逃げるのを 防ぐために造られた土手で、 築造当時の野馬土手を復元している。 野馬土手は、現在の原町市内のほとんどを囲む大規模な土手だった。 野馬土手の所々には出入口(木戸)が設けられていた。 木戸は30ヶ所以上あったと伝えられており、 現在では、 「羽山岳の木戸跡」が市指定文化財として保存されている。 (説明板から) |
桜井古墳群(上渋佐)7号墳 市指定史跡 |
南相馬市原町区上渋佐字原畑 撮影日2013/10/4 |
桜井古墳から北の道路に下りて、東に100m程行った所の階段の上にある。
桜井古墳群7号墳模式図 (説明板から) 1辺27.5mの方墳 高さは北側で3.75m、南側で3m。 周溝は全体に不整形。 墳頂平坦面の直下に墓壙が2段に掘り込められてある。 棺は組合式木棺で下段墓壙の底に置かれて、 棺の両端には大きな白色粘土の塊が据えられていた。 埋葬部から 銅鏡1面・ヤリガンナ1・棺財・赤色顔料(水銀朱・酸化鉄)、 墳頂部から 土師器(二重口縁壺・高杯・器台)などが出土 4世紀後半の築造と推定されている。銅鏡は市の有形文化財(考古資料)に指定されている。 平成11年(1999年)調査。 (説明板から) |
桜井古墳群7号墳 墳丘 史跡公園となっている。 |
高い所にある桜井古墳や7号墳は無事だったが、北側の道路までは津波が来たようだ・・・・・。
真野古墳群 一部が国史跡 |
南相馬市原町区寺内・小池ほか 撮影日2013/10/4 |
真暗になってしまったが、鹿島区の真野古墳群を探しに行く。
17時30分、真野古墳群の案内板を見つける。
真野古墳群案内板
農村公園入口にある。
真野古墳群については、旅に出る前には、はっきりと場所が特定できていなかった。
帰ってから、インターネットで検索したら、南相馬市HP(だと思う)の真野古墳群マップが見つかった。
真野古墳群 配置図 マピオン地図を引用 させていただいた。 真野古墳群は、南相馬市の北に位置する鹿島区に分布している。 真野川の西岸に広がる比較的平坦な低丘陵上に築かれ、A地区とB地区に分かれている。 前方後円墳や円墳からなる群集墳で 5世紀〜6世紀中ごろ(古墳時代後期)の築造と推定されている。 調査では、全国でも数点しか出土していない金銅製双魚袋金具が出土している。 現在は2つの地区合わせて約120基が確認されている。 その内、比較的状態のよい古墳については国史跡となっていて、 A地区で26基、B地区で14基が国史跡となっている。 A地区 (南相馬市鹿島区寺内)には、2基の前方後円墳と100基の円墳がある。 2基の前方後円墳は全長25m前後の古墳 円墳は直径21mの古墳が最大で、ほとんどが直径10〜20mの墳丘 埋葬施設は、竪穴状や横穴状の石室をもつものや 割竹形木棺や箱式石棺をもつものなどが調査されている。 出土物は、直刀や金銅製双魚袋金具、馬具などの鉄製品や金銅製品、 勾玉、ガラス玉、石製模造品、6世紀の土師器など。 6世紀の築造と推定されている。 (南相馬市HPから) |
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「史跡真野古墳群A地区70号墳 鹿島町教育委員会(平成5年10月設置)」 と書かれた標柱が立っている。 農村公園内に保存されている。 |
A地区74号墳 農村公園の西にある。 文化庁の補助で、墳丘が全面復元されたそうだ。 |
B地区 (南相馬市鹿島区小池)は、19基の円墳で構成されている。 直径10m前後の円墳が多く、周溝がある。 埋葬施設は、A地区同様多様な形態が確認されている。 出土は、鉄製馬具や青銅製馬鐸、6世紀の土師器など 6世紀中ごろの築造と推定されている。 |
暗くてどこにいるかもはっきりしないが、真野古墳群のあたりには
仮設住宅がたくさん建っている。
原発事故が無ければ・・・・と、切実に感じる。
さて今夜の宿泊は福島西インターそばのチサンインなのだが、
真暗になって、あの曲がりくねった狭い道を戻るのは大変。どうしよう・・・・。
道の駅はもう閉店、コンビニできいたけどよくわからず・・・・
結局、午後6時55分、閉店間際のガソリンスタンド(ENEOS原町北長野SS)で、
ガソリン補給しながら教えてもらったのが、正解だった。
(この時点で、自宅から1248km走った、スゴイ!)
主要地方道12号線をひたすら行けば、福島に出るという。
確かにこの12号線は、割とまっすぐで道も広い。
(南相馬に行く時に通った道は一体なんだったのか?)
道なりに進み、
20時15分、福島松川ETCインターから1区間だけ、東北自動車道に入り、福島西インターへ。
20時40分、すき家「115号福島方木田店」にて、ようやく夕食
21時5分「チサンイン福島西IC」にチェックイン。
福島県の浜通りと中通りは、行き来が大変だというか、別の地域だと実感した。
福島二子塚古墳につづく。