東北の旅その12
五日目@
福島市から大玉村へ撮影日2013/10/1〜6
東北の旅5日目に入る。
「チサンイン福島西インター」で朝食後、8時15分、出発。
福島二子塚古墳 | 福島市二子塚字稲荷前 撮影日2013/10/5 |
福島西ICから北東に約3km。 8時24分 着。
地名が二子塚。 詳細不明。
古墳のはずだが、インターネットで検索しても、何もわからない。
福島二子塚古墳 円墳と考えられている。 二子塚稲荷神社となる。 |
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鳥居の向こうに墳丘 南東側に鳥居と石段がある。 |
墳丘脇を見ると、 前方後円墳に見えてしまう・・・ |
墳頂へつづく石段 |
墳頂の稲荷神社社殿 |
福島愛宕塚古墳 | 福島市二子塚字稲荷前 撮影日2013/10/5 |
福島二子塚古墳のすぐ南に古墳状の高まりがある。
愛宕塚といわれている。詳細不明。
昭和32年から平成14年まで、簡易水道施設があったという記念の石碑が上がり口に立てられているが、
現在、墳丘上は公園になっている。
二子塚から見た愛宕塚 |
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墳丘東側の上り道 |
西側の墳丘 |
墳丘上の様子 お地蔵さんがいる。 |
でもこの愛宕塚は、古墳とは認められていないとか・・・・。
二子塚と愛宕塚の二つで二子塚だともいわれているとか・・・・?
(福島)稲荷塚古墳 | 福島市下鳥渡字稲荷塚 撮影日2013/10/5 |
福島西ICの近くに2基の古墳がある。その1基。 8時55分 着。
稲荷塚古墳は 帆立貝式古墳。 次に見学する八幡塚古墳と同規模の古墳と見られている。 周辺で出土した須恵器などから5世紀頃の築造と推定されている。 詳細不明。 |
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稲荷塚古墳 東から見た墳丘 墓のある所(東側)が、前方部だそうな・・・。 |
稲荷塚古墳の墳頂には小さな社殿がある。 |
下鳥渡八幡塚古墳 シモトリワタハチマンヅカコフン |
福島市下鳥渡字八幡塚 撮影日2013/10/5 |
稲荷塚古墳の北約200m。会社の駐車場の中に残る墳丘。
小さな簡単な説明板がある。
下鳥渡八幡塚古墳は 全長45.5mの帆立貝形古墳 、円丘部径36m (現在は径約17m、高さ約5mの円墳状になっている。) 周溝がある。円筒埴輪や朝顔形埴輪、 5世紀終わり〜6世紀初めの築造と推定されている。 詳細不明。 |
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東側から見た墳丘 |
墳頂には小さな石祠 北側から見る |
南下する。
9時15分 福島西ICから東北自動車道へ
9時29分 二本松ICから一般道。
次は大玉村の古墳見学。
傾城壇古墳 ケイセイダンコフン 県指定史跡 |
安達郡大玉村大字大山字愛宕・ 二本松市字峠 撮影日2013/10/5 |
北の上り口に駐車、案内の標柱があるが、説明板はない。9時45分 着。
二本松市と大玉村の境の山にある。
この辺りは、平地でも、標高200mほどある地形だが、古墳は標高280mの山頂にある。
傾城壇古墳は 全長41mの前方後円墳 後円部径27m 東西に主軸がある。西側に前方部。 採集された土師器などから4世紀後半の築造と推定されている。 中通り地方最古の古墳で、この傾城壇古墳から、 庚申壇・金山・谷地・産土・久遠壇古墳や、二子塚古墳に続いていくと考えられている。 (大玉村HPから) |
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後円部側 |
前方部(西)から後円部(東)を見る |
傾城壇古墳 左奥・後円部 右手前・前方部 |
庚申壇古墳 コウシンダンコフン 町指定史跡 (七ツ坦古墳群) |
本宮市本宮字竹花 撮影日2013/10/5 |
大玉村と元宮市の境の、国道4号線と東北本線の間の低い丘陵上にある。標高240m付近。
国道4号の交差点には、「天王壇古墳西400m 庚申壇古墳東100m」という案内板がある。
10時10分 着。
2009年8月の現説の資料がインターネットで公開されている。
庚申壇古墳墳丘図 (2009年8月の現説資料から) 墳長35.5mの帆立貝形古墳 後円部径32m・高さ5m テラス幅1.4m 前方部長さ5.4m・前方部前端幅17m・高さ2m くびれ部幅15m 墳丘南側に幅6mの周溝がある。 周溝は全体をめぐっていないと考えられる。 墳丘上段斜面全体に葺石がある。 埴輪(円筒・朝顔形埴輪)がある。 後円部頂に並列するがある。 南側の第1主体部は、大きさの異なる3種類の河原石と粘土を用いて舟形木棺を包む礫槨。 鉄製品(鉄鏃・鉄剣・帯金具など)が出土している。 北側の第2主体部は、粘土槨(長さ2.7m・幅1m) 5世紀前葉の築造と推定されている。 前方部が削られてかなり短くなっていると考えられている。 1960年代後半に測量図作成のための調査 2007〜2009年には、福島大学による調査が行われている。 |
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古墳のある山の西側に大きな説明板がある。 |
後円部 川原石を使った葺石も見える。 |
墳頂の石塔 左から「十九夜供養」「弁財天」「庚申供養塔」と 刻まれている。 |
後円部から前方部を見る 前方部は北東の方向にある。 分かりにくい。 |
七ツ坦古墳群 |
庚申壇古墳の周辺には、 |
金山古墳 (七ツ坦古墳群) |
安達郡大玉村大山字宮ノ下 撮影日2013/10/5 |
庚申壇古墳から西へ300m、本宮町との境界すれすれにある。10時20分 着。
説明板はない。
南からみた金山古墳 径30mほどの円墳と考えられている。 円筒埴輪・朝顔形埴輪・家形埴輪が出土 詳細不明。 |
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北東から見る。 墳裾は墓地。 |
墳頂 大神堂と刻まれた石碑と小さな祠。 |
天王壇古墳 市指定史跡 (七ツ坦古墳群) |
本宮市本宮字南ノ内 撮影日2013/10/5 |
金山古墳東方100m、同じ丘陵上にある。標高240m付近。
天王壇古墳平面図 (説明板から) 径約38m・高さ約4mの円墳。 古墳の西側には長さ3m・幅約5mの造り出しがある。 墳丘の周囲を幅約6mの周溝がめぐる。 1982(昭和57)年の発掘調査で、周溝内外から埴輪棺(国内最北の発見例)4基のほか 円筒埴輪や朝顔形埴輪、形象埴輪が出土。 種類は、甲冑形、女子人物(巫女)、鳥形、きぬがさ形、樽型、はそう形、 犬形、猪形、埴輪壺、小形土製馬、小形土製鳥などがある。 円筒埴輪は、塚野目第一号墳から出土した埴輪と形や特徴が似ている。 5世紀後半の築造と推定されている。 江戸時代にも掘られ、鉄刀や玉類、石製模造品などが出土したという。 出土品は一括して1990(平成2)年に県の重要文化財(考古資料)に指定され、 埴輪は本宮町歴史民俗資料館で保管展示されている 墳丘上に牛頭天王をまつっていたので、天王壇と呼ばれている。 (説明板から) |
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北側に上り口がある。 |
墳頂には小さな社。 |
二子塚古墳 県史跡 (七ツ坦古墳群) |
安達郡大玉村大山字小次郎内 撮影日2013/10/5 |
天王壇古墳から北東に約800m。 10時40分 着。
平成4年に立てられた大きな説明板には
「葺石があるが、埴輪がない前方後円墳で周溝があり、6世紀末〜7世紀初めの築造と思われる」
と書かれている。
後世の耕作や墓地造営で大きく改変されている。
二子塚古墳墳丘図 説明板から引用したが、 消えている所もある。 全長52.6mの前方後円墳 後円部直径21.6m・高さ3.5〜4m 前方部先端幅15m・高さ3m 葺石あり 埴輪なし 6世紀の築造と推定されている。 とはいうものの、 規模の割に、葺石があるが埴輪がないという特徴から、前方後方墳とも考えられ、、 その場合、4世紀後半の築造ということとなる。 東から見た 二子塚古墳 左が前方部 右が後円部 昔から、二子塚地区には、 「ここに鍬を入れると疫病や大雨となる」と言い伝えられ、 地区民により大切に保存されてきた。 双子の死を悲しんだ母親が土を運び、一夜にして2つの塚を築いたという言い伝えがある。 (大玉村HP・説明板から) |
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南から見た二子塚古墳 手前が前方部で、後方に後円部がある。 |
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東側から見た前方部 |
東側から見た後円部 |
前方部墳丘 |
前方部から見た後円部墳丘 |
後円部から前方部を見る |
前方部から後円部方向を見る |
道でもつけようとしたのか、くびれ部が低くなっている。
順調に、見学が進む。まだ午前11時になっていない。
南下! 次は白河市へ
谷地久保古墳につづく。