山形県旅行記その2
南陽市・上山市・東根市2021/4/15~18
山形県の旅第一日目、午後の部です。
南陽市には多くの古墳が確認されている。
インターネット上に
「蒲生田山古墳群・総合公園内遺跡群発掘調査報告書」
「南陽市遺跡分布調査報告書7」
「南森測量調査報告書」
「山形県南陽市稲荷森古墳」
などが公開されているので、参考にさせてもらった。
狩野山古墳 国史跡 |
山形県南陽市竹原 撮影日2021/4/15 |
南陽市梨郷・竹原地区には、には、多くの古墳が確認されているようだが、見学できるのかどうかがわからない。
唯一見学できそうな「狩野山古墳」を選び見学。
竹原にある全城院の裏山になる。
インターネット上に
「南陽市遺跡分布調査報告書(7)(平成31年)」が公開されているので参考にさせてもらった。
狩野山古墳踏査範囲図
「南陽市遺跡分布調査報告書(7)」から
最近新しく確認された墳丘
梨郷神社の東側にある竜樹山遊歩道入り口から山に登る。
すぐに着くかと思ったらこれがなかなか遠い…。
狩野山古墳は 尾根頂に石祠(虚空蔵神社)があり、 平坦面はおおむね円形で、西側に一段下がって平坦面が延びている。 西側に前方部がある前方後円墳の可能性があり、 前方後円墳だとすると、全長34mの前方後円墳となる。 (「南陽市遺跡分布調査報告書(7)」から) |
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竜樹山遊歩道入口 |
入口階段の上にある鳥居 |
後円部を見上げる |
後円部頂 虚空蔵神社の石祠 |
後円部から前方部を見る |
前方部から後円部を見る |
南陽市の主な古墳時代の遺跡 (稲荷森古墳の説明板に加筆)
● 古墳・周溝墓
■ 古墳時代の遺跡
稲荷森古墳前の説明板を
見やすく修正した。
この図には、狩野山古墳は書かれていないが、竜樹山古墳群の中に含まれるのか?
梨郷神社 |
山形県南陽市竹原 撮影日2021/4/15 |
狩野山古墳の西麓にある立派な神社!
梨郷神社(リンゴウジンジャ)は 明治43年、砂塚の塩釜神社に、梨郷の正八幡神社、和田の宮ノ浦神社、八千鉾神社、 竹原の稲荷神社の四神社を併合して、村社梨郷神社が生まれた。 大正7年に現在地に移築。 昭和46年からは、金比羅、毘沙門天の講を組んでいて、 各地から信仰団体の参拝が行われている。 (由来説明板から) |
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鳥居 |
参道 |
社殿 |
社殿うしろには、境内社が並ぶ。 |
梨郷神社参道入口に、
「正元元年大日板碑(ショウゲンガンネンダイニチイタビ)」(県文化財)があったらしいが、見てこなかった…。
高さ257cm、正元元年(1259年)の銘は県内最古といわれる板碑。
稲荷森古墳 国史跡 |
南陽市長岡字稲荷森 撮影日2021/4/15 |
復元整備されて史跡公園となっている。昭和55年に国指定
インターネット上に
「稲荷森古墳 史跡整備に係る昭和年度発掘調査概報」(1988)
が公開されているので参考にさせてもらった。
稲荷森古墳は 全長96mの前方後円墳 山形県では、最大の古墳 後円部直径62m・高さ9.6m 前方部長さ34m・幅30m・高さ4m くびれ幅25m 前方部1段、後円部は3段築成。 葺石・埴輪・周濠は確認されていない。 内部構造や副葬品は不明だが、木棺直葬と考えられている。 後円部東北墳麓から底部穿孔土師器壺が出土。高杯型土器も旧墳丘から出土した。 墳丘形態や出土した土師器から、4世紀後半の築造と推定されている。 |
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稲荷森古墳実測図 (昭和60年度作成) (発掘調査概報から) |
整備工事開始時の墳丘 (説明板から) |
出土した高坏形土器 (説明板から) |
出土した祭祀用土器 底部穿孔土器 (説明板から) |
横姿 |
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前方部から後円部を見る |
後円部頂 |
後円部から前方部を見る |
前方部脇から後円部を見る |
国史跡「稲荷森古墳」の南に、前方後円墳のように見える地形・南森古墳がある。
稲荷森古墳と南森古墳(遺跡)の位置関係
(南森測量調査報告書(平成29年)から)
長岡南森遺跡 南森古墳? |
南陽市竹原 撮影日2021/4/15 |
長岡南森遺跡は、現時点で山形県最大とされている稲荷森古墳(全長96m)の南東約130mに位置していて、
前方後円墳ではないかと考えられて、2016(平成28)年度から調査されている。
今年2021年も、調査が行われて、
南陽市教育委員会が7月14日に、今年度の発掘調査結果の説明会を開いたと、ネットニュースで見た。
南西部の調査地点から丸みを帯びて円弧を描く斜面が出土し、後円部に相当する可能性があるという。
南森古墳?は 墳丘長は150~168mと推定され、 168mであれば東北最大の雷神山古墳(宮城県名取市)に並ぶ。 4世紀後葉以前の築造と推定され、稲荷森古墳に後続すると考えられている。 |
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(朝日新聞デジタルニュースから 2021/7/15) 2018年度から発掘調査を始め、これまでは前方部にあたる北部を調べた。 その結果、段状の地形やテラス状の面、 前方部と後円部の境にあたるくびれ部に相当する地形が出土した。 また、古墳時代の祭祀用の土器などが多数出土しており、 古墳とみられる「状況証拠がそろってきた」という。 今年度の調査地点は、戦後に畑などにするために重機を使ったとみられる地形の改変が多く、 調査に苦労したという。 それでも、後円部に相当する地形のほか、 古墳時代の祭祀で供え物を載せたとされる土器の「器台」が出土するなどした。 市教委は「出土した斜面は円弧を描く傾向があり、丸い地形だった可能性がある。 夢が広がる内容だ」と説明した。 当初は来年度までの5年間の調査だったが、昨年度からコロナ禍で十分な調査ができず、 「調査にあと2、3年かかりそうだ」という。来年度は南東部を調べる予定。 同遺跡は縄文時代から中世までの遺跡で、 今回、縄文時代の「石冠(セッカン)」と言われる石器が、南陽市内では初めて出土した。 石冠の用途は「不明」という。 「西」の字が刻まれた平安時代の土器も出土し、当時の役人がいた可能性があるという。 コロナウイルス感染拡大防止のため、昨年度に続き、今年度も一般向けの現地説明会は開催しない。 |
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東から見た南森古墳 左後円部 |
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後円部 |
後円部頂にある神社鳥居 |
後円部にある神社社殿横から 前方部方向を見る 「庚申塔」と刻まれた石碑が立つ。 |
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前方部 |
前方部先端? |
でも、いまだに古墳だという決定的な証拠が出てこないという…。
二色根古墳群 県指定文化財 |
南陽市二色根 撮影日2021/4/15 |
二色根の薬師寺そばに二色根古墳群の案内板。
インターネット上に「第8回企画展図録 やまがたの古墳とその時代(1999)」が
公開されているので参考にさせてもらった。
二色根古墳群は 二色根山の南斜面に分布する円墳群。3基が現存。 横穴式石室から銀環や鉄鏃、帯金具、銅銭、土師器、須恵器などが出土した。 昭和6年(1931)に発見され、昭和8年(1933)に発掘調査 かつては6基あったが、現在3基残されている。 |
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薬師寺前のきれいな案内板 |
案内図 (案内板の内容に加筆) |
薬師寺に駐車しようと思ったが、薬師寺から徒歩だとかなり時間がかかるので、
行けるとこまで車で突っ込む。
新幹線の線路そばにも説明板。
新幹線そばの説明板 1号墳 直径4~5mの円墳 竪穴式石室がある。 出土物はない。 2号墳 径10mの円墳 横穴式石室がある。 和同開珎や土器、鉄製品などが多数出土 3号墳 径10mの円墳 横穴式石室がある。 鉄鏃が少数出土している。 (説明板から) |
二色根古墳群上り口
二色根1号墳 | |
径4~5mの円墳 説明板には1号墳は竪穴式石室とある。 長さ2m・幅1.05mで、切石風の石材 8世紀前半の築造と推定されている。 |
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南(ふもと側)から見た墳丘 |
石室 |
竪穴式だというが、横穴式石室にも見える |
北(山側)から見た墳丘 |
二色根2号墳 | |
径10mの円墳 横穴式石室が露出している。 横穴式石室実測図 (企画展図録から) 長さ2.4m・幅1.3m 奥壁は上下二段。 側壁には持ち送りがある。 |
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ふもと側から見た墳丘 |
石室 |
側壁は持ち送り? |
山側から見た墳丘 |
二色根3号墳 | |
径10mの円墳 横穴式石室が露出。 長さ2.4m・幅1.3m 奥壁は下段の石材のみ残る。 |
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墳丘 |
石室 |
側壁は2段、奥壁は1段残っている。 |
山側から見た3号墳 左奥は2号墳 |
薬師寺 | 南陽市二色根 撮影日2021/4/15 |
二色根古墳群の入口というべきところにある。
薬師寺は 滋賀県の天台宗比叡山延暦寺を本山として、 天安2年(858)、同寺の高僧慈覚大師の創建といわれている。 古くから赤湯温泉の湯神として尊信されている。 薬師如来は、人々の苦悩や畏れをいやし、病苦から救う仏。 本尊の秘仏・石造薬師如来像の御前仏である木造薬師如来座像は、県指定文化財。 高さ87.7cm。挙げた右手は人々の恐れを去らせる意味を表している。 左手の薬壺は病苦から救うことを示す。 平安時代後期の藤原様式によるものだが、 制作時期は、12世紀後半(平安時代末期~鎌倉時代初期)と考えられている ほかに「蒔絵絵馬」(県指定文化財)も所蔵されている。 |
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参道 |
本堂 |
慈覚大師像 |
かわいいお地蔵さんがずらりと並ぶ |
蒲生田山古墳群 | 南陽市上野字山居沢山 撮影日2021/4/15 |
ハイジアパーク周辺にある。
なんと!ハイジアパークは、2021年3月31日で閉園となっていた。
インターネット上に、「蒲生田山古墳群 総合公園内遺跡 発掘調査報告書(平成24年)」
が公開されているので参考にさせてもらった。
蒲生田山古墳群配置図 (報告書から) 1号墳は、 昭和43年に南陽市指定文化財となり整備保存されている。 周辺には4~8世紀の古墳が多く分布していたが、 現存するのは1号墳と南西にある2号墳(山の神神社)のみ。 3号墳・4号墳は ふるさと創生事業の一環として計画された「ハイジアパーク」建設事業にともない 平成2年度に緊急発掘調査され、記録保存となり、その後消滅した。 発掘中の3号墳・4号墳 (報告書から) その奥に1号墳 手前には2号墳 この2基は、葡萄畑となっていたため、 墳丘は大きく破壊されていた。 2号墳は現状保存とされて、確認調査と地形調査が行われた。 |
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3号墳(消滅) 蒲生田山の尾根筋、標高約295mに位置する。 全長28.8mの前方後方墳 前方部を山麓方向南西に向けている。 周濠は墳丘を全周する。 墳丘は削られている。 土師器のと土師器壺、壺などが周濠から出土している。 鉄製品も4点出土している。 土師器底部穿孔壺 3号墳周溝から出土 (報告書から) |
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4号墳(消滅) 3号墳の南約48m、山の下手に位置する。標高287m 全長29mの前方後方墳 前方部を山頂方向北に向けている 周濠は前方部は全周しているが、後方部ではがけ面で断絶している。 (周濠を掘らずに崖面を利用か) 西側くびれ部周濠内の高まりに土坑があり、その中央に土師器壺が配置されていた。 土師器底部穿孔壺、小型器台などが周濠から出土している。 (報告書から) |
1号墳と2号墳は現存している。
1号墳はハイジアパーク建物の奥にある。
1号墳(蒲生田山古墳) | 市指定史跡 | ||||
3号墳から北東に約40m、標高287mに位置する。 長径8.4m・短径8m・高さ3mの山寄せ式円墳 横穴式石室は、長さ200cm・幅117cm・高さ155cm 石材は凝灰岩、奥壁は大割石の2段積み、側壁は平割石を使っている 8世紀代の築造と推定されている。 別名「エゾアナ」とよばれている。
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整備された1号墳 |
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石室開口部 |
奥壁 |
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石室内部から開口部を見る |
北から見た墳丘 |
2号墳は、ハイジアパークの駐車場の中に高台として残っている。
蒲生田山2号墳 | |
蒲生田山の尾根標高280m、4号墳から直線で南40mにある。 墳頂に山ノ神神社の祠などの石塔が数基安置されている。 全長27mの前方後円墳と考えられている。 前方部長さ10.4m・幅9.5m 4世紀代の築造と推定されている。 2号墳地形図 北側に前方部があったとされるが、 著しく改変を受けている痕跡があり、 形状は不明確な部分が多い。 周濠は墳丘西側は確認できるが、 東側は崖に面しているので 存在しないのではないかと考えられている。 遺物は出土していない。 |
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駐車場から後円部に上がる道(参道)がある。 |
後円部からふもとを見る |
墳頂には、石塔がいくつか立てられている 奥に前方部があるはずだが、よくわからない。 |
駐車場から見た墳丘 右側に前方部!? |
ハイジアパークは、来年(2022年)、「四季南陽」として生まれ変わるそうです!
土矢倉古墳群 県指定史跡 |
上山市金谷土矢倉307-1 蔵王長寿園内 撮影日2021/4/15 |
蒲生田山古墳群から北東へ約15km、
上山市の老人ホームの敷地内に前方後円墳1基と円墳2基が保存されている。
老人ホームの方に了承を得て見学する。
平成2年に設置された説明板があるが、かなり見にくくなっている。
土矢倉古墳群は老人ホーム長寿園敷地内にある。 蔵王泥流層によって形成された台地上に東から西へ 1号墳(円墳)・2号墳(前方後円墳)・3号墳(円墳)と名付けられている。 土師器や須恵器の破片、鉄鏃、直刀片、漆塗りの編物片などの副葬品が出土した。 6世紀後半の築造と推定されている。 土矢倉古墳群の形式、規模等の比較表 (説明板から)
1号墳・3号墳の周溝を砂利敷きとして表し、2号墳は一部砂利敷きとした。 |
土矢倉1号墳 | |
底径13mの円墳 高さ2.5m 長軸方向は東西 葺石あり 周溝は 内径17m・幅2.1m深さ0.4m 内部主体は石槨(竪穴式)で、 柱状節理による石英粗面岩を立て並べて側壁をつくり、 4枚の平石をかぶせて蓋とした箱式石棺で、長さ2.8m・幅0.57m・深さ0.40m 内部は白粘土で化粧し、その上に朱が塗られている。 土器、鉄製品、編物などが出土 埴輪は、墳頂周辺や裾部、空堀的な周溝内に立て置かれたものと考えられている。 |
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円墳で周溝がある。 |
石室が見える。 |
石室が青く見えるのは、 光が反射しているだけ |
石室内部 きれいな箱式石棺だ! |
1号墳の西、建物の後ろにあるのが2号墳。
土矢倉2号墳 | |
全長17mの前方後円墳 後円部径10.7m・前方部幅13.52m・高さ4m 長軸方向は、東西 葺石あり 円筒埴輪あり 周溝は、内径22m・幅3~4m・深さ1.2m 葺石あり 円筒埴輪あり 石槨は箱式石棺で、長さ3.63m・幅0.66m・深さ0.57m 2号墳は原形がすでになかったが、周溝から前方後円墳と推定されている。 |
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北から見る |
西から見る |
最も西側の一段低いところにあるのが3号墳。
土矢倉3号墳 | |
底径15.2mの円墳 内径19m・幅1.7~2.4m・深さ0.7m 長軸方向は、北西-南東 葺石・埴輪が認められる。 内部主体は破壊されていたが、 箱式石棺とみられ、長さ2.00m(?)・幅0.69m(?)・深さ0.3m(?) |
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東から見る 一段低いところにある |
西から見る |
5時少し前だが、今回の最北の見学地、東根市の大塚古墳まで行くこととする。
山形市青田のコスモ石油でガソリン給油、ヤマザワ長岡店で休憩を取り、
目的地に着いたのは、 6時少し前…暗くなる…。
大塚古墳 | 東根市温泉町2-15-1 北村山公立病院内 撮影日2021/4/15 |
病院の敷地内に大きな方墳が保存されている。
東根市教育委員会の案内板が、令和2年に設置されているので、市史跡かもしれない。
北村山公立病院のホームページには「大塚古墳とピポクラテスの木」のページがある。
地図g
大塚古墳は 1辺約30mの方墳 高さ約4~5m。 幅約10mの周溝がある。 葺石なし 埴輪なし 埋葬施設は未調査 墳丘内から古墳時代の4世紀末から5世紀代の土師器が出土。 1969年(S44)、病院の建築用地決定に伴う事前発掘調査が行われて、 山形県で初めて周溝を伴う方墳であることが確認された。 大塚古墳実測図・トレンチ配置図 (説明板から) 1988年(S63)、 病院増改築工事を行う際、古墳の周溝の一部はすでに東棟の建物の下になっていたが、 東根市教育委員会より現状のまま保全するよう申し入れがあり、 以後は工事など手を加えることなく大切に管理している。 |
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病院の駐車場に保存されている 低い墳丘 もう少し高さがほしいかなー! 古墳には見えない 発掘当時は、山形での方墳の発掘事例はなくて重要な発見だったが、 今は置賜盆地に多くの方墳が発見され、初期の墳墓形態と考えられている。 |
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南東から見る |
南西から見る |
日暮れ前に何とか見学できた。
この大塚古墳は、「山形県の歴史散歩」で紹介されていて、あこがれていた古墳だった。
今夜は天童リッチホテル
夕飯は近くの「なか卯」のとなりの「ABC食堂天童店」にて
山寺につづく