東北の旅その4
二日目B
御山古墳から撮影日2013/10/1〜6
2013年10月2日 東北二日目、夷森古墳などを見学して、色麻町・御山古墳へ。
細かい雨が降りったやんだり・・・・・・・・。
御山古墳(伊達神社) オヤマコフン(イダテジンジャ) |
宮城県加美郡色麻町四竃 撮影日2013/10/2 |
13時45分 着。 墳丘に、伊達神社がある。
御山古墳は 径50m・高さ6mの円墳 墳丘中腹から2列に並んだ円筒埴輪が発見された。 未発掘なので、詳細は不明。古墳時代中期の築造と推定されている。 経塚として再利用されていたと考えられている。 墳頂の伊達(イダテ)神社は、「延喜式」式内社で、 播磨国飾磨郡印達郷(シカマグンイダテ)の射楯神社(兵庫県姫路市)を勧請したと伝えられている。 江戸時代には伊達氏を憚って「香取様」とよばれた。 |
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南から見た御山古墳 高い墳丘 |
御山古墳 上り口 山門のような建物をくぐり、墳丘に上がる。 |
御山古墳 石段を上がる |
御山古墳 墳頂から墳裾を見る |
御山古墳の上にある伊達神社 |
御山古墳 墳頂の大イチョウ 地面はイチョウの葉と銀杏でくちゃくちゃになっている。 |
雨で、やはり写真が暗いなぁ・・・・・・。
色麻古墳群 | 宮城県加美郡色麻町四竃 撮影日2013/10/2 |
色麻古墳群は、町役場の南西400m、花川沿いの水田地帯に、 東西1.2km・南北1.4kmの範囲にある。
推定500基の小円墳があった。
1950年の分布調査で240基が確認されたが、その後耕地拡張で多くが破壊された。
1982年の上郷支群での発掘調査では墳丘・石室・周溝などの遺構を163基分確認した。
古墳の径は5〜20mで周溝あり、河原石を使った横穴式石室を持つものが多い。
人骨の他、須恵器・土師器・金環などが出土。
7〜8世紀の築造と推定されている。
色麻古墳群 北側から水田を眺めたら、古墳らしいものがあったので、写真を撮る。 |
しかし、色麻古墳群の現状についての資料がなく、よくわからない。
ほとんどが埋没古墳らしい。
念南寺古墳 ネヤジコフン 県指定史跡 |
加美郡色麻町四竃字東原 撮影日2013/10/2 |
南の県道路沿いにある「念南寺古墳 これより800m」という案内板に従って脇道に入る。
次は「念南寺古墳 これより300m」という案内板に従って、未舗装路に入る。
古墳前には、駐車場と大きな説明板。 14時20分 着。
念南寺古墳実測図 (古墳辞典から)
全長54mの前方後円墳
後円部径37m・高さ7m 前方部長さ17m・高さ2m
周囲に幅8mの濠がめぐっている。
後円部上段斜面に葺石がある。埴輪あり(円筒・朝顔形・形象)
後円部から、埴輪列と家形石棺が出土した。
石棺は、身の長さ2.6m・幅1.1m・高さ0.5mで突起なし。
蓋は2対の円柱状の縄掛け突起が上向きにつく。
石材は地元の凝灰岩で、畿内の古式石棺とよく似ている。
5世紀後半の築造と推定されている。
念南寺古墳の周辺には、径10m・高さ3m前後の円墳22基が発見されている。
平成8年7月に、宮城県では、1906年以来93年ぶりに家型石棺が発見された。
(説明板・古墳辞典から)
念南寺古墳の墳頂にあったお堂は、 墳裾に下ろされている。 |
念南寺古墳 前方部から後円部を見る。 比高差が大きいなぁ! |
念南寺古墳 後円部頂 まん中の高くなっている所にお堂があったのかな? |
念南寺古墳 後円部から前方部を見る。 まん中が参道で削られている。 |
念南寺古墳のある丘陵の西端に、全長60mの前方後円墳・熊野堂神社古墳と埴輪窯跡があるというが
見学しなかった。
雨が本格的になってきた・・・・。雨というより霧かな・・・・。
幻想的な念南寺古墳だ。
山畑横穴群 国指定史跡 |
大崎市三本木蟻ヶ袋山畑 撮影日2013/10/2 |
山畑装飾古墳は埋め戻されている。古墳資料展示室も閉まっている。
山畑横穴群の大きな案内板 埋め戻されていて何も見ることができない。 |
山畑横穴群 崖の上に、横穴発見!詳細不明! |
山畑横穴墓群は、丘陵斜面に築かれた約25基の横穴墓群。 6世紀〜7世紀の築造と推定されている。 6号、10号、15号横穴で彩色による装飾がほどこされていた。 出土遺物は土師器や須恵器、鉄鏃、刀子など。 3基で確認された装飾は、 赤い顔料を用いて描かれた円文や、家屋を表現したと思われる線で構成されている。 |
見れないことはわかっていたが・・・・・さびしい。 14時45分 出。
鳥屋八幡古墳 トヤハチマンコフン 県指定史跡 |
黒川郡大和町鶴巣鳥屋字天ヶ沢山 撮影日2013/10/2 |
有名な古墳なのに、入る道がわからず、見学断念。
八幡神社が見つからなかった。
鳥屋八幡古墳は、標高約50mの丘陵尾根上に築造されたもので、現在2基が確認されている。
径14〜18m、高さ3m前後の円墳である。
昭和41・42年に調査が行われ内容が明らかになっている。
内部主体はいずれも横穴式石室で、玄室の平面形はともに胴張りの縦長で、玄門部に門柱状の大石を据える。
土師器・須恵器・現珀玉・金銅製品などが出土。
古墳時代後期の築造と推定されている。 (宮城県HPから)
後で調べたところ、・・・・・もう少し南に行けば、あったのかもしれない・・・・・・。
諏訪古墳 | 黒川郡大郷町粕川字丸山 撮影日2013/10/2 |
ヤフーの航空写真では、きれいな円墳が見えている。15時40分 着。
諏訪古墳 南から見る |
諏訪古墳 周堀の痕跡 |
諏訪古墳は 径30m・高さ4mの円墳 埴輪列は、墳頂部は正方形 その外側に円形で、墳裾に二重の列がめぐる。 円筒・朝顔形・壺形の埴輪が出土している。 幅3m・深さ1.2mのV字形の周堀がめぐる。 主体部は割竹形木棺を納めた上に粘土を詰めさらに白色粘土を置き、 その上に朝顔形や壷形の埴輪を立て並べている。 6世紀中ごろの築造と推定されている。(古墳辞典) |
このあと、個人のお宅の庭にあるという「山中古墳を探すが、特定できない。
ヤフーの航空写真で見ると、諏訪古墳の西に丸い地形があるが、遺跡地図とは位置が違う・・・・・。
鶉崎古墳群 ウズラザキコフングン |
黒川郡大郷町鶉崎 撮影日2013/10/2 |
鶉崎古墳群の場所もよくわからなくて、探しまわる。
今日はここで最後と決めていたので、とことん探そうと決める。
まず、道の駅おおさとに行って尋ねるが、
らちが明かず、大郷町役場へ行く。
役場には、遺跡についてわかる職員がいなかったが、
専門の職員がいるという「B&G財団大郷海洋センター」を教えてもらい、そちらに向かう。
そこで、職員の方に親切に対応していただき場所が判明、地図をコピーしてもらい、鶉崎古墳群へ向う。
探しまわったときに通ったところだが、墓地の奥にあるから、やはり聞かないとわからなかっただろう。
見つけるのに約1時間を要す。 16時50分 着。
5基あるが、番号はわからないので、大小寺古墳を1号墳として2〜5号として紹介する。
大小寺古墳(ダイショウジコフン)
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鶉崎古墳群(仮)2号墳 墓地から入るとまず目につく |
鶉崎古墳群(仮)3号墳 |
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鶉崎古墳群(仮)4号墳 |
鶉崎古墳群(仮5号墳 |
きれいな円墳に感動、探した甲斐があった!
大小寺遺跡 | 黒川郡大郷町鶉崎字大小寺 撮影日2013/10/2 |
地名が「大小寺」というところに、大小寺古墳があるかと思ったが、違ったみたいだ。
大小寺遺跡がある。詳細不明。
JA倉庫の横に標柱が立っている。
大小寺遺跡 標柱 |
大小寺遺跡 林の中には小さなお堂がある。 |
ここも古墳だという話もあるが、定かではない。
17時15分、見学を終え、本日の宿泊地松島町の「ホテル壮観」へ
17時40分 ホテル着。
ホテル壮観は大江戸温泉物語グループの朝夕バイキングの宿。
松島遊覧船乗船券付きのプランで予約した。
バイキングで好きな物を食べたいだけ食べ、明日に備える。
瑞巌寺へつづく