北村さんちの遺跡めぐり
掲載日2014/7/20

四国の遺跡めぐり
第9回 香川県その1
観音寺市
2014/4/20〜26

4月23日、4日目に入る。
愛媛県四国中央市の伊予三島駅そばの「ホテルリブマックス伊予三島」を、8時15分出発。
約30分で、香川県観音寺市大野原の大野原八幡神社に到着。


大野原八幡神社

神社所蔵の文書には、1682年造立とある。
本殿・随身門は市文化財となっている。

八幡神社の後ろにあるのは
椀貸塚古墳と岩倉塚古墳だ。
大野原八幡神社の周りに、横穴式石室のある古墳が4基あるが、中には入れない。
事前に連絡すれば、入れるのもあるらしいが・・・。

地図g

大野原古墳群 観音寺205市大野原町大野原
2014/4/23

大野原古墳群は、
古墳時代後期の6世紀〜7世紀初頭にかけて相次いで造られた
 横穴式石室をもつ
古墳(椀貸塚古墳・平塚古墳・角塚古墳)などにより構成されている。
八幡神社の本殿裏から南西一直線上に・岩倉塚・椀貸塚・角塚・平塚が点在ている。
4基の古墳は、いずれも横穴式石室がある。
椀貸塚古墳・平塚古墳・角塚古墳の保存・活用を図るため2006年度から継続的に調査を進められていて、
  何度か現地説明会が開かれているようだ。
「香川県指定史跡椀貸塚、角塚及び平塚古墳保存活用検討委員会報告書」(2009年)が
 インターネット上で公開されている。実測図やデータなどを引用させていただいた。

椀貸塚古墳  (県史跡)  観音寺市大野原町大野原
 羨道部を含めた墳丘の南西部4分の1を、八幡神社の本殿を建てた時に削り取られている。

椀貸塚古墳実測図
 右上は岩倉塚古墳


径37.2m・高さ7mの円墳
二重周壕と周堤があり、
墓域は径70mとなる。
 葺石あり
 南に開口する複室構造の横穴式石室は、全長14.7mの両袖式
  玄室長6.8m・玄室最大幅3.6m・最大高さ3.9m
  前室部長さ3.5m・幅2.4m・高さ2m  羨道長さ3.4m
  玄室は巨石を5段に積み天井石4枚  玄室の高さは3つの古墳の中で最も高い
 鉄製棺金具の破片が出土しているので、木棺があったと考えられている。
 椀貸伝説があるので、須恵器・土師器の出土があったともいわれているが、詳細不明。
 6世紀後半〜7世紀前半の築造と推定されている。
 2009年の墳丘確認調査で、 それまで不明だった横穴式石室の羨道の一部が確認された。
    (説明板ほか)


椀貸塚古墳 墳丘



石垣の向こうに小さな開口部
削られて石垣で固められている。

しゃがんでやっともぐれるだけの空間がある。
現在の開口部は前室部分の入口部分になる  

鉄骨だらけで見えない

羨道から外を見る

ようやく奥壁が見えた。
玄室の奥壁に平行して、
 幅1m・高さ0.3mの棺台と思われる
 石組があるというが、見えない。

  

 岩倉塚古墳
 墳丘頂部に岩倉大明神という祠が祀られている。
 大きく破壊されていて、原形をとどめていないが、径30mくらいの円墳か?
 横穴式石室は羨道部から玄門部にわたって破壊されているため、詳細不明
 玄室の全長4.5m・幅2.3m・高さ2.95m
 横穴式石室の奥壁は、母神鑵子塚と同規模であることから、
  それに匹敵する石室であると考えられている。

椀貸塚から東の方に行くと…石垣に石室→

横穴式石室の開口部

ようやく見えた石室内部

岩倉塚の今の墳丘  東から見る
左奥に椀貸塚
 椀貸塚古墳が岩倉塚古墳よりも先に造られたと推定されている。

大野原八幡神社の南西約500mのところに角塚古墳がある。

 角塚古墳 県史跡



角塚古墳実測図
 
一辺50m・高さ7.35mの方墳
 周壕がある

 南に開口している横穴式石室は 玄室玄室長4.4m・幅2.5m・高さ2.3m、
  羨道長5.4m、幅2.2m、高さ1.8mの両袖式
  玄室の側壁は1〜2枚の巨岩で築き、天井石4枚でおおっている。
  玄室の側面は巨岩を地面に対してほとんど垂直にたてている。
  玄室の高さは椀貸塚より低いが、土木技術は進展している。
 須恵器や鉄釘が出土。
 7世紀前半の築造と推定されている。
 椀貸塚古墳・平塚古墳・角塚古墳の中では、最後にきずかれた古墳と考えられている。
 2013年の調査で、一辺50mほどの四角錐の方墳だということが確実になった。



角塚古墳全景

横には墓地がある。

石室への上がり口

石室開口部 中には入れない・・・

石室内部

奥壁や側壁はほとんど1枚岩でつくられている。

角塚古墳の南約200mのところに平塚古墳がある。
角塚から平塚にかけての一帯は、大野原中央公園として整備されている。

 平塚古墳 県史跡


平塚古墳陣測図

径53m・高さ7mの円墳


神社の祭事場として
使用されていたため、
かなり改変されている。
墳頂が平らになっている。
 南に開口する横穴式石室は全長12.4mの両袖式
  玄室長7.2m・幅2.5m・高さ2.3m 羨道長5.2m・幅2.5m
  側壁をあまり持ち送らずに巨大な玄室を築いている。
  玄室、側面の巨岩は鉄ノミを使って整形した跡がある。
 須恵器が出土
 2011年の調査で 7世紀初めの築造と推定されている。  (椀貸塚の次)

平塚古墳

方向を変えて

墳頂の様子 

開口部

天井石が巨大

内部は鉄骨でよく見えない
 4基の巨石墳は、石室構造や出土した須恵器の年代からみて、
 椀貸し塚古墳・岩倉塚古墳・平塚古墳・角塚古墳の順に築造されたと考えられている。

横穴式石室が巨大だが、4基とも中に入れないので、大きさを実感できない・・・・。

母神鑵子塚古墳
母神山古墳群
観音寺市大野原町大野原
2014/4/23

観音寺市総合運動公園に母神鑵子塚古墳が整備保存されている。
ひさご塚古墳も、体育館の南東の林の中に残っている。

インターネット上では、母神山古墳群の発掘調査報告書が、いくつか公開されている。
  参考 「観音寺市内遺跡発掘調査概要報告書」(2004年)
      「上母神古墳群発掘調査報告」(1978年)
      「黒島林5・6号墳調査報告書」(1977年)

 母神山古墳群
  三豊平野のほぼ中心部にある母神山には、
   全長44mの前方後円墳のひさご塚古墳と、径48mの鑵子塚古墳を中心に、
     古墳時代後期(6〜7世紀)の古墳群が形成
されていた。
  母神山古墳群と呼ばれ、かつては70基以上が存在していたと推定されている。



母神山古墳群
 母神鑵子塚古墳付近の古墳
(見学した付近の地図)


ひさご塚古墳の西は
 上母神支群、
東側は三谷支群
上母神支群の北には、
 黒島林支群
 ●・・・現存している古墳
 ○・・・消滅したと思われる古墳
 G・・・上母神8号墳の石室移築地

駐車場のそばに母神鑵子塚古墳が保存されている。

 母神鑵子塚古墳  市史跡
 径48m・高さ6.5m以上の円墳   母神山古墳群の盟主的大円墳
 和泉砂岩を用いた複室構造の両袖式横穴式石室がある。
  石室全長9.82m最大幅2.55m高さ3.2m
 環頭太刀柄頭、三葉頭柄頭、銀製冠立飾、金銅製馬鈴などが出土
 6世紀後半の築造と推定されている。

母神鑵子塚古墳 復元された墳丘

石室天井はコンクリートで固められている。
柵があって、石室には入れない。

石室内部は、柵にカメラをつっこんで撮影!

母神鑵子塚古墳石室内部

母神鑵子塚古墳 なんとか、奥壁が見えた!

体育館の南側に上母神支群の1・2・3号墳が保存されている。
調査はされていないようだ。


上母神1号墳  

上母神2号墳  

上母神3号墳
通路に囲まれて島のように残っている。
 上母神4号墳は発掘調査されていて、その報告書には、
  「3号墳は、墳頂部に農道が通っていて、
   墳丘の隆起はほとんど見られず、石室石材が部分的に散見される」(1978年)
 と書かれている。

テニスコートの南の通路沿いに「黒島林14号古墳」が保存されている。

黒島林14号古墳  
墳丘らしいものはない。 石室か?
説明がなく、詳細不明。 

そばに13号墳があるはずだが見あたらない。
  (消滅?)
上母神8号墳の石室は移築保存されている。 地図では元の位置がG  移築位置がG

上母神8号古墳 
 墳丘径19m(推定)の円墳。、周溝を含めた墓域直径は27m(推定)となる。
 1つの墳丘に2つの横穴式石室がある
 発掘時には基底部が残存していた。

上母神8号古墳地形測量図  (平成8年度測量)
上が北となる。

第1石室は西北西、
 第2石室は東北東方向に開口
する。
 第1石室は 全長6.5m・玄室長3.4m・玄室奥壁幅1.6mの両袖式
 第2石室は   全長3.8m・玄室長2.6m・石室奥壁幅1.2mの両袖式
 2つの石室は同時に構築されたものと考えられている。
 6世紀末〜7世紀前葉の築造と推定されている。
 この東にはひさご塚古墳がある。
 本来の場所から北西30mのところに、石室だけ移築保存した。

8号墳第1石室

8号墳第2石室
 石室石材が、芝生の中に埋もれつつある・・・。

8号墳から東は林になっていて、その林の中にひさご塚古墳や三谷支群が現状保存されている。

 ひさご塚古墳

ひさご塚古墳地形測量図 
(昭和62年度測量)

全長44mの前方後円墳
 後円部径26m・高さ5.7m
  前方部18m・高さ5.1m
 墳頂部は標高約50m 
 墳丘東側から前方部北側にかけて、約3〜5mの周溝が認められる。
 最近の調査で、後円部南側でも周溝が確認されている。
  墳丘全体をとりまく周溝がつくられていたと考えられている。
 周溝内から須恵器、円筒埴輪片が出土している。

 
6世紀後半の築造と推定されている。   (昭和62年の調査から)

ひさご塚古墳
   前方部先端角より墳丘全体を見る


東方(右)に三谷支群
 西方(左)に上母神8号墳 がある。

ひさご塚古墳 前方部から後円部を見る

ひさご塚古墳 後円部から前方部を見る

ひさご塚の東方に「三谷1〜12号墳」がある。
元は「黒島林」支群と呼ばれていたが、地名に合わせ「三谷」と名前を変更したという。(2004年)
測量調査だけが行われていて、詳細は不明。
横穴式石室があるとすれば、石材があるはずだが、見当たらないようだ。

 三谷地区の古墳
 母神山古墳群の中で、最も集中して古墳が存在している。標高約50mに所在する。
 多くは盗掘や開墾による改変を受けている。
 地形測量調査だけしか行われていないので、埋葬施設や副葬品などは不明。


母神山古墳群(字三谷地区)
    地形測量図


   (昭和62年度測量)
 三谷1号墳   径17m(推定)の円墳 高さ1.4m(現存)
 盗掘坑がある。石材は確認できない
 三谷2号墳   径17m(推定)の円墳 
 盗掘坑がある。
 1号墳から南西方向へ約8m
 三谷3号墳 径22m(推定)の円墳
  高さ3.2m(現存)
 盗掘坑がある。
 ミニ四国八十八ヶ所の
  第65番札所となっている。


三谷3号墳 墳頂の盗掘坑?
 三谷4号墳   径18m(推定)の円墳
 盗掘坑がある。
 3号墳に接し少し高い位置にある。


4号墳
 三谷5号墳   径16m(推定)の円墳
 墳丘東側に周溝状の地形が一部残存している。盗掘坑がある。
 2号墳の北西約5mのところにある。
 三谷6号墳 径16m(推定)の円墳
 現存高さ2.4m。
 盗掘坑がある。
 3号墳から約7m、
 4号墳から約3m、
 5号墳から約6mのところにある。

6号墳 第64番 石鉄山 前神寺という標柱
 三谷7号墳   径13m(推定)の円墳
 墳丘の半分が失われている。盗掘坑がある。
 ひさご塚古墳に最も近く、後円部側の周溝から5mしか離れていない。
 三谷8号墳   径11m(推定)の円墳 高さは1mほど
 1号墳から北東に2.5mのところにある。
 三谷9号墳   径14m(推定)の円墳
 2号墳の南西側に山道をはさんである。
 三谷10号墳   前方後円墳としたら全長25m。 現存高さ2.6m
  墳丘の北側は後円部、くびれ部、前方部にかけてのラインが地形から観察できる。
 前方部の形が明確でないので断定しがたいが、前方後円墳の可能性が高い。
 墳丘南側はかなり削られている。
 三谷11号墳
 前方後円墳としたら全長18m

 墳丘の一部が削平されている。
 前方後円墳か双円墳の可能性が高い。
 ひさご塚古墳の北東側にある

三谷11号墳 左前方部 右後円部
三谷12号墳   径8m(推定)の円墳。高さは1m程度
 ミニ四国の第63番札所が設けられている。

ひさご塚や三谷地区の古墳群は、林の中にあって、いい写真はなかなか撮れないが、
見学はお勧めです。

延命古墳 三豊市豊中町神高野
2014/4/23

観音寺市総合運動公園から、車で約15分、近くまで行くと「延命院」の案内表示があるので迷うことはない。
台地にあるので遠くからでも寺が見える。

 延命古墳は、三豊市神高野地区の小さい台地の上にある。
 現在は真言宗延命院の境内の南面に位置。 土地の人は「延命の塚穴」と呼ぶ。
 径16mの円墳(周囲50m)で高さ4.2m
 南に開口する横穴式石室
は、入口の高さ・幅とも1.2mほどの片袖式(包丁式)
  玄室長さ2.35m・幅2.5m・高さ2.7m 羨道長さ1.8m、 天井石3枚
 6世紀後半の築造と推定されている。    (三豊市HPから)



延命古墳
全景


見晴らしがいい

延命古墳
墳丘上や周囲に色々なものが立てられている。

延命古墳 石室開口部

延命古墳 石室内部

延命古墳 石室内部から外を見る

   

今日は移動に時間を取られないので、まだ午前11時。これから善通寺市に向かう。


青龍古墳につづく

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