北村さんちの遺跡めぐり
更新日2026/5/27
| 2025年秋の旅その8 山口市2 |
撮影日 2025/11/22〜28 | |
2025/11/26、 5日目の午後、道の駅きららあじすで休憩の後、丸塚古墳群へ……
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丸塚古墳群 |
山口市阿知須 |
道の駅きららあじすの西の段丘上、南北に石室のある古墳が並ぶ。
もとはすぐそばまで海だったという。
| 丸塚古墳群は山口湾近くの段丘上に位置する古墳群 円墳7基が確認され、うち5基が保存されている。 横穴式石室がある。 1976・77・79年の調査時、 1・2・4号墳は径10mあまりの円墳、3・5号墳は墳丘消失 横穴式石室があり、いずれも複室構造で、全長が4〜5m未満の小型石室 副葬品として、高坏・杯・甕・平瓶・ハソウの須恵器と 刀子・鍍金の鋲などが出土したが、武器類は出土していない 各玄室長さの2倍が石室の長さになる 前室と玄室の間の玄門は、無袖型石室に形式的な玄門と羨道を取り付けた特徴がある。 6世紀後半〜7世紀にかけて築造・追葬されたと推定されている。 (古墳辞典・説明板から) 丸塚古墳群の配置図g |
群中では最も南にある5号墳から見学。大きな説明板がある。
| 丸塚古墳群5号古墳 | |
| 径13.4mの円墳 高さ5mほど 複室構造の横穴式石室がある 前室 長さ160cm・幅150cm・高さ(推定)150cm余 後室(玄室) 長さ248cm・幅210cm・高さ220cm 出土遺物は玉類や馬具、須恵器など。 6世紀後半の築造と推定されている。 丸塚地域で発見されている7基の横穴式古墳の内、最初につくられた古墳 昭和51年(1976)の発掘調査時、墳丘・石室ともかなり破壊されていた。 |
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![]() 5号古墳全景 |
![]() 5号古墳 前室の玄門の柱石が残っている |
![]() 羨道・前室はかなり破壊されている |
![]() 玄室(後室)内部 |
![]() もち送りっぽい天井 |
![]() 後室内部から後室玄門を見る |
![]() 前室から羨道を見る |
![]() 墳丘図 (説明板から) |
説明板から![]() |
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5号墳のすぐ北東に4号墳がある。
| 丸塚古墳群4号古墳 | |||
![]() しっかりした墳丘が残る!! |
![]() 石段があるが、墳頂部には何も無い |
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![]() 羨道部の石積みは後世のものか? |
![]() 前室の柱石の片方は折れている |
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後室の鏡石も巨石だが、左右の側壁の腰石には大きな切石が使われている
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![]() 後室から玄門方向 前室との境界石がある |
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3号墳は4号墳の北の林の中にあるらしいが、場所が特定できなかったので、見なかった。
2号墳は、5号墳の北約400mの道路沿いに案内表示がある。
大きな説明板がある。
| 丸塚古墳群2号古墳 | |
| 半径6〜7mの円墳 複室構造の横穴式石室がある 前室 長さ130cm・幅160cm・高さ150cm 後室 長さ220cm・幅170cm・高さ150cm 後室から外に向けて排水溝がある。 須恵器・土師器、馬の鞍の残片が出土 6世紀末に築造され、7世紀前半に追葬されたと推定されている。 |
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![]() 説明板の奥に石室が開口している |
![]() 石室入口 |
![]() 前室から後室を見る 内部が見えない |
![]() 近づいたら後室内が見えた |
![]() 後室奥壁 |
![]() 後室から入口を見る |
説明板から![]() |
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1号墳は、2号墳の北約500mの道路の西の山裾にある。
グーグルマップストリートビューで石室がかろうじて見える。民家の左の山裾
説明板はない。
| 丸塚古墳群1号古墳 | |
![]() 開口部 |
![]() 前室も残っている |
![]() 後室内部 小さめ |
![]() 後室から前室方向を見る |
![]() 1号墳から東を見ると山口湾 |
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兜山古墳 |
山口市秋穂二島 |
山口市の旧秋穂二島町の長浜半島の兜山に古墳がある。
兜山の上り口に説明板がある。駐車スペースは70m先という案内板もある。
兜山の頂上に兜山古墳があるが、上り道の途中に石棺らしきものが2つある。
2基の石棺が露出している。 ![]() 上り道の途中の黄色の鎖で囲われた所がある。手前に黄色の鎖 奥にも黄色の鎖がある。
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さらに上がると、兜山古墳へ至る手前の集石。![]() ここも何かあったのかもしれない。 |
頂上にあるのが兜山古墳
| 兜山古墳 | |||
| 直径約20m、高さ約3mの円墳 葺石あり 側石・小口石・蓋石ともに一枚石を用いた組合式箱式石棺があり、 石棺の内法は長さ約1.5m・幅約0.3m・棺床には白い円礫が敷かれていた。 石棺の内面には朱が塗られ、 若年女性の人骨が一体、二個の枕石で頭部を支えられた状態で埋葬されていた。 棺内から人骨左足側の側石に接して変形獣帯鏡が出土したほか、 棺外からは、蓋石の上面から鉄剣が、 人骨頭部側の小口石の外側から鉄剣・鉄刀子・鉄斧・鉄手斧・鉄鎌・鉄鍬先が出土。 5世紀後半の築造と推定されている。 昭和35年(1960)に発見され、発掘調査 |
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![]() 兜山古墳へ至る登り道 奥の頂上に兜山古墳 |
![]() 墳頂部 |
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![]() 箱式石棺 |
![]() 箱式石棺を方向を変えて見る |
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説明板から
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兜山古墳からの眺めは最高。霞んでいるのが残念……
![]() 西に見える「山口富士商ドーム」 |
![]() 北を見ると、「周防大橋」 |
![]() 南を見ると、この半島の先の岩屋の鼻 |
![]() 南東には、竹島が浮かぶ |
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山口県立山口博物館の屋外展示から |
山口市春日町 |
山口県立山口博物館の庭に移設されている遺跡の見学

山口博物館
| 蒸気機関車展示 | |
![]() |
![]() |
説明板から![]() |
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赤妻古墳の舟形石棺1基、箱式石棺1基が保存されている。
| 赤妻古墳 | ||||||
| 山口市赤妻町にあったが、1897・1908(明治30・41)に土取りのため破壊されて 現在肉眼では確認できない 墳頂部から1897年(明治30)に2基の箱式石棺、 1908年(明治41)に刳り抜き式舟形石棺が発掘されて遺物が出土した。
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| 赤妻古墳出土の箱式石棺 赤妻古墳箱式石棺は2基あるが、1基しか展示されていない どちらの石棺か、わからない
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| 赤妻古墳舟形石棺 県指定文化財 刳り抜き式の舟形石棺 石材は砂岩 全体の5か所に縄掛け突起がある 明治41年に出土した
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赤妻古墳箱式石棺の横に別の場所から出土した箱式石棺がある。
| 箱式石棺 山口市大内川向(オオウチカワムカイ)出土 |
![]() 12枚の板石を組み合わせて棺身とし、 4〜5枚の蓋石で覆われていた。 弥生時代の遺構と推定されている。 |
大坂城築城石材
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![]() きれいな切石 |
![]() 「一」と「〇」の刻印がある |
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| 貝化石などの展示 |
![]() |
![]() |
白石茶臼山石棺墓群が移築保存されている。
| 白石茶臼山石棺墓群 | ||||
1968年(昭和43年)、宅地造成の際に発見され、博物館の敷地に移築された。![]() |
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| A群 2・3・7号棺 墓域内で最も古い一群 石材も小さく、棺内に赤色顔料を伴わない 3号棺は幼児の埋葬施設で、棺内に小さな管玉が4点副葬されていた
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| B群 6・8・9号棺 A群に次ぐ形式で、石材はやや大きく、壁には赤色顔料が見られる
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| C群 1・4・5号棺 古墳出現期の様相を示す墳墓 棺も大きく、整った石材を用いている 継ぎ目は粘土で目張りされ、内壁には赤色顔料が塗られている 1号棺は地面からかなり露出して構築されていることから 比較的高い盛土があったものと推定されている
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| 白石茶臼山石棺墓群のコメントは現地説明板から引用 | ||||
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朝田墳墓群 |
山口市朝田・吉敷 |
国道9号線山口バイパスのトンネル上部の丘陵上にある。
山口県弓道場に駐車して、弓道場の裏側に行き、山口バイパスのトンネル上を横断する。
![]() 浅田墳墓群への上り道 |
![]() 到着! |
| 朝田墳墓群 | |
| 弥生時代から古墳時代にかけてのいろいろな形の墓が40基あまり集中している。 昭和50〜57年・昭和60年に発掘調査 トンネルを掘って道路を通し、史跡公園として保存されている。 公園の中の墓は、発掘調査の結果をもとにして復元したもので、本物の墓は地下に保存されている。 |
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浅田墳墓群 配置図 (現地説明板に加筆)![]() |
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![]() |
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![]() その後の調査では、他にも墳墓がみつかっている。 |
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| 弥生時代後期〜古墳時代前期 | 第1号石棺墓 第3号石棺墓 第5号石棺墓 第11号箱式石棺墓 第12号箱式石棺墓 第15号箱式石棺墓 第22号石棺墓 第18土壙墓 第24土壙墓 |
| 弥生時代終末期〜古墳時代初頭 | 第16号壺棺墓 |
| 古墳時代中期 | 第1号円形周溝墓 第2号円形周溝墓 第4号円形周溝墓 第5号円形周溝墓 第7号円形周溝墓 第8号方形周溝墓 |
| 古墳時代後期 | 第1号横穴墓 第2号古墳(横口式石室墳) |
| 第1号横穴墓 古墳時代後期 径10m・高さ1mの墳丘がある。 玄室、羨道および前庭部からなり、鉄器・土器が出土
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第8号方形周溝墓 古墳時代中期
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第7号円形周溝墓 古墳時代中期
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第4号円形周溝墓 古墳時代中期
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第11号箱式石棺墓 弥生時代後期〜古墳時代前期![]() |
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第12号箱式石棺墓 弥生時代後期〜古墳時代前期
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第5号円形周溝墓 古墳時代中期
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第16号壺棺墓 弥生時代終末期〜古墳時代初頭
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第15号箱式石棺墓 弥生時代後期〜古墳時代前期
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第2号円形周溝墓
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| 第5号石棺墓 弥生時代後期〜古墳時代前期 ![]() |
第1号箱式石棺墓 弥生時代後期〜?古墳時代前期 ![]() |
| 第3号石棺墓 弥生時代後期〜古墳時代前期 ![]() 手前が第3号石棺墓、奥は第2号古墳 |
第22号石棺墓![]() 歩道の下に保存されている |
| 第2号古墳 古墳時代後期 竪穴系横口式石室は、全長2.1m・幅1mの小形で、径6.6m・高さ1mの円墳 古墳裾には箱式石棺墓がある
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第18土抗墓 弥生時代後期〜?古墳時代前期![]() 石蓋土抗墓 |
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第24号土壙墓 弥生時代後期〜古墳時代前期
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第1号円形周溝墓 ![]() 手前が第1号円形周溝墓 奥は左から 第8号方形周溝墓、 第4号、第5号、第2号円形周溝墓 |
第6号円形周溝墓 ![]() 2基ありそうだが? 配置図には6号の表示しか書かれていない 遊歩道の下の方 |
| (参考) 古墳辞典の朝田墳墓群 |
| 低丘陵上に立地する墳墓群 土壙墓6・箱形石棺13・壺棺4・周溝墓7・台状墓1・石蓋土壙墓4・竪穴系横口式石室17・横穴墓からなる 弥生時代後期後半から古墳時代後期にかけての墳墓群 弥生時代後期後半 土壙墓がつくられ始めるが副葬品は少ない 弥生時代末期から古墳時代初頭 丘陵上の平坦面から南側緩斜面に箱形石棺と壺棺が出現 箱形石棺は成人用11 小児用2 壺棺は小児用 成人墓には鉄器・玉類が副葬されている なかでも13号石棺は鏡・鉄鎌・素環頭太刀・ガラス製小玉・貝製小玉が副葬されていた 古墳時代前期中葉から後半には、 周溝墓・台状墓・石蓋土壙墓が丘陵平坦面・南緩斜面、さらに北・東緩斜面につくられる 周溝墓はC字状の溝をめぐらし径8〜10mの墓域を画し、 内部主体は当初石棺であるが、木棺・土壙へと変わる 8号墓には盛り土がある。 武器・農工具・装身具が副葬されているが、後になれば少なくなり供献土器・墓前祭祀がみられる 石蓋土壙墓は小児用 古墳時代後期(6世紀前半) 横穴墓と竪穴系横口式石室がつくられる 横穴墓は、玄室、羨道および前庭部からなり、鉄器・土器が出土 径10m・高さ1mの墳丘がある。 竪穴系横口式石室は、全長2.1m・幅1mの小形で、径6.6m・高さ1mの円墳 朝田墳墓群は、集団墓の段階、特定個人墓の段階、家族墓の段階へという変遷が見られる 在地系墳墓から畿内景墳墓、九州系墳墓への移行・影響がみられる。 |
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広沢寺古墳 |
山口市黒川 広沢寺 |
広沢寺に古墳がある。
本堂東側の墓地手前右下に横穴式石室が開口している。
| 広沢寺(コウタクジ)古墳は 径12mほどの円墳 南西に開口する横穴式石室は、玄室長さ3.3m・幅2m・高さ2.3m 6世紀末〜7世紀前半の築造と推定されている |
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![]() 広沢寺 |
![]() 説明板の背後に墳丘 右下に開口している |
![]() 墳丘 |
![]() 開口部 |
![]() 奥壁は1枚岩 |
![]() 内部から開口部を見る |
説明板から![]() |
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![]()
午後5時20分を過ぎて、真っ暗だ。
今夜は新山口駅前の「ホテルアムゼ新山口 (山口市小郡高砂町)」に宿泊
1階にレストランがあるので、朝食夕食付きがうれしい
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女山古墳群 につづく