北村さんちの遺跡めぐり
更新日2026/5/6

 2025年秋の旅その7 
下関市2・山陽小野田市・宇部市・山口市
 撮影日 2025/11/22〜28

2025/11/26 5日目に入る。

「プリンスホテル下関」
パンとコーヒーの簡単朝食




8時前にチェックアウト。

下関市の地図g

工領古墳
市史跡

下関市松屋東町1丁目
撮影日2025/11/26

国道2号線工領交差点そばにある。古墳そばには駐車場もある。

 工領(クリョウ)古墳は古墳時代後期の円墳
 南東に開口する両袖型の横穴式石室は 奥行3.4m・幅1.9m・高さ2.05m
 2号墳は西側100m付近にある。

北から見る  手前駐車場

東から見ろ

石室開口部あたりには
いろいろなものが置かれている

祠の後ろに石室が開口している

大きなまぐさ石の下に横穴式石室

石室内部 柵があるので入れない
説明板から

   

王喜傍示古墳群
市史跡

下関市松屋東町1丁目
撮影日2025/11/26

国道9号線と190号線の分岐点のすきまをポケットパークのように使って古墳広場が作られている。
どの道を行けば古墳広場に行けるのか、そばまで行かないとわからない……
バイパス建設のため傍示古墳群の3、4、5号墳を移築。

 王喜傍示古墳広場
 下関市王喜地域と山陽小野田市埴生地域との市境にある傍示古墳群のうち3基を移築
 標高40〜50mの尾根の稜線上に現存する1号墳・2号墳を含めて7基の古墳が確認されている。
 3号墳・4号墳・5号墳の横穴式石室や墳丘から数多くの遺物が出土
 6世紀後半の築造と推定されている。
 平成16年(2004)に発掘調査、

左手前から 3号墳 4号墳 5号墳
古墳の向きや墳丘の高さは変わっているが、築かれた当時の姿が再現されている。
 王喜傍示古墳広場説明板から

配置図     左から  3号墳、4号墳、5号墳

  

 3号墳
 直径12mの円墳
 区画や盛土を保護する列石の一部が残る
 玄室は3基の中で一番小さく、床面には敷石が並べられていた
 羨道の中ほどに、板石と人頭大の石で石室をふさいだ跡が残る
 墳丘や周辺から須恵器と土師器が多数出土
 玄室から、鉄鏃2が出土
 埋葬に伴う祭祀が少なくとも2度行われたと推定されている。

全景

石室の天井や側壁上部の石は消失

石室内から羨道を見る
  説明板から

  

 4号墳
 直径14mの円墳
 墳丘は、3基のうち最も大きく、5号墳の墳丘の一部を削って、築いている
 石室の天井石は消失、玄室の側壁は大きい石の上に小さい石を積み上げている
 床面には敷石を並べ、奥壁の玉砂利の上に木棺を安置したと考えられている。
 羨道の玄室寄りに、板石で石室をふさいだ跡が残る
 墳丘や周辺から須恵器や土師器が出土
 玄室から 鉄鏃や弓金具などの武器や馬具が出土
 とくに直径約3cmの金銅製鈴2点は山口県内唯一の出土品

全景

石室の天井石は消失

玄門石は立派

石室内から羨道を見る
  説明板から

  

 5号墳
 4号墳の南東に接して築かれた築かれた直径13mの円墳
 墳丘は、尾根の地形を利用して、少ない盛土で大きく見せる工夫をしている。
 区画や盛土を保護する2段積みの列石の一部が残る
 4号墳を築くときに盛り土の一部が削られたことから、4号墳より古いといえる。
 石室は玄室入口の天井石が残っている
 玄室の床面には敷石を並べ、奥壁に沿った2個の大きな板石の上に木棺を安置したと考えられている。
 羨道の玄室寄りに、板状の石で石室をふさいだ跡が残る
 墳丘や周辺から須恵器を中心に多数の土器片が出土、
 細かく砕かれた壺などの出土位置や状況から、祭祀が行われたと考えられている。

全景

まぐさ石が残る

羨道から玄室をのぞく

玄室から羨道を見る

墳丘上から石室を見下ろす

奥壁上から石室を見下ろす
説明板から

説明板は、読みづらいので載せないでおこうかと思ったが、出土品の図が背景に描かれているので、
載せることにした。

長光寺山古墳
県史跡

山陽小野田市郡字弥ケ迫
撮影日2025/11/26

山陽小野田市の郡集落の西300mほどの道路沿いに駐車スペースが作られている。
(西側の道路からは行けないようだ)
「長光寺山古墳入口」の案内板から、30mほど登る。

長光寺山登り口

厚狭盆地を見下ろす
 標高約60mの丘陵頂部に立地。


 長光寺山古墳は 全長約58mの前方後円墳
  後円部径約38m・高さ約6m、前方部幅約26m・高さ約4m、
 2段築成で 円筒埴輪や家形埴輪、土師器が出土
 後円部墳頂には2基の竪穴式石室があり、いずれも割竹形木棺が納められていたと推定されている。
 三角縁神獣鏡3面や内行花文鏡1面、鍬形石、筒形銅器、巴形石製品、武器、鉄銛などが出土
  県の有形文化財・考古資料に指定され、厚狭図書館に展示されている。
 4世紀後半頃の築造と推定されている。

後円部 墳頂部 竪穴式石室が2基ある

手前の石室は開口している
背後に祠 その右にもう1基の石室石材がある

竪穴式石室 横に天井石が置かれている

石室内部

石室の右奥には、石が集まっているが、
葺石というわけでもなさそうだ

もう一つの竪穴式石室

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る
説明板から

 山陽小野田市・宇部市・山口市付近の地図g  

妙徳寺山古墳
県史跡

山陽小野田市郡
撮影日2025/11/26

長光寺山古墳の東約1.5km、国道2号線の脇に古墳公園として保存されているが、
 実は、西方隣接地から現在地に37m移築して保存したものだという!!
登り口に駐車スペースあり。
りっぱな説明板は汚れていて読みにくいので要点を記す。

 妙徳寺山古墳は 全長約30mの前方後円墳
  後円部径約20m・高さ約3m、前方部幅約13m・高さ約1.5m、
 葺石・埴輪は確認されていない。
 後円部中央に、未盗掘の石棺系竪穴式石室(下関産の玄武岩製)がある。
 捩文鏡1、刀子1、勾玉181(うち小型滑石製174)、管玉59などが出土
 前方部を取り巻く濠の底面から剣様の金属片が出土(槍か)
 墓道の側面や床面から土師器の壺と丹塗(朱色)の高坏も出土。
 部分的に残存していた人骨の鑑定結果や、
  副葬品に玉類が多く、鉄器が少ないところから埋葬者は女性の可能性が高い
 5世紀前半の築造と推定されている。
 平成12年に西方隣接地から現在地に37m移築保存した
 出土品は平成12年に県指定有形文化財(考古資料)に指定され、
   山陽小野田市立厚厚狭図書館に保管されている。
(以上 説明板から)

妙徳寺山古墳 下から公園を見上げる

案内標柱と説明板

妙徳寺山古墳 後円部と周濠

後円部から前方部を見る

竪穴系横口式石室

方向を変えて

妙徳寺山古墳 横から見る 左に後円部

ここには、古墳とは別に妙徳寺山遺跡があり、石棺が出土している。

 妙徳寺山遺跡出土の石棺
 長さ90cm・幅24〜10cm・深さ20cmの箱式組合型石棺
 蓋石は5枚

石棺

石棺模式図 (説明板から)
説明板から

  

仁保の上古墳
市史跡

山陽小野田市有帆
撮影日2025/11/26

駐車場完備。少し坂を上がったところにある。

 仁保の上古墳(ニホノウエコフン)
 墳丘はほとんど残っていないが、直径10mの円墳と考えられている。
 横穴式石室は、玄室の奥行約2.06m・幅約1.8m・高さ約1.6m。
 玄室はほぼ完全に残っている。
 須恵器の提瓶や高坏が出土
 6世紀末の築造と推定されている。
 現在室内には御大師(オダイシ)様が祀られていて、地元の人たちの信仰を集めている。

羨道はほとんど無くなっているが

玄室は完存している

玄室内には祠がある

御大師様がいらっしゃる

ドーム状の玄室天井

玄室内から入口を見る
説明板から

この古墳の上方には横穴墓がある。

 仁保の上古墳から一段上の横穴墓へ登る途中にあるお墓と石材露出 古墳跡
 仁保の上横穴墓は 花崗岩の山の斜面をくりぬいて造られた横穴墓
 6世紀末ころの築造と推定されている。
 玄室は約2mの正方形で天井は高さ1mの低いドーム形
 玄室の床には排水用の溝がある。
 羨道と墓道との境は自然石を積み上げて塞いである。
 出土した人骨や歯から家族4人の墓と考えられていて、須恵器の壺や高坏、
 銅芯に金張りした耳環、鉄製刀子が出土
 仁保の上古墳と同じ時期の6世紀末の築造と推定されている
 同一場所に異なる形式の墓があることは非常に珍しい。

覆い屋がある

中に横穴

穴の中には何も無い

仁保の上横穴墓の隣には石祠が祀られている
説明板から

  

セブンイレブン山口船木店でトイレ休憩

萱曲古墳
市史跡

宇部市吉見下岡
撮影日2025/11/26

背の高い雑草が繁茂していて、なかなか近づけない……

 萱曲(カヤマガリ)古墳は 直径約11.5m・高さ約4.4mの円墳
 東に開口している横穴式石室は全長約6.3m・最大幅約1.9m・高さ約2.26m
  の複室構造(羨道・前室・玄室)
  玄室は奥行2.5m・幅1.9m、
  玄室の床面にだけ、小石や平たい石が敷かれている。
 須恵器や土師器の皿、高坏、刀子、鉄環に金箔を巻いた金属器
  ヒスイ製やガラス製の管玉、小玉などの玉類27個や人骨片が出土。
 大正5年、昭和38年に調査
 早くから古墳の内部に人が出入りし、住居等に使用されていたといわれている。

説明板の横に開口しているはずだが?見えない

危険な状態で開口している

手前の天井(まぐさ石)が半分落ちているが、
内部は入れる

前室から玄室を見る

玄室奥壁

玄室から入口を見る

玄室床には
 小石や平石が敷かれている


その上には、石材が転がっている
石室の石だろうか?

ファミリーマート山口嘉川店にて 昼食購入 

浄福寺古墳
市史跡

山口市嘉川
撮影日2025/11/26

浄福寺に円墳がある。

 浄福寺古墳は 直径約40m・高さ約5mの円墳
 埴輪がある
 頂上部中央には棺があると考えられているが、学術的な発掘調査はなされていない。
 採取された埴輪片から5世紀代の築造と推定されている。
 現在墳上にある熊野社は、室町時代に紀州の熊野大社を勧請して建立したもの
 墳上には椎や梛木の老木が生い茂っていて、
  「浄福寺樹林」として山口県自然記念物に指定されている。

南から見た浄福寺古墳

南東側に鳥居と上り口がある。

墳頂まで階段がある

墳頂の熊野神社

浄福寺には、他にも遺跡史跡がある。
この付近は、古墳が造られた頃には、すぐ下が海岸であったという。



浄福寺本堂
浄福寺は、真言宗の寺。

 大宝元年(701)、 役小角(エンノオヅヌ)が中国にわたる途中、
    当地に立ち寄り、長福寺を建立したのが始まり。
 以後縁起不明だが、応永年間(1394〜1427)に熊野三社権現を勧請して再興した。
 以後大内家の祈願寺として栄えた。
 といわれている。

浄福寺 鐘楼

浄福寺 宝篋印塔@

浄福寺 宝篋印塔A

浄福寺 地蔵尊

  

大浦古墳群公園
市史跡

山口市江崎
撮影日2025/11/26

県道212号線の側道沿いに古墳公園がある。
近くで調査された6基の古墳が移築されている。
お昼の食事をしてから見学。

 大浦(オオラ)古墳群公園
 「一般県道山口阿知須宇部線」の建設に伴い
 浦辺地区・大浦地区・梅ヶ埼地区で33基の古墳が調査され、そのうち、6基が移設された。
 発掘された古墳のほとんどは、すでに石室天井石がなくなっていたが、
 移設された大浦4号墳は、天井石を乗せ、墳丘を盛り上げて当時の姿が復元されている
 大浦1・2号墳は「竪穴系横口式石室」と呼ばれる石室を持つ
 大浦12号墳は 副室構造の石室がある。

大浦古墳群公園 右手前・梅ケ崎2号墳、左奥・大浦12号墳
 梅ヶ崎2号墳
 大浦12号墳  複室構造の横穴式石室がある
 大浦2号墳  竪穴系横口式石室がある
 大浦4号墳  築造当時の姿に復元されている
 大浦1号墳  竪穴系横口式石室がある
 浦辺1号墳

浦辺1号墳 向こうに見えるのは大浦4号墳
説明板から
(配置図は 見やすいように加筆)
 発掘調査された古墳
@ 浦辺古墳群
  6基のうち2基が調査された。
  6世紀末〜7世紀末までは
   つくられていたとわかる。
A 大浦古墳群
  約30基からなる古墳群
  そのうち16基が調査された
  山口県では珍しい
   竪穴系横口式石室をもつ古墳が
   7基みつかった
B 梅ヶ崎古墳群
  16基の古墳群 そのうち15基を調査
  最上位にある古墳から鉄刀3本出土
  首長の墓と考えられている。

ボランティアの男性2人が、公園の整備をしておられた。
いつも整備していないと、草木に覆われてしまうという。

「道の駅きららあじす」でトイレ休憩の後、丸塚古墳群へ……

丸塚古墳群(山口市) につづく

トップページ