北村さんちの遺跡めぐり
更新日20221/5/26
美作の国旅行記 その8 剣戸古墳群ほか (津山市4・勝央町2) |
撮影日2021/11/20〜23 |
四日目最終日。 2021/11/23 後半です。
剣戸古墳群について | 津山市皿ほか 撮影日2021/11/23 |
JR佐良山駅の約500m南の山裾に剣戸古墳群がある。
インターネット上に「佐良山古墳群の研究(1951)」が公開されているので、参考にさせてもらった。
佐良山古墳群 (報告書・古墳辞典から) |
津山市の旧佐良山村を中心とした地域の山麓、山腹にある古墳群を佐良山古墳群という。 1951年(昭和26)に中宮古墳ほか数基の発掘調査と分布調査 大半が15m以下の小円墳で10数群、200基近くからなる。 ほとんどか横穴式石室があり、陶棺を安置するものが多い。 佐良山古墳群の中の支群に剣戸古墳群がある。 |
これから紹介する中宮1号墳・剣戸古墳群、先に紹介したカキ谷(A・B)古墳群、煙硝蔵跡古墳群は、
佐良山古墳群に含まれるということのようだ。
佐良山古墳群の中の支群として剣戸古墳群があり、その剣戸古墳群の支群に中宮古墳群があるということとなる。
剣戸古墳群の配置図については、この後見学する剣戸古墳群・東塚そばに説明板があるが、
配置図の部分が消えてしまっているので、ネット検索で探したものを掲載することにする。
剣戸古墳群 (佐良山古墳群の1支群として) | ||||||||
津山市南西部の佐良山地区一帯に広がる佐良山古墳群のうち、 JR佐良山駅南500mのため池裏の山裾に分布する古墳群。 剣戸古墳群 説明板 後述する剣戸東塚の前にあるが 状態が悪い 左側の古墳群配置図は 消えてしまって見えない 説明後半は東塚・西塚の 説明なので 前半だけ記述する。 「剣戸古墳群と東塚・西塚」 この一帯には、6世紀〜7世紀にかけてつくられた多数の古墳があり、 佐良山古墳中の剣戸古墳群と呼ばれている。 その支群には、 丸山古墳群(消滅)、中宮古墳群(9基)、 高野山根古墳群(3基)、剣戸古墳群(12基)などがある。 前方後円墳の高野山根1・2号墳以外のほとんどは円墳。 横穴式石室があり、中に陶棺を納めているものが多いのが特徴。 (以下は東塚の紹介の際に記述する。) |
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剣戸古墳群分布図 (ネット検索) 上の説明板の左の部分にあったはずの配置図 高野山根1号墳・2号墳は前方後円墳
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中宮1号墳に行くにはどうすればいいのかを事前に調べて、北東側の集落から行くことにした。
そばに住む女性に、駐車のお願いをして獣除けのフェンスを開閉して古墳群の中へ。
「佐良山古墳群の研究(1951)」の中に「中宮1号墳発掘調査報告書」があったので、参考にさせてもらった。
中宮(ナカミヤ)古墳群 (剣戸古墳群の中の1支群として) | |
1号墳が市史跡。周辺は現存9基の中宮古墳群で、1号墳が発掘後保存されている。 説明板 左の図は ほとんど消えている |
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中宮1号墳は 全長23m・高さ5mの帆立貝式古墳。 円筒埴輪がめぐっていた。葺石はない。 6世紀中頃の築造と推定されている。 中宮1号墳墳丘図 (報告書から) ・・は円筒埴輪があったところ 中央部に横穴式石室、 方形の造り出し部に竪穴式石室がある。 中宮1号墳横穴式石室 図 (報告書から) 上から 天井石 側壁 奥壁 石室平面図と遺物の様子 後円部西側に開口する横穴式石室は、 石室全長7.8m 玄室長4.3m・幅2m・高さ2mの片袖式で 羨道長さ3.6m・幅0.9m・高さ0.9〜1.4m 平面形は奥に向かって広くなる 石室の隅には 須恵器類が積み重ねて供えられている。 石室床面には小礫が敷き詰められている。 美作地方では最も古い様相をもつ。 造り出し部分の小形の竪穴式石室は、長さ2m・幅0.5m 床面には小砂利が敷かれていた。 竪穴式石室 図 (報告書から) 竪穴式石室は、 内面長さ2.0m弱・幅0.4〜0.55m 底面からの高さ0.5〜0.6m 調査時に、すでに蓋石は無くて 内部に土砂が充満していた。 現在も露出しているらしいが 残念ながら確認して来なかった 横穴式石室内部から 馬具(鎧2・轡3・雲珠4・ホ具4)、工具(鉄斧1のみ形鉄器8)、 武器(鉄鏃65以上・刀子・刀6)、玉(ガラス製小玉22・練玉46以上)、 土師器4・須恵器27、3体分の人骨等 造り出し部分の竪穴式石室から、須恵器2 などが出土 6世紀中ごろの築造と推定されて、数回追葬があったと考えられている。 1950・51年(昭和25・26)に調査 |
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中宮1号墳 右後方に前方部 |
中宮1号墳 横穴式石室 |
中宮1号墳 横穴式石室内部 |
中宮1号墳 前方部から後円部を見る |
中宮1号墳 横姿 左に前方部 竪穴式石室はどこ? |
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中宮3号墳 1号墳の東 |
中宮2号墳 1号墳の西 径7mの円墳 |
中宮1号墳の北には、高尾中宮上古墳群がある。
高尾中宮上古墳群 | |||
池のすぐ北の丘陵の西斜面 に2基、確認されている。 | |||
高尾中宮上1号墳 池の北東側丘陵の山裾にある。 径15m、高さ3mの円墳。 南に開口する横穴式石室がある。
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高尾中宮上2号墳 径7mの円墳 こわれた石室が残る。墳頂にはくぼみがある。 |
(剣戸古墳群の中の1支群としての)剣戸古墳群は、中宮1号墳の南約400mの山裾にある。
山の中からも行けるが、
中宮1号墳から一旦町に出て南下、住宅が3軒並ぶ住宅の奥の東塚・西塚(13・14号墳)から見学。
東塚・西塚のそばに駐車スペースあり。
そのあと、北の山に分け入る。
剣戸古墳群 (剣戸古墳群の中の1支群として) | ||||||||||
東・西塚(13・14号墳)のすぐ背後の尾根に沿って、1〜12号墳がある。 12号墳は、帆立貝形古墳、他は円墳。 1、5、6、7、11号墳で横穴式石室が開口している。 |
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剣戸東塚(14号墳) 直径19m・高さ4mの円墳 南東に開口する横穴式石室は、長さ9.5m・幅1.85m・高さ2.1mの無袖式 江戸時代に青年僧と女性信者が石室内で入定したことから、信仰の対象となっている。 「寛文9年(1669)、日蓮宗不受不施派の青年僧日勢とうら若い4人の女性信者は、 備前藩の宗教弾圧に抵抗し、東塚の石室内で題目一途に数十日の断食生活を送り命を絶った。 そのことから、法華塚あるいは比丘尼塚とも呼ばれている。」 (津山市教育委員会設置の説明板から) 東塚の西側の剣戸西塚(13号墳)とともに6世紀終わりころの築造と推定されている。
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剣戸西塚(13号墳) 東塚のすぐ西にある。 径17m・高さ4mの円墳 南東に開口する横穴式石室は、全長9.7m・幅1.7m、高さ1.75m以上の無袖式 墳丘、横穴式石室ともに東塚とほとんど同規模。 かって陶棺が石室内にあったとされるが、現在は見られない。
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剣戸12号墳 尾根先端に位置する、同群唯一の前方後円墳。 全長14.5mの前方後円墳 横穴式石室とされているが、見る事が出来ない。 12号墳 横姿 右が前方部 |
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剣戸11号墳 円墳 横穴式石室がある。詳細不明
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剣戸10号墳 円墳 詳細不明
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剣戸古墳群からさらに北へ。
高野山根古墳群 | ||||||
高野山根古墳群 配置図 先に示した図と同じです 図の中央あたりに、高野山根古墳群 前方後円墳2基と円墳2基からなる古墳群 円墳1基(4号墳)は消滅 2号墳は市史跡 |
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高野山根2号墳 市史跡 全長40mの前方後円墳。後円部径22m・高さ6m。 前方部を西に向ける。墳丘裾に周溝が残る。 後円部南側に開口している横穴式石室は、石室長さ9.25m。 崖っぷちに横穴式石室が開口
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高野山根3号墳 2号墳の東に隣接。 径13m・高さ1mの円墳。 墳丘東、西、北と大きな掘り出し跡が有る。
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高野山根1号墳 2号墳の北西30mに位置している。 全長32mの前方後円墳。後円部径26m、高さ7m 前方部を南に向ける。墳丘裾に周溝が残る。 主体部は竪穴式石室か
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狐塚古墳 市指定史跡 |
津山市久米川南 撮影日2021/11/23 |
剣戸古墳群の北西約2.5kmの東に張り出した尾根先端に、古墳がある。
ストリートビューで、説明板が確認できたうえに、駐車スペースもありそうなので見学する。
南側の墓地に駐車。
狐塚古墳は、(旧)久米町久米川南権現に所在する 標高140mの東向きの尾根先端の頂部を利用してつくられていて、 付近の水田面との比高差は約25m 吉井川・久米川の合流店を俯瞰する位置につくられている。 墳長52〜54.5mの前方後円墳 後円部径30〜32m・高さ4.6m 前方部長さ23.5m・高さ2.6m 前方部が直線的に開く 人頭大の河原石の葺石がある。 埋葬施設は不明 (測量調査のみ行われている) 4世紀後半の築造と推定されている。 古墳南側の道路沿いに説明板がある。 |
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後円部側 |
後円部から前方部を見る |
前方部頂 |
前方部から後円部を見る |
灌木が多くてよく見えない…
龍王塚古墳 市指定史跡 |
津山市久米川南 撮影日2021/11/23 |
狐塚の北約500m、吉井川・久米川の合流地点のすぐ南の丘陵にある古墳。
丘陵東端に駐車して登ろうとしたが、道がない…、
と思ったら南の民家の横から山道があり、墳頂まで行ける。
龍王塚古墳(足山ソクヤマ1号墳)は 吉井川を眼下に見下ろす小丘陵上の東端にある。 全長67mの前方後円墳と考えられているが、 改変が激しく築造当時の状況を復元するのはむずかしい。 かつて盗掘を受けた際に、刀・玉類その他が多数出土したと伝わっているが、 埋葬施設は不明、出土した遺物も所在不明 築造時期の限定も困難 (5世紀頃の築造か) 西方の丘陵中央付近には、径17mの足山2号墳(三劔塚ミツルギヅカ)、 丘陵西端には墳長29mの前方後円墳の足山3号墳がある。 丘陵南側斜面一帯は、弥生土器片・須恵器片の散布が認められていて、 集落遺跡などの存在が考えられている。 |
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南のふもとから見た龍王塚古墳 |
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後円部 |
後円部にある標柱と説明板と大師堂 |
墳頂を平坦にして建てられた大師堂 |
後円部から前方部方向を見る |
灌木が多くて、墳丘を確認するのは難しい…
丘陵東端にある古墳なので東裾から上っても行けるはずだが、灌木・倒木にはばまれて到達できなかった…。
津山総合流通センターの北東にある丘陵上に古墳公園があり、田邑丸山古墳群があるという。
そばまで行ったが、どこから行けばいいのかわからず、早々に諦めて、次に!
大塚古古墳 小塚古古墳 |
鏡野町宗枝 撮影日2021/11/22 |
前日に日暮れてよく見えなかった大塚古(オオヅッコ)古墳・小塚古(コヅッコ)古墳にもう一度!
大塚古(オオヅッコ)古墳 | |
径37〜38m・高さ6mの円墳。 葺石がある。 箱式石棺がある。 墳頂に大きな掘り出し跡が残る。 寛永6年の発掘で、鏡・玉・刀・人骨等が出土されたとされている。 |
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入口の標柱 |
墳丘 |
V字に窪んだ墳頂部 |
墳頂部から墳裾を見下ろす |
小塚古古墳の標柱は、大塚古古墳の標柱から小道下方20mにある。
小塚古(コヅッコ)古墳 | |
径22.5m・高さ3.5mの円墳 (方墳かもしれない)。 南側に長さ6mの造り出しがつくとされる。 葺石がある。 |
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入口の標柱 |
墳丘 |
墳頂部 |
倒木の根に葺石あり |
森の中に、大きな墳丘がひっそりと存在するのは魅力的ですね!
美和山古墳群 国指定史跡 |
津山市二宮 撮影日2021/11/22 |
インターネット上に「史跡 美和山古墳群 保存事業整備報告書 1992」が
公開されているので参考にさせてもらった。
この報告書には、駐車場がないのが課題だと書かれていたが、
最近の情報では「駐車場あり」になっているのでドキドキしながら現地へ。
トイレの横が駐車場になっていた。
美和山古墳群は、史跡公園として保存整備されている。 美作地方最大の前方後円墳と、2基の円墳があり、6号墳も復元整備されている 説明板 戦国時代には 美和山城が築かれていた。 |
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駐車場から東に進むと、まず2号墳が目に入る。
美和山2号墳 (蛇塚) | |
直径40m・高さ7mの円墳 墳頂の平坦面は直径12m 人頭大の川原石の葺石あり 2段築成 円筒埴輪列がめぐっていた 実測図 (説明板から) 右上の高まりは6号墳 |
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墳丘 |
方向を変えて見る |
2号墳の東側に6号墳。
美和山6号墳 |
直径17mの円墳 昭和60年度に確認調査 東西両側から畑の造成で削り取られ、細長い高まりとして残っていたが 平成2年度の整備工事で、削られた部分に土を補い、元の形に戻された |
復元された6号墳 |
2号墳の北に1号墳。
美和山1号墳 | |
全長83mの前方後円墳 後円部径50m・高さ9m 前方部幅30m・高さ5m 後円部頂の平坦面は径18m 葺石はあるが、埴輪は不明 墳丘規模は、植月寺山古墳(前方後方墳)と並び美作地方最大級 墳丘図 (説明板から) 後円部の東にある盛土は 後世に加えられた土盛の跡 |
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1号墳 全景 |
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前方部から後円部を見る |
後円部から前方部を見る |
1号墳には、前方部前面から後円部後方まで、古墳上に細長く土塁が延びている。 これは、後世に加えられた土盛の跡で、 戦国時代(15〜16世紀)にこの地に築かれていた と伝えられる美和山城の防塁の遺構と考えられている。 後円部東側に残る土塁址 左側は1号墳後円部 |
2号墳の南に3号墳。
美和山3号墳 | |
丘陵南端に位置する 径40m・高さ5mの円墳 墳頂の平坦面は径13m 人頭大の葺石がある。 円筒埴輪列がめぐる 道路建設の際、墳丘南側で、埴輪円筒棺が調査されていて、3号墳に伴うものと考えられている。 墳丘北側には幅10mほどの濠状の凹地があるが、古墳築造時の加工と考えられている。 3号墳 墳丘図 (説明板から) |
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墳丘 |
方向を変えてみる |
以上 美作の国旅行記、完結です。
高速道路に入る前にガソリン給油 (岸本観イステーション津山南)
3時半に津山ICへ
中国自動車道 新名神高速道路 名神高速道路 北陸自動車道を乗り継いで
石川県美川ICまで
途中、多賀SAで夕食。
午後9時20分に帰宅。 走行距離約1300kmの旅、終わりました!
美作の国旅行記 終わり