北村さんちの遺跡めぐり
更新日2012/7/20
吉備路へ・・・・ その6 両宮山古墳から・・・ |
撮影日2012/3/28〜31 |
2012/3/30 吉備路三日目。岡山市西部から牟佐大塚古墳までの見学を終え、赤磐市に入る。
両宮山古墳とその周りにある古墳は、西高月古墳群といわれている。
午後2時40分 着
両宮山古墳 国史跡 西高月古墳群 |
赤磐市和田・穂崎 撮影日2012/3/30 |
すぐ東側に備前国分寺跡がある。県道沿いに説明板がある。観光案内所もある。
両宮山古墳墳丘復元図 (現地パンフレットから)
両宮山古墳の後円部そばにあるのは和田茶臼山古墳。
両宮山古墳は 全長206mの前方後円墳
後円部径116m・高さ25m、前方部の幅145m
前方部が発達した形をしている。
3段築成 くびれ部の両側に高い造出が設けられている。
二重の周壕があり、外濠を含む全長は349mとなる。
現在、外濠の全てが埋没しているが、
後円部側で幅13m、前方部側は20mを測る。
墳丘は未調査、葺石なし 埴輪なし。
5世紀後半の築造と推定されている。
岡山県内では、3番目の大きさ。
備前国分寺跡から見た両宮山古墳
左(北東)・後円部
全体が森となっている。
東側のくびれ部あたりから、前方部にいく道があり、
神社が建っている。(行かなかったけど・・・)
南西の中堤から見た両宮山古墳
左奥・後円部 右手前・前方部前面
周壕がある古墳は美しい。
両宮山古墳周辺の地図 (現地パンフレットから)
周囲には、和田茶臼山古墳、森山古墳、廻り山古墳、
小山古墳、朱千駄古墳、正免東古墳などの古墳があり、
西高月古墳群を形成している。
@ 両宮山古墳
A 備前国分寺跡(国史跡)
B 森山古墳
C 廻り山古墳
D 備前国分尼寺跡
E 朱千駄古墳
F 小山古墳
G 岩田14号墳
(山陽団地内に保存されている
全長11.8mの横穴式石室を持つ後期古墳)
正免東古墳(赤磐市穂崎)は高月公民館建設に伴う発掘調査で発見された古墳で、
径23mの円墳または前方後円墳と考えられている。埋没古墳。
(公民館横に説明板がある。)
和田茶臼山古墳 両宮山古墳の陪塚として国史跡 西高月古墳群 |
赤磐市和田 撮影日2012/3/30 |
両宮山古墳後円部の北側にある。
全長55mの帆立貝形前方後円墳。 後円部径30m。
二重の周壕をめぐらしていた。
5世紀の後半の築造と推定されている。
両宮山古墳に従属して、同時期に築かれたと推定されている。(説明板から)
和田茶臼山古墳
現在ほとんど後円部しか残っていない。
周壕もなくなっている。
墳丘に説明板がある。
小山古墳 石棺は市指定文化財 西高月古墳群 |
赤磐市穂崎 撮影日2012/3/30 |
小山古墳は 全長55mの前方後円墳。 後円部径35m
葺石あり 埴輪あり
稲荷社を祀るため、前方部中央と後円部墳頂は大きく破壊されている。
後円部中央にある埋葬施設は、盗掘され、阿蘇の溶結凝灰岩製の舟形石棺とみられる破片が露出している。
5世紀末の築造と推定されている。
未調査。 (説明板から)
小山古墳の石棺は考古資料として、市指定文化財となっている。
小山古墳 北西から見る きれいな前方後円墳に見える。 |
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小山古墳 東から 後円部には稲荷社の社殿がある。 前方部は参道となっている。 |
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小山古墳 後円部から前方部を見る 参道で、前方部は中央が削られている。 |
小山古墳 前方部から後円部を見る。 鳥居横に説明板がある。 |
小山古墳 社殿横の埋葬施設跡 |
小山古墳 壊された石棺 縄掛け突起がハッキリ確認できる…。 |
この小山古墳は火打山の北麓にあるが、火打山の南側麓(岡山市東区・旧瀬戸町)には玉井丸山古墳がある。
墳丘上に郷土資料館などの建物があり、変形しているが、玉井丸山古墳は全長137mの前方後円墳。
朱千駄古墳 県史跡 西高月古墳群 |
赤磐市穂崎 撮影日2012/3/30 |
朱千駄古墳は 全長70mの前方後円墳 後円部径40m・高さ6.5m
前方部がやや広く発達した形式を示している。
埴輪あり 須恵器の破片も出土している。
後円部にあった埋葬施設は、明治初年に盗掘されて、
長さ2m・幅1mの長持形石棺が出土した。
石棺は竜山石製で、現在岡山県立博物館の玄関に保存されている。
銅鏡2面、蛇行状鉄器、勾玉、管玉、刀剣等多数が出土
石棺内から、多量の朱が発見されたことが名前の由来になっている。
5世紀後半の築造と推定されている。
(説明板から)
北から見た朱千駄古墳 左・前方部 後円部は竹林になっている。 |
西南から見た朱千駄古墳 右後方に前方部 ため池の堤防のようになっている。 |
森山古墳 県史跡 西高月古墳群 |
赤磐市穂崎 撮影日2012/3/30 |
森山古墳は、両宮山古墳の県道を挟んだすぐ南東側にある。
まわりには建物などもなく、一周できる。
森山古墳実測図
(山陽町文化財調査報告第2集「森山古墳 両宮山古墳」から)
森山古墳は 全長82mの帆立貝形前方後円墳
後円部径55m・同高さ11m 前方部幅35m
2段築成 周壕と周堤があった(現在は埋没)
墳丘を中心に南北150m・東西120mの領域を占めている。
葺石あり 埴輪あり
埋葬施設は未調査で不明。
5世紀後半の築造と推定されている。
(説明板には後円部径のデータがない)
西から見た森山古墳
右側(南)に、低い短い前方部がある。
ヤフーの航空写真で見ると、盾型の周壕跡がくっきり!
廻り山古墳 県史跡 西高月古墳群 |
赤磐市岩田 撮影日2012/3/30 |
廻り山古墳は 改変が激しく墳形や規模は不明であるが、
推定の全長は65m、墳頂平坦部は30m
須惠質の破片が出土
未調査のため、埋葬施設も不明。
5世紀後半の築造と推定されている。
西から見た廻り山古墳
ヤフーの航空写真で見ると、前方後円墳に見える。
備前国分寺跡 国史跡 |
赤磐市穂崎 撮影日2012/3/30 |
備前国分寺跡には、「両宮山古墳」と「備前国分寺跡」のパンフレットが置かれている。
備前国分寺は南北200m・東西180mの広大な寺域の中に、七堂伽藍といわれる塔や金銅などの建物が立てられていた。
現在は多くが耕作地となって、面影がほとんど残っていない。
備前国分寺塔跡
元は一辺8.91m・高さ60mほどあったと想定されているが、
平安時代にはすでになくなっていたと考えられている。
現在の石造七重塔は、心礎上に立つ花崗岩製で
鎌倉時代後期の作といわれている。
本来の棟がなくなった後で立てられたもので、
赤磐市の指定文化財となっている。
旧赤坂町の古墳 | 赤磐市西窪田 撮影日2012/3/30 |
赤磐市西窪田(旧赤坂町西窪田)には、古墳が集中してある。
最も有名なものが、鳥取上高塚古墳(市史跡)。
大天満池の南岸には、全長75mの前方後円墳の吉原6号墳もあったようだが、確認してこなかった。
赤磐市西窪田の古墳群の配置図g
鳥取上高塚古墳
市史跡
旧赤坂町の古墳岡山市北区窪田
撮影日2012/3/30
午後3時40分 着。
大天満池というため池のほとりにある。どうしたらそばまで行けるのか、よく分からなくてうろうろ。
結局ため池の向こう側に回って、そばまで歩く。
鳥取上高塚古墳は、全長75mの前方後円墳
後円部径30m・高さ8m 前方部長さ45m・前方部前面幅39m
平地にある低い丘陵を利用して造られている。
県内で4番目、旧赤坂町内で最大の規模をもつ横穴式石室がある。
両袖式横穴式石室は現存長さ12m(復元推定長さ15m)
玄室長さ7.8m・床面幅2.75m・高さ2.7m 現存羨道長さ2.75m(復元推定長さ7m)・幅1.4m
6世紀後半の築造と推定されている。
西から見た鳥取上高塚古墳 写真中央、ため池の向こうに説明板が見える。 |
説明板の右に石室がある。 ため池に沿うように墳丘があり、前方部は左側(北東側) |
鳥取上高塚古墳 石室入口 羨道部はため池で削られている。 |
鳥取上高塚古墳測量図 (説明板から) 説明板がよごれていて、よく見えない・・・・・ 入口が狭いので、床が埋まっている可能性がある。 |
鳥取上高塚古墳 石室内部 |
鳥取上高塚古墳 石室内部から外を見る |
小天満1号墳 旧赤坂町の古墳 |
岡山市北区窪田 撮影日2012/3/30 |
鳥取上高塚古墳前方部の西にあって、鳥取上高塚の陪塚といわれている。
小天満1号墳は、前方部が削平された全長30mほどの前方後円墳と考えられている。
箱式石棺が以前露出していたが、祟りのようなものがあって、埋め戻したそうだ。
小天満1号墳 鳥取上高塚古墳前方部側(南東)からみる |
小天満1号墳 大天満池側(南西)からみた墳丘 埋め戻したはずの石材が墳上に見えているが…。 |
HP「古墳のお部屋」さんでは、果樹園となっているが、現在は植林されている。
2号墳の径24mの円墳・高さ3mというのがあるというが、どこかな?
二塚1号墳 2号墳 旧赤坂町の古墳 |
赤磐市西窪田、斗有 撮影日2012/3/30 |
鳥取上高塚古墳の北西500mくらいの所にある古墳群。低い小さな丘の上にある。
写真を撮っただけ。
左(西側)・二塚2号墳 右(東側)・二塚1号墳 |
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二塚2号墳 全長35mの前方後円墳 後円部径19.8m・高さ3m |
二塚1号墳 全長39mの前方後円墳 後円部径19.5m・高さ3m 前方部先端幅28m・高さ3m |
詳しいデータは見つからない。
西池東古墳と沼田内古墳 旧赤坂町の古墳 |
赤磐市西窪田 撮影日2012/3/30 |
鳥取上高塚古墳と二塚1・2号墳の間あたりの二つの丘にある古墳。
西側が西池東古墳、東側が沼田内古墳。
写真を撮っただけ。
西池東古墳 15mの円墳 小さな墳丘のようなので、右側の墳丘か? |
沼田内古墳 全長26mの前方後円墳 墓地の後にあるという。 |
詳しいデータは見つからない。
操山古墳群へ向かう。・・・・・吉備路 その7へつづく