北村さんちの遺跡めぐり
更新日2016/4/26
大阪南部から和歌山県へ その8 岩橋千塚古墳群 |
2015/12/3~12/6 | |
古墳探索の旅三日目、ようやく和歌山県の代表的な古墳群、岩橋千塚古墳群の見学に入る。
岩橋千塚古墳群は、 岩橋千塚古墳群は、岩橋山地の前山地区を中心に、 花山・大谷山・大日山・寺内・井辺・井辺前山の各地区の山地全体に広く分布する古墳群。 古墳の総数は700基を越え、史跡指定地内には400基ほどの古墳がある。 国内では最大規模の群集墳であり、結晶片岩を部材とする石梁や石棚を備えた特徴的な横穴式石室があるので、 古墳群の一部が昭和27年(1952)に国の特別史跡に指定されている。 古墳の築造時期は古墳時代中期から後期で、そのなかでも6世紀後半が中心。 現在確認されている古墳は前方後円墳27基、方墳4基、その他が円墳。 岩橋千塚古墳群全体図 北は上です。 いろいろな資料から作成したので、 イメージ図と考えてください。 前山A地区と前山B地区には 描き切れないほどの古墳がある。 主な前方後円墳しか描いていない。 井辺地区には前方後円墳はないので、 代表的な井辺1号墳を示してある。 |
まず特別史跡区域以外の、、正式には公開されていない岩橋千塚古墳群の紹介から。
井辺八幡山古墳 インベハチマンヤマコフン 岩橋千塚古墳群・井辺前山地区 |
和歌山市井辺・森小手穂 2016/12/5 |
本当は井辺八幡山古墳を見学したいのだが、インターネットで調べても、登って見学したという情報がない。
井辺八幡山古墳のある福飯ヶ峰の北麓にサークルK和歌山井辺店があり、そこから福飯ヶ峰を眺めて、あきらめる。
福飯ヶ峰を北から見る
サークルK和歌山井辺店から見る
井辺八幡山古墳は左の峰(八幡山)の頂上にある。
右の峰にも古墳がある。
岩橋千塚古墳群・井辺前山地区の古墳群 岩橋山地の南西に位置する福飯ヶ峰の北斜面は前山と呼ばれており、 この周辺が岩橋千塚古墳群の井辺前山地区とされている。 北側に多くの古墳があり、南側は果樹園として開墾されている。 50基の古墳が分布し、このうち3号墳・6号墳・7号墳・10号墳(井辺八幡山古墳)・24号墳が前方後円墳で、 その他はほとんどが円墳。 |
井辺八幡山古墳(井辺前山10号墳)は 福飯ヶ峰の北東に位置する八幡山の山頂にある。 墳丘全長70mm、後円部の径45m・前方部幅57mの前方後円墳 基壇は88m 井辺前山古墳群中で最大。 前方部がやや発達した形態 くびれ部両側に方形の造り出しがある。 葺石なし 3段の円筒埴輪列が確認されている。 造り出しには、コの字形の円筒埴輪列が確認されている。 造り出しからは、円筒埴輪のほかに家、盾、武人、力士、巫女、馬、猪などをかたどった埴輪や、 大甕、壺、器台などの須恵器が数多く出土。 特に、顔に入墨がある力士(和歌山市指定文化財)、角杯を背負った男子、 挂甲をまとった武人などの埴輪が注目されている。 埋葬施設は未調査だが、横穴式石室の存在が推定されている。 6世紀前半~中葉の築造と推定されている。 岩橋千塚古墳群の中では、大日山35号墳、大谷山22号墳の次につくられたと考えられている。 昭和44年(1969)に発掘調査。 井辺八幡山古墳測量図 (古墳辞典から) |
井辺前山6号墳は 全長52m、後円部の径24mの前方後円墳 昭和41年(1966)発掘調査。 南に開口する横穴式石室は、全長6.69m。 馬具、玉類、須恵器、土師器などが出土。 墳丘のくびれ部分から、朝鮮半島から伝来した陶質土器の破片が出土している。 井辺八幡山古墳につづく、6世紀中頃の築造と推定されている。 |
井辺八幡山古墳は雑木林の中に埋もれているのかな・・・。元はみかん畑だったというが・・・。
井辺1号墳 インベイチゴウフン 岩橋千塚古墳群・井辺地区 |
和歌山市井辺 2016/12/5 |
サークルK和歌山井辺店から東約300mの山裾にあるが、、高速道路をくぐらなければならないので、まっすぐには行けない。
高速道路脇から上がると池があり、池の向こうにいくつか墳丘がある。
岩橋千塚古墳群・井辺地区を西から見る。
高速道路脇から見る。
岩橋千塚古墳群・井辺地区は、大日山の南斜面にあり、27基の古墳が密集している。 | ||||||
井辺1号墳は 北辺28m、南辺40m、東辺39m、西辺38mの方墳で南に向かって広がっている。 井辺地区で最大の古墳 南に開口する横穴式石室は、全長10.85m、玄室幅4.5m・玄室高2.8mで、奥壁近くに石棚と石梁がある。 金環(耳環)、刀鞘責金具、輪状銅製品などの金属製品や須恵器、土師器が出土。 6世紀末~7世紀前半頃の築造と推定されている。 昭和41年(1966)から発掘調査。 和歌山市・岩橋千塚古墳群の井辺1号墳の規模は、南辺36m、北辺17m、側29mと判明。7世紀前半の方墳。 2021/2/27現説
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その他の墳丘
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山の中に大きな墳丘が幾つもあり、びっくり!
資料館周辺 岩橋千塚古墳群 |
和歌山市岩橋 2016/12/5 |
「和歌山県立紀伊風土記の丘」入口
2階は資料館となっている。
真ん中の通路を抜けると、遊歩道が整備されていて、
じっくり見学すると1日では終わらない・・・。
紀伊風土記の丘は博物館の名称だ。
標高150mの丘陵からその北斜面・ふもとまで約65haの広さがある。
石敷き製塩炉 通路内に移築されている。 西庄遺跡で発見されたものを移築 |
前山B36号墳石室 通路内に移築されている 資料館の南西隅にあったものを移築 ガラス内にありよく見えない・・・ |
西庄3号墳石室 通路を出たところに移築されている 西庄遺跡で確認された径6.6mの円墳の石室 長さ1.7mの竪穴式石室に 20歳代の女性の骨が折り畳むように埋葬されていた。 石室の構造や棒状石製品を副葬することなどから、 淡路島の古墳と共通すると考えられている。 |
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古墳時代のクスノキ 入口手前に展示されている。 周囲12m・直径4m 推定樹齢350年 平成23年9月の台風12号の通過後、紀の川で発見された。 放射性炭素年代測定法による年代測定で 西暦700年前後まで生育していたものと判明し、 古墳時代から奈良時代にかけてのクスノキと考えられている。 |
2階の資料館には、岩橋千塚古墳群で出土した埴輪や玉類、武器などが展示されている。
まず資料館を見学して、前山A地区の見学に向かう。
特別史跡岩橋千塚古墳群周辺図
(現地案内板より)
この図は、上が南 下が北となっている。
前山A地区 岩橋千塚古墳群 |
和歌山市岩橋 2016/12/5 |
前山A地区は 岩橋山塊から北に大きく延びる尾根上の標高55~70mの付近にあり、円墳や方墳が密集している。
前山A地区の古墳配置図
(現地案内板から)
この図は、「南」が上、「北」が下となる。
この図からみると、下から上に見学することとなる。
たくさんありすぎて、全てを紹介できない。
前山A13号墳 | |
径18mの円墳 横穴式石室は、長さ5.8mで、石梁2本、奥に石棚1枚がある。 玉や馬具、鉄槍、須恵器片が出土 入口の通路の下で排水用の暗渠が確認されている。 6世紀後半の築造と推定されている。 大正7年(1918) 平成18・20年度(2006・2008)に発掘調査。 前山A13号墳の石室図 (説明版から) |
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前山A13号墳 墳丘 |
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開口部 |
羨道 |
玄室上部 |
玄室内部から見た 玄門上部 光っているのはライト・・・まぶしい |
玄室下部 |
玄室内部から見た玄門 |
下が北という地図は見にくいと思っていたが、今度は左が北という地図があった。
前山A13号墳と周辺の古墳 (説明板から) この地図は 北が左 岩橋山塊から北に大きく延びる尾根上の標高約55~70mの付近には、 円墳や方墳などが密集している。 ここは岩橋千塚古墳群の中で 最も古くから学術的な調査が行われてきた地点のひとつで、 明治40年(1907)、大正7年(1918)の調査が知られている。 直径14~18mの円墳である前山A13号墳・A23号墳・A24号墳は 現在横穴式石室が公開されている。 また、南北約14mの方墳で箱式石棺がある前山A17号墳や 高さが低く小規模な円墳で竪穴式石室がある前山A9号墳などを見学できる。 |
前山A9号墳 | |
径5mの小規模な円墳 竪穴式石室は長さ1.5m・幅0.5mで、 小口側に板石を立てるほかは、結晶片岩を横に積み上げている。 1918(大正7)の発掘調査時に、石室の南東隅から鉄鏃が2点出土している。 2007(平成19)年に発掘調査 |
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A9号墳の竪穴式石室 (説明版から) |
竪穴式石室か?説明板の後ろにある。 水がたまっている。墳丘はわからない。 |
前山A17号墳 | |
一辺14mの方墳 中央に副室のある箱式石棺がある。 主室から2本の直刀、副室から冑が出土 5世紀の築造と推定されている。 明治40年に発掘調査 |
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墳丘 石室は見てこなかったが、見られるらしい |
箱式石棺 これは 説明版の写真です。 |
前山A24号墳 | |
径14mの円墳で前山A23とほぼ同規模 横穴式石室には石梁1本 石室入口の上の穴は盗掘坑 石組のない羨道部分が長く残っている。 大正7年に壺が出土している。 |
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前山A24号墳 |
石室入口 上の穴は盗掘坑! |
上の穴から見た石室内部 |
立派な石梁 |
下の穴から見た石室内部 |
内部から外を見る |
古墳の連なり
前山A23号墳 | |
径14m・高さ3.5mの円墳 古墳群中では標準的な大きさ 横穴式石室はあまり大きくないが、内部に石棚と石梁があり、床は板石で区画している。 大正7(1918)年の発掘調査で、須恵器が出土 現在は見えないが、石室の入口には石が敷かれていた。 現在の石室の状況 (説明板から) |
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墳丘 |
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横穴式石室通路 |
奥壁上部 |
横穴式石室入口 |
奥壁下部 |
前山A32号墳 | |
径15m・高さ5mの円墳 横穴式石室は、全長4.4m 玄室から直刀1・鉄鏃片3 羨道から鉄片が出土 標高82mで、前山A地区の中央に位置している。 |
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墳丘 |
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横穴式石室入口 |
奥壁 |
天井 |
玄室内部から外を見る |
前山A47号墳 | |
径12m・高さ2.5mの円墳 竪穴式石室は、長さ2.04m・幅0.92m・深さ0.65mで、緑色片岩の板石を積み上げている。 石室の床は板石の上に玉石を敷いてあり、一部天井の石が残っている。 石室内から人骨片が出土 現在、墳丘の盛土と天井の石が2~3枚外された状態になっている。 |
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墳丘 |
石室が見える |
竪穴式石室 |
石室内部 |
前山A46号墳 | |
径27m・高さ8mで、A地区最大の円墳 横穴式石室は長さ8.5m、 玄室は長さ3.3m・幅2.1m・高さ3.3mで、石棚と4枚の石梁がある。 入口は扉状の板石で閉じられていた。 墳丘上から、新羅系陶質土器の高杯4個体分が出土。 6世紀後半の築造と推定されている。 |
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墳丘 |
横穴式石室 |
扉石か? 不気味な石室入口! 盗掘で石が削られたのだろうか? |
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羨道部 |
玄室の奥壁上部 |
玄室内部から外を見る |
玄室の奥壁下部 |
前山A93号墳 |
前山A56号墳 | |
径13mの円墳 東の谷に向けて開口している横穴式石室は全長3.88mで、緑色片岩を積み上げている。 石室の入口に落ちている石は扉石 鉄製の直刀が出土 |
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横穴式石室入口 手前にある石は、扉石だそうだ。 |
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石室内部 |
石室内部から外を見る |
周辺の古墳分布図
(56号墳前の説明板から)
この図は北が上
資料館から南へ、山を登っています。
前山A67号墳 | |||
径27m・高さ6mの円墳 A46号墳と並びA地区最大の円墳 南東に開口する横穴式石室がある。 玄室は長さ3,8m・幅2.3m・高さ3.2m 石棚と石梁2枚がある。 床面には屍床が造られている 玄室の中央に玄室前道があるので、6世紀の築造と推定されている。
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墳丘 |
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横穴式石室入口 |
柵の隙間から中をのぞく |
前山A65号墳 | |
径17m・高さ5mの円墳 2基の竪穴式石室がある。 北側の石室は、長さ3.5m・幅0.9m 南側の石室は、長さ3,8m・幅0.8m 結晶片岩を積み上げて造られている。 大正7(1918)年の発掘調査で南側の石室から鉄剣が出土している。 5世紀後半~6世紀の築造と推定されている。 大正7年発掘調査時の 竪穴式石室 (説明版から) |
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墳丘 |
今は一つの竪穴式石室しか見当たらない |
前山A114号墳 前方後円墳 右側が前方部 |
前山A地区 前山A2号墳と周辺の古墳 (説明板から) 岩橋山塊の稜線上の標高150m付近には、 径6m~11mの比較的小規模な円墳が分布している。 前山A2号墳(径10mの円墳)の周辺には、 前山A3号墳(竪穴式石室があると推定されている)や、 前山A4号墳(玄室が長さ1.6m・幅1.6mの正方形の横穴式石室がある) などの円墳が分布している。 |
前山A2号墳は 標高150m付近にある | |||
径10mの円墳 横穴式石室は 玄室が長さ1m・幅1.9mの小規模なT字形石室 石室の入口部分は、石室に対して南に曲がって造られているが、その部分は保存のため埋め戻されている。 通路部分の扉石の外側で、土師器の壺、入口部分で須恵器の杯が出土している。 出土した須恵器などから、6世紀末の築造と推定されている。 平成16年度(2004)に発掘調査 ガラス覆い屋を用いて保存されている。 |
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墳丘 |
石室はガラスで覆われている。見えない・・・ |
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ガラスの中の石室はほとんど見えないので説明板の写真でどうぞ!
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周辺には竪穴式石室のあると推定されているA3号墳
玄室長さ1.6m・幅1.6mの正方形となるA4号墳などがある。
右手前:前山A2号墳、
左奥:A5号墳、右奥A4号墳
天王塚山古墳 (岩橋千塚古墳群) へつづく