北村さんちの遺跡めぐり
更新日 2019/4/26

兵庫県北部その6
丹波篠山市
2018/12/1〜3

12月3日、三日目。丹波市の古墳を見学して南下、篠山市に入る。
篠山市は、2019年5月1日から「丹波篠山市」に改名することが決まっている。

町浦古墳 篠山市追入
(撮影日2018/12/3)

丹波市から国道176号線を南に行き、新鐘ヶ坂トンネルを出てすぐの、追入集落の道路沿いにある。

 町浦古墳は 旧丹南町では最大の横穴式石室が完全に露出している。
 南に開口している横穴式石室は全長8.8m、
  玄室長6.5m・幅1.9〜2.6m・高さ1.6m
  羨道長2.3m・幅1.7m・高さ1.1mの規模で、袖部は不明瞭
 6世紀後半の築造と推定されている。
 (兵庫県遺跡地図p46・86002)

道路東側に石が見える

説明板後ろ辺りが奥壁側

奥壁側の穴から入ることができる。

奥壁側から入口側を見る

入口側から奥壁側を見る

入口側から見た墳丘 (南から見る)

 

篠山市の市街地に昼ご飯を食べられるようなところがないかと思い探すが、よく分からず…
結局、LAWSON篠山西紀店で昼食調達。

居籠塚古墳
イガモヅカコフン
篠山市郡家
(撮影日2018/12/3)

郡家交差点にある居籠神社は古墳だ。
駐車場スペースが無いので、北にある長楽寺付近に停めさせて頂いた。


長楽寺には「大唐玄奘三蔵大法師聖骨安置所跡
という石碑がある。

 居籠塚古墳 (イガモヅカコフン)  (兵庫県遺跡地図p57・820187)
 墳丘全体が小さな神社。
 直径27mの円墳、高さ5m

北から見た居籠塚古墳
背の高い木に覆われている。

南側の交差点に面して鳥居がある。
懸額には「居籠神社」とある。

居籠神社社殿

社殿後ろに残る墳丘

    

新宮古墳
市指定史跡
篠山市郡家
(撮影日2018/12/3)

居籠塚古墳の東約300m、県道301号線沿いにある新宮神社は篠山市最大の円墳!
航空写真で見ると丸い。道路も丸くなっている。

 新宮古墳は 直径52.5m・高さ7mの円墳 (兵庫県遺跡地図p57・820190)
 篠山盆地につくられた円墳としては最大。
 周囲には幅18.5mの周濠があり、周濠を含めると径87.5mとなる。
 貞享4年(1687)に編纂された「篠山領地志」によると、
  神社の社殿はかつて墳丘上にあり、
  墳丘を掘削したところ石室内には甲冑や太刀があったというが、現在は詳細不明。
 5世紀後半の築造と推定されている。
 新宮神社には、2枚の板石が保存されていて、石室に関係するものと考えられている。

南から見た新宮神社

新宮神社社殿
社殿背後に墳丘がある。

社殿背後の墳丘

墳頂

南東から見た新宮古墳 左側に神社がある。
周りの田が丸く区割りされていて、周濠の跡と考えられている。

   

新宮古墳周辺の古墳 篠山市郡家
(撮影日2018/12/3)

新宮古墳の近くには、墳丘がいくつか確認できる。
新宮古墳の道をはさんですぐ南にあるのが碁石塚古墳。

 碁石塚古墳 (兵庫県遺跡地図p57・820191)
 新宮古墳から道路を挟んですぐ南。単なる藪のように見える。
 新宮古墳の陪塚とされており、9mの周濠を持つとされている。

左側 碁石塚古墳
右奥 新宮神社(新宮古墳)

新宮神社から見た碁石塚古墳

碁石塚古墳の南の田んぼの中の小さな墳丘が、茶の木塚古墳。

 茶の木塚古墳  (兵庫県遺跡地図p57・820189)
 径15mの円墳 高さ2.3m

田んぼの真ん中にポツンと墳丘

きつねがコンと飛び出してきてビックリ!
住み着いているようだ…

墳頂には墓石が並んでいる。

新宮古墳の西約100mの八幡神社も古墳だ。

 郡家八幡塚古墳 (グンゲハチマンヅカコフン)  (兵庫県遺跡地図p57・820188)
 径27m・高さ5mの円墳   現状は方形である。

八幡神社となっている。

新宮古墳の北東約300mの田んぼの中に石室があるのが、石くど古墳。

 石くど古墳
 (兵庫県遺跡地図p57・820258)
  市指定史跡
 説明板には、
 「6世紀中ごろの築造と推定されている古墳だが、
  永年の風雪により、盛り土が全て流出して、石室のみが残っている。
  危険なので立ち入らないでください」
  とある。

北から見る

石室入口 祠がある。

祠の後ろの奥壁

奥壁を外側から見る。

  

洞中古墳群
市指定史跡
篠山市曽地中
(撮影日2018/12/3)

県道川西篠山線(12号線)の東側に、前方後円墳と円墳があり、どちらも横穴式石室が開口している。

 洞中2号墳 (兵庫県遺跡地図p58・820817)  市指定史跡
 全長30mの前方後円墳 高さ5.5m  後円部径17m・前方部幅15m
  尾根先端部を利用して築かれている。
 後円部南西側に入口をもつ片袖型の横穴式石室は全長10.2m
  玄室長5m・幅1.9m・高さ2.9m、羨道幅1m・高さ1m
 6世紀中頃の築造と推定されている。
 1号墳より小型の石材を使用し、側壁の持ち送りも急であるため、
  築造時期は1号墳に先行すると考えられている。。

前方部手前から見る 右奥後円部

後円部手前から見る 向こう側に前方部

前方部から後円部を見る
後円部が山裾側にある。

後円部から前方部を見る
後の山裾と同化して、見にくい…

どこに石室があるかわからない…

石室入口から玄室を見る

玄室内部

玄室から外を見る

200mほど北にあるのが洞中1号墳。

 洞中1号墳 (兵庫県遺跡地図p58・820816)  市指定史跡
 直径30m・高さ4mの円墳 (現状で径23m)
 南西に開口する両袖型の横穴式石室は、全長15.5m、
  玄室長6.6m、幅2.44m、高さ3.55m、羨道幅1.32m、高さ1.9m
 巨石を用いていて、丹波では最大級の規模をもつ。
 6世紀後半の築造と推定されている。

2号墳(南東)から見た1号墳

南西に開口している横穴式石室

横穴式石室入口
羨道部は一部破壊されている。

入口から石室内部を見る
明るいのは奥壁が無いから!

玄室内部
奥壁が以前から抜けているうえに
地震で天井石が一部落ちたそうだ

玄室から入口を見る

     

雲部車塚古墳
陵墓参考地
篠山市東本荘
(撮影日2018/12/3)

雲部車塚古墳は、2回目の見学となる。 (前回は2010年)
 (兵庫県遺跡地図p48・820870)

  雲部車塚古墳とその周辺

 「雲部車塚古墳 車塚の坪遺跡」
   発掘報告書(平成25年)から引用

車塚の坪遺跡は、
車塚古墳と南陪塚の間の道路沿いの部分で、
弥生中期土壙墓群をはじめとして、
井戸、溝・旧河道、方形周溝墓などが見つかっている。
 雲部車塚古墳は 墳丘長140mの前方後円墳 兵庫県内では第4位、旧丹波国では最大の規模を誇る。
  後円部径80m・高さ12m
 盾型周濠がめぐる
 さらに外側には、周庭帯の痕跡が認められる。
   (2006年の調査で、周濠の12m外側に周庭帯外縁の区画溝が初めて発見された)
 葺石あり 埴輪あり
 5世紀前半の築造(?)と推定されている。

 明治29年に主体部が開削された際に、後円部の竪穴式石槨に納められた組合せ式長持形石棺と、
  その周囲に副葬された甲冑や刀剣類・鉄鏃などの大量の武具・武器類などの存在が記録された。
 石室内部は朱色で染められていた。
  (出土した副葬品は、ほとんどは埋め戻されたという。)
 その後、明治33年(1900)、陵墓参考地となり、立入禁止となってしまった。

 墳丘の南北には車の両輪のごとく、2つの陪塚が対となっており、
  いずれも周庭帯で取り込まれているように見える。
 北陪塚は 直径30mの円墳
 南陪塚は 一辺27mの方墳状を呈する。
 他の陪塚としては墳丘西側の丘陵裾に飯塚古墳が存在する。
 これ以外にも5基の墳丘が描かれた図面が存在するが、現存していない。

北陪塚脇から見た雲部車塚古墳
右が後円部

後円部手前にある渡り土手

築造時期については、5世紀の初め〜中ごろ、後半というものもあり、よく分からない・・・・ 

飯塚古墳 篠山市東本荘
(撮影日2018/12/3)

雲部車塚古墳の後円部のすぐ西の林の中に古墳がある。飯塚古墳という。

 飯塚古墳は、径30mの円墳
 雲部車塚古墳の陪塚の一つとされている。
 詳細不明…
 (兵庫県遺跡地図p48・820869)

飯塚古墳  竹に浸食されている…

飯塚古墳 墳頂部

車塚古墳の陪塚の一つといわれているが、年代的には陪塚ではないのではないかともいわれている。
私個人的にも、飯塚古墳は北陪塚・南陪塚とも立地条件が違うような気がして・・・・

北条古墳
県指定史跡
篠山市細工所
(撮影日2018/12/3)

雲部車塚古墳の北東約600mの山裾にあるのは北条古墳
 (兵庫県遺跡地図p48・820886)

 北条古墳は  一辺35mの方墳 (説明板では一辺30m)
 北からのびる舌状尾根を切断して方形に墳形を整えている。
 円筒埴輪、壺形埴輪、形象埴輪(家形埴輪・短甲形埴輪等)が出土。
 採土の際に、埋葬施設が壊されたが、粘土槨から鉄剣もしくは鉄ヤリが出土したと伝えられている。
 5世紀前葉(古墳時代中期)の築造と推定されている。
 雲部車塚古墳に先行する首長墳とみられている。
 篠山盆地東端に位置し、西に流れる篠山川を南に臨み、西方は篠山へ、
  東北は京都府船井郡へ、東方は福住を経て園部へと通ずる要衝の地に立地している。
 土取り作業中に、埴輪片・刀剣などが発見され古墳とわかり、昭和43年に測量調査。

説明板の後ろに墳丘

墳丘
雑草が生い茂っていて、墳形はよく分からない

築造時期については諸説あり、確定できていないが、
北条古墳は、雲部車塚古墳に先行する首長墓だと考えられている。

雲部車塚古墳の西方500mにも、一辺30mの方墳である姫塚古墳(820863)がある。

谷田山古墳群 篠山市小立
(撮影日2018/12/3)

小立地区の集落にある長福寺前には、岩井山古墳群の説明板がある。


長福寺の北の山にあるのが岩井山古墳群
岩井山古墳群は
横穴式石室がある10基の古墳があると
書かれている。

この岩井山古墳群は時間の都合で
見学できなかった…
実は、長福寺の南にある山にも古墳がある。それが谷田山古墳群。

東から見た谷田山古墳群


右が長福寺 右端が岩井山古墳群のある山
左が谷田山古墳群のある山


谷田山古墳群・岩井山古墳群
・稲荷山古墳の位置関係

(遺跡地図から引用)

長福寺から西に入っていく谷間を境にして、
北側の尾根の南斜面に岩井山古墳群、
南側の尾根筋に谷田山古墳群が分布している。
       (遺跡地図p48)

820076





地蔵山古墳 円墳 径12m 無袖式横穴式石室は全長5.5m
820077 谷田山1号墳 無袖式横穴式石室は全長5.5m
820078 谷田山2号墳 無袖式横穴式石室は全長5.3m
820079 谷田山3号墳 前方後円墳
全長23m・後円部径13m
820080 谷田山4号墳 円墳 径15m・高さ1.5m
820083 稲荷山古墳 前方後円墳 横穴式石室がある。市指定史跡
820067





岩井山1号墳 円墳 径7m・高さ2m 横穴式石室
820068 岩井山2号墳 円墳 径8m・高さ2m 横穴式石室
820069 岩井山3号墳 横穴式石室 奥壁に石棚
820070 岩井山4号墳 円墳 径9m・高さ1.5m 横穴式石室
820071 岩井山5号墳 円墳 径7m・高さ1.5m 横穴式石室
820072 岩井山6号墳 円墳 径8m・高さ2m 横穴式石室
820073 岩井山7号墳 円墳 径8m・高さ2m 横穴式石室
820074 岩井山8号墳 円墳 径4m・高さ1m 横穴式石室
820075 岩井山9号墳 円墳 径8m・高さ1.8m 横穴式石室
820084 上垣内1号墳 円墳 径12m・高さ1.5m
820085 上垣内2号墳 円墳 径11m・高さ1.5m
820086 外谷山上古墳 円墳 径11m・高さ1.5m
820087 外谷古墳
820088 草ノ上上川原遺跡

1〜4号墳の各墳丘前には説明板がある。

 谷田山古墳群は  現存5基で、うち3号墳は前方後円墳
 地蔵山古墳は、篠山でも有数の見事な巨石墳
 谷田山3号墳は  全長23mの前方後円墳 後円部径13m
  前方部を西側に向けている。
  墳頂には石材を抜いた跡があり、横穴式石室ではないかと考えられている。

3号墳 後円部手前から見る

3号墳 前方部から後円部を見る


前方後円墳の3号墳  右に前方部
 谷田山4号墳は  径15mの円墳 高さ1.5m
  大きく陥没していて、石材も見当たらない。

4号墳墳丘

4号墳墳頂
 谷田山2号墳は  径9mの円墳 高さ2m
  横穴式石室は全長5.3mの無袖式
   石積は1号墳に酷似しており二つの古墳には強い関連性があることがうかがえる

2号墳 開口部
 

2号墳 石室内部
 

2号墳 石室内部から外を見る
 谷田山1号墳は  径8mの円墳 高さ1.5m
  横穴式石室が開口している。
   全長5.5mの無袖式で入口が少し埋まっている。
   奥壁は巨石の2段積み、側壁は3段積になっている。

1号墳 斜面に開口している
 右側に、説明板と石が見えている 

1号墳 開口部
 

1号墳石室 入口はかなり埋まっている

1号墳 石室内部

一番立派な横穴式石室かある地蔵山古墳を見逃した…。

稲荷山古墳
市指定史跡
篠山市小田中
(撮影日2018/12/3)

長福寺の篠山川を挟んで東側の集落に稲荷神社がある。


小田中清五郎稲荷神社

そばには、村雲村道路元標という石碑がある。
その稲荷神社の裏山の頂上に横穴式石室の古墳がある。
標高は260mくらいだが、神社の辺りの標高が240mくらいなので、20mほど登れは山頂に着く。

 稲荷山古墳は  全長30mの前方後円墳 後円部径20m
 稲荷神社の裏山の頂上にある。
 東に開口している横穴式石室は、全長6.35m 
  羨道部は長さ3.85m・幅1m 玄室長さ2.5m・幅3.7m
  平面の形が横に長い玄室に、細長い羨道がつくT字形をしていて、
   大変珍しく市内ではこの古墳だけ
  石材のほとんどは自然石を利用し、玄室の天井部をアーチ状に積み上げている。
 6世紀の築造と推定されている。  (説明板から)

右が後円部    向こう側に横穴式石室が開口している。

前方部から後円部を見る

後円部から前方部を見る

東向きに横穴式石室が開口している。

石室入口

羨道から玄室を見る

奥壁

入口側から左側の側壁を見る

入口から右側の側壁を見る

奥壁から天井にかけて
ドーム状に築いて、一番上に1枚の天井石

玄室から外を見る

最後に珍しい石室が見られて満足!
T字型の石室は、わが地元・石川県にもある。須曽蝦夷穴古墳と柴垣ところ塚古墳。

雨がそれほど大降りにならず、午後4時を過ぎた。

帰路に着くことにする。
篠山川沿いの国道173号線を北上する。
この辺りは、お店がほとんどなく、
「道の駅 瑞穂の里さらびき館」にてようやくトイレ休憩…  

良い道が続くので、その先の「京丹波みずほIC」からは高速道路に入らず、
    このまま173号線を北上、綾部ICから舞鶴若狭自動車道に入る。(17:21)

三方五湖PAで、夕食

午後8時40分帰宅

兵庫県北部の古墳 終わり

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