北村さんちの遺跡めぐり
更新日 2017/5/20
大阪市・四天王寺と古墳 | 大阪市天王寺区四天王寺 2017/3/11 |
茶臼山古墳の北東にある四天王寺には、長持形石棺蓋が保存されている。
四天王寺に古墳があったということか。
これとは別に、現在「熊野権現礼拝石」となっている石材も、石棺材と考えられている。
この「熊野権現礼拝石」は阿蘇ピンク石といわれる石材だ。
JR大阪駅 地下鉄「東梅田駅」から谷町線で「四天王寺夕陽ヶ丘」駅下車、南へ徒歩5分。
四天王寺表参道
四天王寺は南大門が正面だが、
この参道途中にも「乾門」と「中の門」と「石ノ鳥居」という門があり、境内に入ることができる。
乾門
墓苑に入る時、近い門
門の奥に見えるのは元三大師堂
元三大師堂は、寄棟造、瓦葺の建物
1618年建立 重要文化財
実は市天王寺境内では、最も古い建物かも・・・
中之門
中の門から入ったが、やはり、南大門から紹介しよう。
なんと、四天王寺は改修工事中・・・。
回廊の中には入れない。つまり五重塔・金堂・講堂の見学はできないということ。
全体に建物が新しいような気がすると思ったら、
現在の中心伽藍は、昭和38年に完成したもので、鉄筋コンクリート製である。
四天王寺の創建は、推古元年(593)。 聖徳太子が鎮護国家と衆生救済のため、 仏教の守護神である四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)を安置して建てたと伝えられている。 南から北に向かって中門、五重塔、金堂、講堂といった主要な堂宇が一直線上に並び、 それを回廊が囲む建築様式を「四天王寺式伽藍」といい、日本で最も古い伽藍配置様式だ。 たび重なる戦火や災害に見舞われ、多くが焼失したが、現在の建物は創建当時の様式を忠実に再現。 古代の建築様式が今に残るのは貴重といえる。 |
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南大門 |
南大門から入ってすぐの石灯篭の後ろには、 熊野権現礼拝石がある。 |
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熊野権現礼拝石は、 四天王寺四石(転法輪石、引導石、伊勢神宮遥拝石、熊野権現礼拝石)の一つ。 この礼拝石をお詣りすると、熊野権現をお詣りしたことになるという。
赤褐色の安山岩質火山礫凝灰岩で、熊本県宇土半島の馬門の石。 阿蘇ピンク石の名で呼ばれている。 つまり、どこかの古墳の石棺の石材ではないかと思われるのだが・・・・? |
仁王門は閉じられていて、中には入れない。回廊の内部は改修工事中・・・・。
仁王門の奥に五重塔 |
聖霊院は 木造建築。 1979年建立 |
普賢菩薩 |
東重門の奥に五重塔 |
宝物館の前に、石棺蓋が展示されている。
長持形石棺蓋 荒陵(現在の茶臼山古墳)付近から出土したものといわれている。 いつの頃からか四天王寺境内に移されて、亀井堂東の小溝に架けられ、 江戸時代にはその形態から、巻物石、蛙石とも呼ばれていた。 この橋を渡ると安産になると評判になり、四天王寺の七不思議の一つとして言い伝えられてきたが、 明治時代になって、古墳時代の石棺の蓋だと判明してからは移転し、保管されている。 (説明板から)
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石棺蓋の右には、石鳥居 笠石が展示されている。 石鳥居 笠石(部分) 忍性建立の 石鳥居笠石の一部と伝えられている。 西門石鳥居(重要文化財)は、四天王寺の浄土信仰を象徴する建造物。 鳥居の創建は平安中期と推定され、初めは木造であったが、鎌倉時代・永仁2年(1294)、 当時の別当であった忍性上人(1217~1303)の発願により、木造から石造りに改められた。 幾度の災害により、石鳥居も伽藍同様被害を受け、その度に修理を重ねて今日に至っている。 笠石とは鳥居の最上部のこと。 (説明板から) |
宝物館は休館中。翌日からは春季名宝展が始まる。残念・・・・。
亀井堂 |
太鼓楼 |
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左・楽舎 右奥・北鐘堂 手前は 亀の池 |
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石舞台と六時堂 石舞台は、 住吉大社の石舞台、厳島神社の石舞台とともに 「日本三舞台」のひとつ 元は白木造だったが、現在は御影石造 昭和29年に重要文化財に指定された。 |
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六時堂は、 四天王寺の境内中央に位置する雄大なお堂で、重要文化財に指定されている。 1623年建立。 昼夜6回にわたって諸礼讃をするところから、「六時礼讃堂」の名になった。 薬師如来や四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)等をお祀りしていて、 回向(供養)、納骨等を行う当寺の中心道場でもある。 入口には賓頭盧尊者像やおもかる地蔵が祀られ、独特の信仰を集めている。
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大黒堂 |
地蔵堂 |
中之門からから出る
境内から見た中之門
結局、石鳥居は見なかった・・・・
四天王寺では、毎月21日・22日に縁日が開かれていて、にぎわうそうだ。
歴史的建造物が少ないからできることなのかもしれない・・・