北村さんちの遺跡めぐり
掲載日 2014/3/20
近畿の古墳めぐり2013晩秋その1
牧野車塚古墳ほか2013/11/27
大阪にいる長男一家が引越しをしたというので、大阪へ。
その前に、枚方市と四条畷市の古墳見学へ。
5時:57分 徳光IC
6時27分 福井県入る
6時50分 北鯖江PA 休憩
8時30~40分 草津PA 休憩
8時43分 京滋バイパスに入る。
8時56分 小椋ICから国道1号線へ
牧野車塚古墳 国史跡 |
枚方市車塚1-369 |
9時27分、枚方市立中央図書館駐車場に駐車。
そばの「輝きプラザきらら」では、「第16回輝きプラザきらら文化財展示会「ひらかたの歴史」が開催されていた。
禁野車塚古墳・牧野車塚古墳などで出土した埴輪などが展示されている。
見学後、隣りにある車塚公園へ。墳丘に上がれる古墳だ。
空から見た牧野車塚古墳 (輝きプラザきらら内展示から) 牧野車塚古墳は 穂谷川左岸に望む交野台地状の標高22m付近に立地 全長107.5mの前方後円墳 後円部54.5m 前方部幅44m 2段築成 前方部を東に向ける。 幅10mの空濠がめぐっている。西側から南側にかけて外堤が設けられている。 築造当時は二重濠だった。 葺石はみとめられない。 埴輪はある。 埋葬施設は不明 形状から4世紀前半の築造と推定されている。 付近には、赤塚・権現塚・子供塚・ショーガ塚などの地名が知られており、 かつては古墳群があったと考えられている。 (説明板から) 出土品展示 (輝きプラザきらら内展示から) 円筒埴輪 鰭付埴輪 下の二つは 線刻のある埴輪片 |
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北東から見た牧野車塚古墳 左手前 前方部 右奥 後円部 周壕跡の向こうに 浮かんでいるように見える |
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手前・外堤 奥・前方部前面 |
前方部から後円部を見る |
後円部頂 |
後円部から前方部を見る |
後円部から外堤を見る |
左から 外堤 濠 後円部 |
外堤から後円部を見る |
後円部脇から前方部方向を見る 右は外堤 |
外堤上にある陪塚のような高まり |
外堤への上がり口 奥に後円部 |
禁野車塚古墳 国史跡 |
枚方市
宮之阪5-381 |
牧野車塚古墳から南に約2.5km、国道1号線のすぐ北、京阪交野線の線路西側に墳丘。
前方部は広場(史跡公園)となっている。駐車場はない。 10時20分 着。
空から見た禁野車塚古墳 (輝きプラザきらら内展示から) 禁野車塚古墳は、全長110mの前方後円墳 後円部直径57m高さ9.9m 前方部の幅40m 前方部を西に向ける 前方部はかなり削られている。 後円部は2段築成 葺石あり 埴輪あり 後円部に板石があるので、埋葬施設は竪穴式石室である可能性がある。 4世紀末~5世紀初頭の築造と推定されている。 出土品展示 (輝きプラザきらら内展示から) 上 埴輪片 下 石製腕飾類 管玉 |
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東から見た墳丘(後円部側) 京阪交野線の線路がある。 |
西(天野川の堤防)から見た墳丘 広場になっている所が前方部、 奥が後円部 |
前方部から後円部を見る |
後円部頂 |
後円部側から前方部を見る 前方部の向こうには天野川が流れている。 |
道を間違えてモタモタ・・・・・11時過ぎ、 枚方市東香里のつたやでトイレ休憩、
ナビをリセットして、、四条畷市へ。
忍岡古墳 シノブガオカコフン 府指定史跡 |
四条畷市岡山2 |
墳丘は忍陵(シノブガオカ)神社となっている。 11時30分 着。
東側の神社脇に駐車できる。南側にある駐車場は月極の駐車場だそうだ。
忍岡古墳 実測図 (説明板から) 上が東側。 忍岡古墳は 前方部を東に向ける 全長87mの前方後円墳 後円部径45m・高6m 標高36mにある。 墳丘には円筒埴輪が並ぶ 昭和9(1934)年、室戸台風によって忍陵神社が倒壊、 その再建工事中に石室が発見され、その後調査。 |
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忍岡古墳石室実測図 (説明板から) 長さ6.3m・幅1m・高0.75mの竪穴式石室で、 兵庫県猪名川産の板状の石を 丁寧に積み上げている。 盗掘により大半が失われていたが、 紡錘車・鍬形石・石釧(碧玉製)や 小札・剣・鉾・刀子・鏃・鎌などが出土 4世紀中ごろの築造と推定されている。 |
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東側から見た墳丘(前方部) |
前方部から後円部を見る |
後円部から前方部を見る |
西側から見た後円部 奥が前方部 |
後円部頂に建つ忍陵神社 左・新築されたばかりの社殿 右・石室覆い屋 忍陵神社は、地元の鎮守様である。 石室覆い屋は昭和10年に建てられたが、 平成7(1995)年、阪神大震災で傾いたのを機に、 覆い屋再建が計画され、平成14年新しい覆い屋が完成した。 |
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覆い屋の格子穴からみた石室 南側から |
覆い屋の格子穴からみた石室 北側から |
昼食は、長男一家の自宅近くの餃子の王将。
昼食後、孫たちと再会・・・・・。
夕方、岡町商店街へ。
桜塚碑・荒神塚 桜塚古墳群 |
豊中市桜塚1丁目 |
豊中市役所の南側周辺から阪急岡町駅の西側にかけて、かつて桜塚古墳群があった。
阪急岡町駅の東側にある岡町商店街には、桜塚の碑がある。
桜塚碑
原田神社そばにある。
中央の大きな碑には上方に「桜塚碑」と刻まれ、
中ほどに碑文が刻まれていたようだが、
碑文はほとんど読めない
右側の石柱には「荒神塚」と刻まれている。
横にある解説文には
「桜塚地区には多数の古墳が存在した。墳域に桜を植えて桜塚と称し、これが村名の由来になった。
この碑がある所にも古墳があったと考えられているが、
隣地にあった大古墳「荒神塚」が破壊された時に桜の大木の根っこが掘り出されたことから、
これが本当の桜塚だろうと豊中市史には記されている。」
などと書かれている。
読めなくなった碑文の内容 大阪府豊能郡桜塚は元豊島郡の古名村で、48の塚があり、 応神仁徳の時代から平安時代初めにかけてのものである。 これらの古墳の被葬者は豊島郡内の豪族で、国家に功労あった氏族だから、 桜を植えて墳域を飾り、桜塚と称した。 これが村名の由来であるから、村内有志が相謀り碑を建ててこれを顕彰する (大正12年 建立) (豊中たずねある記・サンケイ新聞生活情センターから抜粋 豊中市の図書館所蔵の本から) |
原田神社 正面入り口
原田神社の社伝によると、
桜塚古墳群の故地に創建されたとされる。
本殿は国指定の重要文化財。
摂社十二神社本殿は豊中市指定文化財
豊中市・桜塚古墳群配置図
詳しくは豊中市のページをご覧ください
長男一家の旧宅に宿泊1日目。
神戸の古墳につづく