北村さんちの遺跡めぐり
更新日2013/5/27
河内の古墳探索・その11
仲津山古墳(仲姫皇后陵)周辺2013/4/22
市野山古墳周辺の見学を終え、南下する。午前11時40分。
古市古墳群配置図 (パンフレット)
鍋塚古墳 国史跡 |
大阪府藤井寺市沢田4丁目 |
土師ノ里駅を出たら、目の前にはげ山が・・・・。
整備がほぼ終わった鍋塚古墳だ。
鍋塚古墳 配置図 (説明板から) 鍋塚古墳は 前方部を南西に向ける 現状では一辺40mの方墳だが、 周辺の調査で一辺63mに復元することができる。 2段築成 高さ7m 葺石あり 墳丘から円筒埴輪のほか、家・きぬがさ・盾・ゆぎなどの形象埴輪が採集されている。 仲津山古墳の堤に食い込む位置にあり、堤と同時期もしくは先行する時期に築造されたと考えられている。 4世紀後半の築造と推定されている。 (説明板から) |
北から見た鍋塚古墳 現在は、芝生育成中で立入禁止だが 階段が付いているので、 いずれは上れるようになるのかな? 奥に見える森は仲津山古墳 |
東から見た鍋塚古墳 はげ山は味気ないなぁ・・・・・ |
鍋塚古墳の周辺には「沢田の七ツ塚」と呼ばれた中小規模の古墳が数多くあったが、
戦後の宅地化等の工事のため、次々とその姿を消し、最後に残った鍋塚古墳が昭和31年(1956)、国の史跡に指定された。
(藤井寺HPから)
仲津山古墳 仲姫皇后陵 |
大阪府藤井寺市沢田4丁目 |
「皇后仲姫命仲津山陵」として、宮内庁が管理している。
仲津姫は景行天皇の孫で、応神天皇の妃、第16代仁徳天皇の母である。
仲津山古墳実測図 (説明板から) 仲津山古墳は 前方部を南西に向ける 墳丘全長290mの前方後円墳 後円部径170m・高さ26.2m 前方部幅193m・高さ23.3m くびれ部両側に方壇状の造出がある。 3段築成 幅が狭く深い盾形の濠と、幅の広い堤(基底部で幅45〜50m)がめぐっている。 周壕は、市野山古墳と同じ様にほとんど空濠 古市国府台地の中で最も高所にある前方後円墳。 埋葬移設は不明だが、石棺があったこと、勾玉が出土したことが伝えられている。 外堤上の発掘調査で、円筒埴輪列や外堤外法面の葺石が確認されている。 堤から出土した埴輪には、円筒埴輪のほか蓋・盾・靱等の形象埴輪がある。 5世紀前半の築造と推定されている。 (誉田御廟山古墳より古い) 古市古墳群内では、誉田御廟山古墳の次に次ぐ2番目の大きさで、 全国では9番目に大きい古墳。 後円部北側に鍋塚古墳・高山塚古墳(消滅)の大型方墳がある。 |
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仲津山古墳 後円部の丸み 周壕がきれい!初めから空濠のようだ |
仲津山古墳 後円部脇から前方部方向を見る |
仲津山古墳 北側くびれ部外から後円部を見る |
仲津山古墳 前方部先端の直線部分 |
仲津山古墳 御拝所 |
古室八幡神社 仲津山古墳の前方部北側にある。 |
御拝所は、民家と民家の間の狭い場所にあり、気づかずに通り過ぎてしまいそう。
拝所の前に狭い通りを挟んで、古室山古墳がある。
古室山古墳 国史跡 |
大阪府藤井寺市古室2丁目 |
仲津山古墳の御拝所の南に前方部がある。仲津山古墳と前方部を向かい合わせてつくられている。
陵墓に治定されていないので、墳丘に登ることができる。周濠があったあたりは埋め戻されている。
古室山古墳 北西から見る 中央あたりが後円部、 その左側に前方部 |
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古室山古墳の実測図 (説明板から) 国府台地の西側縁の地形を 利用してつくられている。 古室山古墳は 前方部を北東に向ける 墳丘全長150mの前方後円墳 後円部径96m・高さ15.3m 前方部幅100m・高さ9.3m 後円部頂上の標高が約39m。 3段築成 造出は東側のみ残存している。 葺き石あり。円筒埴輪列あり。 発掘調査では、後円部西側からくびれ部にかけて堤があったことが確認されている。 埴輪は円筒埴輪のほか、家・盾・きぬがさ形埴輪がある。 埋葬施設や副葬品については不明だが、 後円部の頂上に板状の石材が散乱していたので、竪穴式石室だと考えられている。 4世紀末〜5世紀初頭の築造と推定されている。 前方部の北側にある高まりは堤の一部である。 仲津山古墳や誉田御廟山古墳より先行して築造されたと考えられていて、 古市古墳群の中では初期に築造された前方後円墳のひとつである。 |
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古室山古墳 前方部先端から後円部を見る |
古室山古墳 前方部から後円部を見る |
古室山古墳 後円部から見た前方部 |
古室山古墳 南から見た後円部 後円部側に石碑と説明板がある。 |
1615年(元和元)の大坂夏の陣のとき、豊臣方の真田大助が本陣を置いたところだそうだ。
松川塚古墳 |
大阪府藤井寺市古室2丁目 |
史跡指定がされていないので、雑木林となる。
松川塚古墳周辺図 (HP世界遺産暫定一覧表より) 松川塚古墳は一辺20mの方墳。 現在は埋没しているが、 推定幅6mの周壕をもつことが判明している。 |
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松川塚古墳 墳裾東側は駐車場となる |
松川塚古墳 墳丘 北東から |
三ツ塚古墳 |
大阪府藤井寺道明寺6丁目 |
国指定史跡となっている助太山古墳の前に説明板がある。
三ツ塚古墳配置図 (説明板から)
仲津山古墳の南側段丘の下にある3基の方墳
西から
助太山古墳(国史跡)、
中山塚古墳(仲姫皇后陵い号陪冢)、
八島塚古墳(仲姫皇后陵ろ号陪冢)
といい、周濠を共有し、南辺をそろえて築かれている。
助太山古墳は一辺36m
中山塚古墳と八島塚古墳は一辺50mの方墳
5世紀中ごろの築造と推定されている。
助太山の墳丘上には凝灰岩の巨石が露出していて、他の2基より新しい可能性が指摘されている。
北側段丘斜面には埴輪を焼成した登り窯が10基以上発見されていて、「土師の里埴輪窯跡群」と呼ばれている。
昭和53年の調査では、八島塚と中山塚の間の周濠から大小2基の修羅(運搬用の木ソリ)と付属のテコ棒が出土した。
現在、大修羅とテコ棒は大阪府近つ飛鳥博物館に、小修羅は藤井寺市立図書館に展示されている。
助太山古墳 一辺36mの方墳 | |
助太山古墳 南からみる 手前に駐車場らしきものがある・・・・・。 |
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助太山古墳 西からみる |
助太山古墳 北からみる |
中山塚と八島塚は南からは墳丘がよく見えない。
中山塚古墳 一辺50mの方墳 | |
中山塚古墳 南から見る |
中山塚古墳 北から見る |
八島塚古墳 一辺50mの方墳 | |
八島塚古墳 南から見る |
八島塚古墳 北から見る |
盾塚古墳公園につづく・・・・・・