北村さんちの遺跡めぐり
更新日 2013/5/6
河内の古墳探索・その8
黒姫山古墳2013/4/22
我が家での里帰り出産を終えた長男一家が、4月21日、生活拠点の大阪に帰るのに同行。
見届けて、その足で堺市堺区のホテル123に宿泊。
翌日、朝一番に黒姫山古墳へ向う。午前8時着
黒姫山古墳は、百舌鳥・古市の二大古墳群の中間にあるので、百舌鳥とか古市とかで調べても出てこない。
地図を見ていて発見した。きれいな前方後円墳!
駐車場は無いが、しばらくの駐車なら、なんとかなる。
近接の堺市立みはら歴史博物館(M・Cみはら)に駐車してほしいということだが、少し離れている。
黒姫山古墳 国史跡 |
大阪府堺市美原区黒山 |
平成元年から4年にかけて環境整備が行われ、前方部の正面で二段築成の墳丘や葺石、円筒埴輪列が復元されている。
また、南側の広場では、前方部の竪穴式石室と、墳丘上段部にめぐる埴輪の一部が実物大で復元されている。
ガイダンス施設もある。
黒姫山古墳全景 北から
史跡黒姫山古墳歴史の広場全体図
(パンフから)
黒姫山古墳は
古市古墳群の西約3kmの平坦地にあり、前方部を西に向ける。
全長114mの前方後円墳
後円部径64m・高さ11m 前方部幅65m高さ11.6m
後円部に比べて前方部がやや高い。、くびれ部北側に造出がある。
墳丘の周りに幅15〜20mの周壕があり、幅約5mの周堤がある。
2段築成で、
墳丘には墳頂部外縁とテラスに円筒埴輪と朝顔形埴輪をめぐらしている。
葺石がある。
後円部主体部は古くに破壊され石棺が搬出されたと伝えられているが、
主体部上には形象埴輪列が方形に配されていたと確認されている。
前方部中央に墳丘主軸に平行して副葬品埋納用と考えられる河原石積み竪穴式石室がある。
この石室は、長さ4.3m・幅0.7〜0.8m・高さ1.2mで、扁平な河原石を積み上げ、8枚の天井石があり、
中から24個の短甲と冑のセットと鉄製の刀・剣・矛・鏃が出土。
5世紀中ごろの築造と推定されている。
古墳の周辺には、
鎮守山古墳、どん山古墳、けんけん山古墳、さる山古墳、さば山古墳、名称不明
の古墳計6基の小規模古墳が存在していた。(黒姫山古墳群)
昭和21年の発掘調査で、前方部の石室から24個の甲冑が発見された。日本の古墳の出土量としては、全国1位。
昭和53年の発掘調査では、外濠が検出され、周堤帯の存在が確認された。
陪塚とみられる「さば山古墳」は、昭和61年、近畿自動車道建設にともなう発掘調査で、帆立貝式古墳であることが確認された。
1957年(昭和32年)古墳と濠が国史跡に指定され、1978年(昭和53年)周堤やどん山古墳含む地域が追加指定された。
黒姫山古墳 後円部の丸み 北側から |
黒姫山古墳 前方部角 右が前方部前面 |
黒姫山古墳 後円部北東から見る 右奥が前方部 |
黒姫山古墳 前方部角からみる 左奥が後円部 |
黒姫山古墳 周濠と周堤の跡 周堤はつつじで示されている。 |
黒姫山古墳 前方部復元 2段に円筒埴輪が復元されているが、 樹木が大きくなって見えにくくなっている。 |
南側の広場では、前方部の竪穴式石室と、墳丘上段部にめぐる埴輪の一部を実物大で復元している。
黒姫山古墳 前方部復元 奥の森は後円部 |
黒姫山古墳 前方部主体部の復元 右奥の建物はガイダンス施設 |
前方部主体部内部の復元 復元されている前方部主体部は現在、 木の蓋とガラスの蓋で覆われている。 木の蓋をとっても、ガラスがくもっていて中が見えない。 管理している男性が、ガラスの蓋の鍵を開けて、ガラスのくもりを葺いている間に内部を撮影。 近接する堺市立みはら歴史博物館(M・Cみはら)で出土した甲冑等の展示がされているそうだ。 |
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黒姫山古墳群の縮小表示 北側広場では、陪塚的位置にあった6基の古墳が、 地面上に植栽で縮小表示されている。 (よくわからないなぁ・・・・・。) 奥は黒姫山古墳。 古墳群の中の一つ「さば山古墳」は 全長28mの周壕のある帆立貝式古墳と確認された。 ほかに円筒埴輪棺も見つかっている。 |
犬の散歩に来ていた70代前後の男性は、子どもの頃は墳丘に自由に入ることが出来て、
そのころは主体部(後円部か?)がむき出しになっていて、副葬品らしきもので遊んでいたそうな・・・・・・・。
前の山古墳周辺(羽曳野市)につづく・・・・