北村さんちの遺跡めぐり

八尾市   八尾市の地図g

八尾市のしおんじやま古墳学習館に有料駐車場がある。
学習館で、「しおんじやま古墳周辺散策マップ」をもらい、徒歩で周辺を見学。

 鏡塚古墳
府史跡

大阪府八尾市大竹4、5丁目
 (撮影日2012/10/25)

心合寺山古墳の西200m、民家の間の細い道を抜けたところにある。


鏡塚古墳入口

「鏡塚宝山神社」と刻まれた大きな石碑
「鏡塚古墳」の説明が刻まれた四角い石碑
「大阪府指定史跡 鏡塚古墳」と刻まれた縦長の石碑
の3つが立っている。
説明板から、
「標高17m、俗に松山とか腹痛山という。
 墳丘の上部には粘土槨が残り、火葬跡が2ヶ所発見され、石櫃の破片も出土している。
 古墳時代中期末の環濠式前方後円墳で、数年前に採土され、その後に小祠をまつる。
 入口のところに宝山神社の碑がある。」

 説明板に「数年前に採土され」とあるが、はっきりと時期を書いてほしい・・・・・ 

  鏡塚古墳 墳丘

鏡塚古墳 南側の削平されたところにある小祠

ここの土を取ると腹痛が起こるといわれているので、腹痛山ともいわれているそうだ。

説明板には、はっきり前方後円墳と書かれているが、直径28m・高さ5mの円墳とする説もある
1958年に採土中に、粘土槨が検出されたと伝えられているが、詳細は不明。(古墳辞典)

 心合寺山古墳
シオンジヤマコフン
国史跡

大阪府八尾市大竹4、5丁目
 (撮影日2012/10/25)

史跡公園として整備され、墳丘の平坦部には円筒埴輪が並べて立てられている。
これまでの発掘調査で出土した副葬品等は、古墳の脇にあるしおんじやま古墳学習館に展示されている。

心合寺山古墳 北西角から見る

本来の墳丘がかなり削られて、
  濠が大きくなってしまっている。
濠が大きいので、墳丘が小さく見える。
心合寺山は「シオンジヤマ」と読む。
古墳の西側に飛鳥時代後期に造営されたお寺に由来していると考えられている。

心合寺山古墳現在の復元図
  (:現地案内図から)

点線は、元の墳丘の推定図
   (現地パンフを元に加筆)
心合寺山古墳は 全長160mの前方後円墳
後円部の直径92m・高さ13m 前方部幅90m・高さ12m
前方部が南方、後円部が北方にある。西側くびれ部に造出がある。
三段築成。
生駒山地の麓に等高線に沿うように築かれて、
  周濠は南側と北側の2か所で堤を造って区切られているため、その東西で水位が異なる。

前方部の方形壇の下に、1つの木棺が見つかっている。
後円部には、東西7.5m・南北11mの隅丸方形の墓壙があり、
 その中に東西に並んだ長さの違う3つの粘土槨がみつかっている。
  (長さ7.7mの「中央槨」 長さ7.3mの「西槨」 長さ6mの「東槨」 )
 西槨におさめられていた組合式木棺から、
  短甲や冑、鏡、針、勾玉や管玉、竪櫛、三葉環頭太刀をはじめとする刀剣類が出土した。
墳頂には、家形やキヌガサ形などの形象埴輪の破片が出土していて、
  本来は埋葬施設の上にいろいろな埴輪が並べられていたと考えられている。
造出からは、切妻造りの家」と「塀を表現した囲み形」と「導水施設」が一体となった埴輪が見つかっていて、
  水の祭祀場を表したと考えられている。
5世紀初めの築造と推定されている。


 周壕の南西角から見た心合寺山古墳
濠が大きいので前方部がちょっと見えるだけ

  心合寺山古墳  前方部前面

心合寺山古墳前方部の方形壇から後円部を見る
  この方形壇の下に木棺が埋まっていた。

  心合寺山古墳
   前方部中央あたりから後円部を見る

  心合寺山古墳後円部
 3つの埋葬部が示されている

  心合寺山古墳 後円部から前方部を見る
  右中央付近に造出も見える

心合寺山古墳の造出部

造出部から、
 家形・壺形・蓋形・鳥形などの
 形象埴輪が出土した。
「水の祭祀場を表した埴輪」も出土した。

三重県の宝塚1号墳の造出からも「水の祭祀場を表した埴輪」が出土していたことを思い出した・・・・・・。

愛宕塚古墳
府史跡
高安古墳群

大阪府八尾市神立4丁目
 (撮影日2012/10/25)

わかりにくい狭い道を歩いて到着。しおんじやま学習館でもらったパンフがなければ着かないかも。

高安古墳群は、6世紀に築造され、横穴式石室をもつ古墳の集まり。
 300基以上確認されている

服部川・大窪・山畑、郡川地区には特に密集していて、「高安千塚」と呼ばれている。
その中で、愛宕塚古墳は群中最大規模の横穴式石室をもつ。

愛宕塚古墳は 径22.5m・高さ9mの円墳
南に開口した両袖式横穴式石室は全長15.78mで、府下最大級
 玄室長さ7.2m・幅2.5〜3m・高さ3.9〜4.2m 羨道の長さ8.7m・幅1.95m〜2.15m・高さ2.2m
  (数値は続古墳辞典から引用)
 2種類の家形石棺片が、出土して、一つは二上山の白色凝灰岩、もう一つは播磨系の石材と確認されている。
鉄製品・馬具・金銅製装飾類・土器・玉類・ねじり環頭太刀の一部・須恵器など多数の副葬品が出土
   (出土品は大阪府指定文化財 八尾市立歴史民俗資料館で保管)
6世紀後半の築造と推定されている。


  愛宕塚古墳墳丘を、進入道から見る

   愛宕塚古墳石室入口

 愛宕塚古墳 羨道入口からみる
長すぎて、懐中電灯の光しか見えない

  愛宕塚古墳玄室
  大きい・・・・・!

愛宕塚古墳 玄室から入口を見る
 


愛宕塚古墳墳頂からの眺め

石板の説明板を写真に撮ったが、読めない・・・・・
説明板の裏面には、愛宕塚古墳の進入路をつくるために百万円の寄付を受けたと刻まれている。

向山古墳
府史跡

大阪府八尾市神立4丁目
 (撮影日2012/10/25)

愛宕塚古墳の北方にある。現状は林。しおんじやま学習館でもらったパンフがなければ着かないかも。

向山古墳は独立丘陵を利用してつくられた西向きの全長55mの前方後円墳
 後円径約30m・高さ約7m 前方部長さ28m・高さ5m
 墳頂の標高約75m、周辺水田からの比高約25m
墳丘は早くから開墾されて、植木畑となり、後円部は一部が採土されたため、大きく変形している。
古墳時代前期の築造と推定されている。

後円部南側の池畔には、平安時代末期の瓦窯跡がある。
 ここで焼かれた瓦は、宇治の平等院 京都の醍醐寺など近畿各地に運ばれた。 (説明板)


向山古墳
ため池の向こうにある。
渡り堤の手前に石板の説明板がある。

写真中央あたりが前方部か?

向山古墳

藪の中にあり、墳丘の確認は難しいが、
透けて見えているのは、前方部かな?


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