北村さんちの遺跡めぐり
池田市 池田市の地図g
一乗院 |
大阪府池田市鉢塚 |
鉢塚から南へ100mくらいにある。案内板に池田市の重要文化財があると書かれている。
一乗院
本尊の木造 聖観音立像(12世紀末の制作)、
木造 多聞天立像(12世紀の制作)、
木造 春日竜神立像(室町時代の制作)は
いずれも池田市重要文化財の指定を受けている。
この三つの池田市重要文化財の説明板がある。実物は収蔵庫に納められている。
二子塚古墳 |
大阪府池田市井口堂1-5 |
住宅に囲まれて残っていて、道も狭く、駐車するところがない。
全長70m・高さ10mの双円墳といわれている。
古墳の周りは金網で囲まれており入り口にも鍵が・・・・
と思ったら、開きました。
稲荷の祠があるので、お参りしている女性も見かけた。
階段を登ると、立派な石室が露出してる。
円墳を二つくっつけたような形の双円墳だという
(前方後円墳という説もある)。
別名「稲荷山古墳」とも言われ、赤い鳥居が並ぶ。
破壊されている東側の石室。
残っている西側の石室
玄室に入った私。
入り口は狭い。
玄室の長さ4m・高さ1.8m・幅1.5mの
両袖式の横穴式石室。
6世紀代の築造と推定されている。
羨道部は長さ1.5m・高さ0.7m・幅0.9mだが、天井石はない。
西側石室内部の様子
玄室部分がそのまま露出している。
奥壁は一部破壊されているので、
中は日が差し込み明るい
。
石垣のように隙間なく積み上げられている石。
2つの横穴式石室を持ち、その間隔は17m、各石室を中心に約25mの半径で円を描くという。
住宅街の中に、取り残され現状のまま保存された古墳。
造られたときは、周辺はどんなふうだったのか?
当時に戻って見てみたい!
鉢塚古墳 |
大阪府池田市鉢塚 |
二子塚古墳の西には鉢塚古墳という、大きな横穴式石室を持つ古墳がある。
阪急宝塚線池田駅から南東に、20分ほど歩く。最後はかなりの上り坂。
鉢塚古墳は、五社神社にある。2、3台の駐車場がある。
五社神社と鉢塚古墳 墳丘はよくわからない |
五社神社正面 「五社神社」と刻まれた石碑の右側に 「史跡鉢塚古墳」と刻まれた石碑も立てられている。 |
拝殿から見た五社神社本殿 |
鉢塚古墳石室は、 五社神社の奥の院となっている。 本殿の右側奥に鉢塚古墳への通路があり、 戸をあけると、石室が見える。 |
鉢塚古墳は径45mの円墳 周溝を含めると径60mの規模となる。(2001年発掘調査) 北側には幅約3mの周濠が残る。 両袖式横穴式石室は、全長14.9m 玄室長さ6.5m・幅3.2m・高さ5.2m 羨道長さ8.4m・幅1.7m・高さ2.1m 家形石棺があったと考えられている。 玄室内にある十三重塔(石造)は 室町時代前期のもので、国の重要文化財となっている。 |
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鉢塚古墳石室 入口右側から写す |
鉢塚古墳石室入口左側から写す 石棺材で補修されている? |
鉢塚古墳 羨道 羨道の途中に扉があって玄室まで入る事はできない。 |
鉢塚古墳 羨道から入口を見る |
鉢塚古墳 扉の間から玄室を見る センサーで内部は明るくなる 高い天井! |
鉢塚古墳 玄室 カメラを床にくっつけるようにして、 玄室の天井を写す。 |
五月丘古墳 |
大阪府池田市五月丘 |
資料館に併設された図書館の横からゆるやかな坂を登ったところに、五月丘古墳がある。
公園駐車場がある。
五月丘古墳
径8mくらいの円墳。
覆い屋に石室が保存されている。
昭和36年に発見された。
古墳時代末期の7世紀に築造と推定されている。
被葬者は秦氏一族か?
長さ3.5m・幅0.7m・高さ0.7m(残存部分)の無袖型石室内に
須恵質の家形四柱式陶棺(長さ1.95m・幅0.46~0.6m・深さ0.46m)の身が残っていた。
家形四柱式陶棺…2列16本の足がつき、脚上部と身の四隅に槨1列の竹管文がほどこされているもの
石室のようす
陶棺が展示されている。
石室内は盗掘されていた。
両側の壁石は
奥壁とかみあう長さ56cmの側壁を残すだけで、
羨道部は欠失していた。
この陶棺と須恵器一つしか出土しなかった。
五月丘古墳石室実測図(案内板から)
石室の様子だけが、展示されていて、どこからどこまでが古墳なのかはわからない。
径8mの円墳というわりには、立派すぎる石室だ。
池田茶臼山古墳 |
大阪府池田市五月丘 |
五月丘古墳のすぐ北の茶臼山公園にある。
池田茶臼山古墳は昭和32年に始まった五月丘区画整理事業で破壊の危機に直面したが、
有志が集まり、保存運動を展開し、保存されることになった。
池田茶臼山古墳
後円部への登り道
池田茶臼山古墳
後円部から前方部を見る
後円部裾から
五月山丘陵の鞍部に築造された
全長62mの前方後円墳。
後円部径33m・高さ6.64m
前方部幅18m・高さ3.45m
典型的な前期古墳としての形態を持つ。
墳丘には上下2列の葺石が取りまき、円筒埴輪が立てられている。
石英粗面岩の割石積みの竪穴式石室(長さ6.35m・幅1m・高さ1.0~1.2m)がある。
石室は底部に粘土棺床をしつらえ壁面の板石の面にベンガラが塗布されていた。
盗掘にあっているが、脚付椀形土器・碧玉製石釧・碧玉製管玉・ガラス玉・鉄製品が出土。
後円部北東裾部とくびれ部頂に埴輪円筒棺が出土し、くびれ部の円筒棺から刀子が出土した。
4世紀後半の築造と推定されている。
茶臼山公園の横には、「塩塚公園」というのがある。これもかつては古墳だったのだろうか?
娯三堂古墳 |
大阪府池田市五月丘 |
茶臼山古墳の北、児童センターの横の薄暗い道をのぼったところに娯三堂古墳がある。
円墳だというが、四角くみえる。
娯三堂古墳 |
娯三堂古墳 |
娯三堂古墳は、
標高109.5mの尾根上に築造された、径27m・高さ5mの円墳。
古墳時代前期(4世紀末)の円墳。
1897年に発掘された。
古墳の頂部に竪穴式石室と粘土槨が並べて設けられている。
葺石はないが、家形埴輪が出土している。
竪穴式石室から
画文帯神獣鏡1・管玉3・土師器1・碧玉石釧1・碧玉管玉
・鉄刀・鉄剣・鉄斧・刀子・用途不明鉄器1・甕形土器が出土。
池田茶臼山に引き続き築造されたものと推定されている。
墳丘規模が縮小し外表施設が簡略化されていること、
娯三堂古墳に後続する古墳が見られないことから、
古墳時代前期における地域の勢力が衰退したことを示していると考えられている。