北村さんちの遺跡めぐり

豊中市   豊中市・池田市の地図g

 原田神社

大阪府豊中市中桜塚
 (撮影日2012/10/19
)撮影日2013/11/27

阪急岡町駅の東側、岡町商店街の中ほどにある。この商店街は、原田神社の門前町として栄えたのではないだろうか。
社伝によると、創建は奈良時代以前、天武天皇の時代にさかのぼるといわれている。

原田神社 正面入り口
  撮影日2013/11/27

原田神社の社伝によると、
 桜塚古墳群の故地に創建されたとされる。

本殿は国指定の重要文化財。
摂社十二神社本殿は豊中市指定文化財


原田神社本殿   撮影日2012/10/19
国指定重要文化財

慶安5年(1652年)の建立
 (棟札から確認されている)
五間社流造の形式を持ち、
正面に千鳥破風および軒唐破風がみられ、
屋根は檜皮葺(ヒワダブキ)

 桜塚古墳群について

大阪府豊中市
 (撮影日2006/10/21)

豊中市役所の南側周辺から阪急岡町駅の西側にかけて、かつて桜塚古墳群があった。
桜塚36墳といわれていたが、現在は5基しか残っていない。
この古墳群は、大阪北部における最大のものだという。

豊中市・桜塚古墳群配置図

名前 大きさ 時期 埋葬施設 その他
 大石塚古墳  前方後円墳
 
全長90m
 4世紀末  葺石・埴輪 
 小石塚古墳  前方後円墳
 全長49m
 4世紀末  粘土槨  葺石・埴輪
 大塚古墳  円墳
 直径56m・高さ8m
 5世紀前半  割竹形木棺3  埴輪
 御獅子塚古墳   前方後円墳
 全長55m
 5世紀前半の中ごろ   2つの埋葬施設   埴輪・葺石
 南天平塚古墳   帆立貝形前方後円墳
 後円部直径24m
 5世紀後半  割竹形木棺1  埴輪
 消滅   狐塚古墳  前方後円墳
 全長27m
 5世紀中ごろ〜後半   粘土槨2
 消滅  北天平塚古墳   円墳
 径21m
 粘土槨に木棺  埴輪

狐塚古墳は全長27mの前方後円墳だったが、消滅した
埋葬施設は2基の粘土槨(西槨・東槨)だった。
西槨から、短甲・衝角付冑・鉄鉾・鉄鏃、やりがんな・馬具が出土した。
東槨から・鏡・鉄剣・鉄刀・駆使が出土した。
両棺外に盾が置かれていた。
5世紀中ごろ〜後半の築造

北天平塚古墳は径21mの円墳だったが、昭和10年代に消滅した。
幅7mの周濠があった。
埴輪片が出土した。
埋葬施設は粘土槨に木棺で
棺内から、鉄刀・鉄鉾・鉄鏃・刀子・やりがんな・馬具
棺外から、盾・短甲・衝角付冑・鉄地金銅装眉庇付冑などが
出土した。

桜塚のあたりは豊中市の中心あたりだが、わき道に入ると駐車ができないくらい道が狭い。

桜塚碑・荒神塚
桜塚古墳群

豊中市桜塚1丁目
 撮影日2013/11/27

豊中市役所の南側周辺から阪急岡町駅の西側にかけて、かつて桜塚古墳群があった。
阪急岡町駅の東側にある岡町商店街には、桜塚の碑がある。

桜塚碑
原田神社そばにある。


中央の大きな碑には上方に「桜塚碑」と刻まれ、
  中ほどに碑文が刻まれていたようだが、
  碑文はほとんど読めない
右側の石柱には「荒神塚」と刻まれている。
横にある解説文には
「桜塚地区には多数の古墳が存在した。墳域に桜を植えて桜塚と称し、これが村名の由来になった。
この碑がある所にも古墳があったと考えられているが、
隣地にあった大古墳「荒神塚」が破壊された時に桜の大木の根っこが掘り出されたことから、
これが本当の桜塚だろうと豊中市史には記されている。」
などと書かれている。

読めなくなった碑文の内容
大阪府豊能郡桜塚は元豊島郡の古名村で、48の塚があり、
  応神仁徳の時代から平安時代初めにかけてのものである。
これらの古墳の被葬者は豊島郡内の豪族で、国家に功労あった氏族だから、
  桜を植えて墳域を飾り、桜塚と称した。
これが村名の由来であるから、村内有志が相謀り碑を建ててこれを顕彰する 
     (大正12年 建立)
(豊中たずねある記・サンケイ新聞生活情センターから抜粋 豊中市の図書館所蔵の本から)

 

 大塚古墳
桜塚古墳群)

大阪府豊中市
 (撮影日2006/10/21)

大塚古墳は豊中市役所の南、大塚公園の中に保存されている。
桜塚古墳群最大の円墳。


大塚古墳全景
桜塚古墳群の東部支群代表
5世紀前半の築造

段と墳頂には埴輪が並べられていた。
円筒埴輪のほか、家・盾・きぬがさ・動物などの形象埴輪も出土した。





大塚古墳実測図
直径56m・高さ8mの円墳
濠幅12〜13mで濠を含めると直径80mの円墳になる。
3段築成で墳頂は平坦


現在は2段に復元してある

墳頂の平坦面
主体部の様子がわかるようになっている。
遺体を南北にして3体葬られていた。(割竹形木棺)

東側には長さ3.6m・幅1.6mの粘土槨に一体、
中央と西側は同じ墓坑(長さ10m・幅6.3〜6.5m)で
長さ7mほどの割竹形木棺が二つ埋葬されていて、それぞれに遺体が葬られていた。
三つの埋葬施設はそれぞれ第1主体部(東側)・第2主体部東槨・西槨と呼ばれている。

これらの中には短甲・兜など鉄製品を中心とした多くの武器・武具が納められていた。

全国で始めての石製把付短剣(長さ38cm)や
中国漢代の鏡をモデルにした方格規矩獣文鏡
長さ3cmの勾玉
など(三つとも国重文)も出土した。

 第1主体部   硬玉製勾玉・璧玉製勾玉・同管玉・ガラス製平玉・同小玉 
 ・滑石製そろばん玉・鉄刀・鉄鏃など
 第2主体部   東槨  方格規矩獣文鏡・鉄刀・鉄剣・刀子・冑・短甲・櫛など
 東槨棺外    鉄槍・革製盾
 西槨  鉄刀・袋状漆製品
 西槨棺外  鉄斧・石製短剣・鉄鏃など

計500点以上が出土した。

 御獅子塚古墳
桜塚古墳群)

大阪府豊中市中桜塚
 (撮影日2006/10/21)

桜塚古墳群の1基。
大塚古墳の道路を挟んで南にある南桜塚小学校の東隅に復元保存されている。
敷地内は立ち入り禁止。


御獅子塚全景
大塚古墳墳頂から写す。
周濠のある南向きの前方後円墳。
全長55m(周濠を含めると70m)の前方後円墳
後円部径35m・高さ4m  前方部幅40m・高さ35m
周濠幅約7m・深さ0.7m


御獅子塚後円部
北側から写す
墳丘に登る階段があるのに立ち入り禁止
5世紀前半の中ごろに近い時期の築造。


御獅子塚古墳実測図
2段築成で、2段目斜面にだけ葺石があった。
埴輪は1段目平坦面に径約18cm・高さ50cmのものが並べられている。
埴輪は円筒埴輪と朝顔形埴輪。
7本に1本の割合で朝顔形埴輪が配されている。
これらの中には焼きの硬いもの(須恵質)も少し見られる。



後円部頂に2つの埋葬施設がある。
これらのなかには鉄製品を中心とした武器・武具が多く納められていた。

出土品リスト
 棺内  鏡・玉類・甲冑・鉄刀・鉄剣・鉄鏃・鉄製農具など
 棺外  盾・馬具など
 その他   碧玉製管玉・滑石製臼玉

 南天平塚古墳
桜塚古墳群)

大阪府豊中市
 (撮影日2006/10/21)

御獅子塚の南にあり、一部しか残っていない。
桜塚古墳の中では最後の時期に造られた古墳。
住宅地として整理されたときに、道路によって4分の3が削られ、現在は北西部分が扇形で残っている。

南天平塚古墳
西側から写す
直径24mの円墳
5世紀後半の築造

2段築成で、1段目のテラスに埴輪が並べられていた。
周りには幅7mの濠がめぐっていた。
案内板には「墳丘の南側には弧状に配列された埴輪列から、直交して突出する部分があった。」
とあるので、帆立貝形の前方後円墳といえるのではないか?


南天平塚古墳北側から写す
古墳を取り囲んで道路がある。
主体部は、粘土槨で、2基の木棺が埋葬されている。
木棺はコウヤマキ製の丸太をたてに割ってくりぬいた形のもの(割竹形木棺)で、
 長さ2.9m・幅0.85〜0.75m。
これによって初めてこのタイプの木棺の構造が明らかになった。
副葬品として、、変形六獣鏡や革製の盾・鉄製の太刀・槍・鏃・短甲などの武具や馬具が出土。

 大石塚・小石塚古墳
桜塚古墳群)

大阪府豊中市
 撮影日2006/10/21
 2010/7/4

2006年10月に行ったときは入口がわからなかった。

「大石塚・小石塚古墳」という
石碑がある柵から園内を写す

(南側)

公園の東側の柵から園内を写す。
くびれ部あたりか。




2010年7月もう一度行ってみたところ、 公園の西側の真ん中辺りに入口があった。




大石塚・小石塚古墳配置図

    (説明板から)

北に小石塚古墳、南に大石塚古墳
二つの古墳の間に立ち入ることができ
そこに説明板がある。

この付近は、現在のような住宅地となるまでは、原田神社の山林の一角だった。
御位塚古墳というのもあったが、消滅した。

南の大石塚と北の小石塚は、ともに前方後円墳で、いずれも、ほぼ南北一直線上に並んで造られている。
桜塚古墳群西支群代表
その位置関係によって、南石塚・北石塚とも呼ばれている。
伝承では宣化天皇皇女石姫・小石姫の墳墓となっているが、宣化天皇は6世紀中ごろの天皇だからおかしい。
大石塚古墳は全長90mの前方後円墳
後円部径48m・高さ6m、前方部の高さ2.8m
後円部・前方部ともに三段築成。
墳丘に川原石を葺石に用い、石塚の呼称の起こりを示唆している。
円筒埴輪を巡らし周濠を持つ。
その周濠は前方部西側に凹地として残っている。
内部は未調査である。
古墳時代前期末(4C末)の築造と推定。

小石塚古墳は大石塚古墳の半分位の規模で、崩れが激しいため現形に修復保存された(S55)。
全長49mの前方後円墳
2段築成。円筒埴輪・葺石がある。
埋葬施設は後円部中央にあり、粘土槨(長さ7.4m・幅3.1m)の木棺(長さ5.3m・幅0.55〜0.75m)である。
埋葬施設内は未調査。
古墳東側のみに堀の存在が確認されている。
古墳時代前期末(4C末)の築造と推定。

小石塚古墳墳丘
 南から


奥に見えるのが後円部かな。


大石塚古墳の後円部
北側から


大石塚古墳後円部
 少し東に入ったところから


大石塚古墳実測図
(説明板から)

豊中市の遺跡おわり

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