北村さんちの遺跡めぐり

堺市西区    百舌鳥古墳群の地図g

百舌鳥ミサンザイ古墳
履中天皇陵

堺市西区石津ヶ丘
 (撮影日2013/4/23)

現在は百舌鳥耳原三陵の南陵・履中天皇陵として宮内庁が管理している。
石津ヶ岡古墳・百舌鳥陵山古墳ともよばれている。

 百舌鳥ミサンザイ古墳墳長365mの前方後円墳
 後円部径205m・高さ27.6m 前方部幅235m・高さ25.3m (日本で3番目の大きさ)
 西側くびれ部に造出がある。
 3段築成
 主体部の構造や副葬品などは不明
 葺石あり 埴輪あり、
 一重の盾形周濠と堤がめぐっているが、
 平成6年(1944年)に、外側に幅10m程の2重目の周濠が見つかっている。
 江戸時代の記録には、後円部中央に大きなくぼみがあったと記されている。
 5世紀前半の築造と推定されている。
 陪塚は、10基以上あった。
 陪塚の七観山古墳の出土資料などから、
  大仙古墳(仁徳天皇陵)よりも古くに造られたと考えられている。


百舌鳥ミサンザイ古墳

北東から見る



百舌鳥ミサンザイ古墳(履中天皇陵)に
     夕日が沈む・・・・・・。




 いたすけ古墳の濠ごしに見る

南側に御拝所があるのだろうが、先を急ぐので、北側から眺めただけであきらめる。
  
寺山南古墳

堺市西区上野芝町5丁
 (撮影日2013/4/23)

七観音古墳の南側にあったのに、勘違いして、大仙公園の築山ばかり写真を撮り・・・・・・。
大仙公園のすぐ外側にあり、現在雑木林となっている。
写真がない・・・・・。


寺山南山古墳の図
 (HP世界遺産暫定一覧表より)

寺山南山古墳は、
長辺が約41.5mの長方形の方墳
高さは、現状約3.4m(上部が削り取られている)
周壕があった
2段築成
 履中天皇陵の後円部の北側にある
 平成22年度の範囲確認調査で、墳丘テラスの埴輪列並びに上段斜面の葺石が検出され、
   正方形と考えられていた墳丘は、やや北東〜南西辺の長い長方形の方墳と判明した。
 また、履中天皇陵古墳の外周溝の痕跡も検出された。
 が、百舌鳥ミサンザイ古墳(履中天皇陵)との関係は明らかになってはいない。 

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