北村さんちの遺跡めぐり

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三日市古墳群・第10号墳

大阪府河内長野市中片添町
 撮影日2015/12/6

三日市古墳群第10号墳が中片添第2公園にあるというので、探したら、公園の北側の崖の下に移築されていた!
びっくりです。

 三日市遺跡は 旧石器から近世にかけての遺跡だが、古墳時代の集落跡と群集墳(三日市古墳群)がある。
 三日市古墳群は 4世紀から7世紀前半にかけて築かれた古墳群で、22基の古墳が見つかっている
 三日市古墳群第10号墳
  直径約14mの円墳。幅4mの周溝がある。(発掘調査時には、墳丘はすでに削られていた。)

  横穴式石室は全長7.2m 玄室の長さ3.9m・幅1.9m 羨道長さ3.3m・幅1.05m
   壁の石積は2~3段しか残っていないが大きな石は高さ1.3m
   玄室から、土師器の壺や鉢など10点、須恵器22点、

  金銅・銀張装飾の太刀や鉄製太刀、鉄鏃、鐙などの武器や馬具が73点
  金銅製耳環2点、ガラス玉3点などの装飾品も出土
  周溝から土師器5点、須恵器30点、鉄器3点が出土
  とくに金銅・銀張装飾の太刀は圭頭柄頭太刀(ケイトウツカガシラタチ)と呼ばれるもので、
     銀細工もようは百済で出土しているものに類似し、近畿地方の出土例は少なく貴重。

  6世紀中ごろの築造と推定されていて、追葬があったとわかっている。

  溝からの出土品は6世紀中ごろ、玄室のものが6世紀末ころのものと考えられていて、
    埋葬は最低2回行われ、最初の埋葬の副葬品を2回目の時に石室の外に片付けたと考えられている。

石室実測図 (説明板から)

10号墳の横穴式石室は中片添第2公園に移築復原されている。

元は、約500m北にある現在の中片添第一公園付近にあった。

三日市古墳群第10号墳の移築保存 崖の上が公園

崖の上から見た三日市古墳群第10号墳

三日市古墳群第10号墳 石室を入口側から見る

三日市古墳群第10号墳 石室を奥壁側から見る

塚穴古墳

大阪府河内長野市上原町
 
撮影日2015/12/6

ナフコ河内長野店やエティオン河内長野店などの駐車場の中に保存されている。

 塚穴古墳は  横穴式石室があるが、築造当時のものがそのまま残っているわけではない

 昭和61年の調査で、石室が近世に壊され、再度組み直されたものであることがわかった。
 石室の石材をよく見るとその頃につけられた、石を割るためのクサビの痕を見ることができる。
 平成8年の調査では、石室内部に堆積している土砂を取り除くと
      床に穴を掘って埋められている甕が4基見つかった。
 この甕のうち3基には成人の仮葬骨が納められていた。

 石室内部に堆積していた土砂の中からは、五輪塔や宝篋印塔などの石造物が多く出土し、
 土器や陶磁器に混じって、永楽通宝や寛永通宝などの銅銭も出土。
 石造物に刻まれていた年号と寛永通宝から、これらの遺物は江戸時代のものと考えられている。

 塚穴古墳の石室は江戸時代に組み直されたあと、
   内部を墓地として使っていたものと考えられている。
 地元の伝承には大阪城築城の際に古墳の石材を運ぼうとしたところ、
   何らかの事情により元の場所に戻した、というものがある。
                (説明板から)

形は古墳だが・・・・

石室は、何かおかしい・・・・

墓地として大事にされてきたのだろう。

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