北村さんちの遺跡めぐり
更新日 2003/6/16
滋賀県・湖東の旅 2003/4/29
2003年のゴルデンウィークの旅は近江の旅。
天気予報では翌日は雨なので、日帰りということで朝6時50分に出発。
美川インターから高速に入り、8時30分敦賀インターで高速を下り、
近江塩津(伊香郡浅井町)の塩津丸山古墳を目指したが、通り過ぎてしまい、次の目的地山本山へ。
地図g
若宮山古墳 | 滋賀県東浅井郡湖北町山本 (撮影日2003/4/29) |
湖北町の山本山の南西の丘の先端部にある前方後円墳。
説明板を見つけその裏山に登ってみた。
そこは神社であったが、古墳らしくはない。
さらにその上も少し登ってみたが、結局わからず断念。次の目的地へ
若宮山古墳 |
全長50mの前方後円墳。 |
古保利古墳群 |
前方後円墳11基を含む100以上の古墳群。 |
物部古墳群 |
巨大化した前方後円墳4基がある。 |
午前10時です。ALPLAZA長浜でトイレ休憩の後、愛知郡へ。
地図g
自宅を出発して4時間ようやく古墳に出会えた!
依智秦氏の里古墳公園 えちはたうじのさと |
滋賀県愛知郡愛荘町上蚊野 |
秦庄町の上蚊野(かみかの)地区には102基、近くの蚊野外(かのと)古墳群には196基の古墳があり、
併せて金剛寺野(こんごうじの)古墳群と称されていた。
ほとんどが農地になり、今は当公園(上蚊野地区)の10基と上蚊野の八幡神社内などの7基しか残っていない。
6世紀中頃から7世紀初めに築造された円墳。
土まんじゅうがポコンポコン |
ここの古墳の石室は大きく分けて2種類になる。
一つは横穴式石室で、これは比較的大型の古墳に見られる。
もう一つは竪穴系横口式石室と呼ばれ、階段式の石室構造になっているものだ。
この竪穴系横口式石室は、5世紀前半に北九州から伝えられた構造で、近江では6世紀中頃から出現する。
竪穴系横口式石室のたぬき塚(7号墳)全景 |
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竪穴系横口式石室(たぬき塚) |
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横穴式石室の百塚(1号墳)全景 |
最高の景色のところで、おまけにとってもいい天気で、ピクニックの家族連れがいた。
田んぼの中の古墳ということでは金沢のおまる塚などと似ている。
依智秦氏の里から南に行くとすぐ湖東町に入る。
勝堂古墳公園 |
滋賀県東近江市勝堂 |
ここも田んぼの中にある古墳で、公園とは言うものの草を刈り取って見学しやすくしてあるだけ。
でも保存の方法としてはこれでいいのかも。
県下でも有数の規模を誇る古墳群。
古墳群の範囲は勝堂の全域に及び、江戸時代には48基があった。今は8基が残っている。
古墳時代後期(6世紀後半)の大型群集墳。
特に赤塚・弁天塚の2基は最も東側の緩傾斜の最高位に位置することから、
当時強い権力をもっていたものの墓と考えられている。
赤塚古墳 直径32m・高さ5.2mの円墳で周濠がある。 |
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赤塚古墳 石室開口部 |
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赤塚古墳の石室内部 横穴式石室で、 |
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弁天塚全景 赤塚古墳の北西40mに位置する。 |
すぐ横の田んぼでの農作業のおじさんたちは、私たちを「なんと物好きな」という目で見ていた。
今日は朝御飯が早かったので、11時ごろからお腹がすいていた。
そろそろ12時。
近江八幡市のアピアというショッピングセンターで昼食を食べて、ほっと一息。
午後からもがんばるぞ!
住蓮坊古墳 |
滋賀県近江八幡市馬淵町 |
岩倉山の麓に馬見岡神社(祭神天津日子根命・天戸間見命)がある。
地名のとおり山頂には磐座(いわくら)がある。
岩倉山からは御影石が産出され、大阪城築城の際にも活躍した。
千僧供の地名は、平清盛の菩提を弔うために、
平氏がこの地を延暦寺に千僧供養料として寄進したことにちなんでいる。
馬見岡神社 「延喜式」にのる式内社。
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岩倉山の山腹には岩倉山北古墳群・南古墳群、妙感寺古墳、
神社前の水田中には千僧供古墳群(住蓮坊古墳・供養塚・岩塚・トギス塚)など
5世紀中頃から7世紀代の古墳がまとまってある。
馬見岡神社の道路の反対側に古墳らしい小山が見える。
これが千僧供古墳群・住蓮坊古墳だ。
千僧供古墳群・住蓮坊古墳 千僧供古墳群の東北方に位置する。 |
この古墳の墳頂にある2基の墓は、江戸時代に建てられたもので、
鎌倉時代、当地で処刑されたと伝えられる、法然の弟子住蓮と
同じ時京都で処刑されたという安楽の二僧を弔うためのものだそうだ。
住蓮坊古墳から周りを見回したけれど、この古墳ほど大きいものは見当たらないので野洲へ向かう。
大岩山古墳群(国史跡)について |
滋賀県野洲町辻町・小篠原・冨波 |
野洲には24口もの銅鐸が発見された大岩山遺跡と、
大岩山古墳群(冨波古墳・小冨波古墳・大塚山古墳・亀塚古墳・天王山古墳・丸山古墳・甲山古墳・宮山2号墳
など)がある。
それを記念して1988年(昭和63)歴史民族資料館・銅鐸博物館が開館した。
大岩山古墳群配置図
宮山2号墳 |
滋賀県野洲町字阿部 |
銅鐸博物館の敷地内にあるのが宮山2号墳だ。銅鐸発見の契機となった土取り中に発見された。
1992年5月、野洲に行った時の写真が見つかった。
整備前の大岩山古墳群の写真だ。
比較するのが面白いので載せることにする。
1992年の宮山2号墳 石室の天井と奥壁の一部が無くなり、 木の根などにより側壁も崩れそうだった。 |
2003年の宮山2号墳 |
直径15m・高さ3.5mの円墳。
600年ごろの築造。
宮山2号墳石室
長さ3.3m・幅1.8m・高さ2.5mの玄室内には、
花崗岩を組み合わせた棺が安置され、
棺の底石には側石を立てるためのくぼみの溝が彫られている。
棺は復元したものらしい
(奥壁の一部が壊れ、石棺は底石材と小口石しか残っていなかった)。
桜生史跡公園 |
滋賀県野洲町小篠原 |
大岩山古墳群の中の天王山古墳・円山古墳・甲山古墳を整備して公園としたが、整備しすぎの感がある。
中でも甲山古墳は墳裾を削られて、まるでUFOのような現状だ。
円山古墳 |
大岩山古墳群・桜生史跡公園 |
円山(まるやま)古墳(墳丘は上部のみ)
直径28m・高さ8mの円墳。
墳頂は標高126.3m。
6世紀初めの築造。
1992年の円山古墳石室入口 |
2003年の円山古墳石室入口 |
西側に入口を持つ石室は、奥に向かって天井石が1石ずつ階段状に低くなり、床も斜めに下がる約6mの羨道がある。
1992年の円山古墳石棺 |
2003年の円山古墳石棺 |
玄室は、奥壁に向かって左側に袖を持ち、長さ4.3m・幅2.45m・高さ3.1m。
床には玉石が敷き詰められている。
玄室入口側に、長さ2.85m・幅1.43m・高さ1.83mの熊本県阿蘇凝灰岩をくりぬいた家形石棺がある。
縄掛突起が長辺部に2対、短変部に1対ある。
その奥に、奥壁に沿って二上山産出の凝灰岩で作られた印籠型の受け部を持つ組み合わせ式石棺が見つかった。
石室から、1万点のガラス玉、鉄製冠の太刀飾り・基銀製の耳飾、刀類、馬具などが出土。
天王山古墳 |
大岩山古墳群・桜生史跡公園 |
天王山(てんのうやま)古墳
手前の小山が前方部
左後方が後円部
前方部の方が高い。
全長50m高さ約8m、前方部約25m、後円部径24mの前方後円墳。
前方部が後円部より大きく、わずかに高い。
大岩山古墳群の中で唯一の前方後円墳。
現状保存。
後円部からは埋葬施設は確認できなかったが、土器が出土。
前方部からは西に入口を持ち全長約4.3m、玄室の長さ約2.4m・幅1m以上の、奥壁に向かって左に袖を持つ小さな横穴式石室がある。
甲山古墳 |
大岩山古墳群・桜生史跡公園 |
巨大な石棺にびっくり!
甲山かぶとやま)古墳のUFOみたいな外観
コンクリートで固められているので草も生えない。
直径30m、高さ10mの円墳。
装身具(金糸、銀製くちなし玉、ガラス玉)、鉄製の武具、馬具などが出土。
特に金糸や馬甲が珍しいもの。
6世紀前半の円墳。
1992年の石室入口 玄室手前の天井石が落下、 内部に大量の土砂が堆積していた。 |
2003年の石室入口 |
甲山古墳の巨大な石棺(5人ぐらい入れそうな石棺です)
(案内板の写真引用)
手前に柵があって写真が撮れなかった。
石室は、奥に向かって下がる羨道がある。
玄室は、奥から見て右側に袖を持ち、長さ6.8m、幅2.8m、高さ3.3mの巨大な規模で、床には玉石が敷き詰められている。
中央部には長さ2.6m、幅1.6m、高さ約2mの熊本県宇土半島産の凝灰岩で作られた家形石棺がある。
大塚山古墳 |
滋賀県野洲町大篠原 |
桜生古墳公園横を通る東海道新幹線とその向こうの琵琶湖側を通る東海道本線の間にあるのが、大塚山古墳だ。
前に来たときは、墳丘の周りは畑だった。
が、現在は濠の復元整備中で、立ち入り禁止になっていた。
大塚山平面図(現地説明会資料より) 直径57m・高さ約8mの帆立貝形古墳(造り出しを含めると全長約65m)。 |
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整備途中の大塚山古墳 墳丘は三段の円形を成す。 |
大塚山古墳正面
古墳の横で畑仕事をしているおじさんが
「元はうちの土地だから入ってもいい」とか何とか
独り言のように言っていた。
時間があればこのおじさんと話をしたかったが、
もう一つ行くところがあるので残念ながらそのまま失礼した。
見なかった他の大岩山古墳群 |
滋賀県野洲町 |
時間も無く、見れるのか、見れないのかわからなかったので行かなかった。
冨波山古墳 |
全長42m・前方部20m・後方部22mの前方後方墳。 |
古冨波古墳 |
直径約30mの円墳。 |
亀塚古墳 |
全長推定35mの二段築成の帆立貝形古墳。周囲に幅9mの濠。 |
午後3時半。もう一つの見学地に出発です。
瓢箪山古墳 |
滋賀県安土町 |
今回の旅の目的は近江風土記の丘である。
ここは安土城跡、大中の湖南遺跡、瓢箪山古墳、観音寺城跡からなる史跡公園で、県立安土城考古博物館もある。
本物の瓢箪山古墳が見れるのかどうかわからないので、瓢箪山古墳石室の原寸大模型があるという博物館へ行った。
博物館では「日継知らす可き王無し」-継体天皇の出現-という春季特別展をやっていて、
継体天皇関連の全国の古墳出土の史料が展示されていた。
中でも福岡県岩戸山古墳出土の石人が見学できたのは感動だった。
復元された瓢箪山古墳の中央石室はとても細長いものだった。
博物館に入館したのは午後4時。
5時に閉館なので、大急ぎで見て(もっと時間が欲しかった)、本物の瓢箪山古墳へ。
瓢箪山古墳・後円部への上り口 全長162m、後円部径90m、前方部70mの前方後円墳。 |
石川県の秋常山古墳と同じくらいの規模の古墳で、単なる山にしか見えない。
大きな瓢箪山古墳は近所の人たちの散歩コースになっているようです。
風土記の丘のちょっと手前に「加賀団地」という住宅地があった。
安土城の時代に前田利家のお屋敷があったところらしい。
歴史を感じてとても興味深かった。
時間は午後5時半を過ぎた。帰途につきます。
午後8時、杉津PAで夕食。
午後9時20分自宅到着。充実過ぎるくらい充実した一日だった。