北村さんちの遺跡めぐり

竜王町の古墳・遺跡   竜王町の地図g

オウゴ古墳 竜王町薬師
 (撮影日2019/2/24)

不動岩屋古墳の東約500mだが、まっすぐは行けない。
時計の反対回りに迂回して、東側の道からしか行けない。

四国八十八箇所霊場
第29番 国分寺


オウゴ古墳のある小道は、
四国八十八箇所霊場となっていて小さな祠が並ぶ。

 オウゴ古墳は 一辺20mの方墳  高さは南側5m・北側2m。
 南に開口する横穴式石室は全長10.5m
  玄室の長さ5.7m・幅2.14m・高さ3.27m
  羨道部長さ4.8m・玄門幅1.45m・左袖幅0.65m・右袖幅0.4m、高さ0.9m
 石室の構造は、近隣の、
  天神山古墳群4号墳、5号墳、龍王寺北古墳群4号墳(いずれも竜王町) 
   などの石室とほぼ同じ構造である
 未調査なので、明確な築造年代は不明だか、
  横穴式石室の構造から、6世紀後半の築造と推定されている。
 500m西にある岩屋古墳(6世紀中頃の前方後円墳)に続く時期に築造されたと考えられている。

東から見た墳丘

西から見た墳丘

石室入口

石室内部

石室内部から外を見る

  

龍王寺北古墳群 竜王町川守
 (撮影日2018/4/29)

ここからは雪野山西麓となる。竜王町。
妹背の里の北約200m、
龍王寺と天神社の間から雪野山の登山道に入ると、「龍王寺北古墳群」の説明板がある。

 龍王寺北古墳群は、滋賀県指定史跡雪野寺跡(現在の龍王寺)の北側にある。
 雪野山南西の山麓から山腹にかけてつくられた古墳群
 分布状況から3グループに分けられる。
 T支群4号墳は石室が完存している。


龍王寺北古墳群 配置図
(説明板の図に加筆)

次に見学する天神山古墳群の
  配置図もある。


 古代寺院である雪野寺跡の東側につくられた天神山古墳群と同じく
  日野川と古道の交差する交通の要衝近くにあることから、
  天神山古墳群とは別のグループに属す集団が存在したと考えられている。
    (説明板から)

説明板から、さらに進む。

「山の神」の石碑
そばに「T支群4号墳」の説明板がある。

「遺跡散策ルート
 G 龍王寺北古墳群 (T支群4号墳) 」
    という案内板だ。

 

 T支群4号墳
 径15mほどの円墳
 横穴式石室
は両袖式で
   玄室長3.9m・幅2.12m・高さ2.2m  羨道長5.32m・幅1.48m・高さ2m
  玄門部の天井が一段低くなっている。
  奥壁は鏡石の上に小型の石材を積んでいる。
 発掘調査が行われて、出土した須恵器などから
   6世紀末〜7世紀初めの築造と推定されている。

龍王寺北古墳群 T支群4号墳
 横穴式石室測量図

  (説明板から)

 他の古墳に比べて一回り大きい墳丘なので、最有力者層のものと考えられている。

墳丘

石室開口部

奥壁

石室内部から入口を見る

その他の墳丘

 T支群1号墳


小さな墳丘だが、石室が残っていた。

石室開口部

石室内部
 T支群2号墳
 T支群3号墳

石材は見えるが・・・

 龍王寺北古墳群と天神山古墳群は別の勢力の古墳なのだろうか?

梅ノ木石棺仏 竜王町川守
 (撮影日2018/4/29)

天神社前の道路沿いにある。
龍王寺北古墳群への登山道の前。

梅ノ木石棺仏

家形石棺の蓋らしい
地蔵菩薩らしい
詳細不明



天神社


  

天神山古墳群 竜王町川守
 (撮影日2018/4/29)

天神社の東側の雪野山の登山道を行く。
「天神山古墳群」と
「遺跡散策ルート F 天神山古墳群 (T支群4号墳・5号墳) 」という2枚の説明板がある。

分布図は龍王寺北古墳群の図を見てください。

 天神山古墳群は、標高120〜150mの谷筋に立地している。
 古墳の分布状況から、3グループに分けられている。
 なかでも、
   T支群4号墳・5号墳が他の古墳の規模より一回り大きなものとなっている。
 6世紀後半〜7世紀初頭の築造と推定されている。

T支群の4号墳と5号墳がならんでいる。

 T支群4号墳
 径20mほどの円墳
 横穴式石室は両袖式で
  玄室長3.95m・幅1.86m・高さ3.1m  羨道長6.1m・幅1.4m・高さ0.9m
 蒲生郡内でも唯一といわれるほどまれな副室構造をとっており、
   奥壁の向かって左脇に小石室が設けられている
  左側壁に設けられた副室は、玄室に対してややいびつになって、
   斜め奥へ向かうような空間をとっている
 奥壁は鏡岩というべき2石を左右に1段として配し、
  さらに上方に大ぶりの石材を2段3段と重ねてすき間を小ぶりの石材で埋めている。
 特徴としては、長方形プランをもち、
  縦長のいわゆる箱形を呈した持ち送りの少ない玄室をもつが、
  天井が高く、玄門部に見上げ石(2段目の天井石)のおかれた形式。
 左側壁に副室を構え、羨道天井石に階段状段差がある特異なもの。
 雪野山東麓の八幡社古墳群の前方後円墳のL字型の横穴式石室と
   何らかのつながりがあるのか?
        (説明板から)

墳丘

墳頂に露出した天井石

石室開口部

奥壁 左側に副室がある
二枚の巨石を横に並べ、副室につながる

副室

石室内部から入口を見る

4号墳隣りに5号墳。

 T支群5号墳
 径20mほどの円墳
 横穴式石室は両袖式で
  玄室長4.95m・幅2.14m・高さ3m  羨道長5.3m・幅1.64m・高さ1.2m


墳丘

開口部

入口から石室内部を見る

奥壁

石室内部から外を見る

そのほかの墳丘


墳丘その1

墳丘その2

雪野山は古墳だらけです!

 広谷池古墳

滋賀県竜王町鏡
 (撮影日2007/11/28)

竜王町遺跡リーフレットの地図を見ながら探す。
大きな工場の手前の細い道に入った突き当りがよどんだ池(広谷池?)
その前に円い古墳。
鏡山から派生する丘陵上に位置しているというが、現在は周りが開発されているので、丘陵上とは思えない。

広谷池古墳実測図 (竜王町遺跡リーフレットより)

広谷池古墳は 全長12m・高さ3mの円墳(現状)
横穴式石室は 石室全長5.6m
  玄室長さ3.2m・幅1.4m・高さ3m

  羨道部長さ2.4m・幅1.05m・高さ0.7m

5世紀後半の築造と推定されている。(周辺で見つかった遺物から)


広谷池古墳全景
道の向こうは、池。
右横(北)は町内のゴミ集積所の広場となる。

石室入口
奥壁側も開口している。
  

石室内部

石室内部  反対側から

石室内部は、2室に分かれているように見える。
以前はこの周辺に数基の古墳が分布する群集墳だったというが、現在は広谷池しか残っていない。

 三ッ山古墳群

滋賀県竜王町山面
 (撮影日2007/11/28)

広谷池から工場を過ぎたところの住宅地の端に三ッ山古墳群の説明板があった。
そこからほんの少し山に入ったところに、くずれかけた大きな石室。

三ッ山古墳は、墳丘の大部分が消失し、石室が露出している。
玄室の長さ5.4m・幅1.8m・高さ2.1m
太刀の環頭が出土したといわれている。

三ッ山古墳群は (説明板より)
鏡山から派生する丘陵先端部に位置。
10数基から構成された古墳群だったが現在は1基しか残っていない。


三ッ山古墳全景
封土が流れ去り、大きな石室が露出している。

三ッ山古墳石室正面
天井石の大きさにびっくり!

   

 不動岩屋古墳

滋賀県竜王町薬師
 (撮影日2007/11/28)

三ッ山古墳群の東にある山の山裾にある。
江戸時代に奥壁の一枚岩に不動明王を刻み、「岩屋不動」として信仰されている。
この日もお参りがあったらしく椅子が並べられていた。


不動岩屋古墳
建物の向こうに石室がある。

不動岩屋古墳石室
岩屋不動明王が祀られている。

不動岩屋古墳後円部
写真中央奥の石の下が石室

不動岩屋古墳前方部
 

滋賀県文化財学習シートには覆い屋がない明るい岩屋古墳石室が掲載されているが、
現在は覆い屋のために、暗くて、石積みもよく見えない写真しか撮れなくなってしまった。

不動岩屋古墳実測図(滋賀県文化財学習シートより)

不動岩屋古墳は
全長42mの前方後円墳
後円部径25m・高さ5m 前方部先端幅20m・高さ6m
後円部より前方部のほうが高い

段築・埴輪・葺石・周濠はなし
横穴式石室は
玄室長5.4m・高さ2.4m(復原3m) 奥壁幅1.95m・玄門幅2.5m
石室内に不動明王を祀る
6世紀の築造と推定されている。

 雨宮古墳

滋賀県竜王町岡屋
 (撮影日2007/11/28)

丘陵の先端に築かれている。大きくて山と区別がつかない。


雨宮古墳登り口
周提帯が残る。

雨宮古墳墳頂部
小さな祠がある。


雨宮古墳実測図(説明板より)

雨宮古墳は
竜王町の平野部に前方部を向けた全長82mの帆立貝形古墳

後円部径67m高さ9m 前方部の長さ22m幅35m高さ1.9m

外提と一重の周濠がある。
葺石あり。
滑石製の勾玉が出土
墳頂から家形埴輪・円筒埴輪が出土
5世紀の中ごろの築造と考えられている。
   

竜王町 終わり

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