北村さんちの遺跡めぐり
日野町の古墳・遺跡
地図g
音羽西古墳 | 日野町音羽 (撮影日2018/4/30) |
日野町音羽の駐在所西100mの薬師堂の裏にある。
かなり破壊された石室が露出している。
市辺押磐皇子の墓だという伝説もあったらしいが、築造時期からするとありえない。
音羽西古墳は、墳丘はかなり破壊されている。 石室は、玄室長3m、幅1.5mほど。 出土した須恵器から、6世紀末の築造と推定されている。 |
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墳丘? |
植栽の中に石室がある。 |
奥壁側が開口 |
石室内部 |
日野町内では数少ない現存する古墳だ。
近くにある太神宮灯篭
慶応4年(1868)に建てられたもの
伊勢神宮に奉献する常夜灯だそうだ。
佐久良古墳 佐久良城跡 |
日野町佐久良 (撮影日2018/4/30) |
佐久良城跡の登り口には、佐久良城跡の大きな説明板がある。
その城跡の中に、古墳石室が開口している。
佐久良城跡 登り口
手前は駐車スペースとなっている。
佐久良城跡見取り図
(説明板から)
八幡神社 |
南北朝の頃から桜谷一帯の領主となった小倉氏が 武の神を勧請して佐久良城の大手にあたる場所に社地を定めたものである。 ゆえに古くは小倉八幡と称した。(説明板から) |
八幡神社 |
八幡神社の横から、佐久良城跡に登る。
佐久良古墳 | |
横穴式石室が開口している。 7世紀の築造と推定されている。 佐久良城の火薬庫になっていたという伝説がある。 |
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墳丘 |
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石室入口 |
石室内部 |
佐久良古墳も含めて佐久良城跡となる。
佐久良城跡 | |
室町時代(1338~1573)にここ桜谷一帯を領していた小倉氏の本城を佐久良城といい、 地元では「下の城山」と呼んでいる。 すぐ東にある長寸山頂の長寸城を「上の城山」といい、 鳥居平にある鳥居平城、奥師にある四つ谷城、川原に残る園城城など、 五カ所の城を代々の小倉氏が築いた。 特に文武両道の名将だった戦国の武将である小倉実澄が、 この城で活躍したことは数々の文献にも残されており、 周囲を堅牢な土塁で囲んだ本丸跡には庭園も設けるなど、 典型的な中世城郭の遺構を完全な姿で今に残している。 堀切という空堀の跡、大手と搦手門である虎口の跡、 帯曲輪、お馬洗いという湧水の跡等々、見るべき遺構が随所に数多くある。 中世の城跡は全国に数多くあるが、そのほとんどが山城であることから、 城跡への探訪に困難さが伴う中にあって、 この佐久良城は数百年間の形状破壊がほとんどなく、 しかも交通もまた至便な場所にあることは、まれに見る優れた中世の城郭址と言えよう。 なお近くにある曹洞宗の神護寺仲明寺は、小倉氏中興の英傑だった小倉実澄の菩提寺である。 |
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大手門跡 |
主郭四隅の土塁跡 櫓台? |
望楼の跡 |
搦手門の跡 |
お馬洗いの池 飲料水を確保する重要な湧水池 |
帯曲輪 (城を護るための戦闘要員を配備した場所)の跡 |
佐久良城跡は、かなり草や木が生えていて、見学しにくい状態だ。
一回りしたが、城の主郭に上がる道が見つからなかった…。