北村さんちの遺跡めぐり

東近江市3  雪野山周辺   東近江市の地図3g

布施古墳群 東近江市布施町
 (撮影日2018/4/30)

布施古墳群は、東近江市布施町に分布する6基からなる古墳群。
1号墳は、近江鉄道大学前駅西の布施神社の境内にある。

 1号墳(布施社南古墳)
 径17m、高さ4.5mの円墳
 南側の道路で、一部削られている。
 横穴式石室が開口。

南の道路から、
横穴式石室の開口部が見えている。

開口部

内部はほとんど埋まっている。

神社境内から見た墳丘

布施神社本殿は、重要文化財!

 布施神社
 布施神社は天元2年(979)、慈忍阿闍梨(アジャリ)が玉緒山地福寺を建立し、
  春日明神四社と日吉大権現、十禅師大権現および八王子大権現の三社を合祀し、
  村の氏神としたと伝えられてる。
 重要文化財として
 「布施神社本殿(一間社流造?葺 三棟) 附 棟札(延宝三年乙卯三月吉日の記がある)」

布施神社境内

拝殿奥に本殿

 重要文化財の本殿3棟が、覆い屋の中に保存されている。
  本殿は覆い屋のなかに三社が並列して建ち、
   向かって左から 十禅師社、日龍社、春日社の各社殿である。
 三社とも、規模、意匠がよく似ており鎌倉時代末期の作風を伝える。
 三社とも一間社流造、正面の柱間が約1.1mで、県内の一間社のなかでは最も小さい建物である。
        (説明板から)

HP「大和國古墳墓取調室」様の情報をもとに3号墳・4号墳を見学に行く。

1号墳の西800m、布施ため池の西側の道を南へ進むと、正面の山林の前に石仏があり、
 その後の山林に古墳がある。

道路沿いにある石仏

石室の石材を使った仏様

布施山の北峰の登山口となっている。
戦国時代、布施山には
  布施山城があったそうだ。
石仏の後ろから、林の中に入ったところに3号墳。

 布施3号墳(玉緒山1号墳)
 径10mの円墳
  幅1.9mの横穴式石室の側壁がわずかに残る。


3号墳の横穴式石室の側壁か?

山林内を進むと、すぐ右側に4号墳(玉緒山2号墳)。

 布施4号墳(玉緒山2号墳)
 径9mの円墳
 横穴式石室は、羨道は崩れているが、玄室は完存。
 玄室長3.3m・幅1.75m、小型の石材を丁寧に積み上げている。

墳丘と横穴式石室

開口部前にお供えがある。

きれいな石室内部
奥壁には大きな石は使われていない。

石室内部から入口を見る

布施山は、玉緒山ともいうので、名前が2つある。

 あかね古墳公園
木村古墳群

滋賀県東近江市川合・木村
 (撮影日2007/11/28)

雪野山のふもとの古墳めぐり・その3。雪野山の南、高速道路の南側にある。
高速道路から、整備された古墳が2つ見える。

以前は七つ塚と呼ばれて9基以上の古墳があったらしいが、
現在は久保田山古墳・天乞山しか残っていない

あかね古墳公園は蒲生町のシンボルとして平成9年に完成した。
2つの古墳は、検出された遺構を地下にそのまま保存し土で覆って復元した。

あかね古墳公園
左 久保田山古墳
右 天乞山古墳
向こうに見える山は
雪野山古墳がある雪野山

木村古墳群と雪野山古墳は同じ氏族の墓と推定されている。

木村古墳群配置図(説明板から)


説明板が作られた後、
神輿塚は方墳
ケンサイ塚も方墳
と確認されている。



     消滅した古墳のデータ
神輿塚古墳
ミコシヅカ
方墳  天乞山古墳と同程度の大きさと推定されている。
西側に幅10m・長さ20.5mの造出しがある。葺石あり。
周溝から円筒埴輪・朝顔形埴輪が出土。

5世紀前半の築造と推定されている。
ケンサイ塚
古墳

ケンサイ塚古墳(説明板から)


1960(S35)年の調査では直径70〜80m・高さ10mの円墳と推定されたが、
   2000(H12)年の調査で天乞山古墳と同程度の方墳と確認された。
 二段築成。
 西側に幅10m・長さ20.5mの造出しがある。
 葺石あり。埴輪あり。
 周溝から円筒埴輪・朝顔形埴輪が出土。
 墳頂から石室の残穴や粘土槨などの複数の埋葬施設が確認され
 粘土槨から剣・太刀・鉄鏃・小刀・刀子・やりがんな・手斧・鎌・鍬などのミニチュアの鉄製品や
   木製櫛などの副葬品が出土
 墳頂部から多数の家形埴輪などの形象埴輪や円筒埴輪が出土
      (説明板から)
石塚古墳 全長54mの帆立貝形前方後円墳
後円部直径40m  前方部は幅18m・長さ14m

周濠は馬蹄形幅15m
周濠から円筒埴輪が出土
5世紀末の築造と推定されている。
入刀塚古墳 ケンサイ塚に隣接して造られている。
1辺20mの方墳
数十本の太刀が出土したことから名が付いたといわれる。
天乞山古墳
(木村古墳群)
木村古墳の中で一番東に位置する。
滋賀県の方墳では最大
全国的に見ても
 奈良県枡山古墳(墳丘長98m・橿原市鳥屋町)
 千葉県竜角寺岩屋古墳(墳丘長86m・印旛郡栄町)
 大阪府浄元寺山古墳(墳丘長70m・藤井寺市)     に次ぐ規模。
墳丘に2つの作り出しを持つのは
三重県明合(アケアイ)古墳(墳丘長60m・安芸郡安濃町)など数例。


調査時の天乞山古墳
(説明板から)



現在の天乞山古墳

一辺65mの方墳
南北両側に造出しがある。
墳丘は2段築成
高さは調査時9m
4重の周濠があり、幅は20〜4m。
墳裾には葺石がある(雪野山や布施山から運ばれたもの)。

天乞山古墳造出しの部分
造出し部分は
南側幅8.7m長さ6.8m
北側幅15.5m・長さ11m

造出し付近から円筒埴輪・朝顔形埴輪が少し出土。

調査時の石室天井石
(説明板から)
埋葬施設は盗掘を受けていて、
幅1m・長さ2m以上の3個の天井石が落ち、
側壁の石も散乱していた。


天乞山古墳の埋葬施設復原
東西方向に長さ6〜8mの竪穴式石室があったと推定された。

古墳群中最初に築かれたもので、5世紀前半の築造と推定されている。
久保田山古墳
(木村古墳群)
南北2方向に造出しを持つ県下でも最大級の円墳。


調査時の久保田山古墳
(説明板から)


現在の久保田山古墳
天乞山墳頂から見る。
直径57mの円墳(最大長75.8m)・高さ5m
南北2方向に造り出しを持つ
2段築成 
全面に葺石あり(雪野山か布施山産の湖東流紋岩)
最大幅14mの周濠がめぐる

調査時の造り出しと葺石の様子
(説明板から)

造出しは
南側幅15.4m・長さ12.5m
北側は幅13.4m・長さ8.2m


調査時の埴輪の様子
(説明板から)


下部テラスには円筒埴輪が並ぶ
南側の造り出しにも形象埴輪が出土



築造当時のままに復元された
久保田山古墳


墳丘の北半分と造出しが破壊されていたので、埋葬施設は不明。
5世紀前半の築造と推定されている。

 八幡社古墳群
県指定史跡

滋賀県東近江市中羽田町
 (撮影日2007/11/28)

雪野山のふもとの古墳めぐり・その2。平石古墳から少し北にある八幡社古墳群へ。

八幡社古墳群は 雪野山東側のほぼ中央に位置する。
前方後円墳1基・円墳18基からなる古墳群。

八幡社古墳群配置図(説明板から)なぜか前方後円墳形の休憩所がある。

山の上から山すそにかけての谷あいに位置し、山すその12基が県指定史跡となる。
7世紀前半の築造と推定されている。
横穴式石室を持つ。
前方後円墳1基以外は、径6〜15mの円墳

八幡社古墳群46号墳
八幡社古墳群の盟主墳
全長21mの前方後円墳   後円部11m・高さ3.5m
横穴式石室を3つ持つ

46号墳全景
石室は右から
A室・B室・C室
と名づけられている。
小さい前方後円墳なのに3つの横穴式石室を持つとは驚きだ。

八幡社古墳群46号墳実測図
(説明板から)




 46号墳石室 A・B・C室の比較  平面形 玄室 羨道
長さ  幅 高さ 長さ  幅 高さ
A室 両袖式 4.2m 1.5〜2.2m 2.0m 3.0m 1.1〜1.2m 1.2m
B室 片袖式 3.15m 1.1m 1.8m 2.9m 0.8m 1.2m
C室
L字形両袖式 4.8m 1.6m 2.3m 2.8m 1.2〜  
1.6m
1.2m
副室 1.8m 1.6m 1.2m

石室の構造から
まずA室が築かれ、後の時代にC室・B室が築かれていったと考えられている。

八幡社古墳群41号墳
林道によって天井石が除かれ、羨道部が少しずつ削られる状態だったので、平成2年発掘調査された。

41号墳の石室

両袖式の横穴式石室を持つ直径11mの円墳
玄室の長さ2.9m・幅1.3m
羨道の長さ2.3m・幅0.9m


八幡社41号墳遺物出土状況
(説明板から)


玄室内の床から
須恵器の杯身2・杯蓋2・短頸壺1・提瓶1・土師器の小型壺1・鉄釘1・鉄製品1が出土
7世紀前半の築造と推定されている。
八幡社古墳群・そのほかの古墳
2基ずつ向かい合うように造られている。

47号墳

45号墳


44号墳


42号墳


48号墳
2018年の
八幡社古墳群
東近江市中羽田町
  (撮影日2018/4/29
 八幡社古墳群46号墳
  八幡社古墳群の盟主墳
  全長21mの前方後円墳   後円部11m・高さ3.5m
  横穴式石室を3つ持つ

46号墳 前方部から後円部を見る

46号墳 後円部から前方部を見る
右奥は44号墳
  

46号墳には
  3つの横穴式石室がある。

(この写真は撮影日2007/11/28)

現在、石室の入口には、柵がある。
 八幡社古墳群41号墳

41号墳 横穴式石室が露出している。

41号墳の両袖式横穴式石室
  

八幡社古墳群 44号墳
 右奥に46号墳

八幡社古墳群48号墳
背後は八幡神社社殿

雪野山歴史公園の中にも、高まりがあり、石が見えているのもあるのだが、古墳ではないのかな?

八幡社南古墳群 東近江市中羽田町
 (撮影日2018/4/29)

八幡社古墳群の南200mにある。
「平田地区まちづくり協議会」が設置した説明板がある。

 八幡社南古墳群
 2010年、雪野山歴史公園に隣接する里山整備の実施により2基の古墳が発見された。


周辺遺跡分布図
 (説明板から)

残念なことにこの図の方角が間違っている
北の方向は、下である。
 八幡社南古墳群1号墳
  径15mほどの円墳    横穴式石室は玄室長4m・幅1.5m・高さ2mの両袖式
  6世紀後半〜7世紀前半の築造と推定されている。


墳丘測量図

 (説明板から)

羨道の天井石が羨道内におちこんでいて、
 玄室も大きな天井石1つを残して、
 墳丘の下に転落しているが、
 石室壁面の石積みは良好な状態で残っている。

  

墳丘ふもとに転落した天井石
奥に見えるのが石室
  

天井石は巨石ひとつが残る
  

石室をのぞき込む
  

横穴式石室内部 奥壁側
  

横穴式石室内部 入口側
  

天井石の上から石室を見る
  


石室の後ろ側から見た
   1号墳
 八幡社南古墳群2号墳
 保存状態が悪く、基底部の石組がわずかに残っている程度


2号墳の石室跡か
 平田地区では、
  弥生時代の集落や方形周溝墓が見つかった五反田遺跡(中羽田町)や内堀遺跡(上羽田町)
  中世城館跡が良好に残る「県史跡後藤館跡」などがある。

2010年まで発見されてなかったとは!!

中羽田古墳群 東近江市中羽田町
 (撮影日2018/4/29)

 八幡社古墳群の北200mにある多聞院の周辺にも古墳がある。
 古墳の説明板はないが、奥田家墓所の説明板がある。


中羽田32号墳石室 奥壁が開口している

中羽田32号墳石室奥から入口を見る



中羽田31号墳 石室

近くには石材がゴロゴロしていて、石室跡とみられるところもあるが確定には至らない。

 赤穂浪士の奥田家墓所
  奥田孫大夫(56才)とその養子・貞右衛門(25才)は浅野家に仕え、四十七士の中の2人となる。


この地は、
  奥田家の菩提寺・洞泉寺跡である。

奥田家墓所

一族の墓か


 平石85号墳
平石古墳群

滋賀県東近江市上羽田町
 (撮影日2007/11/28
2018/4/29)

八幡社古墳群の南1kmの山裾にあるのは、平石古墳群。
平石古墳群の代表的な古墳は、平石古墳(平石85号墳)。
南の大きな工場のうしろあたりでようやく発見。
山すその農道脇に石碑がある。

 平石古墳(平石85号墳)  (いずれも撮影日は2007/11/28)
 径15mの円墳
 横穴式石室は両袖式で 全長10.2m
   羨道長5.7mm・幅1.5m・高さ1.6m 玄室長4.7m・幅2.5m・高さ3.1m

「平石古墳」の石碑横に石室が開口

石室入口


入口から石室内部を見る
長さが10mくらいありそうな大きな石室
      撮影日2018/4/29


石室の奥壁



玄室から外を見る

平石古墳(平石85号墳)の北200mの民家奥に69号墳がある。
暁の広場のすぐ東にある民家だ。
暁の広場には、駐車場がある。

 平石古墳群69号墳
 径12mの円墳 
 横穴式石室は両袖式で、
  玄室長3.8m・幅1.6m・高さ2.2m、羨道長2m・幅1.25m・高さ1.25m


石室がガレージ奥に開口している。

近寄れない・・・
 暁の広場のそばの墳丘

墳丘その1

墳丘その2

平石古墳(平石85号墳)の南300mにある墓地には、99号墳がある。

 平石古墳群99号墳
 径14mの円墳

現代の墓の後ろに古墳

墳丘裾には巨石  手前は切り株

山裾道路沿いには、並んでいくつもの古墳があるようだが、確定には至らない。

天狗前古墳群 東近江市蒲生町横山
 (撮影日2018/4/29)

平石古墳群99号墳から直線で約200m。 
雪野山南端の名神高速道路北側に沿うようにある丘陵に、
    横山公園があり、園内に7号墳と10号墳が保存されている。
横山公園内には、自然の巨石がゴロゴロ・・・
東側ふもとには、駐車場がある。

 横山公園内の巨石
 天狗前古墳群かつて20基以上の古墳があったといわれている
 昭和37年「名神高速道路建設」のときに横穴式石室をもつ6基の古墳が調査された。
 平成2年「蒲生野散策道建設」のときには、
   新たに見つかったものを含め2基の古墳が調査されている。
 調査された古墳はいずれも円墳で、
  なかには玄室と羨道の境(玄門)に階段状の施設をもつ特徴のある石室が見つかっている。
      (竪穴系横口式石室)
 この階段状の横穴式石室をもつ古墳は、
  秦荘町、安土町、竜王町などの湖東地方によく見られ、
   大阪府、奈良県などでは数例知られているだけで全国的にも珍しいもの。
 またこれらの古墳は、渡来系氏族とのつながりが考えられており、
   天狗前古墳群が造られ始めた6世紀半ば以前には
   蒲生町に朝鮮半島から人々が移り住んでいたと考えられている。  (説明板から)

7号墳は横穴式石室が見学できる。

 天狗前古墳群7号墳
 径20mの円墳
 横穴式石室は片袖式
  玄室長4.9m・幅2.2m・高さ2.5m  羨道長3m・幅1.3m。
  玄門部には1.1mの段差がある。

7号墳石室 実測図
  (説明板から)

7号墳墳丘

方向を変えて見る

開口部は狭い。

入口から奥壁を見る

奥壁から入口を見る

7号墳の西に10号墳。

 天狗前古墳群10号墳
 径20mの円墳
 横穴式石室があるが、埋め戻されている。
 埴輪列が確認されている。

墳丘 ベンチもある。

墳丘上

   

雪野山登山
雪野山古墳

雪野山古墳は国史跡
近江八幡市新巻町・
東近江市上羽田町・
竜王町川守

 (撮影日2018/4/29)

雪野山の東麓の雪野山歴史公園(八幡社古墳群のあるところ)に駐車。  駐車場あり。
八幡社古墳群の名前の由来となっている八幡神社横から、山を登る。


八幡神社

雪野山登山口
標高100m付近

旧八幡神社本殿跡地
標高200mあたり

展望台からの景色 標高250m付近
ずーっと向こうに伊吹山(北東方向)

鉄塔そばから南西側の景色を見る
ここから南へ490mで、雪野山古墳。

巨石の間を通り抜けたりもする


雪野山古墳の上でみんなでランチ!

午前11時ですが、お昼ご飯です

雪野山古墳に到着。りっぱな説明板がある。

  雪野山古墳   国史跡
 雪野山古墳は  全長70mの前方後円墳(推定)
   後円部径40m・高さ4.5m以上  前方部長さ30m・高さ2.5m以上
 山頂から北東に延びる尾根を利用している。
 2段築成  葺石あり(湖東流紋岩) 一部に自然の岩盤を利用
 後円部に石垣、前方部に竪堀が見られ、
       16世紀に後藤氏の詰め城に改変されたと推定されている。
 後円部のほぼ中央を長方形の2段に掘り込み(上端長さ最大値 南北10.6m・東西7.0m)、
   その下に竪穴式石室を構築している。
 竪穴式石室は 長さ6.1m、北端幅1.55m、南端幅1.35m、高さ1.6m
  石材は全て湖東流紋岩で赤色顔料が付着している。
  石室の床面に粘土床を設置し、
   痕跡により、木棺の両端に縄掛け突起を有する舟形木棺が置かれていたと推定されている。
    木棺は長さ5.6mでコウヤマキ製
  石室は仕切り板によって3区画に分けられ、
    被葬者は中央部に、北頭位に埋葬されたと考えられている。
 副葬品
  銅鏡5面・・・
   内行花文鏡 (1号鏡・径24.0cm 1291g)
   だ龍鏡 (2号鏡・径26.5cm 1432g)
   三角縁波文帯盤龍鏡 (3号鏡 径25.2cm 1146g)
   三角縁唐草文帯四神四獣鏡 (4号鏡 径24.2cm 1337g)
   三角縁しん出銘四神四獣鏡(5号鏡 径24.2cm 1617g)
  石製品・・・
   鍬形石 琴柱形石製品 管玉 紡錘車形石製品
  農工漁具・・・ やりがんな 鑿 鎌 刀子 ヤス
  武器武具・・・ ゆぎ 鉄刀・槍・剣 銅鏃 鉄鏃 小札革綴冑
  ほかにも棺の内外から 
   土器・ガラス玉・漆塗製品(直弧文のある木製品・合子・竪櫛)などが多数出土した。
 盗掘を免れ、当時の状態で出土
 出土品は平成13年に重要文化財に指定されている。

墳丘形態復元図

遺物出土状況

石室内部の状況
        (いずれも説明板から)

前方部 北東から見る

前方部から後円部を見る

くびれ部から後円部を見る

後円部

後円部頂からの眺め

後円部から前方部を見る

南東から見た後円部

後円部南側
16世紀に後円部に山城がつくられて、
墳丘全体が改変されている。
 雪野山(標高308.82m)は、湖東平野に特徴的な地形である孤立山塊の一つで、
   古墳時代後期の円墳や前方後円墳などの古墳が200基以上確認されている
 平成元年(1989)に、「雪野山史跡の森整備」計画による工事に先立つ調査で、
  竪穴式石室が発見されたため、雪野山古墳発掘調査団が結成され、
  4次にわたる発掘・測量調査と、7年に及ぶ資料整理調査により、全体像が明らかとなった。


東近江市の遺跡 終わり

近江の遺跡トップ

トップページ