北村さんちの遺跡めぐり

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正福寺塚山古墳
湖南市正福寺
 (撮影日2019/2/25)

正福寺はお寺の名前だが、地名でもある。
国指定重要文化財「十一面観音立像」の説明板がある。

 正福寺は(浄土宗)は、天平5年(733)良弁を開基とし、聖武天皇の勅願所で、大乗山正福寺と号した。
 かつては、七堂伽藍、僧房18、公衆12を備えていたが、元亀の兵火にあいすべて焼失した。
 当時は、今の地より300mほど東方に位置し、現在塚山古墳があるあたりの高地一面が寺域だった。
 塔中の永厳寺は、阿弥陀如来を本尊に祀り、
  常福寺には、弥勒菩薩を本尊としていたが享保年間に廃寺になった。
 また、寛仁3年(1019)、塔中の一つとして清寿寺が創建されたが、
  昭和22年(1947)永厳寺とともに当寺に吸収合併され、諸仏は観音堂内に祀られている。
 十一面観音立像は4体あり、観音堂に安置されている。
 観音菩薩像は4体とも檜材の一木造りで、中尊は像高215cm、
  他の3体は各々像高約175cm、いずれも平安時代の作である。

正福寺山門
塚山古墳は、山門の手前を右に行く。

正福寺本堂

観音堂
「仏像の拝観は予約制です」と書かれている。

国指定重要文化財「十一面観音立像」説明板


トイレのそばの案内標識


 正福寺塚山古墳
 径30m・高さ4.5mの円墳
 葺き石なし 埴輪なし
 北側に幅3mの空堀がある。
 南に開口する横穴式石室は、全長10.95m
  玄室長さ5.45m・幅2.42m・高さ2.72mで天井石3石
  羨道部5.5m・幅1.51m・高さ1.21mの片袖式

塚山古墳 石室図
(正福寺・湖南市観光協会の
   墳丘前の案内板から)

県内最大級の石室である。
 周りには計13基の古墳が確認されている。

塚山古墳 墳丘

標高140mにある。

南に開口する石室
羨道部が破壊されている。

玄門上の石が抜かれている

石室内部

石室内部から外を見る

 立派な石室だ!

塚越古墳
湖南市朝国
 (撮影日2019/2/25)

正福寺から南東に約2kmの農地の中にある。
道路を曲げて保存していて、立派な説明板があるが、読めない…。
説明板があるから、市指定史跡なのかもしれない…。

 塚越古墳は、円墳
 横穴式石室がある。
 詳細不明

塚越古墳

道路を曲げてまで保存されている。

石がいくつか露出している。

読めなくなっている説明板

せっかく保存されているのに残念だ。

宮の森古墳
湖南市石部東
 (撮影日2019/2/25)

宮の森古墳は吉姫公園に保存されている。 公園の南西側に駐車スペースがある。
前方後円墳だが、後円部しか残っていない。
説明板は一応ある。

 宮の森古墳は 復元全長100mの前方後円墳
 現在は後円部だけ残っている。
 後円部直径55m・高さ10m
 周濠の有無は明らかではない。
 明治29年(1896)ごろに鉄製刀・剣などが出土、粘土槨であったと推定されている。
 1958年に調査、鉄刀片、鉄槍、鉄剣、鉄鏃、鉄釘などが出土
  墳頂には円筒埴輪が円形にめぐっている
  他に家形埴輪 草摺形埴輪、朝顔形埴輪などが出土
 5世紀の築造と推定されている。
 舌状に張り出した丘陵の先端に盛り土をしてつくられている。

宮の森古墳墳丘測量図
(石部南小学校HPから引用)
後円部も北側が削られている。

北東から見る

南東から見る

墳頂部

どっち側に前方部があったのだろう?

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