お伊勢まいりと遺跡めぐり
その1
(三重・その1)撮影日2010/7/2〜7/4
インターネットでホンダのFITを購入、三重県の鈴鹿市まで取りに行く事にした。
ついでにお伊勢まいりをしよう!もちろん古墳の見学もしよう!
でも時期が悪い。梅雨の真ん中で、雑草と蚊と雨でめちゃくちゃだった。
でも、遺跡のそばまで行き、説明板を読み、実感してきた。
2010年.7月2日
朝6時50分、徳光SAから 格安のMKツアーの高速バスで名古屋へ出発。
南条SA 養老SAで休憩
10時25分 名古屋着
10時41分名古屋発 近鉄名古屋線で 11時32分 白子着
鈴鹿庄野羽山の自動車屋でFIT購入の手続きを済ます。
昼食は 庄野羽山にあるイオンモールベルシティ内・鈴鹿食堂の中華。
石丸野1号墳 | 鈴鹿市平野町 撮影日2010/7/2 |
午後1時30分 到着
ホンダの工場正門前の道路を挟んだ西側にある。
石丸野1号墳
北西から
石丸野1号墳
全長46.8mの前方後円墳。
後円部24.2m・高さ10m
前方部は削平されている。
浅間神社を祀って、
地元ではお冨士さんと称している。
円墳状で、後円部は良好に残っている。
説明板では高さ10mとあるが、とてもそこまではない。
5世紀ころ、この辺りは石丸野といった。
保子里古墳群 | 鈴鹿市国府町 撮影日2010/7/2 |
午後2時 到着
鈴鹿回生総合病院の周辺にある。めずらしい双円墳がある。
双円墳の保子里1号墳
鈴鹿回生総合病院駐車場にある。
木が茂っていてちょっと離れると
墳丘が見えない。
保子里1号墳は全長50mの双円墳
西側の墳丘を明治32年発掘、二つの石棺が見つかり、
内部と周辺から垂飾付耳飾・環頭太刀・銀象嵌把頭太刀・銀承台付鋺などが出土
1989年の調査で葺石・円筒埴輪朝顔形埴輪が出土
6世紀中頃の築造と推定されている。
保子里1号墳は周壕痕も残っている。
西墳の周壕の調査では、周壕が四角くめぐっているので方後円墳か、方墳1基と円墳1基の可能性もあるという。
保子里2号墳
鈴鹿回生総合病院駐車場にある。
全長23mの前方後円墳
保子里5号墳
病院への進入道路沿いにある。
方墳
保子里古墳群は、鈴鹿川右岸の段丘上に立地。
戦前は28基あったといわれているが、戦後は18基に減少、現在は10基ほどしかのこっていない。
保子里古墳群配置図
1号墳〜3号墳は鈴鹿回生病院の駐車場にある。
(3号墳はみあたらなかったような・・・)
10号墳〜14号墳は、
エフ・シー・シー鈴鹿工場敷地内にある。
5号墳と8号墳の間、
現在道路になっている場所の発掘で、
土壙墓が11基確認され、
須恵器の土器、須恵質の紡錘車
鉄刀子・鉄鏃
赤色顔料
などが出土した。(1989年調査)
参考:「保子里8号墳現説資料」 「発掘された鈴鹿1989」
1号墳 | 双円墳 全長46m・高さ3m 東墳径21m・高さ3m 西墳径20m・高さ3m 西側の墳丘を明治32年発掘、二つの石棺が見つかり、 内部と周辺から垂飾付耳飾・環頭太刀・銀象嵌把頭太刀・銀承台付鋺などが出土 1989年の調査で葺石・円筒埴輪朝顔形埴輪が出土 前方後円墳か、方墳1基と円墳1基の可能性もある。 6世紀中頃の築造と推定 |
2号墳 | 前方後円墳 全長23m 後円部径16m・高さ2.5m 前方部幅9m・高さ3m |
3号墳 | 円墳 径15m高さ・1.3m 大半を畑の造成によって削平され、墳丘西端が弓状に残っているのみ 1989年の調査で径15mの円墳と確認された。鉄鏃出土(主体部は破壊か) |
4号墳 | 円墳 径7.5m・高さ0.8m |
5号墳 | 方墳 一辺14.7m・高さ2.3m |
6号墳 | 円墳 径9.8m・高さ1m 消滅 |
7号墳 | 円墳 径10.8m・高さ1m |
8号墳 | 方墳 一辺5.8m・高さ0.5m 円墳と思われていたが、2006年発掘調査で方墳の可能性が高くなった。 須恵器壺が出土し 6世紀中ごろの築造と推定されている。 調査後、西半分が、消滅した。 |
9号墳 | 方墳 一辺14m・高さ1.2m 5m四方で高さ1 mの台状となって残存している。 1989年の調査で、方墳と推定された。 |
10号墳 | 円墳 径16.7m・高さ1.3m 消滅 |
11号墳 | 円墳 径11.5m・高さ0.9m |
12号墳 | 円墳 径16.7m・高さ1.3m |
13号墳 | 円墳 径10.2m・0.5m 1960・62・63年調査 木棺直葬。 墳丘から、円筒埴輪棺が出土。 調査後、消滅。 |
14号墳 | 円墳 径11.5m・高さ1.5m 1960・62・63年調査 木棺直葬。墳丘裾から円筒埴輪棺が出土。 調査後、消滅。 |
15号墳 | 円墳 径5m・高さ0.4m 痕跡が残るだけ |
16号墳 | 円墳 径10.5m・高さ1.6m |
17号墳 | 円墳 径15.1m・高さ1.7m |
18号墳 | 円墳 径13.3m・高さ1.6m 1960・62・63年調査 横穴式石室がある。調査後、消滅。 |
王塚古墳 国史跡 西ノ野古墳群 |
鈴鹿市国府町 撮影日2010/7/2 |
午後2時20分到着
保子里古墳群の南南西600mの市道脇にある。
墳丘・周溝・外堤がよく残るというが、雑草でよくわからない。
虫が怖くて墳丘にも上がれない。車を止める場所がない。
王塚古墳(西ノ野1号墳)
鈴鹿川の東岸段丘上の縁に位置する。
王塚古墳は全長63mの前方後円墳
後円部径38m・高さ6m、前方部幅48m・高さ6.5m
前方部の広がりが著しく、高さも後円部とほぼ同じで、東側くびれ部に造り出しをもつ。
6世紀の築造と推定されている。
王塚古墳(西ノ野1号墳)の周壕
古墳の周囲には空濠があり、
さらにその外周に幅3m・高さ1mの土手がめぐる。
西ノ野2号墳
王塚古墳の後円部の北東隣にある。
王塚古墳の陪塚とされている。
北側から見た2号墳
2号墳の後ろに王塚古墳が見えている。
1992年発掘調査時の西ノ野古墳群配置図
明治期の村絵図(国府小学校蔵)には91基もの古墳が記されているが、
現在は墳丘を残すものとしては11 基存在する。
西ノ野1 号墳(王塚古墳)は、鈴鹿川流域を代表する首長墓。
全長63 mの周堤を有する前方後円墳で、国史跡に指定されている。
6世紀の築造と推定されている。
西ノ野5 号墳は
全長30.5 mの前方後円墳
前方部幅15m・高さ1.8m
後円部径21m・高さ3.4m
後円部中央から人物埴輪・家形埴輪
くびれ部から円筒埴輪が出土
盾形の周溝がある。
外提部には径10〜15mの小円墳5基が衛星のように配置されている。
5世紀中頃の築造と推定されている。
西ノ野4 号墳は、1960 年に発掘調査、
径10 m・高さ1.5 mの円墳で、 礫槨など3 つの主体部を検出
5世紀後半の築造と推定されている。
西ノ野16号墳は、円墳の周溝の一部が検出されているのみ。
西ノ野13号墳は
封土は既に無く、周溝のみの検出で、 径11.5 mの円墳で、周溝がある。
西ノ野14号墳は、13号墳の南約25 mの地点にある。
周溝の南部が現存の住宅下にあるため全形は不明だが
径12〜13mの円墳と推定される。周溝あり。
15号墳は 14号墳の西約25 m、鈴鹿川が形成する段丘崖の縁辺に位置する。
径11〜12mの円墳と推定されている。周溝あり。
参考:「西ノ野遺跡 第一次発掘調査報告書」
伊勢自動車道津ICから伊勢西ICへ
本日から伊勢自動車道の津ICから南は料金は無料。そのせいか、自動車の数は多い。
伊勢神宮外宮 | 伊勢市 撮影日2010/7/2 |
午後3時40分 伊勢神宮 外宮に到着。
御厩 |
神楽殿 |
|
風宮 |
三ツ石 三つの石が注連縄に囲まれている。 昔の祓所で、今も遷宮の川原大祓は この場所で行われている。 |
亀石 御池に架けられている大きな自然石の橋で、 亀の形をしている。 外宮奥の高倉山の頂上にある古墳の 入口の蓋ではないかといわれていたが、 寸法が合わず違うことが分かった。。 |
伊勢神宮内宮 | 伊勢市 撮影日2010/7/2 |
雨が降ってきた。
宇治橋 |
神楽殿 |
御正宮 |
神鶏 神鶏は、「天の岩屋」に隠れた 「天照大神」を 外へ迎え出すのに大役を担い、 神のお使いとされている。 |
五十鈴川御手洗場 |
おはらい町 おかげ横丁は5時過ぎていて終い支度。 |
平成25年の遷宮をひかえて、建物の横には新御敷地が用意されている。
午後5時20分、伊勢神宮参拝を終えて、今夜の宿泊地へ向かう。
伊勢自動車道・伊勢ICから、伊勢二見鳥羽ライン(200円)を過ぎ、鳥羽市安楽島町へ
午後6時、 スイートイン鳥羽 に到着
ロビーの大理石がすてきな小さなホテル
夕食は、ジャスコ鳥羽店のファミレス「すみれ」。お土産も買い、宿に帰る。
二日目の朝を迎える。7月3日
夫婦岩 二見興玉神社 |
伊勢市二見 撮影日2010/7/3 |
午前8時20分到着
夫婦岩は、沖合い660mの海中に鎮まる興玉神石の鳥居とみなされていて、
日の出の遥拝所として古くから知られている。
夫婦岩
男岩と女岩を結ぶ大注連縄は「結界の縄」と称され、
大注連縄の向こうを常世神が太平洋の彼方から寄り付く聖なる場所、
そして、手前を俗世という隔たりを持ち張られている。
左から
烏帽子岩、獅子岩(烏帽子岩の前)
屏風岩
男岩、女岩
夫婦岩の大きさは男岩高さ9m、女岩高さ4mで、
二つの岩を結ぶ大注連縄は長さ35m、男岩に16m、女岩に10mが巻かれ、その間9mある。
天の岩屋
前山古墳 | 伊勢市鹿海(かのみ)町 撮影日2010/7/3 |
午前9時 到着
JR参宮線五十鈴ヶ丘駅の東にある新しい住宅街の中の公園に保存されている。
小雨が降っている。
前山古墳全景
前山古墳は、五十鈴川分流地点の西にある標高60mの丘陵より北方に派生する尾根の先端に立地する
推定径20m・高さ2.5mの円墳か方墳と考えられている。
横穴式石室は
全長12.4m
玄室長さ5.7m・羨道長さ6.7m
北壁側に袖部をもつ片袖式で
羨道部は天井石の崩落・抜き取りにより埋まっている。
6世紀後半〜7世紀初頭の築造と推定されている。
塚山古墳群 | 明和町坂本 撮影日2010/7/3 |
午前9時40分 到着
塚山古墳群は、斎宮歴史博物館の周辺に保存されている。
塚山古墳群配置図 (説明板から)
青色の古墳は消滅した古墳。
1号墳・2号墳は、
斎宮歴史博物館のある「ふるさと広場」に保存されている。
3号墳とその周辺の古墳は、
「ふるさと広場」の西側の林の中に保存されている。
配置図を横切る黒い線は、鎌倉時代の大溝の跡(幅3〜4m)で
斎宮の北側を区画するものではないかと考えられている。
塚山古墳群は5世紀末〜6世紀初頭の円墳と方墳の古墳群で42基発見されている。
現在は13基が現存。
円墳は、15m前後。方墳は周溝を持ち、8〜21mのものが多い。
塚山1号墳 長径22m短径20m・高さ2.5mの円墳 |
|
塚山3号墳 径15m・高さ1.9mの円墳 須恵器・円筒埴輪・玉類・武具が出土 |
塚山3号墳の隣1番目の古墳 |
塚山3号墳の隣2番目の古墳 |
駐車場の南隅にある古墳のような高まり 配置図には描かれていない??? |
個々の古墳の詳細は資料がなくてわからない。
久保古墳 | 松阪市久保町草山 撮影日2010/7/3 |
午前10時40分 到着
久保古墳は、パークタウン学園前団地の中に残っている。
墳丘には秋葉山大権現が祀られている。
雨と雑草で墳丘に入れない。
久保古墳全景
雑草に覆われていて、
写真ではよくわからない
標高15mの低台地上にある。
久保古墳実測図
(説明板から)
久保古墳は、 径52.5m・高さ6mの円墳
南勢地方では最大規模を誇る。
埴輪なし 葺石なし
墳麓の東側及び西側は浅い窪地となっており、
周溝の存在を思わせる。
墳頂部は平坦だが、明治45年に盗掘を受けた際、
漢式鏡2・車輪石3・鍬形石2・勾玉5・管玉多数が出土したと伝えられるが、
五島美術館所蔵の三角縁神獣鏡2面以外は定かでない。
三角縁神獣鏡の内1面は、面径23.1cmの舶載鏡で、
岡山県湯迫車塚(ユバクルマヅカ)古墳・京都府椿井大塚山古墳・静岡県上平川大塚古墳のものと同笵。
この種の鏡の出土から、4世紀後半の築造と推定されている。
宝塚古墳 国史跡 |
松阪市宝塚町 撮影日2010/7/3 |
午前11時20分 到着
宝塚古墳は、現在古墳公園として公開されている。
雨が強くなってきた。
宝塚古墳 1号墳と2号墳の位置関係
宝塚古墳群は、
南北1km、東西1.25kmの伊勢平野を望む丘陵一帯に築造された古墳群。
昭和4年の鈴木敏雄氏の『飯南郡花岡村考古誌考』によれば、
88基所在したとされるが、現在は1・2・4号墳の3基が残るのみである。
1・2号墳は併せて宝塚古墳と呼び、指定名称になっている。
平成11年から史跡保存整備事業にともなう発掘調査を実施。
1号墳は全長111mの前方後円墳
2号墳は全長89mの帆立貝型前方後円墳
宝塚1号墳
造り出しの部分だけ
埴輪を並べて復元している。
宝塚1号墳は 全長111mの前方後円墳
後円部径75m・高さ10m 前方部幅66m・高さ7m
伊勢湾西岸で最大の前方後円墳
3段築成 斜面には葺石がある。
葺石間には円筒埴輪列がめぐる
前方部北側くびれ部近くに造り出しがあり、墳丘と造り出しが土橋でつながっている。
5世紀初頭頃の築造と推定されている。
宝塚1号墳の造り出し部
「まつりの場」とされる 造り出し部からは、140点に及ぶ埴輪が当時の配置のままで出土した。
造り出しの規模は裾部で東西18m・南北16m
造り出しと墳丘をつなぐ土橋は長さ5m・幅2m
宝塚1号墳の造り出し部
墳丘から見る
宝塚1号墳の造り出し部
船形埴輪などの埴輪列を
レプリカにより再現している。
船形埴輪は土橋の西側から出土した。
宝塚2号墳
1号墳から見る
前方部東端は
道路を隔てた1号墳側で検出されている。
前方部が、狭い地形にもかかわらず1号墳側に向いていることから
2号墳は1号墳の後継者のものといわれている。
宝塚2号墳は 全長89mの帆立貝形前方後円墳
後円部83m・高さ10.5m 前方部幅38m・高さ3m
墳頂部の平坦面には南北12.5m・東西7mの墓域が検出されている。
5世紀前半の築造と推定されている。
2号墳では1号墳にあった壺形埴輪が姿を消し、朝顔形埴輪が見つかっている。
朝顔形埴輪は壺形と円筒埴輪が一つになったもので、壺形埴輪に続く時代のものだ。
雨が激しくなってきた。
雨から逃げるように松阪市文化財センターのはにわ館へ行く。
見学前に、文化財センターそばの「大にし」で手打ちうどんの昼食。
はにわ館 松阪市文化財センター |
松阪市外五曲町 撮影日2010/7/3 |
大正12年、カネボウの工場が松阪市で操業を開始、平成5年工場閉鎖、
現在、跡地は「カネボウ跡公園『鈴の森』となっている。
元 カネボウ赤煉瓦倉庫
(有形文化財)
改修して文化財センターの一部として
利用されている。
平成15年、宝塚古墳の埴輪を展示するために、はにわ館が開館した。
宝塚1号墳出土の船形埴輪
そのほか
盾形埴輪・きぬがさ形埴輪・家形埴輪など
多数が展示されている。
外は雨が激しく、じっくりと はにわ館を見学。宝塚古墳だけのページが作れそう。
午後1時20分となった。
今夜は亀山市で宿泊予定なので、雨が激しいが、古墳を見学しながら北上。
お伊勢まいりと遺跡めぐり(三重県)その2 につづく