北村さんちの遺跡めぐり
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松阪市

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久保古墳 松阪市久保町草山
撮影日2010/7/3・2023/11/25

久保古墳は、パークタウン団地の中に残っている。
墳丘には秋葉山大権現が祀られている。

 久保古墳は、 径52.5m・高さ6mの円墳 
  標高15mの低台地上にある。  南勢地方では最大規模を誇る。
 2段築成  埴輪なし 葺石なし
 墳麓の東側及び西側は浅い窪地となっており、周溝の存在を思わせる。
 墳頂部は平坦だが、明治45年に盗掘を受けた際、
  漢式鏡2・車輪石3・鍬形石2・勾玉5・管玉多数が出土したと伝えられるが、
  五島美術館所蔵の三角縁神獣鏡2面以外は定かでない。
 三角縁神獣鏡の内1面は、面径23.1cmの舶載鏡で、
  岡山県湯迫車塚(ユバクルマヅカ)古墳・京都府椿井大塚山古墳
    ・静岡県上平川(カミヒラカワオオツカ)大塚古墳のものと同笵。
 この種の鏡の出土から、4世紀後半の築造と推定されている。
 説明板から

    

 2010年の久保古墳 撮影日2010/7/3

久保古墳全景
雨が降っているうえに
 雑草に覆われていて、
  写真ではよくわからない

   

 2023年の久保古墳 撮影日2023/11/25

北から見た久保古墳

「久保古墳」の石柱

西には神社(秋葉山大権現)の鳥居がある。
一の鳥居

二の鳥居前から墳丘を見上げる

墳丘

墳頂部

墳頂から裾を見下ろす

公園には、「大型水平式日時計」がある。
古墳かと思った……。

  

宝塚古墳
国史跡
松阪市宝塚町
撮影日2010/7/3
2023/11/25

宝塚古墳は、現在古墳公園として公開されている。

 2010年の説明
宝塚古墳 1号墳と2号墳の位置関係

宝塚古墳群は、
南北1km、東西1.25kmの伊勢平野を望む
 丘陵一帯に築造された古墳群。
昭和4年の鈴木敏雄氏の
 『飯南郡花岡村考古誌考』によれば、
 88基所在したとされるが、
 現在は1・2・4号墳の3基が残るのみである。

宝塚1号墳 全長111mの前方後円墳
宝塚2号墳 全長89mの帆立貝形前方後円墳

平成11年から史跡保存整備事業にともなう
  発掘調査が実施されている。
 2023年の説明
宝塚古墳は、松阪の市街地から南に2kmほど離れた丘陵上にある。


宝塚古墳群位置平面図
 (松阪市HPから)
1号墳と2号墳からなる古墳群
 昭和7(1932)年に国史跡に指定された。

かつて周囲には、
88基の古墳が存在したといわれるが、
開発により、そのほとんどが姿を消している。

 

 宝塚1号墳
 全長111mの前方後円墳
  後円部直径75m・高さ10m 前方部幅66m・高さ7m
 3段築成 葺石が3段に覆い、埴輪列が2段にめぐる
 埴輪列には、円筒・壺・盾形などがある。
 前方部のくびれ部寄りの北裾に造出しがある。
 造出しは、
  墳丘本体と長さ5m・上面幅2.5〜3m・基底幅5mの土橋でつながり、
  2段に築成され、さまざまな埴輪が出土した。
 埋葬部は、未調査だが、粘土槨の存在が考えられている。
 5世紀初頭の築造と推定されている。
 造出しは、上段上面で東西幅13m・南北幅10m
  下段基底面で東西幅18m・南北幅16m 高さ1.6m
  上下2段に葺石がある。
 船形埴輪・囲形埴輪・家形埴輪や柱状埴輪など140点もの埴輪が
   当時置かれた位置を保った状態で発見された。

 埴輪群の配列など、古墳でおこなわれたマツリのようすを研究する上で
   大変重要な資料となった。

船形埴輪
    (古墳辞典から)
 全長140cm
土橋西側直下から
 円筒台の上に据えられた状態で発見された。
90%以上実物の破片で完全に復元されている。
太刀、きぬがさ、杖などが甲板に並ぶ
 本物は埴輪館に展示されていて、2010年に見学した。
 2010年の宝塚1号墳 撮影日2010/7/3

宝塚1号墳  造り出しの部分だけ埴輪を並べて復元されている。
   

宝塚1号墳の造り出し部
  

宝塚1号墳の造り出し部
 墳丘から見る

宝塚1号墳の造り出し部
 船形埴輪などの埴輪列が
 レプリカで再現されている。
 2023年の宝塚1号墳 撮影日2023/11/2

1号墳への坂道
  

1号墳全景
  

くびれ部に造出しがある
  

前方部から後円部を見る
  

後円部から前方部を見る
  

後円部から造出しを見る
  

造出し復元

埴輪復元

  

 宝塚2号墳
 宝塚2号墳は 全長89mの帆立貝形前方後円墳
 後円部83m・高さ10.5m 前方部幅38m・高さ3m
 墳頂部の平坦面には南北12.5m・東西7mの墓域が検出されている。
 前方部2段、後円部3段築成  斜面に葺石がある。
  後円部2段目テラス部分の前方部側に円筒埴輪列がある。
 5世紀前半の築造と推定されている。
 2号墳では1号墳にあった壺形埴輪が姿を消し、朝顔形埴輪が見つかっている。
 朝顔形埴輪は壺形と円筒埴輪が一つになったもので、壺形埴輪に続く時代のものだ。
 1号墳の後継者の墓と考えられている。
 2010年の宝塚2号墳 撮影日2010/7/3

宝塚2号墳 
 1号墳から見る


前方部東端は
 道路を隔てた1号墳側で検出されている。
 前方部が、狭い地形にもかかわらず1号墳側に向いていることから
    2号墳は1号墳の後継者のものといわれている。
 2023年の宝塚2号墳

前方部から後円部を見る

前方部は、道路で切断されているが、
 道路の手前で、
 前方部の隅が確認されている。

後円部から前方部を見る

2号墳から1号墳方向を見る

2024/3/15 宝塚1号墳出土の埴輪が国宝になるというニュースが出てきた。

 ヤフーニュースから
 文化審議会は15日、三重県宝塚1号墳出土埴輪(松阪市文化財センター)や
  宮城県多賀城市の多賀城碑(文化庁)、
  藤原道長らが自筆した写経の金峯山(キンプゼン)経塚出土の
     紺紙金字経(奈良・金峯山寺と金峯神社)など
  計6件を国宝に指定するよう、文部科学相に答申した。

  
 宝塚1号墳(5世紀初め)の埴輪は船や家などをかたどった8点。
  特に大型の埴輪船(全長140cm、高さ94cm)は、
   船上に大刀や蓋(キヌガサ)を立てるなど造形が精巧だ。

  「古墳時代の葬送祭祀を考える上で他に例がない」と評価された。
  埴輪としての国宝指定は「埴輪武装男子立像」(東京国立博物館)に次ぎ、2例目となる。
 多賀城碑は高さ1.96mの石碑で、天平宝字6(762)年の建立と刻まれる。
  141字で京など各地からの距離、多賀城の創建や修理について記す。
  数少ない奈良時代の石碑として非常に価値が高いという。石碑の指定は3例目。

   

はにわ館
松阪市文化財センター
松阪市外五曲町
撮影日2010/7/3

大正12年、カネボウの工場が松阪市で操業を開始、平成5年工場閉鎖、
現在、跡地は「カネボウ跡公園『鈴の森』となっている。

元 カネボウ赤煉瓦倉庫
  (有形文化財)
改修して文化財センターの一部として
 利用されている。
平成15年、宝塚古墳の埴輪を展示するために、はにわ館が開館した。

宝塚1号墳出土の船形埴輪

そのほか
盾形埴輪・きぬがさ形埴輪・家形埴輪など
多数が展示されている。
  

八重田古墳群
10号墳・11号墳

市史跡
松阪市八重田町
撮影日2010/7/3・2023/11/25

  

 八重田古墳群
  4世紀後半から5世紀後半にかけて形成された25基からなる古墳群
 昭和48年の団地造成により16基が消滅した。
 現存9基(2・3・9・10・11・21・22・23・24号墳)
 調査された古墳は9基   (1・7・8・12・16・17・18・19・20号墳)。
 日丘団地内に11号墳が保存されている。周辺に3、9、21号墳が現状保存。
 11号墳は全長50mの前方後円墳だが、未調査のため、二基の円墳の可能性もある
 10、11号墳が市史跡となる。

八重田古墳群分布図
(昭和47年当時)

 (2010/7/2撮影 八重田11号墳説明板から)

4号墳については団地の緑地として存在し
8号墳にあった祠が祀られていて、
 そこでは現在も埴輪の細片が採集できるとか……

2010年に、八重田11号墳を見学した。

 八重田11号墳 撮影日2010/7/3
 丘陵頂部にあって、日丘町の日丘団地内に保存されている。

八重田11号墳実測図
  (説明板から)
全長50mの前方後円墳と考えられているが、
墳丘は判然とせず、
2基の古墳の可能性もある。

後円部墳頂から粘土塊が確認されているので
主体部は粘土槨と推定されている。

八重田11号墳

東側から

左 前方部  右 後円部
 日丘団地内の擁壁の上のフェンスの中に保存されていてよく見えない。

八重田10号墳は、11号墳の北500mの農地の中にある。2023年見学。

 八重田10号墳(大塚) 撮影日2023/11/25
 丘陵先端にある42.5m×38mの円墳
 2段築成 葺石あり  埴輪列あり    発掘調査されていないので、詳細不明。

墳丘実測図



全景

墳丘

墳頂には石祠?

 

向山古墳
国史跡
松阪市嬉野下之庄町字向山
・小野町字上ノ

撮影日2010/7/3・2023/11/24

向山古墳は、中村川右岸の標高50mの丘陵先端にある。

 向山古墳は  墳丘長82.2mの前方後方墳 前方部を東に向けている。
  後方部長さ(南北)40.0m・幅(東西):46.0m 高さ:6.0m
  前方部長さ35.4m・幅36.4m・高さ:5.6m
   (墳丘長はかつて71.4mとなっていたが、現在では修正されている。)
 標高約50mの台地先端部にあり、墳丘は自然地形を利用しつくられた。
 2段築成 葺石がある。円筒埴輪列がある。
 主体部は大正年間(1914)に盗掘を受け、舟形の粘土槨から
  鏡4・石釧11・車輪石3・鍬形石・筒型石製品2・鉄刀1・槍3などが出土。
 槨をめぐって埴輪列があったという。
 4世紀後半頃の築造と推定されている。
 
 鏡4面のうち、3面が現存している。
 鏡は、面径6.2cmの重圏文鏡、面径6.9cmの内行花文鏡と変形獣帯鏡
 石釧、車輪石は全て碧玉製。 

      説明板から  2010年に撮った説明板
 2010年の向山古墳 撮影日2010/7/3

この雑草の向こうに向山古墳がある。
中央あたりが前方部でその向こうに後方部がある。
 2023年の向山古墳 撮影日2023/11/24
北から
向山古墳のある山を望む

後方部頂には石碑がある
  

前方部から後方部を見る
  

くびれ部から後方部を見る
  

後方部から前方部を見る
  

    

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