北村さんちの遺跡めぐり
更新日2010/12/28

熱田神宮と遺跡めぐり
その2
撮影日2010/10/2〜3

愛知県二日目です。 朝食後、
AM 7:35 豊山町のホテルエアーライン 発

周辺の地図g

  勝手塚古墳
志段味古墳群
 名古屋市守山区上志段味字中屋敷
撮影日2010/10/3

AM 8:10 勝手塚古墳 着。
勝手社(カッテシャ)のある場所は古墳だ。

勝手塚古墳・後円部
南から




勝手塚古墳
後円部の墳頂に勝手社が建てられている。




勝手塚古墳
左   前方部(西側)
右奥 後円部

勝手塚古墳は 全長53mの帆立貝式前方後円墳
 後円部径39m・高さ6.5m 前方部長さ14m・幅21m・高さ2.3m
2段築成で、墳丘を囲む円筒埴輪列あり 二重の周濠があったと伝わる
内部主体は不明。
6世紀の築造か?


勝手塚古墳の周壕跡

西から北にかけての内濠の一部とそれを囲む周堤が残る。


     

  志段味大塚古墳
志段味古墳群
 名古屋市守山区上志段味字大塚
撮影日2010/10/3

AM 8:24 志段味大塚古墳 着。
大久手池の周辺に点在する古墳群の中で最大規模の前方後円墳。大塚1号墳とも呼称される。

志段味大塚古墳

右側 後円部
左側に 低い前方部

 



志段味大塚古墳

手前が前方部。
志段味大塚古墳は  全長55mの帆立貝形前方後円墳
  
(周濠部分を含めると全長62m)
後円部径40m・高さ7m 前方部高さ1.5m
主軸は北東方向(わずかに北寄り)
墳丘には円筒埴輪、墳裾部に河原石の葺石がめぐる
後円部にはテラス面があり、後円部から見た右側くびれ部に造出があり、その上部に埴輪列
周濠は一重で馬蹄形
主体部は2基(粘土槨と木棺直葬)確認
五鈴鏡や武具・馬具・武器、埴輪(水鳥形・鶏形・蓋形・朝顔形・円筒)や高坏など多くが出土した。

1923年(大正12年)
1982年(昭和57年)・1983年(昭和58年)
2005年(平成17年)2008年(平成20年)と調査が行われている。

  東大久手古墳
志段味古墳群
 名古屋市守山区上志段味字大久手下
撮影日2010/10/2

大久手池の周辺に点在する大久手古墳群の前方後円墳。大久手1号墳と呼ばれる場合もある。


東大久手古墳

小さな案内板がある。
東大久手古墳
墳長37.5mの帆立貝形前方後円墳
(周濠部分を含めると全長58m)
後円部径26.5mと推定
2段築造であったとも考えられている。須恵器や円筒埴輪が出土。
前方部と後円部の境に葺石と思われる列石と円筒埴輪が確認
後円部に墳丘を囲む円筒埴輪列の残存を確認


東大久手古墳の墳丘
墳丘の多くが掘平されている

2008年(平成20年)に調査


     

  西大久手古墳
志段味古墳群
 名古屋市守山区上志段味字大久手下
撮影日2010/10/3

大久手池の周辺に点在する大久手古墳群の前方後円墳。大久手2号墳と呼ばれる場合もある。

西大久手古墳
墳丘が削平されていて、現存するのは高さ0.5m程度
細かな形ははっきりしない。


2008年(平成20年)の発掘調査で
 東海地方以東では最古級(5世紀中頃)のものとされる人物埴輪が出土した。

西大久手古墳
全長39mの帆立貝型前方後円墳(周濠部分を含めると全長約59m)
後円部径27m 志段味大塚古墳と形が似ている。
葺石と周壕や外堤があったと考えられている。
須恵器・円筒埴輪・馬型埴輪・鶏型埴輪・人物埴輪などが出土

大久手池の堰堤になっているという大久手5号墳はよくわからない。
この辺はただいま開発の真っ最中。新しい道路や住宅が建設中。
公園になる予定もあるらしいが・・・・・・いつのことだろう。

  白鳥塚古墳
国指定史跡
志段味古墳群
 名古屋市守山区上志段味字東谷
撮影日2010/10/3

AM 918 白鳥塚古墳 着。
有名な古墳だが見学には向かないかも・・・

白鳥塚古墳
後円部の頂上部の葺石に白石が使われていたことから
白鳥塚と呼ばれるようになったと言われている。
現在は白石はほとんど見られない。

白鳥塚古墳 全長 115mの手鏡型前方後円墳
 前方部長さ 43m・前方部高さ 6.7m(北側)/ 5m(南側)・前方部幅 40m
 くびれ部幅 25m
 後円部径 75m・後円部高さ 15.2m(北側)/ 12.6m(南側)
いびつな形をしているが当初からなのかはよくわからない。

前方部2段、後円部3段築成
前方部端と北側、後円部の各1ヶ所以上に造り出しがあった可能性がある。
埴輪なし
主体部は2基の可能性がある。
須恵器・坏蓋・はそう・甕・土師器片などが出土
4世紀後半の築造と推定されている。

雑木に覆われていて、墳丘にはなかなか入り込めないので、
石碑の写真でも。

後円部頂はへこんでいるというが・・・・・。
まだ虫も多くて・・・・。

    

  白鳥1号墳
市指定史跡
志段味古墳群
 名古屋市守山区上志段味字東谷
撮影日2010/10/3



道路沿いに案内板。






1号墳の手前に謎の石組み
道路から上がってすぐのところ

ひょっとして8号墳のもの?




白鳥1号墳墳丘

白鳥古墳群の中では、ただ一つ原形をほぼ完全に残した石室を持つ

白鳥1号墳   径17.5m(東西)16.5m(南北)・高さ3.5mの円墳
横穴式石室は平面徳利型・無袖式で全長9.8mで西側に開口している。
玄室長4.2m・最大幅1.6m・高さ2.4m 羨道長さ3.2m
6世紀後半の築造と推定されている。
大正時代の調査で土器や曲玉、鉄鏃が出土したとの記録がある。
昭和36年(1961年)の調査で土器や武具が出土
平成18年から19年(2006年?2007年)の範囲確認調査で、
 C型で開口部で途切れた周溝(幅4.9m)を確認、
周溝を含めた1号墳の規模は東西25m・南北約24.5m。
直刀片3・刀子片2・鉄鏃3・馬具一式・須恵器・土師器片などが出土。

白鳥1号墳石室開口部
 西側に開口している


鍵はかかってなかった。



白鳥1号墳石室奥壁

けっこう適当に積んでいるように見える。




白鳥1号墳石室内部から外を見る。

側壁は垂直にきれいに積まれている。

白鳥古墳群(シラトリコフングン)は、志段味古墳群のひとつで、8基の古墳が確認されている。

 1号墳 径17.5m(東西)16.5m(南北)・高さ3.5mの円墳 
 2号墳 径12mの円墳で西向きに開口した横穴式石室がある。
昭和36年の調査後に開発によって消失。 平瓶が出土
 3号墳 2号墳と同規模の円墳
開発によって2号墳と同時期に滅失
4号墳  17.0m×16.4mの円墳
西南西に開口した無袖式の横穴式石室がある。
土師器・須恵器・刀子1・鉄鏃2・灰釉陶器椀1 
 5号墳 径10m・高さ2.5mの円墳。
天井石と思われる石材が露出。未調査。 
6号墳 民家の庭先にある塚状に残る。
古墳と推定されているが未調査。 
7号墳 径約10mの円墳。4号墳調査時に発見
表土中から須恵器の坏蓋が完全な形で出土
南側に開口していた石室の西側壁が残存を確認。
調査後、消失した。
8号墳 円墳。平成18年から19年の1号墳調査で、隣接する位置に8号墳の周濠を発見。
墳丘の盛土と周濠が地表下に残存する事を確認。
6世紀後半に築造された可能性。
須恵器が出土品。 

    

東谷山山頂の古墳を見学に行く。東谷山山頂へ行く道は立ち入り禁止の標識が目につく。
ここまで来たのに引き返せないと強行突破。
頂上の駐車場には20台くらい駐車している。
見学した日は尾張戸神社の清掃の日で、大学生らしき人たちがたくさんいる。 

AM 10:00  尾張戸神社駐車場 着

  テーブルストーン
東谷3号墳

志段味古墳群
 名古屋市守山区上志段味字東谷
撮影日2010/10/3

尾張戸神社の駐車場横に不思議な橋が・・・・。

テーブルストーン
東谷山3号墳の石室

全長5mほどの横穴式石室

東谷山3号墳は 東谷山西北側の段丘上に麓にあった後期古墳で、石室の上半分が露出し、
大きな天井石がテーブルのように見えたことから地元ではテーブルストーンといっていた。

宅地開発で消滅のため、山頂の尾張戸神社駐車場そばに石室が移築された。
須惠質の埴輪・各種玉類・耳飾り鉄製道具類・須恵器などが出土
6世紀の前半の築造と推定されている。
連続して埋葬が行われたと考えられる。

東谷山の西側には山頂から麓にかけて40基を超える古墳があった。
大部分は6世紀〜7世紀のもの
ですべて円墳だ。
    (説明板から)

  尾張戸神社古墳
志段味古墳群
 名古屋市守山区大字志段味字東谷
撮影日2010/10/3

東谷山の山頂にある尾張戸神社(オワリベジンジャ)は、古墳の上に建っている。

尾張戸神社古墳
直径30mの円墳
かつては全長50mの前方後方墳とか前方後円墳との説があったが、
 平成20年(2008年)の初調査で円墳と断定された。
2段築成 葺石あり 埴輪なし
昭和初期社殿裏が盗掘され、大きな石に突き当たったと伝えられることから、
 竪穴式石室と考えられている。
4世紀後半の築造と推定されている。

古墳の北側には前方部のような地形の部分がある。
前方後円墳と見間違えたのはこのためなのだと思いながら見学した。

尾張戸神社
かつては熱田神宮に次ぐ大社であったという。
当国明神(のちに東谷明神)の別名を持ち、東谷山(当国山)の名前の由来ともなった。
疫病除けの神として知られる。
末社には中社・南社の二社があり、
 中社には白山菊理媛命、南社にはイザナギ・イザナミが祀られている。

  中社古墳
志段味古墳群
 名古屋市守山区大字志段味字東谷
撮影日2010/10/3

東谷山山頂から南へ120mくらいのところにある。

中社古墳後円部

墳頂に中社がある。

中社古墳は  後円部を山頂(北)に向ける
全長63.5mの前方後円墳 (前方後方形の基壇の上に円墳を乗せた特殊な墳形)
後円部3段 前方部2段築成
後円部側の尾根を大きく掘り込んでつくっている。
斜面に葺石(河原石)あり 円筒埴輪列が周囲をめぐる。
江戸時代の記録には割石小口積みの竪穴式石室から銅製品の出土の記録がある。
尾張戸神社古墳に続く4世紀中ごろの築造と推定されている。


中社古墳前方部


2009年の調査で古墳の円部分の頂点部分から
直径30〜40cm・高さ約70cmの円筒埴輪が5本並んだ状態で出土した
(埋め戻したという)

中社古墳からさらに南にいくと南社古墳がある。(見学しなかった)
南社古墳直径30m・高さ2mの円墳
 葺石なし 未調査
 立地から推定すると5世紀代の築造か?

  高蔵寺古墳群  撮影日2010/10/3

高蔵寺古墳群は、高座山の南斜面の裾部から庄内川の河岸段丘上にある。
6世紀末〜7世紀初頭の5基の古墳が確認。 3号墳と5号墳が現存。

高蔵寺古墳群データ
2号墳 墳丘はほとんど流失
南西方向に開口する横穴式石室が露出
須恵器(高坏、坩、提瓶、台付長頸壺)と金環が出土
3号墳 現存
周溝を持たない直径約15mの円墳
南向きに開口した横穴式石室
須恵器(坩、提瓶)、土師器が出土
石室内から山茶碗(鎌倉時代)も多く出土
4号墳 墳丘はほとんど流失 古墳の規模は不明
石室内からは須恵器(坏身、坏蓋、高坏)、金環、鉄刀、鉄鏃が出土
5号墳

   

高蔵寺5号墳
高蔵寺古墳群
 春日井市玉野町塚本
撮影日2010/10/3

AM 1055 高蔵寺5号墳 着

5号墳の墳丘は、大部分が開墾によって失われ、すでに横穴式石室も露出。

高蔵寺5号墳
奥壁側から

広い農地の中に大きな石が露出。
天井石はない。


高蔵寺5号墳の横穴式石室は
 西南方向に開口する全長8.05 mの擬似両袖型石室
玄室は胴張で、長さ4.72 m・最大幅2.2m
玄門には立柱石と梱石が配される。
羨道は長さ3.3 m・最大幅1.4 m
開口部に向かってやや開く。
須恵器、耳環、大刀、刀子、鉄鏃、馬具、鉄鐸、砥石が出土。
遺物の出土状況から複数回の追葬が行われたと考えられる。
昭和54年調査


高蔵寺5号墳
入口側から



高蔵寺5号墳
石室のまわりには石が散乱している


古墳についての説明はないが、神聖なものと考えられているらしく、
「御所中明神」や「玉川大神」と書かれた石碑が立っている。

石碑は石室の石材で作られているのか?
     

高蔵寺3号墳
高蔵寺古墳群
 春日井市高蔵寺町
撮影日2010/10/3

AM 1130 高蔵寺3号墳 着

住宅の代わりに古墳をつくったみたいな感じで保存されている。
住宅に囲まれているので、なかなか見つからない。

高蔵寺3号墳 北側道路から

いかにも円墳!

高蔵寺3号墳は  直径15mの円墳
周溝なし
横穴式石室は全長6.7m、最大幅1.5m。
昭和47(1972)年に調査、堤瓶、広口壺二点が出土
中世(鎌倉時代)に撹乱を受けており石室内から山茶碗も多く出土。
昭和49(1974)年復元保存。


高蔵寺3号墳 南側から

南向きに開口した横穴式石室
   

高蔵寺3号墳 石室入り口


  

高蔵寺3号墳  石室内部

    

  気噴7号墳
気噴古墳群
キブキコフングン
春日井市気噴町字山本 
撮影日2010/10/3

AM 1140 山本公園 気噴7号墳 着

平成19年に調査、公園の一角に現地保存された。

気噴7号墳

標高43メートルの段丘縁辺に位置する。
あるはずの周溝も石室も見ることはできない。

説明板も見当たらない。
気噴第7号墳は、気噴古墳群では唯一現存する 径12m・高さ2.4mの円墳
葺石あり 周溝あり
西側に開口する横穴式石室をもつ(埋め戻されている)
須恵器の坏蓋片1・土師器片が出土
平成19年調査

  天王山古墳  春日井市大留町
撮影日2010/10/3

墳丘の周囲を公園化する計画が進行中である。

天王山古墳

木が切られている。
かつては墳丘上に小さな社が置かれていた。

天王山古墳は庄内川の自然堤防上(標高32m)に位置する 径28m・高さ4.5mの円墳
葺石あり 古墳西側は中腹から削平
主体部は未確認
赤彩を施した二重口縁壺、高坏、器台等が出土
4世紀代の築造と推定されている。
2004(平成16)・2007(平成19)年調査

  親王塚古墳  春日井市大留町
撮影日2010/10/3

AM 1155 親王塚古墳 着。
神明社境内・拝殿の西側にある。

親王塚古墳
名前は宗良親王あるいは護良親王の
 遺品を埋葬したとの伝承による。

1968年(昭和44年)発掘調査、
 春日井市の古墳で初めて復元保存された。
親王塚古墳は 径15m・高さ3.5〜4mの円墳
葺石あり 小規模な周溝あり
西に向かって開口する横穴式石室は全長5.1m 玄室長さは4m
 幅は奥壁で1.3m、玄室中央では1.6m、高さ1.8m
 側壁は持ち送り積みで、天井石として長さ1.5〜1.6m・幅1mの石5つを使用
 玄室の床面には大人の手のひら程の河原石を敷く。
頭骨の一部や武具、須恵器・椀型土器・金環3などが出土。
6世紀末〜7世紀初頭の築造と推定されている。
出土した頭骨などから被葬者は2人と推定されている。
墳丘からは中世の山茶碗や壺の破片などが出土。


親王塚古墳石室入口






親王塚古墳石室内部


近所にすむ男性が通りかかり、少しお話をした。
親王塚古墳の整備にかかわった地元の方で、整備の際には長野県の大室古墳群などに視察に行ったそうだ。
宗良親王の墓とするには、年代があわないねーという話もした。

犬山に向かう途中、ガスト春日井坂下店にて昼食。

  青塚古墳
国史跡
 愛知県犬山市青塚
撮影日2010/10/3

PM 1:20 青塚古墳 着


青塚古墳史跡公園案内図 (説明板から)

標高31mの台地の端に築かれ、
古墳の西側には木曽川により形成された平野が広がる。
墳丘遺構面上に約50cmの盛土がなされ、造営当時の姿が再現された。

青塚古墳
北西から


手前には一部周壕が復元されている。

青塚古墳は 全長123mの前方後円墳
愛知県内の古墳では断夫山古墳に次いで2番目の規模
 後円部径78m・高さ12m くびれ部幅43m・高さ5.5m
 前方部長さ45m・幅62m・高さ7m
前方部2段・後円部3段築成 葺石あり
各段のテラスには壺型埴輪が並ぶ
前方部の墳頂には低い壇がありこの壇を囲むように円筒埴輪・鰭付朝顔形埴輪が並ぶ

古墳の周囲は自然の地形を利用した空掘りの周壕がある。
この周壕から古墳東側のくびれ部より外に向かって伸びる陸橋がある。
4世紀中ごろの築造と推定されている。
青塚のほか茶臼山・王塚などとも呼ばれていた


墳丘に並べられた 赤い壺型埴輪

奥が後円部





出土した埴輪の展示

公園内のガイダンス施設


    

  白山神社古墳  犬山市羽黒字南郷
撮影日2010/10/3

PM 2:07 白山神社古墳 着。
青塚古墳のガイダンス施設の展示で白山神社古墳というのがあったので、
 白山神社を探して見に行くが、墳丘がわからない・・・・・・・

白山神社





白山神社・社殿

社殿が古墳の上に建てられているそうな。


   

  成田山名古屋別院  犬山市大字犬山
撮影日2010/10/3

千葉県成田市の成田山新勝寺の別院がある。

犬山成田山と呼ばれている。

昭和28年大本山から不動明王のご分身を勧請し開創された。

東海三十六不動尊霊場第一番の札所となっている。

  東之宮古墳
国史跡
 犬山市大字犬山字北白山平
撮影日2010/10/3

PM 2:28 東之宮古墳 着。
成田山名古屋別院の西側から山を登ると駐車場があり、そこから少し上ったところに墳丘。
白山平山(海抜136m)の頂上にある。

東之宮古墳前方部南側

古墳の名称の由来ともなっている「東之宮神社」が建つ。




東之宮古墳実測図
(『史跡東之宮古墳第1次調査概要』から)

全長72mの前方後方墳
後方部の48×49m・高さ8m 前方部幅43m・高さ6m
前方部を北西の鵜沼方面に向ける
全面に葺石あり 埴輪なし 周壕なし

昭和48年発掘調査
墳頂部にある竪穴式石室は、長さ4.8m幅0.96mで内部の壁全面にベンガラが塗られていた。
石室内部に割竹形木棺が置かれていたと考えられている。

石製品7(石釧3・鍬形石1・車輪石1・合子2)  玉類140(翡翠製勾玉3・硬玉製管玉137)
鏡11面(三角縁神獣鏡4・斜縁同向式二神二獣鏡1・方格規矩四神倭鏡1・四獣形鏡1・人物禽獣文鏡4)
鉄製品(鉄剣4・鉄刀9・鉄剣鉄槍17・鉄鏃6・短冊形鉄斧3・有袋鉄斧3・針筒1・Y字形鉄器2・ヤリガンナ等)
などが出土
石室北側には角礫を配した小石室がある。

東之宮古墳
竪穴式石室は
7枚の扁平な板石状の天井石によって覆われていて、
その上を乳白色粘土で覆っていたという。


古墳へ行く途中に線路跡がある。

遊園地の電車が以前通っていた。
なんか、寂しいなぁ。
東之宮古墳は標高143mの白山平山頂にあり、北西には木曽川を挟んで岐阜県各務原市鵜沼の古墳群がある。

(鵜沼の古墳については岐阜・その2をご覧ください。)

  妙感寺古墳 犬山市大字犬山
撮影日2010/10/3

PM 3:10 妙感寺古墳 着

妙感寺古墳は妙感寺の境内にある。
古墳は建物の背後にある



寺の建物の左側の墓地奥から 墳丘前方部に上がる。

蚊がこわくてじっくり見学ができない。

発掘調査は行われていない。

妙感寺古墳測量図 『史跡東之宮古墳調査報告書』から
全長95mの前方後円墳
 後円部径52m・高さ7.5m
 前方部幅50m・長さ43m・高さ5.5m
段築が存在する可能性がある。
周囲には盾形の周濠と外堤が存在していたことが推測できる。
外堤の北西部は、名鉄犬山線により大きく破壊されている。


妙感寺古墳
前方部から後円部を見る


後円部頂にはかつて建物が存在したようで、広く平坦になっている。


妙感寺古墳
後円部から前方部を見る


前方部上には稲荷神社がある。
前方部は妙感寺境内の墓地になり、改変を受けている。

    


予定していた愛知県の見学を終えた。
もう少し時間があるので、岐阜の古墳の見学の時、日暮れてしまった手力雄神社に行き、写真の撮り直し。


手力雄神社境内古墳のページ(岐阜県)

PM 4:10 手力雄神社出発
PM 4:25 各務原IC
       一宮JCT
       米原JCT
PM 5:25 賤ヶ岳SAにて給油と休憩
       利根PA手前5kmあたりから事故のため渋滞
       15分くらいで渋滞を脱出
PM 6:20 南条SAレストランで夕食
    帰りの高速料金はきっちり1000円
PM 8:10 帰宅  

今回の旅は 走行距離630kmだった。

熱田神宮参拝と遺跡めぐり  おわり

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