北村さんちの遺跡めぐり
更新日2019/11/23
岐阜 2019晩秋 その1 垂井町1 |
2019/10/30、31、11/1 |
秋晴れに誘われて、岐阜県をさまよう・・・・ 二泊三日の旅。
2019年10月30日
6時27分 自宅発、杉津PA、伊吹PAで休憩、8時41分に 関ヶ原IC
垂井町の南大塚古墳から。
南大塚古墳 | 垂井町大石 撮影日2019/10/30 |
10年前に行ったときは、雑草に覆われていて、大きい石室が見られなかったので、もう一度訪問。
きれいに除草されていて、しっかりと見学できた!
南大塚古墳は 一辺25m・高さ6mの方墳 葺石あり 前庭部も含めて全長15mの大型横穴式石室が開口している。 6世紀末〜7世紀初頭の築造と推定されている。 |
|
南から見た南大塚古墳 左側(西側)の墳丘が 削られている |
|
東から見た墳丘 小さな祠がある |
墳丘上から、石室入口方向を見る |
ほとんど露出した石室 前庭部はハの字状に広がる |
石室入口 |
石室入口から奥壁を見る |
奥壁側から石室入口を見る |
思いのほか、立派な石室で、びっくりです!
戸張古墳 | 垂井町大石 撮影日2019/10/30 |
南大塚古墳の北約600mの農地の中に、方形に古墳が残る。
戸張古墳は 墳形不明。 横穴式石室がある。 | |
封土が流出 |
横穴式石室の石が見えている |
この状態で、よくぞ残ってくれました!
大滝古墳群 | 垂井町大石 撮影日2019/10/30 |
戸張古墳の北約200mの農地に、2基の古墳が並んでいる。
大滝古墳群は 農地の中に2基、その北西の林の中に5基残っている。 |
農地に残された2基の古墳 南から見る どちらも一辺10m足らずの 上円下方墳だそうだ |
同じ古墳を北から見る 北から見ると、 上円部しか見えない |
とても美しい眺めだ。
林の中は見て来なかった。
東野古墳群 トウノコフングン |
垂井町大石 撮影日2019/10/30 |
大滝古墳群の北の道路沿いに墳丘があるのが、東野古墳群。
3基が確認できた。
その1
|
||
その2 その1の西側にある。
|
||
その3 その1・その2の西側の、柵の向こうにあるので近づけないが、きれいな墳丘がある。 墳丘その3 |
岡田堂古墳 | 垂井町府中岡田 撮影日2019/10/30 |
南大塚古墳の東約1kmの東海道本線のそばの農地の中にも、古墳がある。
岡田堂古墳は 円墳 横穴式石室の一部が露出している。 | |
かわいい墳丘 |
横穴式石室の石が見えている |
親ヶ谷古墳 町指定史跡 |
垂井町市之尾大石 撮影日2019/10/30 |
岡田堂古墳の東の市之尾集落の北の、標高185mの尾根上にある前方後円墳を見に行く。
市之尾集会所の前に 「親ヶ谷古墳 距離約550m」の案内板がある。 |
市ヶ谷集落の奥にある天神神社の手前に駐車し、 比高差約80mを登らなければならない。 |
神社横の登り口 |
いくつかの案内標識をたよりに登る 最後の案内標識 |
途中の鉄塔脇から
親ヶ谷古墳を見上げる
右側の尾根上
20分くらいかかって、後円部に到着。
親ヶ谷古墳は 墳長85mの前方後円墳 標高185mの尾根上に位置する。 後円部42m・高さ6n・頂径13m、 前方幅43m・長さ43m・高さ5.5m くびれ幅18m 前方部を北東に向ける。 前方部は先端が拡張する形。 後円部は2段築成上段には葺石がある。 埋葬施設は粘土槨。 明治の初め頃に盗掘され、長さ3m・幅1mの粘土槨の棺の北端から 鏡14・鍬形石1・車輪石4・合子2組・壺3・四脚付盤1 ・高坏1・碧玉製管玉・滑石製棗玉などが出土した。 鏡は行方不明だが、そのほかは東京国立博物館に所蔵されている。 4世紀後半の築造と推定されている。 矢道長塚古墳とほぼ同時期と考えられている。 |
|
後円部頂 |
後円部から前方部を見る |
くびれ部から前方部を見る |
前方部頂 |
前方部から後円部を見る |
くびれ部から後円部を見る |
案内標識がいくつもあるが、道がなくなる所もある・・・。
若宮古墳 | 垂井町府中 撮影日2019/10/30 |
10年前に、忍勝寺古墳を見学したが、そのすぐ南に、小さな古墳があるのを見逃した。
東から見た忍勝寺古墳
10年前の写真
忍勝寺古墳は
全長60mの帆立貝形古墳で
前方部が削られている。
そのすぐ左側(南)にある小さな古墳は、若宮古墳という。
背の高い1本の樹が目印の若宮古墳 右は忍勝寺古墳 |
墳丘は破壊されている… |
詳細不明・・・
朝倉古墳群 | 垂井町朝倉 撮影日2019/10/30 |
垂井町朝倉の朝倉運動公園の敷地内に古墳がある。
4基が、あるはずだが、詳細不明。
朝倉古墳群その1 東側の入口近くの円墳
|
||
朝倉古墳群その2
|
||
朝倉古墳群その3
|
||
朝倉古墳群その4 古墳らしいが、違うのかもしれない |
公園の中に取り込まれていて、古墳の説明があるわけではないので、
はっきりと古墳だと断定できないのが悔しい!
隣松寺古墳 | 垂井町宮代 撮影日2019/10/30 |
隣松寺は、駐車場完備の立派なお寺だ。
隣松寺は 西暦957年に、平将門を弔うために、 源経基公が天台宗の寺院として開基されたと伝えられている。 その後、何度かの荒廃・焼失や再興を繰り返して、現在に至る。現在は臨済宗。 現在の伽藍は平成17年に落慶されている。 |
隣松寺 古墳は左に見える林の中にある。 |
古墳は隣松寺の住職の代々の墓地となっているようだ。
隣松寺古墳は 径15mほどの円墳 詳細不明 | |
墳丘上の墓地へ続く階段 |
墳頂の墓地 |
このすぐ横にも、もう一つ墳丘があるように見えるが、違うのだろうか・・・
周りは樹木に覆われていて、外側からはほとんど見えない。
南宮大社 | 垂井町宮代 撮影日2019/10/30 |
美濃国の一宮の見学。
南宮大社は 祭神は金山彦命 崇神天皇の御代の創建と伝えられている。 美濃国の国府から南方にあたるので、「南宮大社」と呼ばれるようになったといわれている。 慶長5(1600)年、関ヶ原合戦の時に炎上したために、、 寛永19(1642)年、徳川家光公が経費を寄進して再建されたのが現在の建物。 本殿、弊殿、拝殿、樹下社、高山社、隼人社、南大神社、七王子社、 回廊(左右)、勅使殿、高舞殿、楼門、神輿舎、神官廊 の15棟全てが、重要文化財に指定されている。 和様と唐様を混用した独自の「南宮造」 屋根を葺き替える式年遷宮は、51年目と定められていて、最近は昭和48(1973)年に行われた。 このほか三重塔、本地堂、鐘樓などの仏教関係の建造物も同じ時期に建てられたが、 明治維新の神仏分離のとき、これらは近くの真禅院(朝倉山)に移築されている。 |
|
石輪橋と石平橋 楼門の手前には、神様が通る石輪橋 その右には人間が通る石平橋がある。 |
|
手前・石輪橋 その後ろは楼門 |
楼門の表には右大臣、左大臣の木像、 裏には狛犬が門番のように配置されている。 |
舞楽を奉納する高舞殿 その奥に拝殿、本殿などがある。 |
拝殿と回廊 左は高舞殿 |
朱塗りの建物が、鮮やかな、美しい神社で、季節がら七五三祝いのお詣りもチラホラ・・・
セブンイレブン垂井町宮代店にて昼食
鬼塚古墳につづく