北村さんちの遺跡めぐり
大野町 地図g
野古墳群 国指定史跡 |
岐阜県大野町野 撮影日2009/8/29 |
畑の中に大きな前方後円墳が6基もある景色はすばらしかった。
埼玉古墳群にも匹敵する規模に感激です。
野古墳群配置図 説明板から
大野町の北端標高25mの低地に群在する
大規模な古墳群
前方後円墳7基、帆立貝式古墳の7号墳、
方墳の8号墳の計9基が残る。
(ほかは消滅)
S32年国史跡になる
5号墳以外は
範囲確認調査だけされているようだ。
大野町役場のホームページを見て、データを書き換えることにしました。(更新日2020年12月)
1号墳 (モタレ古墳) 1号墳実測図 推定全長54mの帆立貝形前方後円墳 後円部径36m・高さ6m 前方部は削平されている。 埴輪あり 周濠から円筒埴輪や朝顔形埴輪の破片、 須恵器が出土している。 従来は円墳と考えられていたが、 測量調査の結果、南側に前方部がつく前方後円墳とわかった。 南側から見た1号墳 現在は野古墳群の中で北西部端にあるが、 明治時代の絵図をみると、 この西にまだ古墳があったことがわかる。 |
2号墳 不動塚古墳 2号墳実測図 全長64mの2段築成の前方後円墳 後円部径44m・高さ7m 前方部幅11m・長さ18m・高さ1m 葺石あり 二重周濠がめぐる 周濠から円筒埴輪の破片が出土。 後円部に比べて前方部がかなり低い。 前方部裾部は広がらず、方形がそのままついたような形状をしている。 後円部は基段・上段とも急激な傾斜で立ち上がり、 後円部頂部は比較的広く段築のテラス面も明瞭に残る。 2号墳 北東から 前方部がとても低い。 |
3号墳 南屋敷西古墳 3号墳実測図 全長76mの前方後円墳 後円部径54m・高さ5.4m 前方部先端幅26m・高さ4m 葺石あり 墳丘や周濠から円筒埴輪の破片が出土している。 2段築成 不整形の割石の葺石列、テラス部分には円筒埴輪列。 幅17mの周壕と外堤をもつ。 埴輪は春日井市の下原古窯で焼成され大野町に搬入された可能性が高い。 3号墳 南東から くびれ部が細く前方部が三角形のような形をしている。 昭和57年に範囲確認調査 |
4号墳 登越古墳 4号墳実測図 全長83mの前方後円墳 後円部径52m・高さ7.3m 前方部先端幅33m・高さ6m 葺石あり 円筒埴輪や形象埴輪の破片が出土している。 二重周壕と外提部を持つ 古墳群最大の規模を持つ 三段築成墳丘の周りには外提部を持つ二重周壕があり、 外側の周壕は空堀的な要素を持つ。 墳丘の特徴は低い基段とその形状だが、2段目とは異なり、くびれ部で広がりを持たず、 前方部の先端に近づくにつれて広がりを持ちはじめる。 そのため平面的には基段のみ形状が異なる。 4号墳 南東から 前方部を南に向ける。 |
5号墳 南出口古墳 (城塚古墳) 5号墳実測図 全長75mの前方後円墳 後円部径39m・高さ6.2m 前方部の先端幅28m・高さ5m 2段築成 明治2年に後円部堅穴式石室(長さ2.4m・幅1m)から 獣帯鏡、馬具、大刀などが出土した。 周濠から形象埴輪や須恵器が出土している。 後円部が小さく前方部も先端に片寄って、 段築をなくすためにくびれ部付近が細長く低くなっている。 特に前方部と後円部の比高差が激しく、遠方より眺めると円墳のように見える。
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6号墳 乾屋敷古墳 全長79mの前方後円墳だが南側は削られている。 後円部径49m・高さ6.3m 南側が削平されている。葺石あり 古墳群の中では最古と思われる円筒埴輪が出土している。 6号墳 南側から 後円部墳丘上には 不動院が建立されている。 前方部は木がいっぱい。 |
7号墳 全長29mの帆立貝式古墳で、小さな前方部が残る。 後円部径22.6m・高さ4.2m 幅4.4mの周壕がある。 墳丘から円筒埴輪や朝顔型埴輪、石室から須恵器、管玉、鉄鏃などが出土している。
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8号墳 一つだけ残った方墳 一辺15.8m・高さ3m |
9号墳 全長30.5mの帆立貝形前方後円墳 後円部径23m・高さ6m 小型の前方後円墳で、前方部消滅。 周壕から円筒埴輪片、須恵器片が出土。 9号墳 東側から 右側に少し見えるのが8号墳 雑草が繁りよく見えない |
10号墳 円墳 (消滅) 径19.6m 周濠から円筒埴輪、木器(鋤)が出土 |
11号墳 円墳 (消滅) 径24.6m |
12号墳 帆立貝形前方後円墳? (消滅) 後円部推定径23.9m 周濠から埴輪片が出土 |
13号墳 円墳 (消滅) 径18m |
14号墳 石塚古墳 円墳 (消滅) 推定径34m 明治期に環頭大刀が出土。周濠から円筒埴輪が出土。 |
15号墳 方墳 (消滅) 一辺推定15m 周濠から円筒埴輪が出土 |
16号墳 円墳 (消滅) 推定径21m |
17号墳 円墳 (消滅) 推定径15m 周濠から埴輪片が出土 |
同じ古墳群の、規模がそれ程違わない前方後円墳でも、形がかなり違うのがおもしろい。
滝谷古墳群 1号墳が町史跡 |
大野町大字野字滝谷 撮影日2019/10/31 |
国史跡の野古墳群の北約1.5km、
県道266号線(深坂大野線)が山の中へ入っていく手前に、北へ行く林道がある。
その向こうに古墳群があるというが、手前に大きな柵が・・・。
柵の前には、「スズメバチかいる」「クマが出る」「民有地なので、車の乗り入れは禁止」などの
看板がある。
やむを得ず、柵の前に車を駐車して、柵を開けて徒歩で1号墳へ。
駐車したところから、約500m歩かないと1号墳に着かない・・・。
滝谷1号墳 町指定史跡 | |
径15mほどの円墳 横穴式石室は、全長8m 玄室幅1.8m、高さ2mほどの両袖式 付近で産出する石灰岩の巨石を使用している。 |
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1号墳 全景 |
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大きな横穴式石室がある。 |
開口部 |
石室内部 |
石室内から開口部を見る |
他にもいくつも古墳が確認できるようだが、車を道路脇に放置してきたので、急いで戻る。
中平古墳群 | 大野町古川 撮影日2019/10/31 |
大野町古川、東海ポリテクカレッジの北に神明神社の鳥居があり、
そばに「大野町史跡 中平古墳群」の標柱がある。
境内に駐車できる。
神明神社鳥居 |
神明神社社殿 |
神明神社の本殿に上がる参道脇に3基の古墳がある。
向って左に1号墳、右に2・3号墳。
中平1号墳 本殿に向かって参道の左側にある。 石室が見られるはずだが・・・確認できず。(向こう側にあったらしい)
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中平2号墳 本殿に向かって参道の右側にある。
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中平3号墳 本殿に向かって参道の右側にある。2号墳より本殿側に位置する。
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上磯古墳群 |
大野町上磯 |
大野町の南小学校周辺に
前方後方墳の北山古墳(県指定)・南山古墳(町指定)、
前方後円墳の亀山古墳(県指定)の3基が現存している。
この他、笹山古墳と3基の小古墳が削平されたことが知られている。
北山古墳、亀山古墳から3面の鏡が出土している。
上磯古墳群の位置関係
データを元に作成してみた
南山古墳の前方部は削平か?
大野町役場のホームページを見て、データを書き換えることにしました。(更新日2020年12月)
亀山古墳
県史跡
(上磯古墳群)
南小学校のすぐ北にある。前方部を東南に向ける。
亀山古墳後円部
右手前に前方部がある。
亀山古墳 後円部頂
灯篭がある。
亀山古墳 後円部から前方部を見る
前方部には建物がある。
亀山古墳は 全長98.2mの前方後円墳
後円径62m・高8.5m
2段築成 葺石あり
1711(宝永7)年、後円部頂上から2m程のところから、
朱に染まった冠・大刀・鏃などの武具類の副葬品が出土したそうだが、
村内に流行病が発生したので、すぐに埋め戻されたという。
1829(文政12)年、前方部に真宗学寮を建設した時に、鏡2面が発見された。
1つは四獣鏡、1つは六獣鏡で共に県重要文化財に指定されている。
前方部と後円部に埋葬施設があったと推定されている。
北山古墳
県史跡
(上磯古墳群)
北山古墳は 1988年測量調査
北山古墳全景
右奥の後方部に八幡神社の社殿が建つ
八幡神社参道の半分ほどが前方部となる。
古墳群中では一番きれいに残っているようだ。
前方部端から後方部を見る
後方部には
八幡神社の小さな社殿が建つ。
後方部の高さは6.5mとあるが
そんなに高くはない
西側から後方部を見る
奥が前方部
前方後円墳のように見えるが前方後方墳だ。
北山古墳は 全長83mの前方後方墳
後方辺50×50m・高7.9m
2段築成 葺石あり
社殿が建てられているため、内部主体は不明。
明治42年(1909)、八幡神社社殿の建築工事中、
鏡(内行花文鏡)・直刀片・鉄鏃・鉄斧・朱・土師器が出土したという記録がある。
内行花文鏡は県重要文化財に指定されている。
古墳群中最古(古墳時代前期)と推定されている。
南山古墳
町史跡
(上磯古墳群)
前方部を東北東に向ける。
南山古墳全景
かなり削平されていてよく形がわからない
前方部に滑り台
西側から見た南山古墳の後円部
南山古墳は 全長96.3mの前方後方墳
後方部幅56m・高8.5m、
2段築成 葺石あり。
明治42年(1909)に、墳頂に鎮座していた白鬚神社を北山古墳に合祀した後、
長年にわたって土取りされたため、後方部の一部しか残っていない。
昭和47年(1972)、県営ほ場整備事業の農業用水路改良工事の北端部が掘の際に
多数の土器、さじ状の木器、木の実、炭化した茅等が出土したことから、
古墳造営以前には、弥生時代の遺跡があったと考えられている。