北村さんちの遺跡めぐり
養老町 地図g
象鼻山古墳群 町指定史跡 |
養老町橋爪字岡山 撮影日2010/4/24 |
象鼻山登り口近くに立つ石碑
「丸毛兵庫頭 稲葉備中守 等奮戦の地」
大永五年(一五二五)江州小谷城主浅井亮政は、牧田に陣を構えた。
これに対して美濃国守護土岐頼芸は、栗原山に軍を進めた。
八月二日両軍は栗原・別所・橋爪・牧田付近で激戦を交えたが、
勝敗のつかぬまま両軍とも引き上げてしまった。
これを牧田合戦という。
と書かれている。
この横に駐車した。
行く前はどんな山かわからなくて、午前中いっぱいの見学時間を取っておいたが、
登ってみたら、15分くらいで頂上に到着。
頂上付近は公園となっている。
散歩や山菜取りの家族やグループをちらほら見かける。
象鼻山頂上付近
象鼻山古墳群配置図(説明板から)
関ヶ原の戦いで有名な南宮山(標高420m)の
南端の支脈・象鼻山(標高142m)にある。
前方後方墳2、
方墳17、
円墳40、
形状不明3基
の計62基が確認されている。
3世紀末から6世紀にかけての築造と推定されている。
最近は総数は約70基と発表されている。
1号墳を中心として頂上付近が、史跡公園として整備されている。
南から1号墳後方部をみる
前方部は向こう側となる。
1号墳の前方部から後方部を見る
1号墳後方部から前方部を見る。
象鼻山1号墳は古墳群中、 最高所に位置する
(1996〜98年に発掘調査)
全長40.1mの前方後方墳
後方部長さ23.83m・幅26.55m高さ5m 前方部長さ16.27m・端幅17.01m
尾根上を一度整地した上に盛り土で築かれている。
平野側は2段築成
主体部は石を使わない構築墓抗に箱形木棺
(構築墓抗とは、墓穴の空間を残して周囲に盛土する手法)
墓抗内から、
破砕した双鳳鏡(き鳳鏡)1・琴柱形石製品3・朱入り壷1・鉄刀2点・鉄剣6・鉄鏃53
が出土。
土器(366点の破片)も出土したが、東海系と近畿系がある。
3世紀末の築造と推定されていて、東海地方でも最古級の古墳と見られる。
2号墳
1号墳の前方部の北にある方墳
3号墳 (2004年に範囲確認調査)
3号墳は方形(70×85m)に区画された壇の上に
円丘を設けた構造(上円下方墳)
築造時期は特定できない
主体部は調査されていない。
8号墳 (2004年に範囲確認調査)
8号墳は円墳の可能性が高い。
8号墳の周溝からは、
2世紀中ごろと推定される土器が出土
4号墳 (2007年に範囲確認調査)
4号墳は
東西約26m・南北21mの長方形墳。
周囲を溝と礫積みで区画した後、
周囲から土を盛り上げていく工法。
盛り土から土器が出土、
調査結果から
象鼻山古墳群は、3号墳、8号墳、4号墳、1号墳の順に築造されたと推定されている。
3・8号墳が2世紀の築造だとすると、弥生の墳丘墓となるのかなぁ???
その他の古墳 | ||
手前10号墳 左奥13号墳 |
9号墳 |
手前6号墳 奥8号墳 |
7号墳 |
15号墳 |
17号墳 |
18号墳 |
19号墳 |
20号墳 |
5号墳 |
鉄塔の奥にある古墳 14号墳か |
上り道途中の古墳 (特定できない) |
象象鼻山1号墳からの景色
大きな建物は立花金属の工場
象鼻山1号墳から立花金属の建物がよく見えていたので、
立花金属から象鼻山はどのように見えるか調べてみる。
立花金属近くから見る象鼻山1号墳
望遠撮影
象鼻山の山頂近くに後方部の平坦面が見えている。