北村さんちの遺跡めぐり

各務原市   地図g

御林古墳
市指定史跡
各務原市須衛町
撮影日2019/11/1

県道17号線の須衛町2丁目交差点から、各務原市北清掃センターに行く道路に入り、200mほど進む。
説明板はない。

 御林古墳は 直径10mほどの古墳
 南東に開口する横穴式石室がある。 開口部は幅1m・高さ1.5mほど。 

道路脇に御林古墳の標柱がある。

標柱の奥に開口部がある。

羨道の天井石はなくなっている。

玄室内部

玄室内部から羨道を見る

墳頂部

 

金縄塚古墳
市指定史跡
岐阜県各務原市鵜沼東町三丁目
撮影日2009/9/22


鵜沼東町三丁目の住宅街の桑原野山西公園に保存されている。

金縄塚古墳全景

径37m高さ6mの円墳

木曽川を見下ろす丘陵上に立地。

墳丘中央に大きな窪みがある

このくぼみは江戸時代に掘られたもので
伝説ではこの時、名前の由来となった金の縄のようなものや、
土器などが出土したとされる。

    

各務原大地東部の鵜沼地区には古墳時代前期に築造された古墳が点在している。
    

旧中山道沿いに、金縄塚古墳・二ノ宮神社古墳・衣装塚古墳・坊ノ塚古墳が並ぶ。
衣装塚古墳のすぐ東にあった一輪山古墳は、
 昭和の初期に開墾のため消滅したが、径9〜28mの円墳とされ、
 鳥取県松江市の八日山1号墳出土の鏡と同汎関係にある三角縁神獣鏡が出土した。
二ノ宮神社古墳は後期の古墳だが、ほかは前期の古墳と推定されている。
古墳辞典には「桑原野山1号墳」(鵜沼8丁目)という
 横穴式石室を持つ小さな前方後円墳が記載されている。

二ノ宮神社古墳
県指定史跡
岐阜県各務原市鵜沼
撮影日2009/9/22

金縄塚古墳から西へ1km、旧中山道に面した二宮神社境内にある。

二ノ宮神社社殿
古墳の上にのっている。
石段の左側に横穴式石室が開口している。
二ノ宮神社古墳は
径29mの円墳で墳丘がそのまま神社になる。
6世紀後半の築造と推定されている。

横穴式石室入口
石垣の中に取り込まれている。


石室の上は箱庭のようになっていて
天井石が露出している。


石室内部

南に開口する全長6.1mの無袖型横穴式石室

   

衣装塚古墳
県指定史跡
岐阜県各務原市鵜沼
撮影日2009/9/22

二ノ宮神社古墳の西500m、空安寺の東隣にある。

衣装塚古墳
径52m・高さ7mの円墳
 (県内最大の円墳)
周囲は開墾のため少し削られている。
葺石なし 埴輪なし
墳丘の西側がやや突出する形態を示していることから、
 本来前方後円墳であったものが、後世前方部が削平されて、円墳状になった可能性もある。
埋葬施設は不明。
築造年代を特定できる出土物がないため正確な判定はできないが、
 
4世紀末〜5世紀初めの築造と推定されている。

坊の塚古墳
県指定史跡
岐阜県各務原市鵜沼
撮影日2009/9/22

衣装塚古墳の西に墳丘が見える。
全長120mの前方後円墳で、大きすぎて全体を撮ることはできない。

前方部先端(南西)から後円部を見る

写真右側(南側)は周壕の跡で低くなっている。
坊の塚古墳は  前方部を南西に向けた全長120mの前方後円墳
後円部径72m・高さ10m  前方部幅66m・高さ7.8m
2段築成 葺石あり 埴輪あり  
後円部の中央に竪穴式石室があり、長さ2m・幅1.45m・厚さ0.23mの天井石がある。
周壕あり(東側幅16m・南側で24m) 東側や南側に痕跡をとどめている。
衣装塚につづく首長墓か?岐阜県では全長137mの昼飯大塚古墳の次に大きな古墳。
1972年に、
 琴柱形石製品・石製斧・石製刀子・滑石製勾玉・滑石製管玉・滑石製臼玉などが再発見された。
 後円部から埴輪片・土器片が出土(祭祀用か?)

北側の前方部裾からくびれ部を見る
くびれがくっきり!

航空写真には、前方後円墳の整った形が見える。

後円部裾の丸み


  

大伊木山西古墳 各務原市鵜沼大伊木町3丁目
撮影日2019/11/1

「各務原市文化財を守る会」の説明板がある。

 大伊木山西古墳は 直径18m・高さ3.5mの円墳
 横穴式石室は 玄室長3.3m・幅2.3m・高さ2.3m 
  床には敷石がある。
 羨道長さ5.5m・幅2m

出土した須恵器

脚付短頸壺 
高さ34.2cm・最大径22.2cm

天井石が見えている

石室には入れない。
石室内は川砂で塞がれている。。

石室内部を見ることができないのが、とても残念だ。

大牧1号墳
市指定史跡
大牧古墳群
岐阜県各務原市鵜沼大伊木4丁目
撮影日2009/9/22

鵜沼大伊木町の陵南小学校敷地内にある。 午後5時過ぎ、着。

大牧1号墳全景
横穴式石室が南に開口している。
1982(昭和57)年、陵南小学校建設に伴い発掘調査、豪華な副葬品が出土した。
大牧1号墳は 径30mの円墳で幅5mの周溝が巡る。
石室から、土器類は須恵器 武器・武具類は直刀・鉾・鉄鏃・刀子・鎧など 
馬具類は 轡・鐙・杏葉・雲珠・辻金具など 装身具類は ガラス製丸玉・金環・銀製空玉など
が出土した。
6世紀末の築造と推定されている。

石室入口

羨道の前面には川原石で側壁を作った前庭部があり、
そこからさらに墓道と呼ばれる通路が南方に伸びている。

石室内部
玄室長4.5m・幅2.5m・高さ3.5m。
玄室内には
凝灰岩製の組合式家型石棺(長さ2.4m・幅1.2m高さ1.3m)が置かれている。
石棺の前に「ここから先は入るな」という立看板があって、石棺が良く見えない。
(柵があって石室自体にも入れないのに・・・・なんなんでしょうね)

大牧1号墳は大牧台地の北端に位置し大牧古墳群74基野中の1基で
西方200mには全長45mの前方後円墳で横穴式石室に家形石棺を持つ「ふな塚古墳」がある。(埋め戻し)

ふな塚古墳
(大牧4号墳)
各務原市鵜沼大伊木町3丁目
撮影日2019/11/1

後円部がごっそり削られて、形が崩れている。
前方部南側も削られている。
「各務原市明るい社会づくり運動協議会」から寄贈された説明板がある。
インターネット上に、各務原市の遺跡リーフレットが公開されているので、参考にさせていただいた。

 ふな塚古墳は、正式には大牧4号墳といい、大牧古墳群の中の1基
 推定全長45mの前方後円墳 後円部径30m 
 2段築成
 前方部と後円部の2段目には川原石積みの葺石がみられる。
 後円部には破壊されているが、横穴式石室があり、
  土器や馬具・武器などの副葬品が出土したといわれている。
 前方部にも、西に開口する横穴式石室があり、全長13m
  玄室長さ4mで、家形石棺(長さ5.5m2.4m幅1.2m)が置かれている。
 河原石でつくられた石室は、赤い顔料が塗られている。
 盗掘されていたが、刀・鏃などの鉄製の武器類、ガラス玉などの装身具が出土。
 須恵器も出土している。
 出土した須恵器から、6世紀末〜7世紀初頭の築造と推定されている。

ふな塚古墳全景 (1984年当時)
上が前方部

大正8年ころから土取り工事によって
 後円部の西側から削られ始め、
 昭和の初めまでには、
 後円部の大部分が削平されてしまった。

1984年(昭和59年)の発掘調査で
 前方部に、横穴式石室が見つかった


川原石積みによる2段築成の墳丘
   

前方部の石室と石棺
石棺は天井石で押しつぶされていた。

 

出土した杏葉

出土した須恵器
(説明板・リーフレットから)

後円部だが、すぐ裏はざっくりと削られている

後円部脇から前方部を見る。 奥が前方部

後円部の削られたくぼみから前方部を見る

前方部から後円部の削られたくぼみを見る
左には石室の天井石のような
石材が置かれているが、これは?

置かれた石材の拡大
ひょっとして石室石材?

石材側から見た墳丘
左側・後円部 右奥・前方部

市民のみなさんの生きた歴史的教育財産として活用されるべく、現状保存されている。(説明板)

手力雄神社境内古墳群
県指定史跡
岐阜県各務原市那加手力町
撮影日2009/9/22
2009年の
手力雄神社境内古墳群

日が暮れてしまった。

手力雄神社社殿
1674年再建で市重要文化財となっている。


社殿の両側の後ろにそれぞれ横穴式石室がある。
社殿の両側をくぐって古墳に行く道がある。

力雄神社境内古墳・西古墳(1号墳)
径18mの円墳で石室は全長10.5m




手力雄神社境内古墳・西古墳(1号墳)
石室内部





手力雄神社境内古墳・東古墳(2号墳)

径12mの円墳で、石室はやや小型で奥側のみが残る。


日没後の写真でだめですね。

2010年の
手力雄神社境内古墳群




手力雄神社境内古墳・西古墳(1号墳)






手力雄神社境内古墳・西古墳(1号墳)石室





手力雄神社境内古墳・西古墳(1号墳)石室内部





手力雄神社境内古墳・西古墳(1号墳)石室内部
小社の後ろの奥壁






手力雄神社境内古墳・東古墳(2号墳)石室
径12mの円墳
石室はやや小型、奥壁のみが残る





岐阜県天然記念物 紅さざれ石

学名は「石灰質角礫岩」

   

柄山古墳
県史跡

各務原市那加柄山
撮影日2010/4/24

琴塚古墳の東700mぐらいにある。


柄山古墳遠景

南から
独立丘陵の柄山の山頂にある。



前方部隅から柄山古墳を見る

尾根を中央部で切断し
西向きにつくられた前方後円墳



柄山古墳上り口

初めは石段、次は滑り落ちそうな坂を上がると
 前方部がある。




前方部から後円部を見る




後円部から前方部を見る



柄山古墳実測図 (説明板から)
全長82mの前方後円墳
後円部径54m・高さ8.4m
前方部幅38m・高さ4.9m

初期の前方後円墳の特徴をもつ
前方部2段・後円部3段に築成 葺石あり 埴輪あり 
高さ11.6cmの鶏を模した形象埴輪の頭部が出土。
主体部は不明
付近には南塚古墳というのもあったが、消滅した。

船山北古墳群
市史跡

各務原市須衛町
撮影日2010/4/24

  

テクノプラザ内北側VRテクノジャパン東側に古墳公園として、3基が保存されている。

船山北古墳群配置図

標高77mほどのなだらかな丘陵の南麓に、横穴式石室を持つ円墳15基と窯跡5基が確認された。
調査後、1・2・3号墳が公園として保存され、そのほかは全て消滅。
7世紀代の築造と推定されている。


1号墳
径13mの円墳
7世紀中〜後半の築造と推定されている。



1号墳横穴式石室

ふさがれている。

石室全長3.09m・最大幅1.56m・高さ1.8m
内部から須恵器3が出土


山側から見た
左2号墳 右3号墳


2号と3号の間の下のほうに
1号墳がある
3号墳の周溝の形が分かるようになっている。

2号墳石室

2号墳は径14mの円墳
石室から須恵器38・はじき1が出土
7世紀中ごろの築造と推定されている。



2号墳石室内部
石室の奥壁は巨大な一枚岩
側壁は玄門柱石という縦長の石が配置されている。



3号墳石室は柵がはまっている。

3号墳は径11mの円墳
7世紀後半の築造と推定されている。

3号墳石室内部
石室の天井石は巨大
床には礫が敷かれ、
境石が配置されている。


3号墳には周溝も確認された。
周溝は三日月形で
周溝から須恵器の甕が出土
      

岐阜県の遺跡トップ

トップページ