北村さんちの遺跡めぐり
岐阜市 地図g
石谷1号墳 岐阜市指定史跡 |
岐阜市石谷 撮影日2019/10/31 |
岐阜市の谷あいの石谷地区の真ん中に八幡神社があり、参道右側に石谷1号墳がある。
八幡神社
参道の右側に石谷1号墳がある。
境内に駐車。説明板がある。
岐阜市北東部の山間を流れてきた伊自良川が平野部へ出る手前に、 東へ入り込む支谷があり、この谷の北側山麓に石谷古墳群がある。 この辺りは、方県(カタガタ)地域といわれ、 縄文時代の佐野遺跡、村山遺跡、弥生時代の彦坂遺跡がある。 古墳では石谷古墳群のほか、 本郷山古墳群、須山古墳群、彦坂古墳群、安食古墳群があり、いずれも後期の群集墳。 石谷古墳群は、9基の円墳が確認されている。 1号墳は、径20mの円墳 ほかの8基の円墳は、直径8〜12m、高さ1.5〜2.8mで、いずれも横穴式石室があり、 須恵器、直刀、銀環が出土したという記録がある。 7世紀の築造と推定されている。 (説明板から) |
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石谷1号墳は 市指定史跡 直径20m・高さ2.6mの円墳 群中最も大きい。 横穴式石室は、全長11.5m 玄室長さ5.7m・最大幅2.28mの胴張りで、奥壁は1枚岩。 側壁は持ち送りがある。 羨道部長さ5.3m・幅1.5m。 天井石が3枚残存している。 まぐさ石がある。
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説明板には、石室の高さが書かれていないが、2m近くあるのではないか?
石室に入るのはいいけど、脱出はかなり大変・・・。
智照院古墳 市指定史跡 |
岐阜市岩田西 撮影日2019/11/1 |
智照院というお寺の墓地内に古墳が保存されている。
お寺に駐車場がある。
曹洞宗 普門山 「智照院」
なかなかしゃれた山門
山門内には、
飲むための冷水のサービスもある。
「ぎふ七福神」という旗が立っている。
この奥に墓地があり、古墳の横穴式石室が残されている。
岩田古墳群は岩田山の南西山麓に分布していて、7基確認されている。 現存するのは2基。 智照院古墳は岩田1号墳で、大きさも最大で保存状態も良好。 円墳と伝えられていて、直径16m・高さ3mと推定されている。 横穴式石室は、片袖式で 全長7.9m 玄室長さ4.9m・幅最大1.9m・高さ最大2.1m 須恵器のハソウ1、金・銀メッキ塗りの耳環がそれぞれ1点出土 7世紀の築造と推定されている。 |
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出土した副葬品(説明板から) |
柵があるが、鍵は掛かっていない |
天井石は奥壁側の1枚しか残っていない |
入口から玄室を見る |
羨道から玄室を見る |
玄室から羨道を見る |
墓地の真ん中に残されていて、ビックリ!
日野1号墳 市指定史跡 |
岐阜市日野東 撮影日2019/11/1 |
日野1号墳も、山麓にある古墳。
日野のバス停前に説明板が立っている。
近くの空き地に駐車。
東西にのびる船伏山(標高262m)の西端山麓に、 日野第一古墳群があり、7基から構成されている。 また、 金華山から東に延びる主丘東端にある西山(標高176m)の南麓から平地にかけて、 日野第二古墳群があり、7基で構成されている。 第一古墳群のひとつである日野1号墳は、直径16m・高さ2.8mの円墳 両袖式の横穴式石室は全長6.5m 玄室長3.4m・玄室最大幅1.8m 羨道長3.1m・羨道最大幅1.6m 玄室は奥壁、天井石、側壁基部に巨石が使われ、胴張り、持ち送りはみられない。 羨道部は開口部に向かって広がり、玄室に対してもやや南側にふれる。 土師器が出土している。 古墳時代後期の築造と推定されている。 |
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道から林に入るとすぐ横穴式石室が見える |
開口部 |
羨道から玄室を見る |
奥壁 |
玄室から羨道をみる |
墳頂では大きな天井を見ることができる。 |
奥壁と側壁が巨石を使っていてきれいだ!
琴塚古墳 国史跡 |
岐阜市琴塚 |
古墳公園として保存されている。
琴塚古墳遠景
南から
琴塚の周辺には前方後円墳や円墳が多数あり「琴塚古墳群」といわれていたが、
現在は、ほかに柄山古墳が残るだけとなった。
琴塚古墳礼拝所
地元では景行天皇の后の五十琴姫の墓と伝わっていて
これが「琴塚」の名前の由来といわれている。
陵墓参考地ではない。
琴塚古墳の広い周壕跡を歩くのは
とても気持ちよかった
周堤帯が残る。
内堤の幅はかつては14.5mもあった。
明治20年代の琴塚古墳消滅の危機のさい、地元の足立太助さんが保存に立ち上がり、
私財をつぎ込み、募金活動を行い、琴塚の土地を買い取り県に寄付、史跡として指定を受け、
保全を行い、今の姿に残したという。
琴塚古墳実測図 (説明板から)
琴塚古墳は 墳丘全長115mの前方後円墳
後円部径69m・高さ10.5m、
前方部の幅74.2m・高さ7.8m
内濠の幅18.2m、
内堤の幅14.5m、
外濠の幅7.3m
くびれ部の両側に造出しを持つ
葺石あり埴輪あり
古墳時代中期の築造と推定されている。
岐阜市では一番大きい古墳だが、出土品はない。
かつて周囲にいくつかの陪塚があったという。