更新日2016/12/2
長野県軽井沢 2016/10/6・7
おばさん三人で軽井沢にて女子会。観光に行ったけど、神社にも行ったので、一つ紹介します。
金沢駅で
開業から1年半、初めての北陸新幹線で軽井沢に向かう。
軽井沢では駅そばの、アウトレットにも行ったが、
せっかく軽井沢に来たのだから、どこかいい所はないかと、タクシーの運転手さんに聞いて
連れてきてもらったのが、 「旧碓氷峠見晴台」
軽井沢駅からタクシーで15分くらいで着く。
旧軽銀座からでも歩いて行けるそうだ。
途中、天皇皇后両陛下が出会ったというテニスコートのそばも通った。
軽井沢の地図
(るるぶFREE軽井沢から)
右上に旧碓氷峠見晴台と熊野皇大神社
青い点線は旧碓氷峠遊覧遊歩道
ホテルサイプレス軽井沢に一泊
ミニキッチン付のきれいな部屋でした。
この見晴台の手前にあるのが、熊野皇大神社。
熊野皇大神社と熊野神社 | 軽井沢町峠町碓氷峠1 撮影日2016/10/7 |
なんと!境内の真ん中が、長野県と群馬県の境になっている神社である。
歴史はたいへん古く、「古事記」「日本書紀」の伝承にまで遡り、日本武尊が建立したと伝わる古社である。
神社参道 階段を上がったところに社殿があるが・・・ この参道は 左半分が、長野県・熊野皇大神社 右半分は、群馬県・熊野神社 「当神社は一つのお宮だが、 2つの宗教法人が顕在し、 それぞれの宮司・責任役員・総代にて 維持されている」 という注意書きがある。 |
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神社神門 |
階段を登り切ったら正面に 賽銭箱が2つ並んでいる。 左手が、長野県熊野皇大神社 右手が、群馬県熊野神社 |
熊野皇大神社 (長野県側) | |
神社に伝えられている由緒記また、古事記 日本書紀によると、 日本武尊が碓氷嶺に登った際、急に濃霧で進めなくなった。 そのとき一羽の八咫烏(ヤタガラス)が現れ、紀州熊野の梛木(ナギ)の葉をくわえ、落としながら先導し、 それについて行き山頂まで登ることが出来た。 日本武尊は碓氷峠の山頂から遠くの海を眺め、 相模灘で荒波を静める為に海中に身を投じた最愛の妻、弟橘姫(オトタチバナヒメ)を偲び 「吾嬬者耶(アズマハヤ)」「ああ、いとしき我が妻よ」と三嘆したと伝えられている。 この事から、この山を「長く悲しんだ山」と言うようになり、 それがにごり長倉山になり軽井沢では、[長倉]の地名が多い。 また日本武尊にちなんだ地名として[霧積][吾妻][嬬恋]もある。 日本武尊はこの八咫烏の導きを熊野神霊の御加護によると考え、ここに熊野三社を祀った。 十二代景行天皇の御代に勧請した。 (熊野皇大神社HP他から) |
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熊野皇大神社拝殿 奥に本殿と御神木がある。 |
山口誓子の句碑 「剛直の冬の妙義を引寄せる」 昭和50年建立 |
御神木 しなの木 本殿左奥にある。 見方によっては、幹の真ん中に光がハート形に通るところがある。 その場所はどこかと探したが、なんとなく見えたような気がする。 一説に信濃の国の語源「信濃は科野なり」といわれている。 樹齢850年以上といわれていて、 高地でよく見る広葉樹で7月ころに白く小さい花が咲く。 しなの木の横には、奥宮へ上がる階段がある。10分くらいと書いてある。真田社というらしい。 |
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石の風車 元禄元年(1688)建立 軽井沢問屋佐藤市右衛門と代官佐藤平八郎の二人が 二世安楽祈願のため、当社正面石だたみを 明暦3年(1657)に築造した。 その記念に、その子市右衛門が 佐藤家の紋章源氏車を刻んで奉納した。 秋から冬にかけての吹く風の強いところから、中山道往来の旅人が石の風車として親しみ 「碓氷峠のあの風車 たれを待つやらくるくると」 と追分節にうたわれて有名になった。 (説明板から) |
熊野神社 (群馬県側) |
こちらも熊野皇大神社と同じ由緒がある。 |
群馬県側の熊野神社 |
群馬県側の熊野神社だけど住所は長野県。行政的には、軽井沢に入っていた方が都合がいいのかな?
名所ですが・・・ |
旧碓氷峠見晴台 | 軽井沢町峠町碓氷峠 撮影日2016/10/7 |
熊野皇大神社から、5分ほど登ったところにある。 ここも、長野県と群馬県の県境となっている。
石杭の手前は長野県
向こうは群馬県
大正7年に名古屋市の近藤友右エ門氏が、
独力でこの山頂を開き、
山麓に向かって遊覧歩道と
各種観光施設を多額の費用を
負担して完備し、
この山頂と施設を軽井沢町に寄付した。
その後、町が施設の維持、管理、整備を行っている。
正面には市街地が見えるのだが・・・高崎方向 霞んでいる |
浅間山 山の斜面に噴火口が見える |
お店の真ん中が県境となっている茶店「しげの屋」で、休憩。
帰りはかわいい赤いバス(一人500円)で旧軽銀座(二手橋バス停)まで戻る。
明治時代のものですが・・・ |
軽井沢ショー記念礼拝堂 | 軽井沢町旧軽井沢 撮影日2016/10/7 |
旧軽銀座の北東端にある。
カナダ生まれの英国国教会(聖公会)宣教師アレキサンダー・クロフト・ショー師が 家族を伴い軽井沢で避暑生活をはじめたのは、1886(明治19)年である。 師は毎年この地を訪れ、静思・休養・親交の場とするとともに、礼拝場を設けて霊的よりどころとした。 現在の礼拝堂は、1895(明治28)年に由緒あるこの地に建てられ、 今もなお天地創造の神を賛美し、 祈祷、静想、聖書読修の場としてここを訪れるすべての人に解放されている。 (説明板から) |
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避暑地軽井沢発祥の地 |
教会の中にも入れます。撮影禁止ですが・・ |