更新日2016/10/9
長野県北部の旅
その8 長野市5
大室古墳群その22016/5/5〜5/7
地図g
大室古墳群・大室谷支群 配置図
(現地・古墳館内のパンフ3枚を合成)
今回私達は
エントランスゾーンの見学と
そこからムジナゴーロ遊歩道にある154号墳まで歩いてみた。
多くの古墳を見学したので、
「エントランスゾーン」と「ムジナゴーロ遊歩道周辺」
に分けて写真を紹介する。
大室古墳群・大室谷支群のエントランスゾーンの後は、ムジナゴーロ遊歩道に向かって歩く。
大室古墳群・大室谷支群 ムジナゴーロ遊歩道 |
長野市松代町大室 撮影日2016/5/7 |
ムジナゴーロ遊歩道は、大室古墳館から10分ほど。
合掌形石室がある積石塚や大きく開口する横穴式石室がたくさん残されている。
ムジナゴーロ遊歩道周辺の古墳配置図
紹介する古墳番号を赤で示した。
緑の道はムジナゴーロ遊歩道で
現在整備が進められている。
雑草が伸びてきていて、
積石塚の積石が雑草に埋もれてしまいそうだ・・・
細かい情報がないので、ほとんど写真だけの紹介。
209号墳 | |
210号墳 |
211号墳 | |
径13mの円墳 高さ3m 横穴式石室 玄室長さ4.3m・奥壁幅1.1m・中央幅1.3m・高さ1.5m |
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墳丘 |
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開口部 |
石室内部 |
207号墳 |
205号墳 | |
墳丘 |
石室露出 |
204号墳 | |
径13×15mの円墳 高さ3.8m 横穴式石室は 玄室長さ6.42m・奥壁幅1.28m・中央幅1.35m・高さ1.82m |
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墳丘 |
石室開口部 |
石室内部 |
石室内部から外を見る |
200号墳 | |
径10.5×10mの円墳 高さ1.5m 横穴式石室は 全長6.28m 羨道幅1.28m・高さ0.43m 玄室長さ4.48m・奥壁幅1.6m・中央幅1.79m・高さ1.63m |
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墳丘 |
石室開口 |
石室内部 |
石室内部から外を見る |
199号墳 |
墳丘 |
198号墳 | |
左側の墳丘が199号墳 右奥にも別の墳丘(198号墳か) |
石室露出 |
196号墳 合掌形石室がある。 | |
196号墳は中央の案内表示のところ。 奥に見える横穴式石室は197号墳 |
石室露出。合掌形石室だそうな・・・ |
197号墳 | |
径11.5m×12mの円墳 横穴式石室は全長5.4m 羨道幅0.86m・高さ0.9m 玄室長さ3.5m・奥壁幅1.08m・中央幅1.13m・高さ1.56m |
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墳丘 |
石室開口部 |
石室内部 |
石室内部から外を見る |
189 号墳 | |
墳丘 |
石室露出 |
195号墳 横穴式石室がある。 |
墳丘 |
193号墳 | 墳丘 |
184号墳 | |
10.8×8m 高さ2.8mの円墳 横穴式石室は 全長5m 玄室長さ3.1m・奥壁幅0.88m・中央幅1.55m・高さ1.53m |
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墳丘 |
壊れた石室 奥壁が抜かれていて、石室内は明るい。 |
185号墳 | |
7.6m×4mの円墳 高さ2m 合掌形石室がある。 |
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墳丘? |
石室露出 |
186号墳 | |
径12.5mの円墳 高さ4m 横穴式石室は 全長6.25m 羨道幅1m 玄室長さ4.5m・奥壁幅1.75m・中央幅2.25m・高さ1.7m |
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墳丘 |
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石室内部 |
石室内部から外を見る |
191号墳 | |
径8mの円墳 高さ1.6m 横穴式石室は 全長5.97m・中央幅1.52m・高さ1.48m |
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墳丘 |
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石室開口部 |
石室内部 |
192号墳 | |
180号墳 横穴式石室がある。 |
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182号墳 横穴式石室がある。 |
手前:が大室182号墳 奥に大室183号墳 |
179号墳 | |
178号墳 合掌形石室がある。 |
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177号墳 横穴式石室がある。 |
176号墳 合掌形石室がある。 | |
墳丘 |
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壊れた石室 |
石室内部 |
169号墳 横穴式石室がある。 |
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164号墳 横穴式石室がある。 |
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165号墳 合掌形石室がある。 |
168号墳 | |
径18mの円墳 高さ1.8m 積石塚古墳 5世紀代の築造と推定されている。 合掌形石室は全長1.9m・幅0.85m・高さ1.1m 古墳に供えられていたと考えられる土師器や馬をかたどった土師器などが出土 大平塚と呼ばれることもある。 平成5〜7年に発掘調査 |
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ムジナゴーロ遊歩道の代表的な墳丘 |
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石室開口部 |
合掌形石室 |
167号墳 | |
16×14mの円墳 高さ5m 横穴式石室 玄室長さ4.1m・中央幅1.93m・高さ1.6m |
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墳丘 |
石室開口部 |
石室内部 |
石室内部から外を見る |
157号墳 竪穴式石室がある。 |
156号墳 | |
径13.5×10.5mの円墳 高さ2m 合掌形石室は全長2.1m・幅0.8m・高さ0.8m |
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墳丘 |
合掌形石室 |
155号墳 合掌形石室がある | |
墳丘 |
石室 合掌形石室らしい |
154号墳 | |
径18mの円墳 高さ5m 横穴式石室は全長6.2m 玄室長さ4.6m・中央幅1.7m・高さ1.8m |
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墳丘 |
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石室開口部 |
石室内部 |
172号墳 | |
径13.5mの円墳 高さ2.5m 横穴式石室は全長7.6m 羨道高さ0.58m 玄室長さ4.65m・中央幅1.24m・高さ1.75m |
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墳丘 |
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石室開口部 |
石室内部 |
173号墳 | |
径12.5mの円墳 高さ2.8m 横穴式石室は全長6.65m 玄室長さ4.7m・奥壁幅1.9m・中央幅1.8m |
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墳丘 手前が奥壁側か |
天井石 |
内部から石室入口側を見る |
石室奥壁側 石が抜かれている。 |
174号墳 | |
175号墳 | |
181号墳 | |
190号墳 横穴式石室がある。 |
以上で大室古墳群の紹介は終わりです。
大室古墳群での滞在時間は、2時間40分ぐらい。
また来ることができたら、ムジナゴーロ遊歩道の奥に行ってみたい。
時期は、4月初めがいいかもしれない。
王子塚古墳 | 長野市若穂河田 撮影日2016/5/5 |
大室古墳群古墳館から、東北東に直線で約1.9kmにある古墳。
古墳の説明板じゃなくて、「石造宝篋印塔」の説明板がある。
墳頂にある宝篋印塔
石造宝篋印塔は 長野市指定文化財 |
もともとは宝篋印陀羅尼というお経を納める塔だが、 のちには供養塔・墓碑などとして建てられるようになった。 宝篋印塔は普通基礎、塔身、笠、相輪の四つの部分からできている。 基礎は二重に造られるのが普通だから、この塔も五重にみえる。 造られた当時のままの様子をよく残しているが、相輪だけは後で造りかぇられている。 高さは154cm、基礎の一番下の基壇には銘文が書かれているが、摩滅して読めない。 全体の形から南北朝時代後期(14世紀後半)の造立と考えられるが、 この塔とごく近い年代の応永4年(1397)の善光寺境内の宝篋印塔には 「逆修」の二字に続いて21人の名が刻まれている。 この塔の銘文も大勢の人々が、 逆修(死後の幸福を願って生前に供養すること)のために自分たちの名を刻んだのかもしれない。 塔身の四面には仏を示す「種字」(梵字)を刻むのが普通だが、 この塔は、周囲に輪郭を刻んで額縁のようにして、中に仏像を半浮き彫りにしている。 非常に丁寧な造りである。 (説明板から) |
王子塚古墳は、長野市の文化財データベースを見ると、墳形は確定していないようだ。
王子塚古墳は 現在墳丘は35×24mの不整形円墳として残存している。 地蔵院の建立で削られている。 大正15年の現地調査で、南東側に短い前方部がある前方後円墳と指摘され、 昭和56年の「長野県史」には 直径22,5m・高さ3.9mの円墳で葺石あり 土師器が出土とある。 保科川が形成する扇状地の扇端部に位置している。 同じ扇状地の扇央部には積石塚古墳群として著名な長原古墳群がある。 5世紀代の築造と推定されている。 (長野市文化財データベースから) |
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西から見た王子塚古墳 |
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墳頂から墳裾を見る |
北から見た墳丘 |
横にある地蔵院 |
地蔵院に安置されている地蔵菩薩 ガラス越しの撮影 |
長原古墳群7号墳 | 長野市若穂保科 撮影日2016/5/5 |
王子塚古墳の南東約500m付近にある若穂団地に残されている長原古墳群。
長原古墳群は 長野市若穂保科地区の保科川の扇状地の扇央部にある積石塚古墳群で 21基確認されている。 もともと保科川扇状地には70基近くの古墳があったといわれているが、 現在は5〜6基から10基ほどのまとまりで長原古墳群・白塚古墳群などが残存しているだけ。 若穂団地造成工事に先立って実施された昭和42年の発掘調査は、 長原古墳群の範囲ほぼすべてが発掘された。 直径10m・高さ2〜3m前後の積石塚円墳が主体で、石塊のみで積み上げられていた。 全て横穴式石室があったとみられていて、7世紀中ごろ以降に築造され、 8世紀後半まで追葬されていたものと考えられている。 直径12mの7号墳から須恵器の平底細頸壺が出土しているが、 朝鮮半島の百済地域のものに形態が似ている。 現在は1・7・10・14・16号墳の5基が団地内の公園などに現状保存 長野市文化財データベースから |
長原古墳群7号墳は、若穂団地の公園内、若穂天命稲荷神社の横に保存されている。
若穂天命稲荷神社
墳丘は鳥居の左奥
長原古墳群7号墳 | |
復元径12×10mの円墳 高さ3m 横穴式石室は 玄室長さ4.33m・奥壁幅1.95m 最大幅2.42mの胴張形 玄門幅1.96m 金環・ガラス玉・鉄具・鉄鏃・須恵器・人骨などが出土。 |
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墳丘 |
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大きな天井石が一つだけ残る |
石室露出 |
石室内部 |
内部から外を見る 玄門の袖石が張り出している。 |
庚申塚古墳 飯綱町指定文化財 |
飯綱町大字平出字西浦 撮影日2016/5/7 |
長野県北部の古墳見学、最後は飯綱町の庚申塚古墳
川中島の合戦の際、越後へ引き上げる上杉勢が戦死者を葬ったともいわれている。
延宝7年(1677)の検地帳に、庚申塚の記述があるので、当時庚申さんのお堂があったと考えられている。
地図g
インターネット上で
「庚申塚古墳発掘調査報告書・村道改修工事に伴う前方後円墳の北裾部発掘調査(1994)」が公開されている。
庚申塚古墳は 古くから塚の上に庚申塔が祀られていたので庚申塚とよばれてきた。 全長52m、後円部径31mの前方後円墳 後円部西側に幅5mほどの堀がある。 昭和54年墳丘の測量調査で前方後円墳と確認され、翌年牟礼村(当時)の指定史跡になる。 平成5年(1993)、県道工事に伴い墳丘の北裾部分の調査の結果、 北裾部分には葺石状の石が密集し、円筒埴輪と朝顔形埴輪の破片が出土。 その中には、国内6例目となる格子目の叩きが施された埴輪が出土した。 このような埴輪の製作には、朝鮮半島系の工人の関与を考える説もある。 5世紀前半の築造と推定されている。 内部は未調査だが、竪穴式石室をもつと考えられている。 平成5年の調査時の墳丘実測図 (報告書から) 墳丘北裾が発掘調査された。 近くには、鋳造斧状鉄器などを出土した鍛冶久保古墳、積石塚を思わせる泥ノ木古墳などがある。 |
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北から見た墳丘 |
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前方部側 奥に後円部 |
前方部から後円部を見る |
後円部頂 庚申塚古墳後円部には 10基以上の石造物が たてられているが、 延宝年間に建てられたのは 左の入母屋型石祠と 推定されている。 |
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後円部から前方部を見る |
後円部手前から見た墳丘 左奥が前方部 |
旅の終わりに、立派な前方後円墳を見学できた!
午後5時、予定の古墳見学を終え、帰路に着く。
飯綱町でガソリン補給後、信濃ICから高速に入り、有磯海SAで夕食、
白山ICには午後8時30分過ぎに到着。
15分後に帰宅。
長野県北部の旅 完結。