北村さんちの遺跡めぐり
更新日 2024/4/6
兜山古墳と手繰が城古墳 撮影日2024/2/13
2月だけど、快晴!
鯖江まで整備された兜山古墳を見に行く。永平寺町の手繰ヶ城古墳にも挑戦。
兜山古墳 |
鯖江市田所町八幡神社 撮影日2024/2/13 |
実は20年前にも見学に来ている。
福井鉄道福武線神明駅の東側に兜山古墳がある。古墳の上には八幡神社が建っている。
南西に駐車場とトイレがあり、パンフレットが置かれていた。
20年前と現在の比較 | ||||
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兜山古墳は 直径70m・高さ9mの円墳 2段築成で 上段墳丘は径約47m 墳頂平坦面径約30m 幅17mの掘割がある。 葺石なし 埴輪なし 掘割部を含めた全長は90m以上となる。円墳としては北陸最大級となる。 墳頂には八幡神社が鎮座している。 発掘調査でも遺物は見つかっていない。 5世紀の築造と推定されている。 兜山古墳は、 兜山北古墳(全長約23mの帆立貝形古墳・6世紀前半ころ)と 兜山南古墳(詳細不明)からなる兜山古墳群の盟主墳。 兜山古墳群配置図 (パンフレットから) 兜山北古墳・兜山南古墳 共に消滅している。 |
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南東から見た墳丘 |
東側テラスから見た墳頂 |
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墳頂 八幡神社 |
景色もいい! |
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兜山墳頂部にある石仏の覆い屋 神仏習合時代の遺構で 室町後期の16世紀中頃の作とされる。 板状の笏谷石に観音菩薩2躯(左・右) ・不動明王三尊1躯(中央)が中肉彫りされている。 |
墳頂部にある摂社の石祠と 江戸時代の奉納燈籠の下部 |
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南東裾から墳丘を見上げる |
南西の駐車場側から見た墳丘 |
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説明板から
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兜山古墳周辺の絵地図
(説明板から)
説明板の中に「烏ヶ森古墳群」が書かれている図があったので、
兜山古墳の南にある烏ヶ森の神明社の見学に行く。
烏ヶ森古墳群 |
鯖江市田所町八幡神社境内 撮影日2024/2/13 |
兜山古墳の南の烏ヶ森には古墳群がある。
南側の烏森公民館前に駐車。
説明板があるが、古墳については書かれていない。。
古墳があるようだ。 |
参道を歩く。
大きな鳥居 背後の森は、烏ヶ森社叢として、 鯖江市指定文化財となる。 |
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参道右側の古墳状の高まりが並ぶが、確定できない。 目で見ると古墳らしいものも、写真だと、古墳に見えない。 古墳らしく見えるものをいくつか載せる。
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参道の最後のあたりに、「神符納蔵」(県指定文化財)のある高まりがあるが、 これは絶対に古墳だ(と思う)。
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神明社慶長の燈籠 (市指定文化財)
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神明社社殿 |
金刀比羅宮 (神明社の境内社) |
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神明社中雀門 (県指定文化財) |
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旧瓜生家住宅 (重要文化財) |
手繰ヶ城山古墳 |
永平寺町松岡 撮影日2024/2/13 |
永平寺町の松岡古墳群の1基・手繰ヶ城山古墳。
20年以上前から行きたかった古墳。すぐそばまで自動車で行けると聞いたので挑戦!
手繰ヶ城山古墳付近の地図g
えちぜん鉄道勝山永平寺線志比境駅の東約700mほどに、大きな案内板。
国道416号線沿いに大きな案内板
「手繰ヶ城山古墳」
ここを曲がって南に向かう。
法寺丘生活改善センターの前には
永平寺町史跡名勝マップと手繰ヶ城山古墳の説明板がある。
法寺丘生活改善センター |
永平寺町史跡名勝マップ |
手繰ヶ城山古墳の説明板 |
通り過ぎてしばらく行くと白山神社。
白山神社 | |
更に行くと突然車両通行止め!!
奥の白い案内板に
「手繰ヶ城山古墳」と書かれている。
この奥に駐車スペースがあるようだが……
ここに駐車場して階段や山道を登る。
(この向こうは土砂崩れで道がふさがれていた……能登地震?)
登り口にある説明板 |
インターネット上に
「手繰ヶ城山古墳 測量調査報告書」(2011年)が公開されているので参考にさせてもらった。
手繰ヶ城山古墳は、全長約129mの前方後円墳。松岡古墳群中最大規模を誇る。 2段築成で埴輪あり 葺石あり 古墳東側に陪塚を配し、4世紀中葉頃の築造と推定されている。 手繰ヶ城山古墳測量図 (福井大学考古学研究会1978) 報告書から |
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前方部先端 |
前方部から後円部を見る |
後円部 大きい陥没抗あり 墳頂から西方向の眺望 |
後円部から前方部を見る |
くびれ部から後円部の造り出しを見る |
前方部から陪塚を見下ろす |
後円部造出しから陪塚を見下ろす |
後円部と造り出し |
陪塚(方墳) |
松岡古墳群 とは | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
九頭竜川の南側、福井平野の東端に位置する尾根上に分布する古墳群。 前方後円墳4基と陪塚3基からなる。 手繰ヶ城山古墳は、全長約129mの前方後円墳。松岡古墳群中最大規模を誇る。 2段築成で埴輪あり 葺石あり 古墳東側に陪塚を配し、4世紀中葉頃の築造と推定されている。 鳥越山古墳は、全長53.7mの前方後円墳 段築のない地山削り出し。後円部頂およびくびれ部より埴輪が出土。 埋葬施設は舟形石棺直葬墓と竪穴系横口式石室の2基が検出されている。 後円部墳頂部より、石釧・砥石・馬具・鉄製品・土器などが出土している。 5世紀中葉頃の築造と推定されている。 石舟山古墳は、全長79.1mの前方後円墳 古墳南西側に陪塚を有する。 墳丘は2段築成で埴輪が巡らされている。 5世紀中葉頃の築造と推定されている。 二本松山古墳は、全長89mの前方後円墳 前方部の東側に陪塚を有する。 明治13年(1880)と同39年に発掘調査が実施されて、舟形石棺と その副葬品として銅鏡・冠・管玉・鉄剣・鉄刀・刀装具などが出土している。 二段築成で外部施設として埴輪を持つ。 5世紀後葉頃の築造と推定されている。 以上の古墳群は、九頭竜川の水利権を押え流域各地区の首長の上に立った 「越の国の王」ともいうべき大首長の墓と考えられる。 (福井の文化財HPから) |
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