北村さんちの遺跡めぐり
更新日2017/6/18

清水郷土資料館と古墳 2017/6/3

福井市清水郷土資料館へ。
清水町は平成の大合併で、福井市になった。
小羽山30号墓とお城山古墳は、この旧・清水町の遺跡だ。

地図g

 清水郷土資料館 福井市風巻町
撮影日2017/6/3

きららパークのきらら館の南に隣接している建物は、1階が公民館、2階が図書館、3階が郷土資料館となる。
図書館の受付で申し込むと、郷土資料館が見学できる。


清水郷土資料館 館内の様子     
  中央に在田2号墳石室復元展示

縄文土器の展示

小羽山古墳群出土品

小羽山12号墳出土ガラス玉
 塚の越古墳
  風巻の字塚の越にあったが、 大正9年(1920)土取りで破壊された。
  小型の墳丘があった。
  朱・素環頭太刀1口・細身管玉3個が出土して、東京国立博物館に所蔵されている。
  素環頭太刀は4世紀の古墳に副葬されていて、福井県では原目山2号丘に出土している。


塚の越古墳出土の太刀・管玉
        (館内展示写真から)

東京帝室博物館への寄贈証書
         (館内展示から)
出土地を間違って「森ノ越」としている。

福井市 旧清水町の古墳群 (郷土資料館展示から作成)



旧清水町は、日野川の左岸丹生山地の東に位置していて、
約200基の古墳が確認されている。



6基の前方後円墳、4基の前方後方墳は、
  いずれも4〜5世紀の築造と推定されている。



清水郷土資料館の目玉は、「在田2号墳石室」の復元展示だが、本物を見学したので、そこで紹介する。

 在田古墳群
アイダコフングン
福井市在田町
撮影日2017/6/3

清水郷土資料館に行って、見学できると知り、在田1・2号墳に行く。

清水郷土資料館から南約2.5kmの在田町の山裾に「熊野神社」「浄宗寺」「法満寺」「明厳寺」が並んでいる。
一番南にある明厳寺の裏山に在田1・2号墳がある。


在田古墳群配置図  (:現地説明板から)

1号墳 径15mの円墳 横穴式石室 古墳時代後期後半
(6世紀末〜7世紀前半)
2号墳 径10mの円墳 横穴式石室
3号墳 径13mの円墳 
4号墳 円墳?   横穴式石室
5号墳 一辺10m前後の方墳 古墳時代前期(3世紀)

1・2号墳が市指定史跡となっている。
明厳寺の裏山にある1号墳の下で、草刈りをしていた二人の女性に、駐車のお願いをして、場所をお聞きして見学。


明厳寺の鐘つき堂 右が本堂

その背後に説明板が小さく見えている。


説明板の後ろをあがると1号墳。

 在田1号墳   径15mの円墳  横穴式石室がある。

しっかりした墳丘がある。

墳頂

右側に石室石材露出

石材 石室は埋め戻されているようだ。

清水郷土資料館に1号墳石室の写真があったが、かなり崩壊しているようだった。

1号墳を下り、墓地の奥から東の尾根先に行くと、2号墳がある。



2号墳は山の上の木が繁っているあたりにある。

  本堂後ろの墓地から見る

この写真でいうと、
   左から回り込むように2号墳に登る


2号墳は石室が露出しているが、草だらけなので、除草をして撮影。

 在田2号墳  径10mの円墳 横穴式石室がある。
 昭和55年に発掘調査されている。
 石室は 玄室幅1.7m・長さ3.4m・高さ1.5m  羨道幅0.9m・長さ1.5m・高さ1.0m
 天井部は壊されていた。
 棺は腐朽してなくなっていたが、副葬品として、
   鉄器(直刀・刀子・鏃)、装身具(管玉)、紡錘車と土師器、
       須恵器(高杯・台付壺・小壺・提瓶・杯)が出土した。
 6世紀後半の築造と推定されている。
 3人ほどが埋葬されていたと考えられている。        (資料館内展示・説明板から)

南から見た墳丘

墳丘上から見た石室

石室入口から奥を見る

奥壁部分 

玄室から玄門を見る

玄門の樒石

清水郷土資料館に在田2号墳石室が、復元展示されている。



在田2号墳の復元石室
  玄室入口から奥壁を見る

      (清水郷土資料館展示から)



遺物が出土した時の様子を表している。

石室入口側

石室奥壁側

見られると思わなかった石室が見学できた。

 郡栄塚古墳
グンエイヅカコフン
町指定史跡
越前町朝日
撮影日2017/6/3

越前町役場の北東約200mの日吉神社境内にある。  (この地は平成の大合併以前は、朝日町という町だった。)
日吉神社には、古墳のほかにもいろいろ文化財があるようだ。

 日吉神社

日吉神社の鳥居
中央の説明板は
県指定文化財「木造大日如来坐像」のもの

日吉神社境内
中央奥に古墳とその説明板がある。
拝殿前の説明板は、町文化財の仏像4体のもの

拝殿左右の壇上には、文化財の仏像が安置されている。ガラス越しに撮影。


  拝殿左側の壇上
 左から 地蔵菩薩立像 大日如来坐像
           十一面観音菩薩立像

  拝殿右側の壇上
 左が広目天立像   右側が多聞天立像
       中央は不明
県指定文化財  木造大日如来坐像
 像高さ160cm
 平安時代後期の作

 一木割矧造で、野趣に富んだ素朴な像
 木割の構造、表現などは、
  中央の手法をまったく受けていないことから、
   地方仏師の制作と考えられている。
 彩色は下地に胡粉を、
  その上に黒褐色の漆のような光沢のある定着剤を
  塗っていて、ほかに類例がない。
町指定文化財  木造地蔵菩薩立像
  鎌倉時代
 いずれも等身大
 平安時代末期から鎌倉時代に
  造られた地方色豊かな仏像。
 図像学的にも正しく造られていて、
  当地方の文化的レベルの高さを示している。
 木造十一面観音菩薩立像
  鎌倉時代
 木造多聞天立像
  平安時代末期
 木造広目天立像
  平安時代末期

古墳は郡栄塚古墳と名付けられているが、どんないわれがあるのだろうか。
付近の町並みは趣がある建物が並び、かつては栄えたのだろうと 想像できる。

 郡栄塚古墳
 径30m・高さ3mの円墳
 日吉神社拝殿によって、東側が削られている。
 封土はかなり流出しているが、2段築成で低地につくられているのは、県内でもまれである。

 この古墳は、古墳公園の経ヶ塚古墳(4世紀後期)や朝日山古墳(5世紀前半)の系列をひく、
    天王川・和田川流域の6世紀ごろの築造と推定されている。
 山頂から低地へと移行する古墳築造の過程がセットで実感できる遺跡である。
                                (説明板から)
 最近の調査では、
 平地につくられた前方後円墳と分かった。
 墳丘は神社や用水などで削平されているが、墳丘北西側に前方部の痕跡が残存する。
 前方部の長さは不明だが、墳丘長33m以上の帆立貝形古墳と考えられている。
 段築なし 葺石なし 埴輪なし
 5世紀前葉の築造と推定されている。

東側は削られている

2段築成に見える

墳頂には大きな切株  中央奥は社本殿 右が拝殿

境内西の道路から見た郡栄塚古墳

平地に大きな墳丘が残っていた!!

今回の目的は達成。郡栄塚古墳から西へ山越えをして、越前海岸に出て、美しい景色を見ながら北上。
久しぶりに免鳥長山古墳に行ってみる。

 免鳥5号墳(長山古墳)  再訪
国定史跡
福井市免鳥
撮影日2017/6/3

ほぼ10年ぶりの訪問である。
北西から墳丘に登る。
墳丘は、長さ50cm近くある雑草におおわれている。


免鳥長山古墳の不思議な形

      (資料から)

左下の張り出し部が前方部。
葺石の状況と高さの違いから
 ここが前方部に位置付けられた。

全長90.5mの帆立貝型古墳
後円部径70m・高さ14m
  前方部長さ20m・幅24.4m



後円部北東側と北西側の二ヶ所に、
 前方部よりも一回り小さい
 方形の造出しが認められる


免鳥5号墳  
墳頂を北から見る。



  
 右は北西側造り出し部

墳頂部 葺石や石室材みたいなものがある。

北東側張出し部

北西側張出し部

後円部から前方部を見おろす

前方部の先にある陪塚風高まり

前方部から後円部を見る

前回の見学時の造り出し部の方向の記述が違うような気がする・・・・。
しっかり確認してから、訂正しておきます!

遺跡ではないが・・・  北潟湖畔花菖蒲園 あわら市北潟
撮影日2017/6/3

レイクサイド北潟湖畔荘のそばにある。
昭和51年に開園。300種20万本の花菖蒲が植えられている。
6月上旬から約一か月間が見頃だという。





湖畔荘駐車場から見た花菖蒲園


ちょっと早かったかな?
整然とし過ぎていて、ちょっと期待はずれかな・・・?

石川県側の北潟湖畔にも花菖蒲が咲いたという記事が、6月16日の新聞に載った。


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