北村さんちの遺跡めぐり
更新日2005/12/22

福井県・敦賀へ 2005/11/5

今度の休みには敦賀に行こうと決めて、図書館で下調べして場所もしっかり確認(したつもり)。
11月の祝日敦賀ヘ。
目的地は穴地蔵・中郷古墳群(明神山古墳群・向出山古墳群)・立洞2号墳だ。
時間があったら図書館にも寄りたいと思う。
8時50分 自宅出発。
11時15分 敦賀・気比神宮着。

地図g

気比神宮

敦賀市曙町11-68
撮影日2005/11/5

以前に越前二の宮である「剱神社」に行ったので、一の宮である「気比神宮」に行こうということで寄った。

内鳥居
御祭神は
伊奢沙別命(いさざわけのみこと)
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
譽田別命(皇統第十五代天皇)
玉妃命(たまひめのみこと)
武内宿禰命(たけのうちのすくね)
ちょうど結婚式が行なわれていた。
どこのどなたかわかりませんが写真を撮ってしまいました。

お賽銭の用意をしようと思って財布を出したところで、「福井県の歴史散歩」という大事な本を落としてしまったらしい。
しばらくして気が付いて探したけど、見つからなかった。
この本を無くしたのは2回目だ。最初から面白くない。

気を取り直して、穴地蔵に向かう。
敦賀市の西のほう、永大産業そばの貯木池のわきにある。
11時50分到着。

穴地蔵古墳
(県史跡)

敦賀市永大町
撮影日2005/11/5


穴地蔵への階段を登る。

近くに他に2基が存在していたが1基は消滅している。

穴地蔵全景

直径11m高さ約3.6mの円墳
石室は南東に開口する。
6世紀末〜7世紀初頭の築造

石室

花崗岩の平石積。
羨道と玄室の区別のない無袖形。
全長約4.9m・幅約1.6m・高さ約1.8m。


石室内部
天井は2枚の石。
奥壁に石棚があり、上下2室に分けている。
石棚は奥行き1.9mで3つの石に分かれている。
元は一枚石ではないかと考えられている。

石棚を有する古墳は全国で100個ぐらいしかない。
福井県では敦賀市の鳩原2号墳・白塚古墳
  美浜町丹生の浄土寺2号墳
近県では、滋賀県マキノ町の斎頼塚古墳
石棚には後世、3つの地蔵尊が祀られていて、その中の1つには永正15年(1518)の銘がある。

お昼になったので、敦賀市内にある「トマトオニオン」にて、ランチ。

次に行こうとしている向出山古墳群の出土品が、八幡神社にある郷土博物館に保存されているという。
まずそこを見学してから、向出山へ行くことにする。
13時35分、八幡神社到着

八幡神社
私立敦賀郷土博物館

敦賀市(住所不明)
撮影日2005/11/5

秀吉の時代に敦賀城の城主だった大谷吉継ゆかりの神社。
大谷吉継は本殿の欄間飾りや鳥居、灯篭などを寄進した。
 でも私たちは神社を見に来たのではない。
境内にある「私立敦賀郷土博物館」を見に来たのです。

八幡神社本殿


七五三のお参りに家族が訪れていたが、神主さんが留守で、
  神主さんの奥さんらしき人があせっていた。
この左横に私立郷土博物館がある。


私立敦賀郷土博物館 正面

入場料200円となっていたが、
 奥さんが「忙しくて説明できないからいりません。」と言われたので、
好意に甘え無料で拝見させてもらった。
中へ入ると、整理ができてないとはいうものの、
 いろんなジャンルの、そしていろいろな時代のものが、
よく集めたなと感心するほど多量に展示されていた。
向出山古墳群から出土した2つの冑・鉄刀多数・鉄剣多数などが
 そのまま展示されており、感動した。
写真に撮りたいくらいだったが、我慢した。
見る価値はあった。
帰り際に神社の奥様に
「貴重なものを見せて頂いてどうもありがとうございました。」
と挨拶したら、説明できないことをとても恐縮していらした。

「私立」というのはどういう意味なのか?
多分、神主さんの(先代か先々代の人だと思うが)趣味で集めたものを展示してあるのだろうと思う。
でも本当に素晴らしいものがいろいろあったのです。

さあ、次は中郷古墳群だ。
中郷古墳群は吉河地区の小谷ヶ洞古墳群・中地区の向出山古墳群・坂下地区の明神山古墳群を総称したものだ。
小谷ヶ洞古墳群は福井原子力センターの建設により緊急発掘され、調査後消滅した。
まず、南の坂下地区の明神山古墳群(5基)を先に見よう。
坂下地区のお寺のそばらしいのだけど・・・・・
町の人に尋ねたら、「坂の下観音」というのがあるという。
工事中の道路を通って観音様についたが・・・・。

坂下の集落と観音様の間に大きなトンネルが開通するらしい。(敦賀バイパス)
トンネルの建設現場をこんなに間近で見ることはないなぁ。

・・・とか思いながらウロウロするが、かんじんの古墳はわからず、あきらめて向出山に向かう。

15時35分 向出山1号墳の墳頂に立つ。

向出山古墳群
むかいでやま
国指定史跡

敦賀市中
撮影日2005/11/5

北陸トンネルを建設するときに、偶然温泉が発見され、
 北陸トンネル温泉と呼ばれているところに向出山古墳群がある。

向出山古墳群配置図

老人ホームの横の上り坂の途中に3号墳・4号墳があり、
   登り切ったところに大きな1号墳がある。

1号墳の南東部分は、国民宿舎「つるが荘」の建設で削られたが、
 残った部分は古墳公園として保存されている。

2号墳は、昭和58年に「7日間調査」の後、消滅した。

3号墳・4号墳は、墳裾ぎりぎりまで山が削られ、崖の上に、かろうじて残っている。
3号墳の石室をのぞくのは、かなり危険。
きちんと整備しないと、近いうちに崩れるかもしれない。

1号墳全景
右奥に造出し部がある。
直径60m高さ9mの円墳
12×18mの四角い造出し部がついている。
二段築成で葺石(20〜40cmの円石礫・川原石)がある。
大きさから考えると、今見えている部分は
二段築成の上段部分か?
5世紀後半の築造。
墳頂に、並んで2つの埋葬施設(竪穴式石室)が発見され、出土品が素晴らしかった。
出土品は市文化財になり、先ほどの「私立郷土博物館」に保存されている。
現在墳頂には、三角点の標識が建っているだけだ。
2号石室は追葬か?(葺石や1号石室は川原石が使われているが、2号石室は山石が使われている。)

古墳の中腹から見る造出部
帆立貝形前方後円墳とする説もあるが
あまりにも前方部が貧弱なので
やはり造出しのある円墳と考えるほうがぴったりくるかな。
消滅した2号墳
直径約16m・高さ約2mの円墳で葺石・埴輪があった。
埋葬施設は割竹形木棺(長さ約4m・幅約75cm)。
当初1号墳の陪墳かと思われていたが、1号墳より先に造られていたらしい。
5世紀後半の築造と考えられている。

3号墳全景

石室の天井部分が崩れそうなのか、墳頂上に板を並べてある。
右側に石室の開口部があり、その横は崖。
崖下には、住宅が建つ。
直径約15m・高さ約4mの横穴式石室を持つ円墳
6世紀の築造と推定されている。


3号墳石室入口

石室の全長約7.2m
玄室は長さ3.7m・幅2.0m・高さ2.7m。
昭和29年発掘調査。



3号墳石室内部

入口に蔓のある植物が垂れ下がっていて、不気味。
敦賀地域では最大規模の石室。

3号墳の横に4号墳がある。

4号墳墳頂部かと思ったが
 実は4号墳はこの奥である…。

直径約8m・高さ約2mの横穴式石室を持つ円墳
昭和29年発掘調査。
6世紀の築造と推定されている。。
向出山古墳群出土品リスト

1号墳 1号石室
倣製4神4獣鏡・不明銅鏡・滑石小玉39・ガラス小玉11・鉄鋤・砥石2・鉄刀多数・鉄剣多数・青銅ホ具・鉄ホ具・鉄鏃105・鉄鉾5・鉄刀子・鉄地金金銅装眉庇付冑2・鉄地金金銅装頸甲・鉄挂甲小札・須恵器・土師器ほか
2号石室
倣製4神4獣鏡・金銅三輪玉54・滑石小玉63・竹櫛・鉄衝付冑・鉄頸甲・鉄肩甲・鉄短甲・鉄鏃30・鉄刀多数・鉄剣多数・鉄鉾複数・鉄斧2・朱の固まりほか
2号墳 漆塗竹櫛43・滑石製小玉240・鉄剣2・鉄刀・?6・鉄斧2・鉄鏃10・砥石ほか
3号墳 金環・銀環・鉄刀・鉄鏃・馬具・須恵器など
4号墳 金環・管玉・鉄刀・鉄鏃・馬具・須恵器など

15時40分 井川地区の立洞古墳群を目指して出発。
図書館で調べた限りでは、立洞2号墳は、復元されているという。
・・・・・「新善光寺」の横辺りにあるはずと思い、新善光寺に登り、その奥にも入ってみるが見つからない。
ふもとの井川地区をぐるぐる回り、地元の人2、3人に尋ねるが、誰も知らないと言う。
1時間ほど探し、探し疲れて、家路につく。
見つからないのが納得いかない。
夕食は外食と思うけれど、食べたい!と思う店がない。
本は落とすし、古墳は見つからないし、レストランはいまいちだし・・・・・
すっきりしないうちに、家に着いてしまった。
20時ごろ、自宅到着。

今回、見れなかった古墳
調べたことだけでも記録しておきます。

立洞2号墳
たてがほら

敦賀市井川75号立洞

立洞古墳群は4基からなる。
そのうちの2号墳が、昭和51年、北陸自動車道建設に伴い発掘調査され、一部を除いて復元され県史跡となった。

立洞2号墳は、前方部が北方にある帆立貝形古墳
全長24m、後円部径22.4m・高さ1.9m、前方部長さ1.6m・幅7m。
段築・葺石あり。

埋葬施設は、割竹形木棺1基で、盛土作業中に安置したので墓坑はない。
棺内の副葬品は
 鉄剣・石釧3
 石釧の中に銅鏡1・管玉2
 鉄斧1・黒塗りの竹櫛2・ガラス小玉25・緑管玉6

石釧があったことで、畿内政権との関連をうかがわせる古墳だ。
4世紀末から5世紀初頭の築造と考えられている。

小谷ヶ洞古墳群
こたにがほら
(中郷古墳群)

敦賀市吉河

2基からなる。
福井原子力センター建設により、緊急発掘調査され、調査後消滅した。

 1号墳(標高50mに位置)
  一辺20mの方墳。埴輪・葺き石はない。付近から土師器破片が出土。
  2つの埋葬施設が確認された。
  第1主体部は、割竹形木棺の直葬で、鉄剣・やりがんな・鉄剣などが出土した。 
  第2主体部は、埋葬方法は不明だが、鉄剣・やりがんなが出土した。
 2号墳(標高64mに位置。1号墳より南)
  直径25m・高さ4mの円墳。埴輪はないが、葺き石はあったかもしれない。
  埋葬施設は、割竹形木棺で、棺内から、乳文鏡・管玉・刀子などが出土した。
  石の間からは、土師器片が出土した。(供献土器か)

古墳時代前期・4世紀後半の築造と考えられている。

明神山古墳群
(中郷古墳群)

敦賀市坂下

詳しいデータはない。
明神山1号墳は、陪塚・葺石を持つ前方後方墳

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