北村さんちの遺跡めぐり
更新日2005/8/15

若狭へ  2005/5/3

1996年10月、結婚20年の記念に若狭へ一泊旅行に出かけた。
そのときはお寺中心に見学した。
脇袋古墳群や十膳の森・上舟塚古墳・獅子塚古墳などはそのときも見学したのだけど、写真もなく、記憶も薄れていた。
それで、2005年ゴルデンウィークの真ん中の日、二回目の若狭の旅に出発した。
今回は若狭・古墳めぐりの旅です。
自宅を午前8時10分に出発。小松インターから高速に乗り、敦賀で降り、ひたすら国道27号線を西に若狭へ。
美浜町の獅子塚を通り過ぎ、若狭町(旧上中町)脇袋にオープンしたばかりの「PLANT2上中店」で、トイレ休憩。
その後、すくそばの脇袋古墳群の見学に行く。

地図g

脇袋古墳群
わきぶくろこふん

福井県若狭町(旧上中町)脇袋
撮影日2005/5/3

西塚・上之塚・中塚・糠塚・荒塚・光塚・上下の森で七つ塚古墳群とも言われていたが、
 荒塚・光塚・上下の森はどうなってしまったのだろうか?


脇袋古墳群全景
案内板の写真です。

西塚古墳
国指定史跡
 脇袋古墳群

全長74m、後円部径39m・高さ約5m、西くびれ部にに造り出しを持つ三段築成の前方後円墳
葺石・埴輪があり、盾形周濠がめぐっていた。
5世紀後葉の築造と推定されている。

西塚古墳全景
小山の部分は後円部
その左側が前方部


前方部はその形を残したまま田んぼになっている。
前方部は、田植えの真っ最中です。


地主のおじさんは、
 「古墳群と近くの寺の仏像(法順寺・木造十一面観音立像)は、町の宝だ」と誇らしげに話してくれた。

西塚古墳
後円部の頂上から前方部を見る。


竪穴式石室が現存している。
右の木のあるところは西くびれ部の作り出しの部分。
大正5年国鉄小浜線の敷設工事の土砂採掘中に石室が発見された。
室内から甲冑、漢式鏡、玉耳飾、刀剣等が出土。

糠塚古墳  脇袋古墳群

西塚古墳の南にある。

糠塚古墳全景

西塚古墳の陪塚か?
西塚のすぐ南にある。
径20mの円墳と思われていたが・・・・・


平成21年の調査で、前方部の墳裾が検出されて、前方後円墳と確認された。
全長50〜60mの前方後円墳 後円部径30m余
前方部の幅がかなり広がっている。
葺石あり 埴輪あり(朝顔形埴輪を含む円筒埴輪が大多数)
周壕あり
中塚古墳に後続し十善の森古墳とほぼ同時期の5世紀末ころの築造と推定されている。

上之塚古墳
国指定史跡
 脇袋古墳群

若狭地方最大の前方後円墳

上之塚古墳実測図
全長90m、
後円部は径51m・高さ9m、
前方部は幅約48m・高さ7m。
周囲の水田は濠の跡。
5世紀V四半期の築造。


上之塚古墳
くびれ部

右手前が前方部。



上之塚古墳後円部


田が周濠に見えて、
作られた当時そのままの古墳の姿を見ているようだ。

中塚古墳
国指定史跡
 脇袋古墳群

全長60m・高さ6mの前方後円墳。
集落の中にあり、かろうじて後円部の中心付近が残るだけ。
前方部は畑となっていた。

中塚の案内板
写真の撮りようがないので説明板を・・・。
後円部のそばに遠慮がちに建っていた。

中塚古墳の後円部のあたり


盾形周濠がめぐっていた。
5世紀U四半期の築造と推定されている。。



脇袋の前方後円墳は、上之塚が北に前方部、南に後円部。
西塚と中塚は北に後円部、南に前方部というふうに向きが違っている。
時期にもかなりの開きがある。
向きはそれほど重要ではないのか?
集落の中の畑には、アミや柵が廻らしてある。
イノシシや猿が出没するらしい。

せっかく若狭まできたのだから、やっぱり若狭の中心・小浜まで行こうと西へ進む。
お腹がすいたので、ドライブイン「松風」にて昼食。
連休中でドライブインもたくさんの人が・・・・
順番ついてやっと、うどんとおにぎりにありつけた。
急いで食べて、小浜市街へ。
円形の小浜小学校の近くの空印寺に八百比丘尼の洞穴がある。
私は個人的には、古墳時代の横穴墓を利用したのだと思ったのだけど、違うのか?

八百比丘尼の洞穴

福井県小浜市男山空印寺内
撮影日2005/5/3

空印寺は藩主酒井家の菩提寺である。
寺の入口左に、人魚の肉を食べて800歳まで生き続けたという八百比丘尼の洞穴がある。

八百比丘尼洞穴入口

八百比丘尼の伝説は、
北は東北から南は四国・九州まで全国に広がる物語だが、
 どこの土地のものも全て
 若狭小浜と深いかかわりを持った伝説として語り継がれている。

洞穴の内部

小浜市では八百比丘尼の長寿にちなみ、
長寿で健康で文化的な明るい街づくりに努めているそうだ。

堀川の河口に人魚の像もあるそうだ。
国民宿舎小浜ロツジには長寿風呂があるとか。

 若狭で語られている八百比丘尼物語
 むかし東勢村(現小浜市)に高橋長者と呼ばれる人がいて、
  あるとき海中の蓬莱の国へ招かれ、お土産に人魚の肉をもらってきた。
 長者の娘がそれを食べたところ、八百歳になっても娘のように若々しく、
  困った娘は尼になり全国を行脚して、最後に若狭小浜に帰り、
 この洞穴に入定(生きたまま身を隠し静かに死を待つこと)した。
 このとき、八百比丘尼は洞穴の入口に白椿を植えた。

浦島伝説に似たところがあるみたい。

小浜市から国道27号線を東に戻りながら、古墳探検を続ける。
検見坂古墳群が遠敷地区にあるという。
「神通寺」の北の円墳は石室が開口しているらしい。
「神通寺」????「神宮寺」とか「明通寺」は有名なお寺だけれど・・・・・
と思いながら国道27号線を東に進んでいると、「神通寺」という大きな看板を発見し、右に曲がる。
その道は若狭姫神社や若狭彦神社のある道だ。
若狭姫神社・若狭彦神社を通り過ぎ、だいぶ行ったところで、
 洗車をしているおにいさんに尋ねたら、「神通寺は知らない」と言う。
こりゃダメだとあきらめて、次の目的地に向かう。
家に帰ってから調べたら、27号線から右へ曲がるときに、
 ひとつ手前の道を右へ曲がればすぐ「神通寺」があることがわかった。残念!

検見坂古墳群
けみさかこふん

福井県小浜市遠敷

わからなかった古墳群なので写真はない。
現在までに円墳49基・横穴48基が確認されている。
消滅してしまった古墳も多い。
群集墳の時代・古墳時代後期6世紀後半の築造。
神通時の北の円墳は石室が開口しているので見学できる(らしい)。

27号線に戻り、東へ少し進むと、
 JR小浜線新平野駅の西側の田んぼの中に古墳らしき小山がポツンポツンとある。
通称「七ツ塚」と呼ばれる、太興寺古墳群だ。

太興寺古墳群
たいこうじこふん

福井県小浜市太興寺
撮影日2005/5/3

太興寺古墳群全景        「わかさ小浜の文化財」から引用

七つ塚のうち5基が残っているらしいが、わたしたちには6基に見える。
1号墳から5号墳まであるが、どれがどれか区別がつかないので、
 「わかさ小浜の文化財」の文章を読み、憶測で名前を付けた。
違っていたらゴメンナサイ!
6世紀後半(古墳時代後期)の円墳とみられている。

1号墳

小浜線の線路のすぐ南側、新平野駅寄りに位置。
直径9m高さ1mの円墳

2号墳(通称松塚)

1号墳と線路を挟んでその北方に位置。
直径17.5m高さ2.6mの円墳。


3号墳
最も北方に位置。
直径15m高さ1.8mの円墳
曲げた農道のある古墳。

4号墳

最も西方に位置。直径12m高さ1mの円墳

5号墳
4号墳の北東に位置。
直径14m高さ3.6mの円墳


古墳に見えるけど・・・・
4号墳の西に位置。
木の横に盛り上がりがある。


この古墳群は、土地改良の際、地区の総意で保存が決定された。
3号墳は分筆の関係でどうしてもこの上に農道を作らなければならず、古墳に沿って迂回する道がつけられた。
古墳の保存の方法としての「曲げた農道」は見る価値があると思う。
4号墳の近くの小浜線の踏切の名称が、「うぐいす塚踏切」となっていた。
どれかが「うぐいす塚」と呼ばれているのだろう。

太興寺古墳群から東にまた少し進むと、日笠古墳群がある。

日笠古墳群
ひがさこふん

(国指定史跡)

福井県小浜市・若狭町
撮影日2005/5/3

日笠古墳群は白髭神社古墳・上舟塚古墳・下舟塚古墳(いずれも国史跡)がある。
まず白髭神社古墳を探してウロウロしていると、道端に石室だけの古墳を発見。

名無しの古墳ではなくて
玉塚古墳
 日笠古墳群

本当は名前があるのだと思うけれど、案内板もなく全て不明。
名前が判明・・・・・玉塚古墳です

玉塚古墳

田んぼの真中に石室の部分だけが残っている。
越前の遺跡・酒生古墳群の車塚にソックリ!

露出した天井石

下に石室が!

白髭神社古墳  日笠古墳群 小浜市平野

JR新平野駅のすぐ東南に位置する。

白髭神社古墳後円部

社殿建築でかなり改変されている。
全長約53m、後円部の直径30m・高さ6m、
前方部の幅25m・高さ4mの前方後円墳
後円部が東、前方部が西にある。
周濠があった。

白髭神社古墳前方部

葺き石は無し、埴輪あり。
未発掘。
出土品無し。
古墳時代後期・6世紀前半の築造と推定されている。
せめて案内板くらいはほしい。

下舟塚古墳  日笠古墳群 若狭町日笠

白髭神社古墳の東500mぐらいの所に位置する。

下舟塚古墳正面南のくびれ部あたり

全長80〜85m・高さ8mの前方後円墳
前方部の幅25m、
後円部の直径40mの3段築成。
幅9mの周濠があった。


後円部墳頂から前方部を見る

形態は脇袋古墳群の上之塚古墳とよく似ている。

前方部から後円部を見る
前方部に盗掘跡らしいものがあるが出土品は不明。

上舟塚古墳  日笠古墳群

下舟塚古墳のすぐ南の国道沿いにある。

前方部
全長75m、
前方部の幅43m、
後円部の直径30m高さ10mの前方後円墳
前方部のほうが大きく高さも少し高い。

上舟塚古墳全景
国道の裏側から写す。
脇袋古墳・西塚とよく似た形態である。
手前が前方部。
以前来たときより木が整理されていて、全体を見ることが出来た。

日笠古墳群から北東にある加茂神社に大きな石室が開口した古墳があるというので、加茂地区に向かう。
途中、古墳らしき小さな山を庭にしているような住宅があったりするいなか道を行く。
加茂神社そばに車を置き、ちょっと歩くと石室発見。

加茂古墳群
かもこふん

県指定史跡

福井県小浜市加茂
撮影日2005/5/3

加茂北山に築かれた円墳2基の石室が開口している。
若狭地方最大の横穴式石室を持つ古墳である。
俗に「ヅカナ(塚穴か?)」と呼ばれている。

加茂南古墳の石室
入口は狭く、かがまないとは入れない。
中は光が入らず真っ暗。
ライターの火くらいでは光が天井まで光が届かない。
玄室の長さ4.2m・幅3.1m・高さ3.76m、
羨道部の長さ8.28m・幅2.0m

加茂南古墳全景


盛土はかなり削られている。
加茂南古墳の西約50mの所に、南古墳より石室の大きい加茂北古墳がある。

加茂北古墳入口


南古墳より入口は広く、立ったまま中に入ることが出来る。
墳丘はほとんど削られている。

加茂北古墳石室内部

石材の間から光がもれていて、中の様子がよくわかる。
天井のあまりの高さに感動!
奥壁の幅2.6m・高さ3.96m・長さ4.7m。
玄室の天井は4個の盤石で覆われている。
玄室と羨道の境には両側の壁に立石がある。
羨道の天井は玄室の天井より約1m低い。
羨道部は、幅1.6m・高さ2.3m・長さ9mで4枚の天井石がある。
加茂北古墳・南古墳というけれど、実は東西に並んでいる。
西に北古墳、東に南古墳・・・・・なんでだろう?
築造時期は南古墳→北古墳の順に作られ、古墳時代後U期(6世紀後半から7世紀初頭)と考えられている。
出土したものはほとんどないが、
 北古墳に隣接して所在した古墳から出土したと伝えられる台付長頸壺は7世紀初頭のものと考えられている。
石室の大きさ、特に高さに感動の古墳だった。
この石室を見られたことだけでも、このドライブは大成功だと思う。
加茂地区には多数の古墳が散在しているらしいが、見学できるのは他にあるのだろうか?

時刻はそろそろ4時半になろうといている。
国道27号線沿いにある「天徳寺古墳群・十善の森古墳」目指して南下。

天徳寺古墳群
てんとくじこふん

福井県若狭町天徳寺
撮影日2005/5/3

北川を渡ったところで十善の森がきれいに見えるところを発見、写真を撮る。

十善の森遠景
左側が後円部。

写真を撮って行きかける・・・・・と、石碑みたいなものがある。
なんだろう?・・・・・
消滅したという丸山塚古墳の記念碑だ!

丸山塚古墳記念碑
丸山塚古墳は昭和32年、北川堤防の災害復旧工事で削平されてしまった。
石室の石材を使って記念碑を建てた。
径50m以上あった円墳。周囲には幅20m前後の周濠がめぐっていた。
横穴式石室は、玄室長6m・奥壁幅3m強・高さ4.3m・羨道長11m。
玄室が高く作られていて、加茂古墳の石室に近いものだった。。
石室の大きさは、現存すれば全国のベスト10に入るほどの大きさだった。
6世紀中葉の築造と考えられている。
国道27号線沿いの十善の森に到着。

十善の森近景(右側が後円部)
西に前方部、東に後円部
全長67mの前方後円墳
後円部と前方部に横穴式石室を持ち、 石室内部は赤色顔料が塗られている。
墳丘から埴輪。
後円部石室から流雲文縁方方格規矩四神鏡・金銅製冠帽・玉類・武器・武具・馬具など出土。
石室は日本海側では最も古式に属する。
墳丘には立派なわらびが生えている。あっという間に3回分くらいのワラビが採れた。
家に帰って、茹でて三杯酢で食べよう!

若狭町(旧上中町)と小浜市に広がる古墳群は、総称して「上中古墳群」と呼ばれている。

上中古墳群位置関係図


5時近くなった。後は獅子塚古墳の写真を撮って家に帰ろう。
でも、道が込んでいてなかなか進めない。
十善の森古墳から、獅子塚まで1時間もかかってしまった。

獅子塚古墳
ししづか

福井県美浜町郷市
撮影日2005/5/3

元は美浜町役場の横にあったが、役場が移転し、跡地は北陸電力になっている。
その駐車場に押され、獅子塚は窮屈そうだ。

獅子塚全景
西に前方部がある全長34mの前方後円墳
後円部直径約17m、
前方部幅約15m。
封土には埴輪と葺石があった。
周濠もあったと推定されている。

獅子塚後円部
後円部には南に開口する横穴式石室がある。
玄室は、長さ4.5m・幅2.2m・高さ2m、
羨道部は長さ2.5m・幅0.6m
入口ほど広がりのある形式の両袖式の石室で古式の形をしている。
石室は小型の石材を組み、上へ行くほど狭くなる極端な持ち送り手法で作られている。
玄室の壁・天井・床にはベンガラがたくさん塗られていた。「赤い石室」。
三方郡開拓の祖耳別(みみわけ)の君一族の墓と考えられている。
純度の高いベンガラの使用、角杯2点の副葬品は特異なものである。
馬具を含む豊富な副葬品が出土した。

道は相変わらず込んでいる。
帰りはあわてることもないから、高速には入らず、8号線で帰ろう。
敦賀から武生に行く海沿いの道は、ちょうど日没の頃にかかり、素晴らしい景色を楽しめた。
あわてない時は、高速より普通の道のほうが楽しい。
夕食を食べたいのだけど、なかなか食堂がない。
武生の「ここ一番屋」に入ったのは、午後8時を過ぎていた。
その後はひたすら家路を急ぎ、帰宅したのは午後9時半だった。

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