北村さんちの遺跡めぐり
更新日2005/5/12
福井県・三国へ 坂井市
福井に住んでいる長女の所へ行った帰り、
「三国に出世山古墳公園というのがあるらしいから行ってみよう」ということになり、
通称「あわら街道」を北に向かう。
三国へ行く途中、明治時代に銅鐸が出土したという春江町井の向の集落を探す。
坂井町に接する、春江町井の向にNECの工場があり、その横に銅鐸出土の石碑が立っていた。
大石銅鐸出土の地 |
坂井市(春江町)井の向字田島 撮影日2005/4/10 |
「大石銅鐸出土の地」
石碑
慶応4年(1868)2月16日、畑地を掘り下げ、水田にしようとしたところ、
土中から大小2個の銅鐸が出土した。
大小2個の銅鐸は互いに基底部をさし込み、その中に貨幣様のものを入れてあった。
1号銅鐸(大きいほう)は、外縁付鈕流水文銅鐸(兵庫県辰馬考古資料館蔵)
2号銅鐸(小さいほう)は、菱環鈕袈裟襷文銅鐸(名古屋市個人蔵)と呼ばれている。
表面に人物や動物・船・家屋・農耕生活など、弥生時代の世界を彷彿とさせる絵が描かれている。
この二つの銅鐸以外に、
明治大学考古学陳列館蔵の外縁付鈕流水文銅鐸もこのあたりで発掘されたことが確認されていて、
井の向出土の銅鐸は3個と見られている。
福井県で出土した銅鐸が、福井県にないという現実。さびしいですね!
北上し、三国の町に入る。
丸い帽子をかぶったような変わった建物(三国町郷土資料館)のところから台地に上ると、そこは住宅地。
もとはこの台地にたくさんの古墳があったのだろうなと思いながら、道を進むと三国運動公園がある。
桜も満開、天気もよくたくさんの人たちでにぎわっている。
にぎやかな運動公園から少しはなれたところに、出世山古墳公園がひっそりとあった。
出世山古墳公園 |
坂井市(三国町)新宿 撮影日2005/4/10 |
出世山古墳公園
手前が3号墳、奥が2号墳
出世山古墳公園配置図
出世山1号墳全景
径23.5m・高さ2mの円墳
6世紀末〜7世紀初頭の築造と推定されている。
出世山1号墳石室入口
玄室長さ3.6m・幅1.8m
盗掘されていて遺物はほとんど無かったが、
耳輪の片方と須恵器が出土。
出世山1号墳石室内部
天井石はすでにない。
低いコンクリートの覆いで囲ってあるので、
大きさを感じることができない。
出世山2号墳
直径20m、高さ3mの円墳。
周りに堀をめぐらせ、頂上に竪穴を掘って
板石で土留めをして遺体を安置した。
盗掘されていたが、盗掘坑からやりがんな
堀から土器が出土した。
5世紀末〜6世紀初頭の築造と推定されている。
出世山3号墳
内部は未調査
円墳
出世山4号墳
堀から管玉が発掘された。
内部は未調査。
径20m・高さ3mの円墳
幅3m・深さ0.6mの周溝がめぐる。
4号墳が造られた後に、3号墳が造られたことが、堀の重なりからわかるらしい。
姥ヶ谷古墳復元
県内で唯一の葺石のある隅丸方形古墳。
一辺18m・高さ2.5mで幅3mの周溝がある。
埋葬施設は、盗掘され痕跡すらないくらいだった。
現在の三国運動公園の中にあった。
姥ヶ谷古墳の陸橋
陸橋のある古墳は県内ではじめての発見だった。
出土品などが全くないので、築造時期は全く不明
(参考・・・加賀の遺跡・和田山6号墳では3ヶ所の陸橋がある)
出世山3号墳から見た景色
きれいに整備された古墳公園だが、一つ一つの古墳の大きさや特長や出土品などの説明が案内板に無い。
もっと細かい説明がほしかった。
狐山古墳群などの説明はあったけれど、それがどこにあるのかというものではなく、よくわからない。
非常に残念だった。物足りない。
(松任図書館で福井県史という書物があったので調べてみたけれど、
出世山古墳群についての記述は見当たらなかった。)
帰り道、加賀の分校古墳群の説明板を見つけたのでちょっと寄ることにする。
分校古墳チャーカ山支群の案内板
案内板の内容については
加賀の遺跡・分校古墳群のページに加筆しましたのでそちらをご覧下さい。
案内板のナンバーが2番なので、他にも案内板があると思われる。
どこにあるのかな?
久しぶりに重い風邪をひき、強い薬を飲んで頭がボォーとしていたせいか、
出世山古墳公園はどうも印象が薄い。
体調を整えていかないとダメだねー。