北村さんちの遺跡めぐり
更新日2005/4/1
足羽山公園へ
12月の土曜日、福井に住んでいる長女に会いに行くついでに、福井市の足羽山公園古墳群を散策しました。
足羽山公園は現在、桜の名所として有名です。
足羽山北麓は、笏谷石(しゃくだにいし)の産地としても有名です。
また、明治時代以降は墓碑が建てられ、さまざまな分野の著名人の石碑が林立しています。
古墳時代には、4世紀後半から5世紀にかけて足羽山古墳群が形成され、前方後円墳1基と円墳32基が確認されています。
しかし古墳としての原型をとどめているものはほとんどありません。
笏谷石の話 足羽山の山麓周辺から産出する石材は、凝灰岩で、 特に山麓北西部の笏谷から取れるものは、少し青みを帯び、なめらかできめが細かく、 加工しやすい上質の石である。 足羽山古墳から発掘された石棺にはこの石が多く使用されている。 一乗谷朝倉遺跡でも、この石で作られた石仏石塔が散在している。 北庄城や丸岡城の石瓦や石垣、越前若狭の寺社の灯篭・鳥居・石段・石仏などにも利用されている。 北前船に乗り遠くに運ばれ、青森県・北海道・山口県・和歌山県などでもこの石が使われた。 「笏谷石を探す旅」というのもおもしろいかもしれない。 |
足羽山古墳 |
福井市足羽・西木田ほか 撮影日2004/12/11 |
足羽山古墳群分布図
@ 六地蔵宝塔並びに円墳
A 龍ヶ岡古墳跡
B 山頂古墳跡
C 稲荷山古墳跡
D 古墳群
E 大塚山古墳
F 柄鏡塚古墳
G 饅頭山古墳
H 宝石山古墳
I 小山谷古墳跡
@ 六地蔵宝塔並びに円墳 | 場所の確認を忘れました。 |
A 龍ヶ岡古墳跡 山頂古墳をやや下った広場にあった。 今は古墳としての面影は無い。 家形石棺のなかに 熟年女性と若年男性の全身骨格が たがい違いにいれられていた。 斜縁二神二獣鏡や石釧6個、勾玉などが 副葬されていた。 家形石棺として最古の 5世紀初頭頃の埋葬と考えられる。 |
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B 山頂古墳 直径50mの円墳。 竪穴式石室内に舟形石棺が安置されていた。 石棺の外面に直弧文を線刻し、 中に石枕をつくりつけている。 棺内から琴柱型石製品と管玉が出土した。 三角縁神獣鏡2面が出土したとの 伝えもあるが現存していない。 4世紀後半から5世紀初めの築造 |
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B 山頂古墳の真ん中に建つ継体天皇像 顔が大きい! 「越の大王」として大和朝廷の皇位を継承した 継体天皇の石碑がある。 |
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C 稲荷山古墳を破壊して建てられた福井平和塔 (昭和34年完成) 稲荷山古墳は直径36mの円墳だった。 尾根上に位置している。 刳り抜き式の木棺の中に筒型銅器1個が出土した。 4世紀前半の造営 平和塔は、日本の再建と世界平和の達成を 期して建設され、 聖人のもたらした御仏舎利6粒が 納められている。 |
福井平和塔に納められている「御仏舎利6粒」とは
インドのネール首相より贈られた十粒中の一粒
釈迦牟尼佛涅槃の聖地倶尸那伽羅より発掘された三粒
タキシラ阿育大王が建立した御仏舎利塔より発掘された二粒
ということらしい。
D 古墳群 小円墳がたくさん(?)あるらしい。 |
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E 大塚山古墳 円墳。 横に小動物園があり、 その駐車場となったために山が破壊されている。 古墳としての面影は無い。 |
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F 柄鏡塚古墳 前方部側より後円部を望む。 全長57mの前方後円墳。 主体部・時期は不明。 |
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F 柄鏡塚古墳 柄鏡塚の一部を破壊して道路をつけたらしく、 道路の反対側まで後円部の丸みが残っている。 |
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G 饅頭山古墳 | 場所の特定ができなかった。 |
H 宝石山古墳 | ややくだった山腹にある (探したけれどよくわからなかった)。 舟形石棺から熟年男女の骨格、 直刀4本、鹿角製刀装具などが出土したらしい。 5世紀後半の築造と推測されている。 |
I 小山谷古墳跡 | 場所の特定ができなかった。 蓋に鏡を模したらしい 同心円文を彫り出す舟形石棺が発見された。 今は破壊されているらしい。 |
足羽山では、ほとんどの古墳が破壊または変形してしまっているので、
「古墳を見た」という満足感が得られなかった。
福井市郷土歴史博物館が足羽山のふもとにあるはずだと思い、探すが見つからなかった。
帰宅してから調べたら、平成16年春に、移転したことがわかった。
今度見に行こう!
福井市郷土歴史博物館 福井市宝永3-12-1 Tel21-0489
福井市立図書館に寄ってみたら、「足羽山の歴史」という古びた立派な本があった。
今度借りてきて、このページをもっと素敵なページにしよう
長女と夕食を共にしてから、帰宅しました。