北村さんちの遺跡めぐり
更新日 2003/7/16

椚古墳から免鳥長山古墳へ  

初めての福井の遺跡訪問。   地図g

椚古墳
くぬぎこふん

あわら市(金津町)椚
撮影日2003/5/1

石川県から福井県に入ってすぐの金津町椚の八幡神社に椚古墳がある。


椚古墳全景

直径約21m・高さ約4.5mの円墳
 南西方向に石室が開口している。
副葬品は不明。
古墳時代後期(6世紀)の築造。
椚古墳石室

玄室は奥行き3.3m・幅1.5m・高さ1.7m。

大きな凝灰岩の切石で囲まれ、
      天井と奥壁はいずれも1枚岩。
石材は、当地産の椚石。




椚古墳のすぐそばの墓地に六重塔がある。

凝灰岩製で現在の高さは3.9m。元は七重だったらしい。

一重目の笠の中から
 銅鏡(13世紀に日本で作られた流水双鳥鏡)が発見された。

   

貸山1号墳
わんかしやま

(横山古墳群)
坂井市丸岡町坪江
撮影日2003/5/1

金津町中川から丸岡町坪江にかけて国道8号線東側に南北に連なる丘陵上に横山古墳群がある。
15基の前方後円墳と多数の円墳・方墳からなり総数は223基。
この中の一つ、国道の新道と旧道の分岐点にある和興鰍ノあるのが貸山古墳だ。
お仕事中の工場敷地内に入り込み、見学させていただいた。

貸山1号墳の後円部ななめから前方部を見る
平地に立地し馬蹄形の周溝を持つ。
 (周溝は埋め立てられている)。




貸山1号墳
前方部ななめ後方から後円部を見る。



貸山1・2号墳墳丘復元図
  (説明板から) 北が左下となるようだ。
墳丘は全長42m・後円部28mの前方後円墳
二段築成で葺石がある。
後円部中央からくびれ部に開口する片袖式石室があり、
奥壁に赤色顔料に塗られた石屋形がある。
6世紀前葉の築造と推定されている。
1号墳の北東に2号墳(全長約30mの前方後円墳
 があったが、削平された。

    

六呂瀬古墳群
ろくろせこふん

坂井市丸岡町上久米田
撮影日2003/5/1

国道364号線が新設される際、この周辺の古墳は破壊されようとした。
しかし全ての古墳を迂回あるいはトンネル工法で保存した。



六呂瀬山古墳群配置図
  (説明板から)

標高約200mの上久米田の山上にある。

自然の山の形を利用しているのできれいな形ではない。

  1号墳全長140mの前方後円墳 
   後円部径78m・高さ13m、前方部67m・幅58m・高さ11m。
  二段築成、葺石(九頭竜川の川原石)かある。
  家形埴輪が採集されている。舟形石棺直葬と推定される。
  4世紀末から5世紀初めの築造と推定されている。
  後円部の北東側に張り出し部と2号墳(方墳14×16m)がある。

 3号墳は 前方部を1号墳に接するように造られている。
  全長110mの前方後円墳  
   後円部径67m・高さ11m、前方部長50m・幅52m・高さ9m。
  墳丘は二段築成で葺き石がある。
  円筒埴輪・朝顔形埴輪・形象埴輪が確認されている。
  内部主体は未確認だが、舟形石棺直葬と考えられている。。
  5世紀前葉の築造と推定されている。
 後円部の北北西に張り出し部と4号墳(方墳10×6m)がある。

六呂瀬山古墳群1号墳
後円部より前方部を見下ろす

3号墳のくびれ部あたりからから
1号墳後円部を見る


六呂瀬山古墳群 
手前は1号墳の張出部 奥は2号墳(方墳)




1号墳後円部より見下ろす3号墳

六呂瀬3号墳・前方部から後円部をみる

4号墳は雑草などでよく分からない。

東諏訪間1号墳
ひがしすわま
   

吉田郡永平寺町諏訪間
撮影日2003/5/1

永平寺の谷の東古市から諏訪間の周辺には各時代の遺跡がある。
旧石器時代の木橋遺跡、縄文時代の鳴る鹿山鹿(なるかさんが)遺跡などだ。
東諏訪間1号墳は京福電鉄東諏訪間駅の北200m程のところにある。


 
東諏訪間1号墳全景
直径16m以上の横穴式石室を持つ円墳で、 
    周溝は確認できなかった。
石室の上部には
  巨大な天井石が5個載せられ露出している。
古墳の前庭部で縄文土器が出土しているので、
 人々が住んでいたと考えられている。
横穴式石室の玄室は  長さ4.5m、羨道部は長さ約3m・幅1.4m。
木棺だったので棺は残っていない。
玄室から 須恵器の食器や土師器の壺・須恵器の大壷が出土。
 出土品から7世紀初め頃の築造と推定されている。


石室入口 

           石室内部

    

水切古墳群
みずきりこふん

福井市川西地区水切町
(撮影日2003/5/1)

福井市外から海岸に行く途中に川西という地区がある。
佐野温泉という小さな温泉があるところである。
川西中学校の西側に1・2号墳があり、
川西中学校の北250mにある稲荷神社の社殿の高まりの途中に3号墳がある。

水切1号墳 (雄穴) 
説明板によれば・・・
300年前、宋右衛門さんが発掘し、
    勾玉・金色釧・皿・高杯などが出土した。
(1686年発掘したときの遺物は
  砂子坂西徳寺に保管されている。)
金環2・勾玉5・管玉1・切子玉7・小玉4など)
南北径24m・東西径17mの楕円状。
円墳と思われていたが、
 その後の調査で、前方後円墳と判明した。
大きさは明らかではない。
7世紀初頭の築造と推定されている。

水切1号墳石室  (両袖式横穴式石室)  

石室は
 玄室長 東壁4.1m 西壁4.3m 
    幅 奥壁1.6m 中央部1.7mの胴張り
   高さ2.1〜2.3m
 羨道長 東壁6.5m 西壁5.6m
    幅 開口部1.8m 中央部1.7m
    高さ1.5〜1.8m
 玄門部高さ1.7m

水切2号墳  (雌穴)

1号墳の南東約18mにある。
南北径15.1m・東西径12.6m・高さ2.5mの円墳
全長9m(残存6m)の片袖式横穴式石室を持つ。
石室は東壁残存長5.3m・西壁長3.7m
玄室長 3.9m・奥壁幅1.4m・高さ2.2m

水切3号墳

1・2号墳の北250mの水切の稲荷神社の参道の階段横に
    ポッカリと穴があいているのが、3号墳である。
墳丘は確認できない。
墳形は不明だが、古墳の上に神社を建てたのだろう。

 

水切3号墳石室

穴を覗くと立派な切石積みの石室がある。
残存石室長2.8m・奥壁床幅1.1m・天井幅0.9m・高さ1.7m
7世紀前半(終末期)の築造と推定されている。


   

免鳥長山古墳
(免鳥5号墳
)
めんとり5ごうふん

福井市免鳥
撮影日2003/5/1

2002年12月福井の免鳥で100m位の大きな円墳が発掘調査されたと新聞に載った。
(その後、帆立貝形前方後円墳と位置付けられた。)


免鳥長山古墳の不思議な形
 (資料から)

左下の張り出し部が前方部。
葺石の状況と高さの違いから
 ここが前方部に位置付けられた。
後円部径81.6m・高さ14.1m、
前方部幅24.4m・高さ5.3m。


免鳥5号墳遠景   (撮影日2003/5/1)

青いビニールシートが見えるその上が古墳。
全長90.5mの帆立貝形前方後円墳
5世紀初めの築造と推定されている。。
二段築成でテラスに円筒埴輪が580本並べられていた。


  免鳥5号墳 西側より墳頂部を見る。
葺石がいっぱい。
斜面には家形埴輪の破片。

  免鳥5号墳
墳頂より南側 前方部&陪墳を見下ろす

免鳥5号墳 墳頂より北側張出部を見下ろす
 
免鳥5号墳墳頂より西側張出部を見下ろす


免鳥5号墳の頂上から日本海を望む。

右側は福井の臨海工業地帯。
免鳥古墳群には他にも、石室のある古墳などがあるという。

福井県の遺跡トップへ

トップページ