若狭町(旧上中町) 若狭町の地図g
日笠古墳群 |
福井県小浜市・若狭町 撮影日2003/5/3 |
日笠古墳群は白髭神社古墳・上舟塚古墳・下舟塚古墳(いずれも国史跡)がある。
白髭神社古墳は小浜市、上舟塚古墳・下舟塚古墳は若狭町となっている。
下舟塚古墳
(国指定史跡)
日笠古墳群若狭町日笠
白髭神社古墳の東500mぐらいの所に位置する。
下舟塚古墳正面南のくびれ部あたり
全長80〜85m・高さ8mの前方後円墳。
前方部の幅25m、
後円部の直径40mの3段築成。
幅9mの周濠があった。
後円部墳頂から前方部を見る
形態は脇袋古墳群の上之塚古墳とよく似ている。
前方部から後円部を見る
前方部に盗掘跡らしいものがあるが出土品は不明。
上舟塚古墳
(国指定史跡)
日笠古墳群若狭町日笠
下舟塚古墳のすぐ南の国道沿いにある。
上舟塚古墳前方部
全長75m、
前方部の幅43m、
後円部の直径30m高さ10mの前方後円墳。
前方部のほうが大きく高さも少し高い。
上舟塚古墳全景
国道の裏側から写す。
脇袋古墳・西塚とよく似た形態である。
手前が前方部。
以前来たときより木が整理されていて、全体を見ることが出来た。
玉塚古墳 日笠古墳群
案内板もなく全て不明。
田んぼの真中に石室の部分だけが残っている。
越前の遺跡・酒生古墳群の車塚にソックリ!
露出した天井石
下に石室が!
天徳寺古墳群 |
福井県若狭町天徳寺 撮影日2003/5/3 |
日笠古墳群の東3kmほどの所に位置する。
丸山塚古墳 天徳寺古墳群
消滅したはずの丸山塚古墳の記念碑を発見。
加茂古墳群から十善の森古墳を目指し南下、北川を渡ったあたりにある。
丸山塚古墳記念碑
丸山塚古墳は昭和32年、北川堤防の災害復旧工事で削平されてしまった。
石室の石材を使って記念碑を建てた。
径50m以上あった円墳。周囲には幅20m前後の周濠がめぐっていた。
横穴式石室は、玄室長6m・奥壁幅3m強・高さ4.3m・羨道長11m。
玄室が高く作られていて、加茂古墳の石室に近いものだった。。
石室の大きさは、現存すれば全国のベスト10に入るほどの大きさだった。
6世紀中葉の築造と考えられている。
十善の森古墳 天徳寺古墳群
国道27号線沿いにある。
十善の森遠景
左側が後円部。
丸山塚記念碑のあるところで撮影。
全長67mの前方後円墳。後円部径33m・高さ8m 前方部幅45m・高さ8m
葺石あり。
十善の森近景(右側が後円部)
西に前方部、東に後円部
後円部と前方部に横穴式石室を持ち、
石室内部は赤色顔料が塗られている。
墳丘から埴輪。
後円部石室は全長5.8m・玄室長4.2m・奥壁幅2m・高さ2.5m。
玄門には柱石が置かれている
後円部石室から流雲文縁方方格規矩四神鏡・金銅製冠帽・玉類・武器・武具・馬具など出土。
前方部石室は右片袖式で、全長2.1m・玄室長1.6m・幅1.45m・高さ1.4m
石室は日本海側では最も古式に属する。
上高野古墳 |
天徳寺古墳群 福井県若狭町井ノ口 撮影日2015/11/22 |
十善の森古墳の東200mの道路沿いの竹林のなかを探したら巨石があった!
径20m程の円墳とみられているが、詳細不明。
石室付近が藪となって保存されている。 |
墳丘かと思ったら、石が露出している |
天井石。巨石だ・・・ |
内部は埋まっている |
立派な石室なのだろうが、放置されている・・・・・。
市場古墳 |
福井県若狭町市場 撮影日2015/11/22 |
シンポジウム「向山古墳群の世界」のあった若狭町歴史文化館のすぐ東にある。
「パレア若狭(若狭町役場パレア文化課)」の敷地内に保存されている。
市場古墳は 発掘調査の結果、径16m・高さ2.8mの円墳 横穴式石室は、全長6.2m、玄室の長さ3.2m、幅1.3m 石室内部から、金銅製の耳環、鉄鏃、刀子、須恵器、内面黒色土器などが出土 遺物の出土状況から、3体の遺体が納められたと考えられている。 6世紀後半に造られて、7世紀初頭まで追葬が続けられていたと考えられている。 (現地説明版から) |
市場古墳 石室は埋め戻されていて 見ることはできない。 |
向山古墳群 |
福井県若狭町堤・下吉田 撮影日2015/10/12 |
脇袋古墳群の西1.5kmの堤・下吉田地区の向山尾根上にある。
向山の西麓にある若狭テクノバレーの奥に登山道があるそうだが、登り口を知らず東麓から、山をよじ登る。
2015年11月22日、シンポジウム「向山古墳群の世界」(若狭町歴史文化館)に参加した。
発掘調査から30年が過ぎて、報告書が出来上がったのを記念してのシンポジウムだそうだ。
築造当時の、墳丘や石室内部の様子がうかがえて、とても充実した時間をすごせた。
向山古墳群は 前方後円墳1基・方墳1基・円墳7基で構成されている。 向山古墳群1〜3号墳実測図 3号墳は木棺直葬となっているようだ。 |
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向山1号墳は 全長48.6mの前方後円墳 後円部径30.6m・高さ4.8m 前方部幅27.4m・高さ3.8m 2段築成 葺石あり 埴輪あり (円筒埴輪・朝顔形埴輪・きぬがさ形埴輪・盾形埴輪・家形埴輪) 後円部中央に長さ3.6mの横穴式石室があり、墓道が前方部方向にのびる。 (前方部側へ開口する) この石室は本州最古期の横穴式石室で、北部九州とのつながりが考えられている。 金製垂飾付耳飾のほか鏡2面や短甲2を含む多くの武器武具、装身具などが出土 前方部にも武器・武具のみを納めた副葬施設が確認されている。 5世紀中ごろの築造と推定されている。 昭和62・63年に調査。 後円部石室実測図 (シンポジウム当日資料から) 上の図 横から見た石室 下の図 上から見た石室 石室の下半分は、山の岩盤を削り出して、 上は石を積んでいる。 後円部石室遺物出土状況 (シンポジウム当日資料から) 奥壁両側に2両の短甲が置かれていて 画面左下の短甲内部から金製耳飾りが1点出土した。 遺体は、中央付近の鏡の左に頭 奥壁側に足がくるように 安置されていたと考えられている。 掛金具も数点出土しているが、副葬品を吊したり、立てかけたり、 幕を張りめぐらしたりするために、使われたと考えられている。 (シンポジウムの講演から) 出土した「鏡」2点と「金製垂飾付耳飾の図」 (シンポジウム当日資料から) 金製垂飾付耳飾は 朝鮮半島で造られたものだと 考えられている。 前方部武器武具埋納施設 出土状況図 (シンポジウム当日資料から) 中央あたりに短甲が置かれていて 他に鏃・刀・鉾・槍などが多数出土している 当時の若狭は、畿内の大和政権を通さず、 直接朝鮮半島や北部九州と関わりを持っていたと考えられている。 |
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2号墳 |
2号墳墳頂 |
手前は向山2号墳、奥は向山1号墳後円部 |
向山1号墳 後円部 |
向山1号墳 後円部より前方部 |
向山1号墳 前方部 |
向山1号墳 前方部先端の葺石 |
向山3号墳 |
脇袋古墳群 |
福井県若狭町(旧上中町)脇袋 撮影日2003/5/3 |
西塚・上之塚・中塚・糠塚・荒塚・光塚・上下の森で七つ塚古墳群とも言われていたが、
荒塚・光塚・上下の森はどうなってしまったのだろうか?
脇袋古墳群全景
案内板の写真です。
脇袋の前方後円墳は、上之塚が北に前方部、南に後円部。
西塚と中塚は北に後円部、南に前方部というふうに向きが違っている。
時期にもかなりの開きがある。
西塚古墳
国指定史跡脇袋古墳群
三段築成の全長74mの前方後円墳。、後円部径39m・高さ約5m
葺石・埴輪があり、盾形周濠がめぐっていた。
5世紀後葉の築造と推定されている。
西塚古墳全景
小山の部分は後円部 その左側が前方部
西くびれ部にに造り出しを持つ。
前方部はその形を残したまま田んぼになっている。
前方部は、田植えの真っ最中です。
地主のおじさんは、「古墳群と近くの寺の仏像(法順寺・木造十一面観音立像)は、町の宝だ」と誇らしげに話してくれた。
西塚古墳
後円部の頂上から前方部を見る。
右の木のあるところは西くびれ部の作り出しの部分。
大正5年国鉄小浜線の敷設工事の土砂採掘中に石室が発見された。
竪穴式石室(長さ5.5m・幅1.27m・高さ1.5m)が現存している。
石室は赤色顔料が塗られている。
室内から甲冑、漢式鏡、玉耳飾、刀剣等が出土。
糠塚古墳
脇袋古墳群
西塚古墳の南にある。
糠塚古墳全景
西塚古墳の陪塚か?
西塚のすぐ南にある。
径20mの円墳と思われていたが、糠塚古墳も前方後円墳と確認された。
明治時代には古墳東側の水田面が少し高かったという住民の話などから、
平成21年範囲調査をしたところ、前方部墳丘裾が確認された。
葺石や埴輪も遺存していた。朝顔形埴輪を含む円筒埴輪や形象埴輪片も出土した。
周壕もある。
全長50〜60mの前方後円墳と推定されている。
後円部径30mで、前方部の幅はかなり広がっていると想定されている。
中塚古墳の後につくられ、十善の森古墳とほぼ同時期の5世紀末の築造と推定されている。
上之塚古墳
国指定史跡脇袋古墳群
若狭地方最大の全長90mの前方後円墳
後円部径51m・高さ9m、前方部幅約48m・高さ7m
盾形周濠がめぐっていた。
埴輪の存在が確認されている。
5世紀V四半期の築造と推定されている。。
上之塚古墳実測図
周囲の水田は濠の跡。
上之塚古墳くびれ部
手前が前方部。
上之塚古墳後円部
田が周濠に見えて、
作られた当時そのままの古墳の姿を見ているようだ。
中塚古墳
国指定史跡脇袋古墳群
全長60m・高さ6mの前方後円墳。
盾形周濠がめぐっていた。埴輪の存在が確認されている。
5世紀U四半期の築造と推定されている。
中塚の案内板
後円部のそばに遠慮がちに建っていた。
中塚古墳の後円部のあたり
集落の中にあり、かろうじて後円部の中心付近が残るだけ。
前方部は畑となっていた。
写真の撮りようがない。
脇袋丸山塚古墳
脇袋古墳群
福井県若狭町瓜生18-1
撮影日2015/10/12
脇袋古墳群は、西塚・上之塚・中塚・糠塚・荒塚・光塚・上下の森で七つ塚古墳群とも言われていたが、
この中の「上下の森古墳」が、脇袋丸山塚古墳だ。
脇袋古墳群の代表である上ノ塚古墳の南側の低い丘陵先端にある。
2012年9月に 現地説明会があったらしい。
脇袋丸山塚古墳は 全長51mの帆立貝式古墳 で前方部を西に向けている。 埴輪あり (円筒埴輪・形象埴輪) 葺石あり 前方部の墳丘上からは、2m×3.4mの大きさの陥没が見つかって、 鉄鏃が計7本出土、全形をよくとどめていて、全長12.8cmを測るものもあった。 木櫃を埋めたような特殊遺構の跡と考えられている。武器武具埋納施設か? 出土した埴輪片から5世紀後半の築造と推定されている。 平成24年に科学研究費補助金研究『古墳時代における若狭地域の対外交渉』の一環で測量調査 (くびれ部・前方部中心とした調査) 脇袋丸山塚古墳 墳丘測量図 墳丘の南半分が大きく破壊されている。 |
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後円部 向こう側に前方部 |
後円部頂 |
後円部から前方部を見る |
くびれ部から前方部を見る |
後円部脇から前方部を見る |
前方部から後円部を見る |
半分残った後円部 手前は削られた後円部 前方部は左方向にある。 |
前方部の石室と考えられた場所は、発掘せずに埋め戻したという・・・・
今後に期待です。
城山古墳 |
福井県若狭町大鳥羽・長江 撮影日2015/10/12 |
鳥羽川沿いの平野部を望む丘陵に、城山古墳という前方後円墳があるという。
ふもとの平野から墳丘までの比高は約84mある。
山の岩盤を削り出してつくられている。
墳丘上に埴輪列が確認されている。円筒埴輪と朝顔形埴輪のほか、家形埴輪と鳥形埴輪が出土。
5世紀前半の築造と推定されている。
城山古墳は
この山の上かな・・・・・?
一度は登ろうとしたが、雨が落ちてきたので、あきらめる・・・・・。
大谷古墳 |
福井県若狭町下タ中字大谷 撮影日2015/10/12 |
下タ中字大谷の標高140mの尾根の中腹に所在する。
福祉施設とヤマザキコンビニの駐車場から
大谷古墳のある山を見る
福祉施設とヤマザキコンビニと「あじさいふれあい公園」のある所の北から山を登る。
山道は、墳丘まで続いている。
大谷古墳は 径27.5mの円墳 片袖式の横穴式石室は、全長10.7m、玄室長5.1m 幅2.3m・高さ3mほど 玄門部や天井には巨石を使用、床面の敷石も残っている。 6世紀中頃の築造と推定されている。 |
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大谷古墳 墳丘 藪の中だ。 中央あたりに石室開口部がある。 |
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横穴式石室の入口 原人でも出てきそうな雰囲気だ・・・ |
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羨道から玄室を見る |
右側の片袖部分 奥壁の積み方が見事!! |
玄室から外を見る |
まぐさ石は巨石! |
古墳へ続く山道は、昔からあるという。
石室石材を引っ張り上げた道なのではないかという話が、若狭町の「わくわーく」という広報誌に載っていた。
藤井岡三昧古墳 |
福井県若狭町藤井 撮影日2015/10/12 |
若狭町藤井の明倫小学校の東の山のふもとの墓地の横にある。
藤井岡古墳より先に調査されたらしい。
資料が見つけられず詳細不明だが、埴輪が出土しているという。
藤井岡三昧古墳 周溝跡も確認できる。 |
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藤井岡古墳と同程度の円墳 |
墳丘上 竹が生えている・・・ |
実は「藤井岡古墳」を探していたら、見つかったのがこの古墳だった。
藤井岡古墳ではないとは思ったが、名前が分からない。
シンポジウム「向山古墳群の世界」のときに、担当者に尋ねたところ、この古墳は「藤井岡三昧古墳」とわかった。
藤井岡古墳に隣接しているということだが、藤井岡古墳は見当たらない・・・。
藤井岡古墳 |
福井県若狭町藤井 撮影日2015/11/22 |
今年(2015)8月末に「藤井岡古墳」の現説が行われたばかりというニュースを見て、藤井岡古墳を探す。
藤井岡三昧古墳のある墓地から、もう少し南にある民家の北側から、山道を登るとすぐ見えてくる。
藤井岡古墳は直径23m・高さ4mの円墳 山の尾根を生かした作りになっている。 葺石あり 埴輪あり 5世紀初頭の築造と推定されている。 発掘調査で、円筒埴輪の破片など約500点が出土 武具の形が忠実に再現された「甲冑形埴輪」のかけらも多数出土 埴輪は高さ60cm、幅50cm程度で、装飾として古墳の上部に並べられていたとみられている。 |
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平成25年・27年 発掘調査 平成27年8月に現説が行われた。 | |
藤井岡古墳 |
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墳丘上 |
墳丘上の葺石 |
墳頂から墳裾を見る |
上り口から見た藤井岡古墳 |
現説も終わり、きれいに埋め戻されている。
松尾谷古墳 |
福井県若狭町藤井 撮影日2015/10/12 |
松尾谷古墳は、若狭地方の前方後方墳として有名だが、消滅している。
藤井岡古墳の近くの松尾山浄水場が、その跡地だ。
松尾谷古墳は、全長35mの前方後方墳 前方部に2基、後円部に1基の埋葬施設があり、、多くの出土品がある。 4世紀前半の築造と推定されている。 |
若狭歴史文化館での松尾谷古墳の出土品の展示には 鉄鏃、ヤリガンナ、鉄槍、袋状鉄斧、鉄剣、器台形土器、壺形土器 などがある。 |
消滅した松尾谷古墳の跡地に建つ 松尾山浄水場 |
松尾谷古墳と藤井岡古墳と藤井岡三昧古墳は近くにあるが、それぞれ別の道を通らないといけないようだ。
松尾山浄水場の登り口には、向陽寺というりっぱな寺がある。