小浜市 地図g
八百比丘尼の洞穴 |
福井県小浜市男山空印寺内 撮影日2005/5/3 |
小浜市の 円形の小浜小学校の近くの空印寺に八百比丘尼の洞穴がある。
空印寺は小浜藩主酒井家の菩提寺である。
寺の入口左に、人魚の肉を食べて800歳まで生き続けたという八百比丘尼の洞穴がある。
八百比丘尼洞穴入口
八百比丘尼の伝説は、
北は東北から南は四国・九州まで全国に広がる物語だが、
どこの土地のものも
全て若狭小浜と深いかかわりを持った伝説として語り継がれている。
洞穴の内部
小浜市では八百比丘尼の長寿にちなみ、
長寿で健康で文化的な明るい街づくりに努めているそうだ。
堀川の河口に人魚の像もあるそうだ。
国民宿舎小浜ロツジには長寿風呂があるとか。
若狭で語られている八百比丘尼物語 むかし東勢村(現小浜市)に高橋長者と呼ばれる人がいて、 あるとき海中の蓬莱の国へ招かれ、お土産に人魚の肉をもらってきた。 長者の娘がそれを食べたところ、八百歳になっても娘のように若々しく、困った娘は尼になり全国を行脚して、 最後に若狭小浜に帰り、この洞穴に入定(生きたまま身を隠し静かに死を待つこと)した。 このとき、八百比丘尼は洞穴の入口に白椿を植えた。 |
浦島伝説に似たところがあるみたい。
丸山城跡古墳 | 福井県小浜市丸山 撮影日2015/10/12 |
丸山城址古墳は丸山といわれる山の上にある。 標高110m。
北500mには福井県立大小浜キャンパスがある。
南東から見た丸山
この山上に前方後円墳がある。
登り口が分かれば、登るのだが・・・・
今回は山を眺めるだけだ・・・。
丸山城跡古墳は 全長30mの前方後円墳 前方部を北に向けている。 戦国時代に丸山城が築かれ、かなり改変を受けている。 丸山城跡古墳 測量図 後円部と前方部にそれぞれ横穴式石室がある。 前方部の石室は玄室最大長2.15m ・奥壁幅1.35m・墓道長1.96m・墓道幅0.54m。 墳丘部からは、朝顔形埴輪と円筒埴輪が出土、 埴輪が墳頂部をめぐっていたと考えられている。 前方部の石室は盗掘が激しく遺物は確認できていない。 5世紀末〜6世紀初めの築造と推定されている。 前方部石室実測図 石室は、通路の部分が未発達で、 玄室に向かって急激に下降するもので、 このような石室は九州もしくは朝鮮半島の影響を 受けたものと考えられている。 後円部とともに前方部に横穴式石室をもつ古墳は、若狭地域では十善の森古墳や向山1号墳がある。 |
太良荘の古墳群 |
福井県小浜市太良荘 撮影日2015/11/22 |
鎌倉〜室町時代にかけて東寺の荘園だった太良荘は、北川と、東西と北を山に囲まれ、山麓に多くの古墳がある。
詳細不明のものがほとんどだ。
日枝神社裏古墳 太良荘の日枝神社の社殿の後ろに石材が露出している。 |
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日枝神社 昔は立派な神社だったのだろう、 長い参道がある。 |
日枝神社 銅造梵鐘 小浜市指定文化財 |
社殿後ろに石室露出 |
天井石 |
トンネルのようになった石室 |
石室内部は、埋まっている。 |
石室の入口と奥壁がどっちなのかよく分からないほど、崩れている。
御所の森古墳 太良荘の長英寺の墓地の奥にある。 そばに市指定史跡の五輪塔がある。 |
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五輪塔 鎌倉時代のもの 市指定史跡 木立の中に、置かれている |
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御所の森古墳 墳丘 |
天井石が並んでいる |
開口部 |
石室内部 |
明石支群 太良荘の正林庵のある集落の北端には、獣除けのフェンスがある。 そこを手動で開けて、砂防ダムに行く道に入る。 その道路沿いに多くの古墳がある。 |
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明石支群その1 |
明石支群その2 |
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明石支群その3 砂防ダムまで行ったが、 それよりずいぶん手前に、 石室石材を見ることができる。 |
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明石支群その4 半壊した石室が残っている。
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獣除けのフェンスから入り込んで100mぐらいの所に、2基の円墳が並ぶ。
仁王塚 |
径20mほどある円墳が2つ並ぶ 昔から仁王塚と呼ばれていたそうだ。 |
上の写真の反対側からみる仁王塚。 周溝を共有している。 葺石のような石が、集められている。 |
明石支群と仁王塚は、HP「古墳とかアレ」様の情報だけを頼りに見学してきました。
多田池町古墳群 |
福井県小浜市多田 撮影日2015/11/22 |
小浜市多田の関電エネルギーソリューション(元ポリテクセンター)の南の林の中に、横穴式石室をもつ古墳がある。
1号墳は横穴式石室が残っている。
多田池町1号墳は、径17mの円墳 横穴式石室は、玄室長さ5.1m・幅1.9m・高さ1.85m 羨道長さ4.7mの両袖式 6世紀後半の築造と推定されている。 |
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多田池町1号墳 墳丘 |
石室開口部 |
石室内部 |
石室内部から外を見る。 |
1号墳の西に2号墳。
多田池町2号墳 詳細不明 |
多田池町2号墳 墳丘 |
1号墳の北には、3号墳があるそうだ。
検見坂古墳群 |
福井県小浜市遠敷 |
検見坂古墳群が遠敷地区にあるという。
探したが、わからなかったので、写真はない。
現在までに円墳49基・横穴48基が確認されている。
消滅してしまった古墳も多い。
群集墳の時代・古墳時代後期6世紀後半の築造。
神通寺の北の円墳の石室
(「わかさ小浜の文化財」から引用)
見学できるらしい。
検見坂古墳群遠敷支群 |
福井県小浜市遠敷 撮影日2015/11/22 |
小浜市遠敷の神通寺近くの古墳の見学。
神通寺の北側の墓地の後ろを上ったところにあるのは、神通寺裏山古墳(遠敷43号墳)
神通寺裏山古墳(遠敷43号墳) | |
石室前に焼却炉がある。 |
山側から見る |
石室内部 |
石室内部から外を見る |
神通寺裏山古墳から、もう少し(30m)ほど行ったところにあるのが、44号墳。
遠敷44号墳 |
円墳らしいが、 詳細不明・・・・・ |
この遠敷の丘陵上には、前方後円墳がある。
九花峰古墳という。 2010年に測量調査の結果が報告されている。
九花峰古墳(キュウカホウコフン)(遠敷52号墳) |
九花峰古墳は 全長45mの前方後円墳 若狭地方で最古の4世紀の築造の可能性がある。 標高130mの山頂にある。 九花峰古墳 測量図 (シンポジウム当日資料から) 九花峰古墳(52号墳)の後円部の北にあるのは51号墳。 九花峰古墳は 測量調査では、前方部の幅が14mと狭く、後円部は2段築成など、 「柄鏡形」の古墳の特徴を備えていることが判明し、 4世紀後半の築造と推定されている。 |
いずれ、登ってみたいけど、標高130m・・・・・。
国分寺古墳 若狭国分寺跡 |
福井県小浜市 |
国分寺は741(天平13)年、聖武天皇の発願により全国60余州に造営された。
若狭国分寺は遠敷川と松永川によって東西を囲まれ南を国道によって区切られた三角形の地形に位置している。
塔・金堂・講堂・中門などの後が確認されている。
国分寺古墳上り口
若狭姫神社となっている。
若狭国分寺の寺域に取り込まれている。
撮影日2009/5/10
国分寺古墳は 若狭国分寺跡の南門の背後にある。
径45mで若狭最大の円墳。
円錐型の墳丘が良好に残っている。
2015年の国分寺古墳 | 撮影日2015/10/12 |
国分寺は、現在も、釈迦堂や薬師堂が建ち、曹洞宗の寺院として存続しているが、 現在の釈迦堂は宝永年間(1704〜1704)に再建されたもの。 若狭国分寺配置図 国分寺は741(天平13)年、 聖武天皇の発願により全国60余州に造営された。 若狭国分寺は 遠敷川と松永川によって東西を囲まれ 南を国道によって区切られた 三角形の地形に位置している。 塔・金堂・講堂・中門などの跡が確認されている。 寺域内に国分寺古墳がある。 国分寺古墳は 若狭国分寺跡の南門の背後にある。 径45mで若狭最大の円墳。円錐型の墳丘が良好に残っている。 |
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南から見た国分寺古墳 左手前に南大門跡がある。 |
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若狭国分寺・塔跡 |
若狭国分寺・塔跡から見た国分寺古墳 |
国分寺古墳墳丘は若狭姫神社となっている。 |
木々の間から透かし見る墳丘 |
国分支群 | 福井県小浜市国分 撮影日2015/10/12 |
国分寺古墳の南に、小さな円墳が4基残っている。詳細不明。
HP「古墳とかアレ・国分支群」様を参考にして、見学に行く。
3号墳 藪になっているが、墳丘らしいものはない 祠があるから、古墳かな |
6号墳 |
5号墳 周溝跡らしきものも確認できる。 |
4号墳 |
南から見た古墳群 左手前4号墳 中央奥・5号墳 右奥・6号墳 |
詳細は不明だ・・・・。
太興寺古墳群 |
福井県小浜市太興寺 撮影日2005/5/3 |
JR小浜線新平野駅の西側の田んぼの中に古墳らしき小山がポツンポツンとある。
通称「七ツ塚」と呼ばれる、太興寺古墳群だ。
太興寺古墳群全景 「わかさ小浜の文化財」から引用
七つ塚のうち5基が残っているらしいが、わたしたちには6基に見える。
1号墳から5号墳まであるが、どれがどれか区別がつかないので、「わかさ小浜の文化財」の文章を読み、憶測で名前を付けた。
違っていたらゴメンナサイ!
6世紀後半(古墳時代後期)の円墳とみられている。
1号墳 小浜線の線路のすぐ南側、新平野駅寄りに位置。 直径9m高さ1mの円墳。 |
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2号墳(通称松塚) 1号墳と線路を挟んでその北方に位置。 直径17.5m高さ2.6mの円墳。 発掘調査をしたらしい。 |
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3号墳 最も北方に位置。 直径15m高さ1.8mの円墳。 曲げた農道のある古墳。 |
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4号墳 最も西方に位置。直径12m高さ1mの円墳。 |
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5号墳 4号墳の北東に位置。 直径14m高さ3.6mの円墳。 |
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古墳に見えるけど・・・・ 4号墳の西に位置。 木の横に盛り上がりがある。 |
この古墳群は、土地改良の際、地区の総意で保存が決定された。
3号墳は分筆の関係でどうしてもこの上に農道を作らなければならず、古墳に沿って迂回する道がつけられた。
古墳の保存の方法としての「曲げた農道」は見る価値があると思う。
4号墳の近くの小浜線の踏切の名称が、「うぐいす塚踏切」となっていた。
どれかが「うぐいす塚」と呼ばれているのだろう。
加茂古墳群 |
福井県小浜市加茂 撮影日2005/5/3 |
加茂北山に築かれた円墳2基の石室が開口している。
若狭地方最大の横穴式石室を持つ古墳である。
俗に「ヅカナ(塚穴か?)」と呼ばれている。
加茂南古墳 小浜市指定史跡 |
加茂古墳群 |
横穴式石室を持つ円墳。
加茂南古墳全景
盛土はかなり削られている。
加茂南古墳の石室
入口は狭く、かがまないとは入れない。
中は光が入らず真っ暗。
ライターの火くらいでは光が天井まで光が届かない。
玄室の長さ4.2m・幅3.1m・高さ3.76m、
羨道部の長さ8.28m・幅2.0m
加茂北古墳 小浜市指定史跡 |
加茂古墳群 |
加茂南古墳の西約50mの所に、南古墳より石室の大きい加茂北古墳がある。
墳丘はほとんど削られているが、横穴式石室を持つ円墳。
加茂北古墳入口
南古墳より入口は広く、
立ったまま中に入ることが出来る。
加茂北古墳石室内部
石材の間から光がもれていて、中の様子がよくわかる。
天井のあまりの高さに感動!
奥壁の幅2.6m
高さ3.96m・長さ4.7m。
玄室の天井は4個の盤石で覆われている。
玄室と羨道の境には両側の壁に立石がある。
羨道の天井は玄室の天井より約1m低い。
羨道部は、幅1.6m・高さ2.3m・長さ9mで4枚の天井石がある。
加茂北古墳・南古墳というけれど、実は東西に並んでいる。
西に北古墳、東に南古墳・・・・・なんでだろう?
築造時期は南古墳→北古墳の順に作られ、古墳時代後U期(6世紀後半から7世紀初頭)と考えられている。
出土したものはほとんどないが、
北古墳に隣接して所在した古墳から出土したと伝えられる台付長頸壺は7世紀初頭のものと考えられている。
石室の大きさ、特に高さに感動の古墳だった。
この石室を見られたことだけでも、このドライブは大成功だと思う。
加茂地区には多数の古墳が散在しているらしいが、見学できるのは他にあるのだろうか?
2015年の加茂古墳群
撮影日2015/11/22
2005年に見学したが、石室内部が真っ暗で、写真が撮れなかったので、再訪。
2つのの立派な石室を見ることができる。
加茂神社の北西にある山麓にある。
加茂北古墳・南古墳は、円墳であったと思われるが、壊されているので墳形等は明らかでない。 県下で最大級の横穴式石室を遺存している。 北古墳の玄室は、長さ4.7m、幅2.6m、高さ4.0mで羨道は長さ9.0m、幅1.6mである。 南古墳の玄室は、長さ4.2m、幅3.1m、高さ3.8m、羨道は長さ3.3m、幅2.0mである。 盗堀を受け、副葬品等も不明である。 両古墳ともに6世紀後半〜7世紀初頭の築造と推定されている。 |
2基の墳丘のうち、東側にあるのが加茂南古墳。
加茂南古墳 | |
南から見た加茂南古墳 |
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加茂南古墳 開口部 |
加茂南古墳 開口部から羨道部を見る |
加茂南古墳 奥壁 |
加茂南古墳 奥壁全体 |
加茂南古墳 玄室内部から入口を見る |
加茂南古墳 羨道から入口を見る |
西から見た加茂南古墳 |
加茂南古墳の西50mにあるのが、加茂北古墳。
南古墳よりも、石室の高さが高い!
加茂北古墳 | |
南から見た加茂北古墳 白く見える枯れ木の後ろ辺りに石室 |
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加茂北古墳 石室開口部 |
加茂北古墳 羨道から玄室を見る |
加茂北古墳 奥壁に穴が空いていて明るい |
加茂北古墳 奥壁の穴を外から見る |
加茂北古墳 玄室から入口を見る |
加茂北古墳 西から見る |
北古墳・南古墳というけれど、東西に並んでいる。
10年前、初めてこの石室を見たとき、この高さにとても驚いたことを覚えている。
日笠古墳群 |
福井県小浜市・若狭町 撮影日2005/5/3 |
日笠古墳群は、小浜市と若狭町にまたがって存在する。
白髭神社古墳は小浜市、上舟塚古墳・下舟塚古墳は若狭町となっている。
白髭神社古墳 (国指定史跡) |
日笠古墳群 | 小浜市平野 |
JR新平野駅のすぐ東南に位置する。
白髭神社古墳後円部
社殿建築でかなり改変されている。
全長約53m、後円部の直径30m・高さ6m、
前方部の幅25m・高さ4mの前方後円墳。
後円部が東、前方部が西にある。
周濠があった。
白髭神社古墳前方部
葺き石は無し、埴輪あり。
未発掘。
出土品無し。
古墳時代後期・6世紀前半の築造と推定されている。
せめて案内板くらいはほしい。